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エジプト土産


パピルスに書かれた誕生日の乙女座のなんかを意味する図と、


左はヒエログリフで書かれた私の名前。





最近、親戚を立て続けに癌で亡くしているので、私なりに癌について考えてみる。


といっても、ネットで他愛のない情報を収集してみる程度のことしかできないけど。



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癌の名医・お勧め病院NABI


http://www.hospital-navi.com/lung-cancer-doctor.html


ガンの名医


http://5will.web.fc2.com/


ガンを切らずに10年延命~関根進コラム


http://www.9393.co.jp/sekine/kako_sekine/2008/08_1117_sekine.html



↑で紹介されてる天仙液について


http://www.tensen-eki.com/


高い。

ガンサポートセンター


http://www.gsic.jp/immunity/mk_03/02/01_01.html


東京ミッドタウン先端医療研究所


http://www.midtown-amc.jp/lp/index.html?ads=lung&utm_source=yahoo&utm_medium=cpc&utm_campaign=sps



「樹状細胞ワクチン療法」を行う医院


http://www.seren-clinic.com/p_letter/lung.html
  


「免疫治療」を行う医院


http://www.comfort-hp.com/index0.html



「高額療養費制度」について


http://www.lifenet-seimei.co.jp/about_insurance/misunderstanding/medical/


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子供のとき、よく親に「お前は癌になるぞ。死ぬぞ。」と脅された。


また、「親はすぐにストレスで癌で死ぬんだ。お前はひとりでは生きていけないんだ。」


とも脅され、いても嬉しくもない親の不在を恐怖し、親に依存するように感情をコントロールされた。


「癌」になる恐怖、親という依存対象の不在をもたらす意味での「死・喪失」の恐怖は、


子供のときから植え付けられた。


死、そのものは怖くはなかったけど、死に至るまでの苦痛には怯えた。


今考えたら、「死に至るまでの苦痛」とは、「生」そのものではないか。


私は「死」よりも、「生」そのものの方を、より恐れていた。


「死」を恐れるよりも、自分が今、真っ只中にいる、『生という今』こそを、恐れていたのだ。



今では死は恐ろしくない。


むしろ死を考えると穏やかな気持ちになる。




「癌」で死ぬか、親に殺されて死ぬか、自殺で死ぬか、


子供のときの私の思考と感覚は、『死』で一杯だった。


死を恐怖し、死に抗い、死を絶望し、死を諦め、死を待ち望んだ。


そして行き着いた結論は、


「いずれ何もかもが死によって終わるなら、


自分が本当にするべきこと、したいことをしなければならない。」


というどの啓発本にも書いてあるような至極当たり前でシンプルな解答だった。



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ただ、私程度のスキルと環境設定でできる、「したいこと・するべきこと」など、たかが知れている。


要するに、例え、私が、


「どうせ死ぬのだから、最後に10億円使って豪遊の毎日を送りたい」と願ったとしたって叶うまい。


この地球上の人間のほとんどが、例え、明日、死ぬ、とわかったところで、


「では、今を大事にしよう。したいこと、するべきことをしよう。」と発奮できること、


その発奮に従ってできることなど、制限だらけだ。


戦地では「明日、死ぬ」とわかっていながら、自分や他人の命を大事にできる人などいないだろう、


むしろ、明日、死ぬ、とわかっているからこそ、他人の命を奪い、自分の命を自ら絶つ、


ということもあるだろう。


日本に溢れている、「死を想うからこそより豊かに生きられる」などという啓発は、


非常に、地域的・環境的・個人的『条件』、つまり、固定された制約・制限上でしか通用しない論なのだ。


死を想えば豊かに生きられる、など、普遍的真実、などではない。


人が豊かに生きられる魔法の呪文、都合のよい「メメントモリ」、などないのだ。


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その中で、制限と制約と不自由に満ちた、『死に限定された、「私という生」の中で、


