お世話になっております。

新シーズン最初のまねぶろです。

 

まずは、四神会の皆さま、保護者の皆さま、その他日頃から応援してくださるチーム一橋の皆さま、いつも多大なるご支援ご声援を賜り、誠にありがとうございます。この場をお借りして心より感謝申し上げます。今後とも精進して参りますので、変わらぬ応援のほど何卒よろしくお願いいたします。

 

 

今シーズンの一部員としての目標は「勝つ」ことです。

今までマネージャー転向してからは「勝たせられる」マネージャーを目指していました。

クルマネなどかなり頑張ったつもりです。

ただ、それでも足りなかった。

今シーズンはもっと貪欲に、主体的に勝ちにこだわる姿勢をとっていきたいです。

 

代表幹事としても、いちマネージャーとしても、いち部員としても足りない点だらけですが、それでも必死にもがきながら進んでいきます。

2年半前、ここなら勝てると思って入部した気持ちに立ち返り、日本一をつかみます。

最後のシーズン、勝って笑って終えられるように。

 

マネージャーだからなんて関係ない。

すべては勝つために。

 

さあいこう、一橋

 

 

2026season 代表幹事

3H 牧原ゆう

吉原です。

 

最後まで滞納すみません。

一度違う内容を投稿したのですが、なんか違う気がしたので消しちゃいました。

 

引退した日、あんなにたくさんの感情があったはずなのに、いざ言葉にしようと思うと、どれもしっくりこなくて。言葉で表現する気も、その必要もないのかもしれません。

 

結局のところ、思うのは「入ってよかった」ということ。そして伝えたいのは「ありがとう」と「頑張ってね」。

とてもシンプルだけどそれ以上でもそれ以下でもないのだと思います。

 

今となっては、私がどう考えていたかよりも、これからのHUBCがどうなっていくかの方がずっと大事だと思います。だからただ一つ、みんなが自分の形で全力を尽くしてくれることを願っています。

 

ありきたりですが、関わってくださった全ての皆さん、本当にありがとうございました。

お疲れさまです。4Cの朱宮千尋です。

大滞納してしまいすみません。引退して3日が経ちますが、ただのインしていない日常か短めのオフくらいの感覚でなかなか実感が湧きません。

ボート部生活を振り返って、鮮明に思い出されるのは苦しかった時間ばかりです。ただ今思うのは、その苦しい時間にこそ自分の成長があったのではないか、ということです。(というか、そう思わないと採算が合わない気もします。)


私の高校時代の部活動は中途半端に終わってしまい、振り返っても苦しかった記憶すらあまり残っていません。同時に、その期間に成長した部分も思いつきません。残っているのは、ぼんやりとした楽しい記憶だけです。もちろん、記憶が風化・美化されている部分もあると思いますが、やはり圧倒的に自分自身や他人と向き合う時間が少なかったのだと思います。


一方でボート部では、立場や責任、人間関係、結果や仕事が、艇庫での日常に常に付きまといます。艇庫は遊びに来る場所でも、ただ共同生活をする場所でもなく、それぞれが理想を抱き、一つの目標を目指す場所です。だからこそ、最終日に吉原が言っていたように、私たちは友だちというより部員という関係性であり、だからこそ部活は難しくて面白いのだと感じます。


一方で、ボート部の楽しかった日常を具体的に思い出すことはできませんが、何気ない日常に、会話に、支えられた3年半であったことは確かです。単純に人と話すことが好きでしたし、通いの立場でインしている間に自発的にコミュニケーションを取らないと、何も知ることはできないし、何も生まれないと考えていたので意識的な部分でも食堂や厨房でたくさん話しかけることを心がけていました。加えて、自分は特に影響されやすい人間なので色んな人から話を聞かないととんでもなく視野が狭くなってしまうのではないかという漠然とした不安もありました。それが具体的に何に繋がっていた、と言うのは難しい気もしますが、個人的にはせっかく面白い人がたくさんいるので同じ人とばっかり喋るのはもったいないし、少しの好奇心と少しの勇気が自分の世界を少しだけ広くしてくれると思います。

