オランダの「遺憾の意」表明 | 田口裕史のブログ

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 インドネシア独立記念日の式典(8月17日)にオランダの閣僚がはじめて出席し、式典前夜の会合でインドネシア独立を45年8月17日であると公式に認めるとともに、45年以降の植民地支配(独立弾圧)について「謝罪」のスピーチを行ったと報じられている(共同通信8月17日=リンク先は東京新聞 )。

 

 スピーチを行なったのは、オランダ外相のBernard Bot 氏。インドネシアのジャカルタ生まれで、日本軍に抑留された経験も持つという。同外相のスピーチ全文はオランダ外務省のウェブサイトに公開されている(Speech by Minister Bot On the 60th anniversary of the Republic of Indonesia’s independence declarationウェブ翻訳 を使うと日本語で読めます)。

 

 以前紹介 した通り、オランダにはこの問題をめぐる複雑な議論があり、外相のスピーチにもそれなりの「配慮」が感じられる。より正確にいえば、彼が表明したのは、インドネシア独立戦争時の行為についての「profound(深い) regret(悲嘆・遺憾・後悔・追悼の意) 」である。 

 また、スピーチ後の記者会見で同外相は、これが明確な謝罪であることを認めず、補償の意思がないことも明らかにしているという(Jakarta Postの記事「Dutch govt express regrets over killings in RI 」 、AP通信の記事「Dutch withhold apology in Indonesia」=International Herald Tribune )。


 「45年独立」の公的承認は、45年以降に行われたオランダ軍の行動が「国内」の治安維持活動などではなく、独立国家への侵略であったと認めるに等しい。それだけに、オランダ国内の、とりわけ元従軍兵たちの反発は必至だ。自分たちの「犠牲」が無意味になってしまうばかりか、それを否定的に評価されることは彼らにとって受け容れがたいというわけである。オランダ政府がこれまで「45年独立」を認めてこなかったのも、外相の発言が慎重さを持つのも、補償請求を防ごうという意図に加え、こうした国内世論への配慮等によるものだろう(どの社会にも似たような事情があるものだ…)。

 しかしそれでも、「45年独立」の承認は、オランダの公的な「自己像」把握の大きな転換である。その点において、今回の発言には大きな意味があるといってよいと思う。また、外相のスピーチに、オランダ植民地支配を反省的に評価する表現が組み込まれていることにも、ぜひ注目しておきたい。
 両国が今回、「和解」と関係改善を目指したことには、それなりの思惑があるだろう。しかしいずれにせよ、肝心な問題は、過去を「解決」し「決着」することではなく、過去をいかに消化し乗り越えるかという点にこそある。国家による「謝罪」の意味(無意味)についても、考えるところはあるが、それはいずれ別の機会に論じたい。とりあえず今は、オランダ社会がここからどのような議論と認識を生み出していくのか、注目したい。


 その他の報道:

 オランダのExpaticaの記事「Dutch apologise to Indonesia for repression 」は、同国のキリスト教団体が外相発言を歓迎していると伝えている。オランダのキリスト教指導者たちは、20年ほど前にインドネシアへの謝罪を行っており、上記団体は外相にも同様の行動をとるよう手紙で申し入れをしていたという。

 インドネシアのアンタラ通信 は、これをオランダによる「謝罪=apology」として好意的に報じている(「Dutch govt apologises over its rule of Indonesia」 =インドの新聞Deccan Herald )。

 Radio Netherlandの記事Indonesian independence day: Netherlands accepts 1945 」は、今回の式典参加が、元従軍兵たちの高齢化という背景、つまり抵抗組織の弱体化によって可能となったと指摘している(こういう指摘を見ると、いささか複雑な気持ちになる。元従軍兵たちが抱えた痛みへの想像力を忘れたくはない。彼らも、いわば国家に裏切られた被害者だ)。また、同記事は、外相がインドネシア生まれで被抑留体験を持っている点に注目する。元従軍兵たちの経験を知っている彼だからこそ、今回の役まわりを果たせたというわけである。