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【設立】
2011年2月

■代表 津村健司

【資格】
ココロテラス代表カウンセラー
国家検定キャリアコンサルティング技能士2級
[技能士番号 第16S17407342号]
国家資格キャリアコンサルタント
[登録番号 17015394]
一般財団法人ACCN会員
[オールキャリアコンサルタントネットワーク]
JBM日本美容統合医療協会認定上級心理カウンセラー
日本フォーカシング協会会員
  • 23Oct
    • 時の流れ

      こんにちは『と』時の流れに身を任せ一昔前に流行りましたね時は流れゆく。その「時」に抗わずに身を委ねる。抗うわい!精魂尽きたら神様頼み。後は成るようになれい!的なでも、精魂尽きるまではさ、抗った方が良いそう私は思うのです。時間は有限で、時間は誰しもに平等です。戻ることも不可能だし、ジャンプすることも不可能なもの。(って思っている。って思い込んでいる。って思い込まされている)でもね。そもそもが、24時間ってのも人間が便宜上勝手に創ったものでありとても不確かなものである。(ウチは時計を徹底的に排除しましたので、iPadかiPhoneかPCで、必要な時に確認しています)つまり、時間とは、あるかないかがハッキリとしない極めて抽象的な概念です。あると思えばあり、ないと思えばない。懸命に何かに集中していると、時間を忘れてしまうじゃないですか?で、時計を確認したら、あ〜、こんなに時間が経ったと思うだから、確認して、はじめて自分が「時」を認識するってこと。量子力学みたいなものそれほど不確かな時間というものに私たちは追われたりする。追われて追い詰められて、途方もなく苦しくなって、時の流れに身を任せ!ってなる。そりゃそうだでもね。時間が有限だって誰が決めた?そう思い込んでいるに過ぎないんじゃないの?そう思い込まされているから、時間は有限ヤバイヤバイとなる。私の感じる『時間に抗う』とは、何かに抵抗するっていうのではなく、時間は無限だと感じることそうすれば、焦りなんて生まれません。逆に言えば、面白くもありません。何故なら、無限ならば、今やらなくてもいつでも出来るから退屈極まりなくなる。ってことは、無限だという前提に立ち、いつもいつも、今、この瞬間を丁寧に、大切に生きる。有限だからこそ。って人もいるだろうけど、有限だと思うから、執着が生じる。ちゃうやん。無限か有限かは、私たちが死んでみなけりゃ分からんちん(死んでも死なないかもしれないよ人生100年時代ですって???無限時代が証明される時が来るかもね。)賭けてみたら無限説(勝手に名付けた)無限だと、時の流れに身を任せられなく、苦しみや悲しみはずっと続くかもしれない。でもさ、苦しみや悲しみを乗り越えようとするその抗いが誇りとなるってこともあるよ。だから、無限の時という中で、今、この時を懸命に生き続けるで、この懸命ってのは、汗を流したり、苦労をしたりってのではなく、今あるもの。今いる環境で存分に愉しむことその意識さえ持ってれば、大抵のことは上手くいく私はそう思うのです。※何事も、盲信して一つの物事を一つだけの信念として生きるより、視点を変えて自らの常識を覆す。それが前提を変え、楽にもなれるコツかも知れませんねご参考まで。本日の生き塾ブログは、在り方←こちら良かったらご覧ください。心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪←ホームページつむらけんじ

  • 21Oct
    • 戸惑うときは課題を増やす。

      こんにちは『と』戸惑う時は選択肢を二つ以上用意する。一つではやるかやらないかだし、二つではどちらかだから、選ぶには覚悟と決意が必要だし、三つがやっぱりベストかな。じっくりゆっくり考えて、状況を俯瞰し、自己を分析し、持っている資源を精査し、戦略を構築し、GO課題を増やすことにより、優先順位が生じるから、より問題が鮮明になるってことがある。絞り込むことが難しくて戸惑うのは近視眼的になっている為で、逆をやってみるってことも時には大切だと感じますご参考まで。ps)明日は歴史に残る即位の礼なんですね。天皇陛下のご英断。その生き様に倣うべきところがあると思う。象徴が意味するものを形骸化したくないということは、自らの存在を存在として決して誇示せず、国民のことをいつも案じようとするその在り方の裏側に、苦悩やら葛藤やら恐れやらの様々な複雑な感情や、複雑な慣例との闘いや政治力との拮抗があったのだと容易に想像出来る。右とか左とかある人もいるだろうけどさ、僕は、そんな生き方そのものを支持します本日は、メルマガにて、「男と女」20時に配信させて頂きます。良かったら、ご登録くださいませ生き辛さ改善セラピー(メルマガ週1発行)↑こちら【お知らせ】国家資格キャリアコンサルタント国家検定キャリアコンサルティング技能士2級オンラインロールプレイングサイトを開設しました。受検前のブラッシュアップにどうぞご活用くださいませ。オンラインロールプレイング←こちら心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪→ホームページホームページ、若干いじくりました^ ^良かったら、トピックなどもありますのでご覧くださいませ。つむらけんじ

  • 18Oct
    • おはようございます『て』天まで届けと祈るより、目の前にあるその笑顔が天なのです。素敵な週末をお過ごしください本日もYouTube【他人の目が気になります。】PART2です。良かったらチャンネル登録お願いします。国家検定キャリアコンサルティング技能士2級国家資格キャリアコンサルタント受検実技講座を開催中です。実技講座←こちら1時間単位でしたらココナラ←こちら心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪←ホームページつむらけんじ