また、マネージャーの業務は信頼なくしては成立しません。20人を超える規模のマネージャー組織において、漕手に勝ってもらうことでしか成果を得られない以上、1人の力では組織を動かすことも、日本一を目指すこともできません。信じること、頼ること、相手の立場に立つこと、自分の目だけで判断しすぎないこと。言葉にすれば簡単ですが、信頼関係を築く上で欠かせない要素でありながら、私はとても苦戦しましたし、最後まで完璧にはできませんでした。いずれにせよ信頼関係は一朝一夕には築かれないので、コツコツ丁寧に重ねていくしかありませんし、些細なことで崩れたりします。そんな脆いものですが、ちょっとしたきっかけで花開く時があります。一度崩れてもそれまでの根がちゃんと張っていると思うと不思議なものです。そう思うと、私が心がけてきたコミュニケーションというのは一見何に繋がるかわからない、何が咲くのかわからない地面に水をやることと言えるのかもしれません。

ここまでまとまりのない文章になってしまいましたが、たくさんの道標をくれた先輩方に、苦しい時を一緒に乗り越えてくれた3年生に、モチベーションをくれた2年生に、希望を持ってボート部に入ってきてくれた1年生に、そして一番近くで頑張る姿を見せてくれた特別な同期に感謝を述べて締めくくろうと思います。ボート部でたくさんの人と話して、色んな挑戦をすることができて幸せでした。3年半前の、何も考えずに勢いでボート部に飛び込んだ私をめちゃくちゃ褒めたいと思います!



タカダです。


次は高石でした。

彼女の愚直さ、真面目さには素直に感謝したいです。


引退まであと3日。

私がクルマネを務めた男子ペアは今日敗北した。

以下の私の最後のまねブログの内容は、大会がまだ途中のこのタイミングには適していないかもしれない。


しかし、今抱えている悔しさのまま、引退する実感もうまく湧いていないが、これまでを振り返ろうと思う。


マネージャーが日本一に貢献できている実感が持てるか。

先日のマネージャーミーティングでの議題だった。


私は、4年間の活動の中で、「日本一」に貢献し続けることができた、とは言うことができない。


4年間は長い。

しかし、長く忙しない日々の中で、目標や目的意識が薄れ、淡々と過ごしてきてしまった。

後悔ばかりだ。いくつも何かを変える機会はあったはずだ。


だから今は、目の前のできることを実行し、少しでも後輩の支えになればと思う。


理想を語ることはできても、成し遂げることは本当に難しい。

極端な書き方をした以下の内容で、みんなを悩ませてしまったら申し訳ないと思う。


日本一を目指すマネ組織とは何か。


答えのない問いである。

4年で全構成員が変わる流動性の高いこの組織では、体制を引き継ぎながらも、常に環境への適応が必要だ。

下級生はできるだけ早い期間で業務のやり方を吸収しながら、業務の遂行等での安定感を身につけていく必要がある。

選手の中では、部内競争をつくるために「下級生からの突き上げ」が求められているが、もちろんマネは競争関係にない。

しかし、上の意見にただ従うだけでなく、新しい視点からの意見、新しいことへの挑戦が時には必要だ。

(まず自分から意見が出せたり、自分から手を挙げられるだけで素晴らしい。)


上級生は自身の役割を果たしながら、周囲をまとめ、寄り添い、選手のサポート体制、マネジメント体制を作る必要がある。

1年間、責任をもって役職をやりとげるだけでも大変である。

しかし、その上で全体を見渡し舵を取ることが役割のひとつである。


現状にとどまっていては、変革し力を伸ばす他大学に勝つことは難しいだろう。

環境に対して問題意識を持つ高い感度が大切だ。



(家から通うのがめんどくさいのもあったが、)選手の近くで競技に関わりたいという理由で常駐になった私は、道半ばで辞めていく同期や、自分よりも熱量の無い周囲の発言に、温度感の違いを感じることもあり、悩まされた。

今思えば互いに心の内を明かしてこなかったのも原因なのかもしれない。


「隣の芝生は青い」かもしれない。しかし、未経験の部員が本気で日本一に向き合い、結果をあげている他大学を見ると、私たちとは何が違うのか、考えさせられる。


その一方で、気持ちの押し付けが、他人を苦しめるところをこの部でたくさん見てきた。

誰かの「勝ちたい」気持ちが、他者の「楽しく」「雰囲気よく」部活をしたい気持ちと相反することもあった。


気持ちを押し付けて誰かを犠牲にすればいいわけではない。他人と考え方が違ったとしても、答えのない問いを考え続け、目標に挑み続けて欲しい。


来年度の学年構成を見れば、組織運営は困難だろうと想像する。それでも、最後のレースで辛い結果に終わり、選手と共に辛酸をなめるより、過程で苦しんでも、日本一の景色を見たくはないか。