「私ができること・したいこと・すべきこと」とは何か。』と考えた。


ひとつしかなかった。


「全て本当のことを話すこと。全て本当の言葉を話すこと。」


それだけだった。


「私」という存在は、あらゆる制約と制限に不自由に絡めとられている。


環境、金銭、体力、知能、才能、容姿、スキル・・・。


その中で、唯一、全き自由ではないけれど、自分の意思で少なからずコントロールできるものは、


「言葉」だけだった。


「潜水服は蝶の夢を見る」ではないけど、あらゆる制約・制限の牢獄の檻に囚われている


私の『生』の壁の隙間から、唯一、自由に外に出せるのは、それでも不完全な言葉の切れ端だけだった。


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私はいつか、想った。


「いつか、この嘘と偽り、沈黙と秘密の牢獄の闇をぶち破って、


どれだけ醜かろうと、自分に嘘をつかず、全て本当のことを白日の下に晒そう。


全てを光の下に晒し、本当の言葉で話そう。本当の自分をさらけだそう。


それが唯一、今まで私を、生きながらの死のように消滅化・不在化させられてきた、


偽りと嘘、沈黙と秘密の牢獄の意思に対して抗って、


「自分という生が存在する方法」だから。」と。



たったこれだけのことが、それさえもが難しい、できない、不自由、


制限と制約に囚われていた。


「自分に嘘をつかない言葉。偽りのない体験の話し」。


たったそれだけの『言葉』を持つ自由さえ、つい最近まで私は、持てなかった。


スキル上、思考上、環境上、精神心理上の設定がそこまですら満たされていなかった。


「偽りではない自分」を持つこと、それ自体が、長年、できなかったから。


それがようやく今、万全とはいかないけれど、


ようやくぼちぼちと「本当の言葉」らしきものを話せるようになった。



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それが例え、どれだけ、醜かろうと、汚かろうと、


私は死ぬまでに、あとどれだけ、「ほんとうのことば」を、話せるだろうか?


私はどこかでいつも、それを気にかけている。


表現としての言語と沈黙を含め、それも半分もできていない。


あまり、ちゃんと「いる」ことができなかった私が、


ちゃんと、生きる、ちゃんと、今、ここにいる、存在する、そのことが長年できなかった私が、


今もそれを不完全にしかできない私が、


いつも、嘘と偽りと、沈黙と秘密に本当の私を閉ざされて、自発的に存在することができなかった私が、


あまりにも、『今、自分は生きて、ここにいる。』と感じられず、生きて今、ここにいないのに、


どうやって死ねるのかもわからなかった私が、


それは、どれだけ、「ほんとうのわたし」として、この生に、「ほんとうに存在」したかどうか、


になるから。


黄昏の空を見つめて-HI3H03030003.jpg (文字だけだと画面暗い・黒いので写真追加)





数年前から懇意にさせて頂いている『ヒーリングサロン・メビウス』 http://www.mebius-inc.jp/

馴れ初め http://ameblo.jp/httpamebloo/entry-11204508284.html



8年間の引きこもりから出る直接的きっかけになった「世界」に触れて、


その後も紆余曲折、曲がり角やら道のど真ん中の大岩やらにごつんごつんぶつかりながらも、


なんとかかんとか生きながら関わらせて頂いてます。


このひとつの「世界」が、日本東京神保町という世界の片隅に胚胎されてから数年(だったかな)、


ついに世界に羽ばたき、新たな始まりの時が来たようです。



『海外用・ユニバーサルトリートメント紹介映像』


http://www.universal-treatment.com/movie/universaltreatment2012.html


(訳)http://penguin.bitglobe.co.jp/open/thread/k/950/s/desc/page/1/#comment17599



『公益財団による「スーパーメディカル・クリニック」CM』


http://www.universal-treatment.com/movie/medicalclinic.html


癌などの肉体の疾患、発達障害、自閉症などの精神上・脳器質上の疾患への


「総合的な」アプローチを試みているところです。


そしてその有効性が世界に認められつつあるみたいです。


「メビウス」創始者・責任者さんらの声。


『和泉モモのコラム』


http://izumicolumn.blog68.fc2.com/blog-entry-1007.html


『創始者氏』のお言葉。


http://www.universal-treatment.com/sensei/douhyou/index.html




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「スピリチュアル」と聞けば、まず誰もが眉に唾をつけると思う。


私もそうだった。


でも、8年のひきこもりという絶望と苦痛が、そんな世間体など軽く吹き飛ばして、


私はここの門戸を叩いていた。


絶望のあまりカルトに嵌る哀れな人と、それと何が違うというのか。


それは、私は、「徹底的に結果を求めていた」ということ。


私はその時、漫然と不幸だったわけではない。


漠然と日々の生活に不満があったわけではない。


自分を殺すか、他人を殺すか、世界を滅ぼすことしか願えない、


それは、「完膚なき絶望」、「徹底的な苦痛」。


一抹の光もない。微塵の希望もない。生ぬるい慰安もない。完璧な闇の世界。


どれだけ心理クリニックを転々としても。


親戚に口当たりのいい慰めの言葉をかけられても。


何ひとつ、どこにも、何の、救いもなかった。


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この完膚なき絶望、徹底的な救いのなさこそが、私を、


「ヒーリング」という非科学的、非合理的な最終手段へと進ませた。

科学文明と合理精神を標榜しているこの『世界』は、所詮、わたしひとり、


私という人間、たったひとりさえ、救えない。


そう思い知ってこの「世界」に打ちのめされたことが、まるでそうした世界への復讐の様に、


「科学・合理精神」とは正反対の世界へと私を後押しした。



馬鹿げたことをしていると半ば自嘲しながら。


カルトや宗教に嵌る人と違ったのは、生温い「慰めや承認」、


「お祈りを唱えて何となく気分が楽になった」程度の話などでは癒せないほど、


私の精神の闇、病理が、徹底的だったことだ。


ここでもダメだったら、あきらめよう、と思っていた。


生きることを。



結果は、確かに結果として出た。


私は8年の引きこもりから出られて社会復帰し始めた。


だから今、私がここにいる。(まだまだ後遺症のある未熟者だけど)


