humanprofailingでの聴き取りでも、
ごく普通の会話の中に出てくる
気になる言葉のワードがあります。
それは「しんゆう」と言う言葉です。
本人との関係と親しさや距離感、
心を許す関わりの深さを表す大切な指標として
「しんゆう」の使い方が気にかかります。
言葉としても耳さわりが良く使いやすく
その使い方いかんでは
本来の意味の「しんゆう」まで
軽き印象と意味になる恐れがあります。
あなたにとってその「しんゆう」は、
どの漢字で書く「しんゆう」なのですかと?
尋ねたくなる衝動に駆られるのは私だけでなく
「こだわり」を持ち使い分けている方にも
理解出来る感覚ではと思ってしまいます。
私自身も学生の頃から
これを承知し疑問に思い
適切な書き分けを心掛けるようにしてきましたが、
言葉で「しんゆう」を
その「質」と「関わりの深さ」を推察する事は難しいですが、
文字としての「しんゆう」なら
色んなことを私達に語りかけてきます。
「しんゆう」を、
漢字で書くと、
多くの方は「親友」と書かれるでしょう、
しかし、今の時代
この書き慣れた文字の「親友」だけで
こと足り意図する事を言い表せるでしょうか?
これまでにも「こだわり」をもち
使い分けをされてこられた方でも
「心友」ぐらいまでの使い分けではないでしょうか?
良く考えて見ると、
相手への「心の在りよう」は、
人それぞれで、
付き合いの長さや親密性さ深さ、
知り合い方などの関係性などの意味合いにより
違ってくるのが当然の事ではないでしようか。
ただ、
使いなれているだけの理由だけでの
「親友」では、
複雑で多様な現代の人間関係において
親交を交える方との健全な
関係性と見極選択を果たすためにも、
親交への意識の高まりと付き合いのためにも、
この「しんゆう」への
表現と意識の区別があると良いのではと思え、
それにより自身も相手にとり、
より高い「心友」「信友」でありたいと願いめざすことで
これに恵まれるのではないでしようか?
私達は意識せず相手に対する
「見極めと想い」を「しんゆう」の文字に込め
*新友
*親友
*心友
*信友
他にも
*深友
*真友
これらの中に適する意を求め選びあらわします。
しかし
実際に書かれるのは「親友」の一辺倒で、
今の時代の人間関係を生きる者として
相手との適切な距離感を自己判断し
守り付き合って行くものでなくては
実情に収まらないのではないでしょうか。
現代の人間関係を生き抜くためにも
相手を見極め「自身と心」を守るためにも
適切な距離と区別を正しく使い分ける、
「しんゆう」の文字に
象徴と意味を持たせ託し
意識をもって親交を深めて行くことが
これからの社会における人間関係には
必要なことではないでしょうか?
公私の会話のやり取りの中で、この頃とくに、
これらを強く感じる事が多くありました。
また、以前に忘れえぬ新聞記事から、
記者と記者の小学生の娘さんとの
日常のエピソードから
「しんゆう」に関する
新鮮な感覚と見識を読み解き
今の複雑な人間関係の中においても
適切な対処を知り得た想いを感じました。
これから記載するものは、
オトヒメエビとウツボの囁きが
忘れえぬ新聞記事から
記者と記者の小学生の娘さんとの
日常のエピソードから
「しんゆう」に関わる
新鮮な感覚と見識を感じ再認識したものです。
尚、これは記事を抜粋要約させて頂いたものであり
一部、自身の主観が加えられており
記事原文と同じものではないことを了承ねがいます。
日本経済新聞 2011/7/12
親友、心友、信友…
「しんゆう」を使い分ける子どもたち、
(佐々木智巳) から
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小学6年生の長女が
近所の女の子との交換ノートの表紙の
「信友ノート」の文字を目にしたとき、
ただちに、
「しんゆう/親友」の文字の誤りをたしなめると、
「知ってるよ!でも、これでいいの」と
平然たる娘の反応を
不思議に思い問いただしてみると、
そこには興味深い理由がありました。
人に
「しんゆう」を、どう書くと問われれば、
多くの方は迷わず
「親友」あるいは「心友」と
答えるのではないでしょうか?、
長女が使う
小学生向け学習国語辞典には
他の漢字での「しんゆう」は見あたらず、
自身の小学生の頃の記憶をたどってみても
「信友」と習った記憶もありません。
長女の交換ノートを
了解の上で見せてもらうと、
この他にも
「新友」
「親友」
「心友」の文字が見つかりました。
たわいのない
文章の中にちりばめられた
これらの「しんゆう」は、
子供たちが作った言葉なのでしょうか?、
調べてみると、
*複数の小型国語辞典に「心友」を見つけることができ、
*50万語を網羅する日本国語大辞典第2版(小学館)では、
「心友」 同心の親友。心を許しあっている友人、
「信友」 誠意のある友人、信頼できる友、
「真友」 本当の友人。真実の友とあり、
「親友」以外のこれら「しんゆう」も
古くからある言葉だということが分かりました。
さらに驚いたことに、
子供達の使う「しんゆう」には序列があり、
*「新友」は「新」の文字から
類推できるように「最近仲良くなった友達」のこと、
*徐々に付き合いが深まり
仲良しグループの一員となった証しが「親友」となる、
この頃には母親同士も顔見知りとなり
「親も友達」という意味もあるようです。
*もっと打ち解けてくると心を許す「心友」で、
*最も信頼を置く大切な友である「信友」となるわけです。
辞書の意味とは多少異なるものの、
子供でも分かりやすい意味で使い分けられていました。
試しに小学3年生の次女に「しんゆう」を
知っているか質問してみたところ
「仲のよいともだち」と
意味はなんとなく理解しているようでした、
漢字で書かせると「親友」と答え、
それ以外の漢字を当てることはありませんでした。
長女が
複数の「しんゆう」を書き分けるのに対し、
低学年の次女はなぜ「親友」だけなのでしょうか?
この他にも、
「しんゆう」について面白い辞典があり、
*一般から辞書に載せたい言葉を募集し編集された
「みんなで国語辞典!これも日本語/大修館書店」に
「新友・親友・心友・信友」の書き分けがあったり、
*「当て字・当て読み漢字表現辞典/三省堂」によると、
他にも「神友・深友・真友」もあり、
地域や世代間で「しんゆう」表記は
現在も進化しつつあるようです。
日本大学の竹林一志准教授は、
親しさの度合いも質も様々なのだから
「親友」という同じ言葉でひとくくりに
したくないという気持ちの表れではないかと分析します。
小学校高学年になると、
友人関係が大きな関心事となり、
長女が心の成長とともに学びや遊びに関して
「何をするか」よりも
「誰とするか」を重要視するようになった結果で、
「しんゆう」の書き分けで友達を選別しているように思う。
長女(小6)らが、
意味を持たせて書くそれぞれの
「しんゆう」を単なる日本語の乱れや
若者ことばの類いで片づけてしまうのは淋しい気がします。
世の中で、ひとくくりにされがちな
ものの間に性質の異なりを見いだし、
その異質性を重視している/竹林准教授。
という点で親としては、
これを子供の成長と評価してやりたいと思い
今後の成長の過程で多くの「しんゆう」に
出会えることを願ってやみません。
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