私は勝利を願わずにはいられない。


後悔は残る。

しかし、戸田で過ごした全ての日々が失敗というには惜しい、4年間だった。

私は学連理事長として、最後の1年間を過ごした。最後の大仕事としてインカレの運営を遂行する。

学連に入ったこと、理事長を務めたことに全く後悔はない。


全てが終わった後、感謝を示したいと思う。

滞納していてすみません。4Sのタカイシです。


他の同期MGが書いていないですが、お先に失礼します。きっととても忙しいのでしょう。


あと引退まで4日。正直まだ引退して艇庫を出て、、という実感は湧きません。


私のマネージャー生活は、一言で言うと「がむしゃら」でした。インカレ前にシフトでインし、そのまま常駐になった1年夏(私たちが1年生の頃、1年生にインカレオフはありませんでした)。1年生の中で1人だけマネ部屋に入ったものの、同期との間の疎外感を感じてとにかく必死にあれこれと業務を引き受けて寂しさを埋めた1年冬。自分の存在価値が分からなくなり、退部を考えたものの、周りに言い出せずに幹事職になって辞める選択肢が消えた2年夏。部内の問題から漕がずに艇庫に毎日いるとはどういうことか、常駐マネとはどうあるべきか考えた2年冬。幹事職に追われて記憶のない3年夏。ずっとやりたかった会計を任せてもらって部内での自分の存在を実感した3年冬。遠征と大会の会計におわれている4年夏。

あっという間と言うにはさすがに多々苦難がありすぎましたが、気づけば引退目前です。自分なりに必死に駆け抜けたと言える4年間になったと思うので正直全く後悔はありません。

この大学生の4年間の使い方として何が正解だったのか。他の選択肢はなかったのか。今まで迷うことも多くありました。私はこれまでの人生、あまり論理的に深く考えすぎずに直感でいいと思った選択をするように生きてきました。だからこそ、辞めたいと思った時に自分の選択に理由を付けられず、「そんな浅い選択ならやめても良いのでは」と思ってしまったこともありました。でも結局、どこで4年間を過ごすかなんていうのは縁ある場所で過ごすというだけで、そこでの過ごし方の正解を決めるのは4年間の一つひとつの自分の行いだというのが私の答えです。だから、「置かれた場所で咲く」ことが私にとってベストでした。


あとはインカレを見届け、決算を締めるだけだと思っています。


4年間で学んだことはたくさんあると思うのですが、さっきも言った通り「がむしゃら」だったので(笑)あんまり言葉にできてません。残りの大学生活半年間でゆっくり整理したら分かるかもしれないです。もともと自分の考えを言語化するのは苦手なので、かなり時間かかるかもしれないです。最後まで浅いこと言っててほんとに情けないですが許してください。

1個だけ言えるとすれば自分が高校までに生きてきた世界はとても狭かったということですかね。


ちなみに会計に関してはシーズン最初のデイズに書いた高校生の時のリベンジマッチを果たせているかはまだ分かりません。まあ、まだやれるんじゃない?出来はそこそこかな、まだまだだねというのが現時点での自己評価の本音です。


みなさんも後悔のない4年間を━━


次はきずなです。

多分この部で私が1番衝突しつつ、1番協働した人です。

彼女には彼女なりの哲学があるので今回もそれを見れるのが楽しみです。

回すの遅くなってごめんなさい。


P.S.余談ですが、私はこのインカレでW2xのクルマネに付いています。W2xには唯一4年間女子棟で共に生活し、私を心底信頼してくれた同期漕手のありさが乗っています。漕手とマネという役職の壁がありながら、この信頼関係を築けたことは、私の4年間の遺産の1つだと思っています。こんな関係を一緒に築いてくれたありさには感謝しかないです。デイズにも書きましたが。彼女の集大成をこのインカレで見れるのが本当に本当に楽しみです。


4年S組 高石偲穂里