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「ヒーリング」の話にそれでも私が一般人よりは抵抗がないのは、


元々、人の感情を物理的に感じるタチだからかもしれない。


特に、慣れ親しんだ憎悪や怒りの感情は、


子供のときから、私にはまるで、全身を錐で刺されるような痛みとして感知された。


また表面上はなんでもない場所や人物やある状況に、


不意に嫌なモノを感じることがあると、その人物の黒い面を見たり


その状況で嫌なことが起きたり、ということがよくある。


この感覚、人の感情の黒い面、憎悪や怒りに特化した「センサー」は私を消耗させる。


でも、「黒い面」にセンサーが働くなら、「白い面」もあるのではないか、とも考えた。


憎悪や怒りの「黒」とは反対の、感情の「白」の面。


それは恐らく、愛情とか感謝とか幸福感、とかなのだろう。


今までそんなものに触れたことがないから、私はそれはなんだか知らない。


神のように、世界のどこかには在ると、物語の中だけで見聞きしたことはあるけど、


実際に見たことは一度もない、伝説上の何かのように。


でも合理的に考えて可能性はあるはずだと考えていた。



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この「ヒーリングサロン」はいうなれば、要するに私が今まで殆ど物理的に触れてきた、


人間の感情、世界の陰、エネルギーの「黒い面」とは正反対の


「白い面」のエネルギーを扱う権化、だといえると思う。


私は今まで、人が無意識に発しているエネルギーの「黒い面」にばかり触れて、


無意識に誰もが、「意識・思念エネルギー」を発していること、


その痛みや怖さや力を知ってきた。


スピリチュアル世界では「引き寄せの法則」として有名だけど。


人の意識それ自体がエネルギーであり、「現実を作る」。


私はそれを、体の底、本能的な部分で知っていると思う。


まだ頭では納得できてないけど。(できてたらこんなに苦労してないんだろうなと)。



人が無意識に使う感情・思考・意識・無意識エネルギーは、かくも強力だ。


要するにどれだけスピリチュアル系を否定しても、誰もがエネルギー使いであることには変わらない。


ここのサロンは、それを意識的に、徹底的に、「白(ポジティブベクトル)」に使う。


「意識的に」、つまり、適切なサポートと教育と訓練次第で、誰もが、


自分が無意識に使っているエネルギーを徹底的に、白(ポジティブベクトル)に使えるようになる。


合理的に考えれば。


現に、ここのサロンでエネルギーを使って施術できるようになるまでは、


普通の会社員だったという人もいる。



皮肉なことに、私が私なりに機械的・合理的に考えた果てに行き着いたところが、


現存世界では「非科学的・非合理的」と呼ばれる世界で、その世界こそが、


既存世界のどんな「科学」も「合理」も「学術」も救えなかった私の心の闇を照らし、


8年のひきこもりを解消するという「結果」を出した。



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問題は、「既存世界を表面上作り上げている、科学・合理精神・一般常識」


の世界に背を向け、既存世界のカテゴリから逸脱するリスクを犯してまで、


非科学的・非合理的「エネルギー」の世界に足を踏み入れるほどの「メリット」は何か、


そこまでして期待できる結果とは何か、そもそも結果を期待できるのか、だと思う。


私の場合は、そもそもが親に「精神異常者」として、既に「既存世界」のカテゴリに


入れられていたことがなかったので、このリスクを犯すハードルは低かった。




これは私が身をもってここの力を体感してきた責任において発言したいけど、


ここで使う「エネルギー」は、世界最高峰レベルだと思う、といっても、


私自身がどこかで「エネルギー・スピリチュアル世界」そのものを見下してるので説得力がないけど、


ぶっちゃけると、ここで使われるエネルギーは、「メガトン級」だと思う。



言っている言葉がキレイだから、日々の不満を慰められるから、ここの人たちが良い人たちだから、


そんな理由でここを評価したりしない。


客観的に見たら、人類至上究極の歴史的転換点が起きてるんだけど、


そんな大それた話になるよりも、もっと卑小で現実的な、地に足のついた


一個人一個人の事情・現実に分け入った話しから離れず、


徹底的な絶望、完膚なき救いのなさ、そんな『人の完全な闇』をさえ払拭しうる、


人の中に内在する可能性の光を見出し、引き出し、解き放ちうる、


それが『一個の人間そのもの、引いては世界そのものを改変しうる、巨大な可能性』だからこそ。



誰もが自分自身の中の、黒にもなり白にもなる、莫大なエネルギー・可能性に気づき、


それをより良く使えるようになったら。


世界は確かに、より良くなりうる。変わりうる。


私が望むのは、それだけだ。

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夕日はいいね。

夕日は、好き。

夕日は、人みたいに、裏切らない。

約束みたいに、必ず訪れる。

美しい約束。