田口 裕史:1963年生まれ。著書に『戦後世代の戦争責任icon樹花舎、
        共著『ハンドブック戦後補償 』梨の木舎ほか。 メールはこちら
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2017-05-13 18:39:04

市民社会のリアリズム

テーマ:映画

 

http://synodos.jp/newbook/19718

 

 

   先日、高畠通敏さん(政治学者・2004年没)の著作を読んでいたら、リアリズムの多層性に関する記述に出会った。私なりに大雑把に言い換えるならば、いわゆる安全保障のリアリズム、原子力発電に関わるエネルギー供給のリアリズム等々は確かにリアリズムだとしても、異なる立場や文脈においては、それらと異なる別のリアリズムがあり得るということだ。主流となっているリアリズムの枠内で不毛な議論を繰り返すよりも、別のリアリズムの可能性を示しつつ、議論の枠組みを拡大していくことのほうが有益だろう。

 

   ドイツ連邦共和国と幾つかの企業が周辺諸国や被害者団体と形成してきた「戦後和解」は、政治的・経済的なリアリズムに基づくものであり、残念ながら、必ずしもそこに被害者への深い思いが存在しているというわけではない。しかし一方、ドイツの市民社会のなかには、ナチス犯罪の「過去」との対決を通じて、骨太な人権感覚が根付いてきた。ドイツのいくつかの街を歩き、ドイツの友人たちと付き合うなかで、私はそれを実感してきた。これは、政治的リアリズムとは別の、健全な人間関係をまっとうに築くことの重要性をとらえた市民社会のリアリズムだろう。
この両面を見なければ、ドイツの「和解」(というよりも「過去の克服」)の意味・価値に触れたことにはならない。ドイツの戦後処理の政治的側面のみに注目し、その価値を全体として低く見積もろうとする言説も見受けられくぁるが、およそ同意できない。

   

   武井さんの新しい著作、どんな内容なのだろう。タイトルを見ると、主として政治的リアリズムに関わる研究のようだが、上に述べたような薄っぺらい言説とは別次元のものであるはずだ。ぜひ読んでみたい。

 

   それにしても、このインタビュー記事のリードにある「ドイツ人とユダヤ人の和解が可能になったのは…」という記述がどうしても気になる。こういう不用意な表現、いい加減なんとかならないか。和解できない人間がいる、被害者はそのことで苦しみ続けるということもまた、私たちが直視すべき人間のリアリズムではないのか。

 

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2016-06-18 00:04:20

カンボジアでの和解の試み

テーマ:アジアの情報
 2016年6月17日のNHK・BS「国際報道2016」で、カンボジア関連の小特集が放送された。1970年代、大量の虐殺等がおこなわれたポルポト政権下の歴史にかかわる報道だ。ひとつは、虐殺等の加害者と被害者との間に和解を実現しようとする試みに関するレポート。もうひとつは、7月から岩波ホールで公開される映画「シアター・プノンペン」の紹介だった。


 加害者・被害者の和解を目指す試みは、The Transcultural Psychosocial Organization (TPO) Cambodia というNGOがその広範な活動の一環としておこなっているもの。同NGOは、DV被害者へのケアなどをも行うメンタルヘルスの専門家たちで構成されている。
 プロジェクトのメンバーは、加害者と被害者それぞれと話をしながら対話を促し、両者が合意した際には話し合いの場をもうける。複数回の対話を通じて加害者は被害者に謝罪し、被害者はそれを受け入れて和解する。和解後は寺院を訪れて和解を報告し、友人として生きていくことを誓うのだという。
 ただし、過去二年間の取り組みで、和解にいたったのは二件のみ。当たり前のことだが、やはり和解というのは、そう簡単なことではない。

 カンボジアにおいて加害者と被害者は、ひとつのコミュニティ、ひとつの社会のなかで「隣人」として生き続けなければならない。その日常はどれほど重く、苦しいものだろうか。こうした日常を強いられた一人一人の人間に寄り添い、彼らが抱える問題と誠実に向き会おうとする活動に、敬意を表したい。
 和解を促そうという試みは、ある意味で暴力的だ。その厳しさ、重さを意識し、自覚しながら、和解という問題を考えたい。少なくとも、被害当事者にとっての「出来事」の意味を忘れ、抽象的な人間集団間の(たとえば「日本」と「韓国」との政治的・文化的レベルでの)「和解」を語るなどということを、私はしたくない。 

 映画「シアター・プノンペン」は、主人公の若い女性が、両親の過去=ポルポト時代の重い記憶と出会っていくという話らしい。東京では、7月2日から岩波ホールで公開。



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2016-03-12 16:55:18

ハンギョレ新聞記事「不可逆的な韓日慰安婦合意に価値はない 世界的公論化は不可避」

テーマ:戦後補償・賠償

 ハンギョレ新聞の2016年3月11日付記事「不可逆的な韓日慰安婦合意に価値はない 世界的公論化は不可避」を読んだ。

 

 ドイツ語のanerkennen(「認める」等の意)という言葉・概念について私に教えてくれたのは、この記事に名前が出てくる梶村道子さんだった。90年代に、ベルリンで梶村さんらが「慰安婦」問題にかかわる写真展を行った際、手伝ってくれたドイツ人の展示デザイナーたちが、「『慰安婦』とされた女性たちに対する私たちのanerkennung として、展示場に赤い薔薇を絶やさないようにする」と言ったという。このエピソードを通じて梶村さんは、この言葉の持つ本当の意味は「相手に対する尊敬の意を込めて、その存在を正しく正当に認めること」なのだと私に教えてくれた。
 被害者への敬意と承認を継続すること、被害者の痛みに社会が寄り添い続けること。そしてそれを現在と未来のあり方に活かすこと。補償金支払いや公的な「謝罪」は、その具体的な表現でしかない。歴史を共有するための、持続的な作業が求められる(例えば広島と長崎で、同様のことはすでに公的に行われ続けている)。


 しかし、私たちが生きるこの場所は、「慰安婦」問題から目を背け、否認しようとする言葉に満ちている。痛みを被った人たちが怒り、納得しないのも当然だろう。
 90年代から私は、戦後補償問題に「解決」という語を用いるべきではないと言い続けてきた。「解決」という語は、「終結」のイメージをともない、それは「忘却」をも意味すると思えたからだ。自分が発言する際には「戦後補償の実現」という表現を用いてきた。
 「慰安婦」問題の「最終的解決」だとされる昨年末の「日韓合意」を私が批判的に見る理由の一つが、この点である。

 

 記事は、ベルリンで行われた、日韓合意に関する懇談会の様子を伝えるもの。
 「記憶、責任、未来財団」顧問のウタ・ゲルラント氏はこう述べている。
「慰安婦犠牲者はより多くの共感、連帯、また歴史的事実に対する公式的認定を必要としている。 和解はできるかもしれないし、できないかもしれない。 和解を人為的に作り出すことはできず、互いに強要できないことだ」

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