何故か、台湾にて -8ページ目

何故か、台湾にて

気がついたら台湾にいました。

ところてんのように生きています。

中国語の漢字と日本語の漢字
同じようで、意味が違うものが結構あります。

今日はそのことについて書いてみようと思います。













先日、知り合いがこんな話をしていて
「なるほど~!」と思った。


「漢字が日本に伝わるとき、全部、言葉で説明したから
 当時の文化の違いで、意味の違いが出てきたと思うの」

例えば、「床」という字
中国語では「ベッド」という意味。


「その当時、中国にはもうベッドみたいなものがあったんでしょう
 でも日本人は、地べたで寝てた。

 だから、中国人が“寝るところっていう意味だよ”って説明したとき
 “あぁ、床ね!”ってなっちゃったんじゃないかな」


他にも、「走」という字
中国語では、「歩く」という意味。


「これもね、中国人が、歩いてみせたんだと思うの
 “これが、走、だよ”と言って。

 だけど日本人はゆっくり歩くもんだから、それを見て
 “あぁ、走るって意味ね!”って誤解したんだと思う」



そうやって考えると、なるほど、面白い。
他に何があるだろう。

そうだな
「去」という字。
中国語では「行く」という意味。

中国人が
「これが、去、だよ」と、歩きながら説明する。

本人は「行ってる」つもりかもしれないけれど
止まってそれを見ている日本人からしたら
「去っていく」ように見えただろう。



あと、「湯」という字もある。
中国語では「スープ」という意味。

中国人はきっと、こう言ったのだろう。

「ほら、あれだよあれ
 ご飯食べたあとに飲むやつ」

中国の文化では、スープは一番最後に飲む。

しかし日本人はそれを聞いて

「ご飯のあとに…あぁ、あれね
 お白湯ね」

そう思ったのだろう。



しかし、そう考えると
謎も残る。

「手紙」

これ、中国語では、トイレットペーパーという意味。

「ほら、あれだよ、トイレで使う紙」

中国人がそう説明して
日本人は、こう思ったのか?

「あぁ、手紙ね!」

実は当時は
手紙で…?

と思ったけど
よく考えてみたら、昔は「文(ふみ)」って言ってたのか。
手紙っていうのは新しい言葉かな。















中国語と日本語で、意味の異なる漢字

それを考えていくと
背後に、当時の中国人と日本人の
愉快なカタコトライフが浮かびます。

いつの時代も、カタコト交流は誤解だらけです。

そして、時代は
誤解したまま進んでいくのです。

以前少し書きましたが
天津の自転車オバちゃん達は、頭にネットをかぶっています。

私は彼女達を、独自に
天津ライダーと呼んでいます。

天津で自転車を漕ぐ人の
十人に一人ぐらいの確率で、天津ライダーを目にします。

今日は、そんな天津ライダーをご紹介したいと思います。














天津に引っ越し、とにかくびっくりした
ネットをかぶるオバちゃん達。

最初見たときは、頭のおかしい人がいるのかと思ったけれど
どうも、たくさんいる。


ちなみに、台湾では雨の日
ビニール袋を頭にかぶっているオバちゃんを見た。

それもそれで、あまりのなりふり構わなさに
少し尊敬の念すら覚えた。


さて、天津ライダー。

ここ数日、天津ライダーを激写すべく
カメラ片手に通勤、帰宅を繰り返した。

何せ、ライダー
せわしなく動き回るので、激写が難しい。

苦戦しながらも、停車中のライダーを発見



かぶってるね。
ばっちり、かぶってる。



天津は空気が悪い。

このネット、いわば頭をスッポリ覆うマスクのような役割らしいけど
どこまで防げているのかは謎。

そりゃあ砂粒とかは入って来ないかもしれないけど
さすがに、砂粒が飛ぶほどひどくはない。



色は白だけではなく
オシャレに数種類ある。

こちらはオレンジライダー



まだ写真は撮れてないけれど
帽子と一体型のものもある。


天津ライダー必須アイテム、ネット。
これからもまだまだ、発展を遂げていくことだろう。












私の職場の方は、もうすぐ日本へ帰られます。

その際、自転車を譲ってくださるそうです。

編み目越しの世界、気になるところですが
かぶりません。
断固として、かぶりません。

天津に来て一週間。

今日は、お仕事で知り合った方と一緒に
お昼ご飯を食べました。

サイゼリアで。














お仕事でお世話になる
というか、既にお世話になっている方がいる。

50代の女性の方で、明るく元気
「どんどん頼って!」というタイプの方なので
遠慮せず頼っている。

今日、その方とお話していて、びっくりしたこと。


「私、北京で生まれたんですよー」

「えっ、中日友好病院?」

「はい、そうです。当時、できたばかりだったそうで」

「何年生まれだっけ?」

「1986年です」

「あらぁ!」


その方、間は違う国にいたけれど
当時も天津にいたとのこと。

「1987年だったけど、そのときねぇ、妊娠したかもって思って
 中日友好病院、行ったのよ」

当時、そのへんにある、普通の病院はまだまだ発展途上
日本人が出産できるような環境ではない。
そんなときできた、日本出資の病院。

「そしたら、お医者さんに
 〝大丈夫、日本人もお産しましたから!”って言われたんだけど
 それがさちこちゃんだったのねー!」

なんとまぁ、そんなことが。


私が産まれる前までは、日本人のお医者さんが派遣されていたけれど
私が産まれた月からは、そのお医者さん、日本へ帰ってしまった。

なので、私は中日友好病院にて

「中国人医者が取り出した第一号日本人ベビー」

ということらしい。


そしてその後、やってきた日本人には

「大丈夫です、日本人もお産したから!」

と、アピールしていたらしい。

うちの母、ちょっとおかしいので
そのアピールも、どうかと思うけれど。


でもまぁ、そうやってアピールされた日本人と
そのとき産まれた日本人が、天津にて出会うとは
不思議なものだ。
 

 

 

ちなみに、全然関係ありませんが
今日見た、中国のニュース。

中国は一人っ子政策のため
「どうしても後継ぎを!」と思う人の
男の子出産願望は、すさまじいものがあります。

先日、どうしても男の子を産みたいという女の人が
妊娠してから、「胎児が男の子になる」という怪しげな薬を飲み続け
結果、曖昧な子が産まれた、とのこと。

普通に産まれて良かったなと思いました。


今日は私の誕生日です。
26歳になりました。