こんばんは
また当番を忘れそうになって、「忘れてますよ~」と連絡いただきました
何とかアップに間に合いました
この間、県立広島病院の事を思い出して調べていた時に
「そう言えばアレはどうなってるだろう?」
と思い出して調べてみました
それは
県立広島病院広報誌「もみじ」
私は研修医をここで過ごし、留学から戻って4年が経った2008年から再びこの病院で働き始めましたその時の県病院の印象は
「良い先生が多いのに地味だなぁ」
という感じでした
広島市の海側にあるので、わざわざこの病院に行かなくても町中に病院はありますしね
でも、私は産まれたのもこの病院
最初に研修した市中病院もこの病院
なので、何とかこの病院の良いところを知ってもらいたいなぁと悔しく思ってました
その時にたまたまこの広報誌の委員になるチャンスがありました。それまでは年に4回(シーズンごとに一回です)の発行で、内容も硬かったです。
なので
「毎月発行してこの病院の良いところを知ってもらいましょう❗️」
と発言したところ、
「じゃあ先生やってくれる?」
という事になり、取材、記事書き、編集をする事になりました。
過去のものは今でも下のサイトから見れます
私は平成22年9月から編集する事になりました
一度、覗いてみてくださいね
紙面を見ると頑張っていた日々が思い出されます
この時は42歳でした
まだまだ若造だった自分がどうしてこんなに頑張れていたのか?
それは支えてくれる人、手を差し伸べてくれる人がたくさんいたからです
私が研修医の時のことを覚えてくれてる先輩医師、看護師、事務の方が自分の仕事でもないのに手伝ってくれました
生意気な自分を可愛がってくれました
私もカメラを持っていろんな科に取材に行って写真撮って原稿書いて
私が大学病院に異動する時は、現院長の板本外科部長が後を引き続いていただき、さらに先生の執筆される「外科医のひとりごと」のエッセイで大人気になりました
島根大学病院に来て「年取って昔のパワーが落ちたのかなぁ」と感じていましたが、「もみじ」を見て昔の自分を思い出してもうひと頑張りしてみようかなと思いました