  • 17Oct
    • こんにちは『て』手が綺麗な人が好き。手が柔らかな人が好き。手に優しさを感じる人が好き。手という機能は、物を掴む。物を動かす。物を置く。物を触る。物を感じる。物を温める。これらは意思のあるなしに関わらず、僕たちの命令に器用に忠実に、ずっと従ってくれている。それらを感じたなら、あなたのその大好きな人のこれまで生きてきた歴史や変遷が鮮明に宿る器官でもあり、女も男も手に惚れ、手からその人を知るってことが往々にしてあるんじゃないかと僕は思います。だから、辛いときや苦しいとき、僕は自分の手をじっと見て、これまでの自分史をいつも振り返る。そして、いつも、誰かと会って別れる時に必ず握手をしたくなる衝動にも駆られる。仮に、この手が、この手の機能が、この先の人生で失うことになったとしたなら、きっと、手の代わりにするであろう足を愛でるだろうし、口を愛でるだろうし、ありとあらゆる部位を余計に私は愛でるでしょう。そしてきっとその時にもこう思う。生きる為の様々な機能を司る自らのこの身体という産物の意味は、自らの生きてきた歴史を刻んできた証明。お年寄りの手の深い皺は美しい。ご本人は嫌な場合もあるだろうから敢えて口にすることはないけれど、僕はいつもそう思う。僕もあなたのような美しく深い皺が欲しいなと。又そして、誰かを憎み、誰かを恨み、その誰かを憎み、恨む自分にほとほと嫌気がさしたなら、ほとほと辛く悲しいのなら、その相手の手なり足なり、身体なりをつぶさに観察してみれば良い。善人も悪人も、その身体には罪はなく、ただひたすらに懸命に、歴史を刻んでいるに過ぎないもので、その点は、私たちは皆同じ。最後にその相手を許せるかどうかは、そんなところで決定づけられるのではないか。そう僕は思うのです。だから、私は私のこの部位たちで、人を傷つけまいと本気で思う。何故なら、その忌まわしい歴史がその部位に宿ることを私はとても恐れるから。人を殺めた者は、常にその殺めた部位をいつも見て、その罪の深さをいつもいつも思い知ればいい。それが故人に対するせめてもの贖罪です。ただ、戦争に駆り出された人々の想いの深さを知るスベを未だ私は持ち得ない。だから、私たちが唯一出来ることは、繰り返さないこと。でも、愛する人を傷つけられた時、私はきっとやり返すでしょう。その自家撞着が私の唯一の自制であり、それがあるからこそ、それを持ち続けるからこそ、明日に向けて今を生きられる。一元的に物事を見るから画一化する。画一化は危険であり間違えることが実に多い。自分を100%にしないで生きる。いいところ60%程度が良いのでは?ご参考まで。素敵な一日をお過ごしください本日はYouTube【他人の目が気になります。】PART1です。良かったらチャンネル登録して頂ければ嬉しいですお電話でのカウンセリング承っております。深夜帯も行っておりますのでお気軽にお問い合わせくださいませ。電話カウンセリング←こちら心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪つむらけんじ

  • 16Oct
    • 天気

      おはようございます『て』天気が気になって仕方がない。天気を気にしても仕方がない。天気は自然のもので、私たちは未だ自然をコントロールすることは出来得ない。天気にどう、いかに対処していくか?その一点に尽きる。人生もね。全く同じように私には思えるのです。素敵な一日を本日の生き塾ブログは、お天気←こちら心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪つむらけんじ

  • 15Oct
    • つくづく嫌になっちゃうよ。

      おはようございます『つ』つくづく嫌になっちゃうよ。って言葉は、つくづく(自分)が嫌になっているってことを大概は示しています。嫌なことを繰り返している自分嫌なことだけど懸命に頑張っている自分理不尽さに耐えて必死にやっている自分理不尽さを分かってはいてもはい出せなく、抜けることも出来ない自分甘えと分かっていても変えられない自分例えば、これらが背景にあり、「つくづく嫌になっちゃうよね」って言葉を吐息まじりに呟くゆうべ。そんな時は、その言葉に続けてこんな風に言ってみたらいかがでしょう。「そんな嫌なこと(そんな嫌な奴と)をまだまだ続けていくのかい?(まだまだ付き合っていくのかい?)」⏬1「つくづくって、腹の底からそう思うほど、賢明に自分はやってきたのなら」2「つくづくって言ってはいるが、向き合うこともせず、振り返ることもせず、流れのままにやってきているものならば」⏬1「しみじみ嫌と感じるくらいに後悔がないのなら、きれいさっぱりやめちまう。」2「しみじみ嫌と感じるくらいに何もやってこなかったなら、しみじみ嫌だと思うくらいまでとことんこの世界に浸ってやる。」1の選択の場合は、やめちまいましょう。2の選択の場合は、つくづくを腹の底から感じるくらいまで待ちましょう。やりましょう。腹の底から感じるのなら、大概は1に移行するもので、腹の底から感じないものなら、そこまで嫌ではないのだから、その環境下での順応性、適応力を高めていく。人は天秤である。天秤ではあるが、それは巧みなバランスを意味する天秤であり、決して両極のどちらかに極端に地面につくくらい振れるような天秤ではありません。極端に振れた方が楽ではあるし、極端に振れた方が楽なようには感じるが、その極端な振れた方が良いという価値観が、単純に、やる。やらない。という狭い選択肢を採用させ、それに伴い快、不快のそれぞれの振幅が更に大きくなり、結果、新たな経験に踏み出す恐怖を内に創り、その恐怖が、自らの可能性を段々と閉ざしていく。だから、「つくづく嫌になっちゃうよ」ってことを呟く時、私は自らの中にある自らの価値観を見ていますで、大概はね。くだらない価値観がほとんどですそして、『自分はこういう人である。』ってのはね。大概は生きる為の口実であり、大概は嘘っぱちって思っておいた方が、より良く楽に暮らせます。『自分はこういう人である』は、今の自分の場所を指し示すだけのものであり、自分そのものを示すものではない。ただの自分の位置を指すだけの、参考とするだけの、言わば指標に過ぎないものそう思っておいて間違いはないでしょうね。そのあたりの詳細は生き塾ブログに書いておきますね。自分←こちらご参考まで素敵な一日をお過ごしくださいませ。心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪つむらけんじ

  • 11Oct
    • 辻褄

      こんばんは『つ』辻褄が合わないってことを他者に感じると、あっ、嘘ついてるな。や、あっ、なんかおかしいな。なんて感じ、浮気しているのでは?不実されているのでは?騙されているのでは?自分勝手な人だなー。おかしな人だなー。嫌な人だなー。などと人は思う。大体が、不安か不信か怒りかやるせなさかそんなものが伴ってくる。ただ、自分の辻褄の合わなさに気づく人は割と少なく、気づいていてもまっ、仕方ないやって都合良く流す人は多い。他人に厳しく自分に甘いとも言える。それはある意味生きる上では仕方のないことで、誠実、不誠実で言えば、明らかに不誠実。でも、自らが、そんなに不誠実だとは皆んなあまり思いたくないので辻褄が合わないものを無理矢理にでも合わせようとする。素直に正せればいいのにね。素直に謝れればいいのにね。素直に認めれればいいのにね。そして、その辻褄が合わないってことを自分に対しての不誠実だと思えればいいのにね心の中に辻褄が合わない自分がもしいたとしたら、感じたとしたら、辻褄が合わない自分を責めたり、辻褄が合わない自分を見捨てたり、辻褄の合わなさに目をつむったり、そのようなことをする自分をしっかりと逃がさないようにし、何故?辻褄が合わないことを自分はやっているのかをじっくりと考えてみる。腹が立つのに笑っている私。悲しいのにおどける私。辛いのに泣けない私。ついつい盛っちゃう私そんな私たちに言ってやればいい。あんたホンマ不誠実やな〜ってね。人は、他者に対しては敏感に辻褄の合わなさを感じる。不誠実さを叩いたりもする。でもさ、辻褄の合わない自分をまたこのまま見逃すのかい?不誠実な自分をまたこのまま知らないふりをするのかい?そいつが自分の苦しみの元凶かもしれないよ。そいつが自分が幸せになれない理由かもしれないね。元の根っこにあるものを探していく。少なくとも、自身で辻褄が合わない自分を理解されている方は、自身への誠実さをいかに追求するかが課題であり、その先に新たな扉が開いている。人間は、そもそもが辻褄が合わないことを無理矢理合わせている生き物ってのは確か。じゃなきゃ生きれないから。全ては自らの都合。でも、自身の辻褄合わせに気づく人は辛いし苦しいもの。自分に対しての不誠実さを許せるか許せないか。許せることを許してもいいし、許せないことを許してもいいし、そして、どうしても許せないなら?方法は様々あれど、気づいてるなら、ぐちぐち言わんと課題に引っ張り上げて、人生かけて闘いなはれ自身の誠実という自身の正義の為にね。だーれも周りは関係ございません。ご自身のためにそして、願わくば、責めの辛さから人生を止める選択をしないで欲しい。闘いはいつでも闘えるのですから。自分という存在を自身が覚知しているからこそ。ご参考まで。週末の台風。進路予想にお住まいの方々、十二分にご注意くださいませ。なにごともなく、誰もが平穏な週末でありますように。本日の生き塾ブログは、甘え←こちら心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪つむらけんじ

  • 10Oct
    • 失恋

      こんばんは『ち』ちぎれた恋のカケラを集めたってさ。バラバラになった細切れなピースはもう元の場所には はまらないのさ。はめようとして万が一運良くハマったとしても、一つのピースはどこを探してもどうしても見つからない。そりゃそうだ。だって、そのピースはそもそも存在していないのだから。はめるそのピースは今から二人で創るもの。二人で創れば存在するし、創れなければ存在しない。過去をツギハギして生きるのかい?それとも今を生きるのかい?思い出に流されるのか、思い切って流すのか、あなたの真価が今、試されている。苦しい時ほど、広がるとき。意味を持たすか持たさないか。顔晴れ。本日はメルマガ20時に配信させて頂きます。タイトルは、「方法論の弊害」良かったらご登録くださいませ。メルマガ[生き辛さ改善セラピー]←こちら素敵な夜を心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪つむらけんじ

  • 09Oct
    • ちから

      こんばんは『ち』力が欲しい。力が足りない。力が出ない。力が入らない。力にならない。力を溜める。力を注ぐ。とかく人は「力」というものを欲しがります。力は象形文字の力強い腕の象形から来ており、つまりは腕力を表しています。腕力を高める為にはどうするか?それは筋力をつけること。筋力をつけるには、バランスの取れた食事や適度な休養やこまめなメンテナンスが必要であり、勿論のこと、日常的なトレーニングの賜物であることに間違いはありません。そう考えていくと、私たち誰もが欲する力とは、ある意味筋力と同じもので、日常や常日頃の鍛錬が必要なことは周知のことであり、鍛錬や努力が乏しければ力など身につくものではありません。非力が嫌なら力をつける為の努力や鍛錬を継続していく他に方法はありません。そして何より力をつけるにおいて最も大切なことは、力を身につけてどうしたいか?という明確な目的意識が必要であり、それは動機付けがいかに重要なことなのかを表すものであり、だから努力や鍛錬が継続出来る維持出来るということとなり、その結果、力がつくということになる。力を持つということは責任が生じるってことも考えておかなければならず、自利だけに終始した動機付けの継続により得られた力というものは、その使い方を誤れば、自ら得た力によって滅ぼされることもあるってことを私たちはしっかりと肝に銘じでおく必要がある。だから、本当に力のある人は、自らが力があることの誇示をせず、その力を自分以外の者にいつでも使えるようにいつもブラッシュアップを欠かさない人ということが言えるのだと私は思うのです。力を身につけて、その力をどう活用したいのか?それを僕たちはいつも問われていて、力をつける鍛錬の最短の近道としての動機付けは、自分の為ではなく、誰かの為にとすること。人は、自分のことを優先するよりも、誰かの為にを優先した方がモチベーションが湧きやすい。モチベーションが湧きやすいということは継続しやすいってことを意味します。(自己犠牲は違いますよ。自己犠牲は力の放棄でもあるからね。)だから、誰かの役に立ちたいをいつもいつも想いながら努力や鍛錬をしていくこと。そして、誰かの為にが叶った時に、はじめて自分の為にやってきたってことを知ることになる。他者を活用させてもらっているってことに気づくこととなる。そこで天狗になったり有頂天になったり、挙げ句の果てに、役に立つやサポートやの押しつけを強要したりをしていくと、勘違い君の万能感バカとなり、結果的に、自らの力によって滅ぼされていく。他者によって生かされている。その感覚が、自らの力をつけていくということの根源的な姿勢としたほうが、私たちはあらゆる面で幸せになれるって、そう私は思います素敵な夜を本日の生き塾ブログは、ドツボ←こちらまあ、こうなったほうが復活や回復は早いわな心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪つむらけんじ

  • 08Oct
    • 無表情にこう言った。

      こんばんは『ち』知識こそが全てだと若者は言った。考えるからこそ人間だよと野心家が眉間にシワを寄せ鷹揚に語った。そして、人混みの後ろのほうから感情が全てだと金切り声で子どもが訴えた。老人は静かに無表情にこう言った。恐れることを恐れないのが私に刻まれた人間史。歳を経るとは再統合を表していて、分化したものを各々に追いかけるものではない。あんた若いねってそれまで無表情だったその老人は、その時だけは私に笑顔を見せました。素敵な夜を本日の生き塾ブログはもっともっと←こちら良かったらご覧ください心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪津村健司

  • 07Oct
    • 薄汚れた

      こんにちは『た』たちまちの内に時は流れ、今はあなたのその長く艶やかな黒髪も、その薄く小さなピンクの唇も、そのか細く華奢な肩の付け根にある真横に並んだ二つの小さなホクロも、その綺麗な小さな手の端正に整えられた美しい爪も、私は鮮明にもう思い出すことは叶いません。その顔も、その存在すらも忘却の彼方がそれらを深く丁寧に沈み込ませていく。でも、不思議だね。ある日、街角ですれ違った見ず知らずの人から香るほのかに甘い果物の香りが、私の鼻腔をたちまちに駆けぬけて、刹那にあなたが目の前に現れくる。でも、やっぱり姿形や顔なんててんで分からなくて、ただの想念のように不確かな儚さに過ぎないボンヤリとしたものではあるのだけれど、でも、確かにその瞬間にあなたは居た。私の中に確実に。そして私は暫し立ち止まり、暫し都会の薄汚れた空を仰ぎ見て、薄汚れた空の薄汚れた空気を薄汚れた自らの肺一杯へと吸い込んで、ゆっくりとまた、元の道を前へ前へと踏み出していく。もっと薄汚れていくのだろうか、それともどうしようもなく汚れたことすら気づかないままに死にゆくのだろうか、それを私は知るすべはなし。ただ、あなたが現れたその瞬間だけは、綺麗な自分が戻ったような気がしたんだ。その一瞬だけはね。素敵な午後を本日は、YouTube「歩み」昨日 登山をしてきました。その模様です心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪津村健司

  • 04Oct
    • 丹念に生きる。

      こんばんは『た』丹念に生きる。丹念に生きるとはあるゆることを味わいながら生きること。丹念に生きるとは歓びや愉しさだけではなく、悩み煩う自身がいてもそれを噛み締めながら生きること。丹念に生きるとは自分を大切に生きることなのだから、自分を大切に出来ないや自分を愛せないなんて方は、丹念に生きることを意識すれば良い。世界が広がるよ。時間が足りなくなるよ。やりたい事や見たい事や触れたい事らが増えていくよ。焦りや不安があろうとも、丹念に生きてさえいれば自他分離は進み自身をもっと愛しく扱える。やってみな。やってみて。やりなはれ^ ^丹念に生きる方法を具体的に教えてくださいですって?そっかー。それが自分を愛せない理由なんだね。方法を誰かに聞くことそれ自体がね自身の成長を止めていく。それは、愛せないんではなく、愛したくないっていうことですね。きついけどさ、愛したくないってワケを探した方が良いかもね。それは、端的に言えば愛する自信がないからでしょ?自信をつけるのは方法論だと思っているからでしょ^ ^そいつと取り組んで生きればいい。それも丹念に生きるっていうことの一つですご参考まで。素敵な週末をお過ごしください本日の生き塾ブログは、一元論←こちら僕もあなたも注意が必要だと思います。心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪つむらけんじ

  • 03Oct
    • 無力

      こんばんは『た』大変だ大変だあー大変だ。大変だって言っているうちは大変さは続いていく。どうしよう?どうしよう?どうしよう?って言っているうちはどうしようってことが続いていく。寝ても覚めても大変だ。寝ても覚めても どうしよう?大変だ。は焦りを惹起し、どうしよう?は不安を惹起する。焦りがあるから大変だを思考させ、不安があるからどうしようを思考させ、それを言ったり思ったりし続けるから人は苦しくなり、それがキッカケに無力な自分の情けなさを知る。確かにね。そうだよね。僕もそんなんがある。そんな時思うんよね。無力は力。なんにも出来ない。なんにもやれない。だから、無力と人は想う。分かれ目はただ一つ。無力は力。どんな力ですかー?はい。それは、自分がいかに無力か?ってことに気づく力。無力と無気力は違います。人は誰もが無力です。でも、無力と認めることがとても怖く、無力だから価値がないと想い、価値がないと想うのが嫌だから焦りや不安を惹起する。無力やん^ ^私もあなたも無力やん^ ^そいつを素直に認め、奢らず誇らず、隠さず、振る舞わず、泣き叫び、ちょちょまい、オロオロし、それらをひとしきり体感したら、無力を認めてそれを赦す。それが自分なんだと真正面から認めてあげる。で、無力だからこそ気力が頭を持ち上げる。その時まで待てばいい。待ちきれないから あがいてしまう。そして、無力を認めないから無気力になり、無力より厄介なのがこの無気力で、無気力を避ける為に無力を認めることが肝要であるってことであり、果敢に自ら無力を認めにいくのか?いやいや や、仕方なしの結果として無力をなんごとかに認めさせられるのか?この差がとても大きいってこと。これが、大変だ。や、どうしよう?の苦しいサイクルから早めに逃れる方法です。奢らず誇らず、隠さず、振る舞わず。奢り誇り、隠し、振る舞い。それをすればする程に、そいつを維持しようとするからこそ、大変だ、や、どうしよう?のサイクルが永遠と続いていくということ。私たちは誰もが無力です。世界の全てを救えるわけがない。でも、一人の人、特に自分を救うことは出来るかも?そして、自分をもし救えたとして、救えたならば、もう一人の誰かの支えになりたいと人は必ず想うもの。そして、又、又、又。世界を救うことは出来ない。世界の支えになることは出来ない。でも、出来ること。出来る範囲で誰かの役に立てた時、きっと人はこう感じます。無力だからこそんじゃさー、救ってあげてよ。私は無力でも良しまずはそこから始めてさ。万能感や有能感に捉われるからこそ、下心ってやつがさ、ムクムクと顔を出すのでは?そう私は思います。ご参考まで。素敵な夜を。本日はメルマガを。メルマガ -生き辛さ改善セラピー-21時に配信させて頂きますタイトルは「無気力」心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪つむらけんじ

  • 02Oct
    • そそっかしい

      こんばんは「そ」この前二人で行った少し古びた田舎町のカフェでさ、君がテーブルの水を盛大に溢した時、少しはにかみながらホント私そそっかしいのよねって小さく呟いたじゃない。その呟いた口元に浮かぶそそっかしいっていう微かな恥じらいにね。僕は思わずクラクラしたから僕のコップの水もあんなにも盛大に溢れたんだ。そそっかしい君とそのそそっかしさがとてつもなく愛しいそそっかしい僕。そそっかしいが二人の世界を大きく広げていく。そそっかしいって素敵だね。そそっかしい君のままそのままがいい。帰り途にチラッと目に留まった稲穂にくっつく青蛙が、僕らを見ながら微かに微笑んだ。素敵な夜を本日は、YouTube「コミュニケーション」を考えるです。ただ、音ズレが酷いので大変申し訳ございませんが、音声だけお聞きくだされば幸いです。ホントすいませんいつもありがとうございます。心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪つむらけんじ

  • 01Oct
    • 涙は可能性に他ならず。

      こんばんは『そ』その日、可能性の神様がこんなことを言いました。お前の可能性をゼロにしてやる。そんなことを言われたその人は、来る日も来る日も落ち込みながら、段々と無気力になっていきました。動くこともめんどくさく、話すことも億劫で、考えることも放棄し、寝ることも食べることもあらゆることどもが嫌になり、そんな自分に嫌気がさし、ある日その人は一筋の涙を流しました。すると、その涙から涙の神様が現れてこう言いました。「泣けるんや。じゃあお前は可能性あるから可能性をもう一回あげるわな^ ^」人は、ほとほと自分に嫌気がさすと一人でに涙を流します。涙はどうやら勝手に流れるようです。でも、その涙のわけをよくよく確かめてみると、嫌気がさすから自分を恨めしく思い、そのジレンマが、どうしようもない無力感となり涙を流させているってことに人は気づくもの。ということは、裏返して考えてみたら、嫌気、恨めしさ、ジレンマ、無力感などの様々なキーワードが明確に浮かび上がっていて、更に、ということは、全てがこれからの可能性をハッキリと示しているということ。その可能性とは、内から湧き立つ生命の力を借り、浮かび上がっている明らかなるキーワードたちを乗り越えるからこそ待ち受けるであろう可能性。その際は、可能性をあれこれ具体的には刻まない。具体的な可能性の行く末を見過ぎるから足下が霞む。(足元じゃないよ。足下だよ。違いは調べてね^_^)自らの心に刻むのは、乗り越えていく変化に挑む予兆を感じ、それをいかに姿勢としていけるか。ただ一点、そこだけで良し。そして、その姿勢は、自らの生命力の強弱に左右され、必ずその強弱に呼応しているはず。そこまで行けば、負けないで。どうか、負けないで。強い生命力が必要となる。何故なら、変化の姿勢と生命力は絶対的にリンクしているものだから。規則正しく眠り、規則正しく食し、規則正しく排し、規則正しく動き、規則正しく他者と交わり、規則正しく学び、規則正しく・・・何故、変化出来ない人が多いのか?何故、口先だけの人になってしまうのか。その差は、規則正しさ以外に他になし。絶対になし^_^絶対やで(o^^o)だからね。涙は神様に違いありません。悲しみなんてものではありません。ホロホロと溢れ落ちるその涙。可能性を示しています。希望しか現してはいません。だって、生きたい。生きていきたい。から人は泣くのですから。神様は試しはするが見捨てはしない。そう私はいつも感じています。だから、奮い立たせて規則正しく生きています^_^やりたい時にやる。思いついた時だけやる。それは、趣味だよ。何ら一切変わりません^_^ほんとだよ。知らんけどさご参考まで。素敵な夜をお過ごしください。本日の生き塾ブログは、変化←こちら人は変わりたいと言いながら、言うだけに終わってしまう。何故か?その側面です。心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪つむらけんじ

  • 30Sep
    • 正義

      こんばんは『せ』正義を語れば語るほどに嘘が増えていく気がいたします。万人の正義はある程度は決まってはいるが、そのある程度のものがまかり通り過ぎると圧力となり脅威ともなる。その圧力や脅威は時代によって変わることもままあり、風潮や世情によって曲解される。自分こそが正義だって声高に叫ぶ人を僕はあまり信用いたしません。正義なんてものはあらゆる人々の合意の下の共有している概念であり、個人の正義を叫びたいのならあらゆる人々との議論や討論の場が必ず必要となってくるもの。一方通行の正義の主張ほど偏りに満ちた胡散臭いものはなく、その正義とやらをそのままに受け入れてしまうとその正義とやらにいつも翻弄されることとなる。翻弄は不安を生じ、不安を生じるがあまり盲信となり、盲信は嘘に裏打ちされたものが多くなるのが常。それらのことを私たちの日常に落とし込んでいくと、自分の正しさなんてたかが知れていてその正しさを根拠に語ってしまうと幅の狭いバイアスが幅を利かせ、結局は孤立を深め、その正しさってやつが誰にも伝わらなくなっちゃいます。優れた人や優れた組織は何を語っているか?ってのを鑑みると、いわゆる理念ってやつをいつも語っていて、その理念がその人やその組織のカルチャーとなっていて、正義だ悪だと発することはない。だから、強い。何故なら文化が背景となるのだから。文化は一朝一夕にとはいかず、常日頃の積み重ね。二者択一の渦に巻き込まれて判断に迷ったら自らの理念やその環境の理念に照らし合わせるとよく、正義だ悪だと極論に巻き込まれて思考不能に陥ることを避けることが出来、その為には自分自身の文化を創造する為に自分の歴史の振り返りや、自分の思考の偏りや能力や、性格の特性や特質やらをいつもいつも考えていくことが必要であり、単純にこれは悪だ。あいつは悪だ。は避けるような自分であればよく、何より審判の怖いところは、その癖をつけることにより、安易に解決や解消を図る心根となることであり、結果として、自らのカルチャーが希薄になっていくことに繋がっていくと思うのさ。自らの希薄なカルチャーに誰もが不安を覚えるのではないでしょうか?だから、大きなものや、多くのものに人はすがりしがみつく。その先に待ち受けるものは、盲信した排除や排斥の歴史。だから、とても怖い。って最近つくづく思います。善悪、良し悪しなんてシンプルに判断するまでの過程をとてもとても大切にしなければって思うのさ。だって、人間って、何も意識していなければ、絶対的にレッテルを貼らざるを得ない生き物じゃない。だからこそ、二者択一までの過程はとても大切。レッテルを貼る経緯を自分自身にいつも質していくプロセスが自らのカルチャーを創造していき、さすれば、審判は必然的に減っていくって僕は思います。その審判は、外に、そして、内に向けてのね。ご参考まで。素敵な夜をお過ごしください。さて、明日から10月ですね美味しいものを沢山食べて、元気に快活に過ごしましょうよねっ本日の生き塾ブログは、決めつけ←こちら何故か恋人と長続きしないや、何故か人間関係がいつも希薄や、その何故か?の一つの要素について綴っています。ご参考にして頂ければ嬉しい限りです。心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪つむらけんじ

  • 27Sep
    • せつなさ

      こんばんは『せ』せつなさに身も心も焦がれたならば、その焦がれたものを食べてみな。食べてみて消化して全身の隅々にまでそのせつなさが行き渡ったなら、それは身体と一体となりそれは自分自身となりせつなさからは放免される。そいつを人は愛と呼び、たいそう珍重されているそうな素敵な週末をお過ごしくださいね本日はYouTube秋の夜長に良かったらご覧ください。言うとくけど長いで【孤独】孤立・疎外・奈落・暗闇をどうやり過ごすのか?心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪つむらけんじ

  • 26Sep
    • 素直

      こんばんは『す』素直さは正直さでもあり、素直であればあるほどに傷つくことが増える可能性があるという特性をこいつは持っています。子どもの時に大人たちは素直になりなさいと言う。でも、大人になっての素直は世間知らずだとか浮世離れだとか空気読めないだとかになりもする素直さって何だろうね。また、一部の人々が間違っていることは、素直さと純粋さを同位にしていることで、素直なんだから、正直なんだから、おまけに純粋なんだから私は正しいのだ。という理屈を成り立たせる人もいる。つまり、私は純粋なんだから傷ついてしまうのだ。純粋が故に嘘をつけなく正直になり、勇気を振り絞って素直に話したのになによ純粋が故に傷ついたわあなたどうしてくれるの?折角、わざわざ、これだけ純粋な私が勇気を持って相談したのにその対応はないんじゃないの。さあさあさあさあ。どうしてくれるの?こんな私をどうするの?ってのが成り立ったりもする。純粋さとは、自分の中だけで完結さすもので、その純粋さを人に押しつけるものではなく、その根元から発せられる正直→素直というプロセスは、その人がいかに純粋なのかを知らしめさせる手段となっているに過ぎず、素直さイコール純粋さという近しい観念がどうもそうさせるようである。で、素直や正直は、誰しもにある程度の共通観念があるのだが、こと、純粋ってやつは、ピュアって言えば聞こえは良いが、裏返せば偏りがあり自分だけの世界の自分本位を多分に意味し、その偏りを純粋って言葉で美徳化してしまうから一方通行の素直さの押し売りともなる。故に、自分が純粋だって思っている人ほど、他者に応対する時は十二分に気をつけて正直さと素直さを発露しないと相手に負担を強いたり、相手に迷惑をかけたり、相手を不快にしたりが起こり、折角の、それこそ本来は純粋なはずの正直や素直が濁り曇ってしまうという勿体ないことが起こってしまう。だって、そこには相手に対する尊重や配慮や気遣いが欠落してしまうことがとても多いから。素直さと純粋さは違うもの。このプロセスは、(偏った)純粋さを全うさす為に素直さを発動させるものなのだが、その発動の仕方を本当に留意し吟味しないと、それこそ、感情の凶器みたいなものにもなり得るってことを僕たちはもっと意識しないといけないよなって思います。それは、正直に素直に発言するもしくは、正直に素直に発言出来ないともに実は同じことで、私は正直に素直に発言出来ないって口では言ってはいても、その偏った純粋さを押しつける為に、態度や振る舞いに出ている人もかなりいて、そんな人も、やっぱり偏った純粋さに気づいていないってことが言えるって意味では同じであり、で、偏った純粋さって何?って問われたとしたならば、多分それは、傷つくことを恐れる か弱き自我。そして、その自我を埋める為に他者を活用したとしたら、他者のこともよくよく考えないと活用とはならず、それは利用を意味するものとなる。無意識に利用していても自身は気づかず、周りはでも分かっているなんてことがあちらこちらで起こっていて、そんな集いやまとまりの力動はとても歪で悲しいもの。だからさ、か弱き自我を自分自身で認めたうえで自分自身で包んであげましょうよ。その包む努力は、自分しか出来ないよ。そこは、なんびとも侵入、侵襲出来ない領域なんだからさ。だから、その為に他者を利用するのは他者の為にもやめてあげようよ。活用は良し、でも利用は違う。無茶苦茶なクレーム無茶苦茶なストーカー無茶苦茶な性犯罪無茶苦茶な暴力無茶苦茶なイジメ自分の中にある一見、善とも思える 純粋 って言葉、私も誰もが見直す時が来ているのではないでしょうか?だって、純粋だからって、なんでも許されるわけではないし、そんなものはマヤカシなんだからさ。ご参考まで。素敵な夜をお過ごしください本日は20時にメルマガ配信です。生き辛さ改善セラピー←こちらタイトルは「裏表」良かったらご登録くださいませ。心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪つむらけんじ

  • 25Sep
    • 心を強くするってこと

      こんばんは『す』素通りしていたいつもの街のいつもの風景が色褪せてみえるのは何故だろう。いつもは気にもならぬことに頓着し、心がフラフラと泳ぐのは何故だろう。心は常に動いていて、動かないようになることをみんな「強くなれ」ってことだよって、わけ知り顔で言うけれど、心が動かないようにするなんて土台無理な話であって、動かない、揺るぎないはただの頑固者か偏屈者になるということを意味しているだけに過ぎないのさ。本当の強さとは、心が動かないようにするなんてことじゃなく、揺れ動いても、揺れ動くもんなんだと、そんなものさと心が心自身で本当に分かっている状態。つまりは、柔らかな状態を現します。心が動いているからこそ、いつも眺めるあなたの笑顔が愛おしいのは何故だろう。っていう素晴らしい思考の循環の恩恵を私たちは得られるのでございます。良い感情も悪い感情も「心の動き」という同じシステムで司られている。つまり、心の動きをもし万が一にも止められたなら、笑顔の愛おしさを鑑みるというような素敵な恩恵を得られなくなっちゃうよ。それでもいいのかい?間違った「心が強くなる」って意味合いをさ、今すぐにでも質してあげたほうがいいかもしれないね強さや揺るぎなさに人は憧れるけれど、その憧れを体得すると明らかに人と隔絶していきます。何故なら、偏った人間性を獲得することにより弱さを容認出来ない自分が出来上がり、それは同時に、他者の弱さを容認出来ないということを意味するのだから。だから、強さや揺るぎなさの本質は、私は柔らかさだと思うのよね〜揺らいで柔らかく かつ しなやかにご参考まで。素敵な夜を本日の生き塾ブログは、八方塞がり←こちら心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラス大阪つむらけんじ

  • 24Sep
    • 幸せ

      こんばんは『し』幸せについて考えましょう。幸せについて想いましょう。幸せについて望みましょう。そして、幸せになっていきましょう。考える感じる願う動くこの基本的な私たちの機能を私たちはあまり使ってはいないのではないだろうか。考えるのは幸せについてを。感じるはその考えた幸せとなった自分の笑顔を。そして願うのは、そうなりたいと本気で思い続ける自分の意思の強さを。そして、その自分の意思を確認する為に、そして、その自分の意思を継続させる為に人は行動する。つまりは、行動は目的や目標のゴールにたどり着く為のものというよりは、自分の意思の確認と継続の為に動いていると言えまいか。そう考えていくと、幸せへのプロセスとは、最初の「考え」という第1段階から想起する第2段階の「感じる」をひたすらに反芻する必要があるのであり、何故幸せになれていると言える人が少ないかと言えば、その反芻が中途で途切れたり、思いつきでひょいひょい他に移ったりを繰り返すからだと思われる。そして、私は幸せじゃないって誰かに発することで、ゆるいでしまった自分を合理化している。その合理化は、自らを守る為に機能しているのだから、それは、益々幸せから遠ざかることを示しているもので、それは、行動しなくても良いという言い訳に使っているものといえる。「願う」というのは人はそもそもが意思が薄弱だからこそ強い意思を持ち続けたいっていう願いであり、その自分の意思を確認するが為に行動をし、行動することにより、また、「考える」→「感じる」→「願う」→「動く」のプロセスを何度も何度も繰り返していき、繰り返していきながら、可塑性をフルに発揮し、いつしかそれらの過程が太く長くなり、その人独自の当たり前的な幸せの方程式のようなものが出来上がり、ひとたび出来上がると、プロセスを細分化する必要性などもうなくなり、継続は力なりってやつが現実のものとなる。私は幸せになれないなんて人にアドバイスを送る人たちは、そりゃ、何も動いていないからダメなんよ!何でもいいから動いてみないとあかんでー!私なんかさ〜ってホント言いたがるけど、本当のところは、そもそもが、自分の幸せって何だっけ?ってところから深く深く考えないことから由来するものだから、行動ありきもあながち間違いではないけれど、ほとんどの場合長続きしないのは、つまりは、信念となっていないからと言えるのであり、信念とは、上記のようなプロセスの繰り返しによりそのプロセスを繰り返している自分に自信がつくことで、信念というものが醸成されていき、目標なり、目的なりに近づいていくといえる。で、幸せってさ、目標や目的の達成って、ほとんどの人が思ってるじゃない。でもさ、そこには多少のマジックがあってね。幸せって、目標や目的はただの手段であって、確認する為のものに過ぎないものであって、本当は、上記のようなプロセスをふんでいる自分自身を認めれること、実感出来ることであり、まあ、単純に言えば、プロセスそのものなんだよね。幸せっていうやつは。つまり、方程式を持つことによる安心を皆んな求めていて、その幸せの方程式を創るプロセスに挑んでいる自分が一番の幸せだってことに早く気づけばいいのになって僕はいつも思うのさ。色んな人が小難しく言う自己実現ってさ、シンプルにそういうことなんよね。ってね。究極的に更に掘り進めていくとさ、幸せとか不幸せとかの概念や観念は一瞬のうちに吹っ飛びます。だって、自己実現って生きることそのものを現すものなんだから。つまりは、端的に言えば、生きることに懸命な人は幸せと言え、そうじゃない人は・・・ってことになる。木を見て森を見て、森を見て木を見る。ってことの繰り返しが生きる質を高めていくコツであり、そのコツをマスターしながら上述のプロセスをふみ続けている人が幸せって観念を獲得している人って僕は思うのでございますって考えたらどうですか?皆んな懸命に生きておられるでしょじゃあ皆んな幸せだあとは、幸せについての観念を獲得するだけだね。目標や目的の達成、未達成に左右され、それを不幸せとしているってことが、そもそも、幸せの観念が・・・?ってことですな幸せを概念から観念にする手段が目標や目的の役割です。何故、多くの偉人たちが世捨て人になるか?何故、多くの偉人たちが世間と隔絶するか?それは、幸せの観念を獲得出来たからであり、幸せとは存在そのもの(生き方や在り方も含め)ということを知ったからに他ならない。ご参考まで。本日の生き塾ブログは、あるとかないとか←こちら良かったらご覧くださいませ。素敵な夜をココロテラスつむらけんじ