こんにちは、うるまです。

前回記事では、少し変わった私の"負けず嫌い"な性格についてお話ししています。↓↓↓




さて、今回は私が小学生の頃に通っていた、書き方教室(書写教室)についてお話しさせていただきます。


みなさんは"字を書くこと"は好きですか?


私は大好きです。なぜなら、字を書くことが"私自身を自由に表現する場"になるからです。


誰にも邪魔されず、「とめ」「はね」など自分の好きなように表現することができる。この感覚が私は大好きで、"字を書くこと"にハマっていきました。



そして、好きなことの上達スピードはとても早く、学校や周りの人から字の綺麗さを褒められることが増えていきました。


学校では書写コンクールで入賞したり、親からも字の綺麗さを褒められていました。また、書き方教室ではペン字資格の1級まで取得することができました。


"字を書くこと"においては今でも唯一自信をもてていることかもしれません。


私は小学生の頃から、「大人っぽい字」を意識して書いていました。「とめ」「はね」にクセをもたせて、つなげ字のような曖昧さを意識していました。


そして、私が通っていた書き方教室の講師も、この私の書き方を伸ばすような教育をしてくださいました。


おそらく、書く手順か「とめ」「はね」などを細かく指示されていたら、私はすぐに辞めていたと思います。


のびのびと、字を書くことの楽しさを教えてくれた講師には感謝しかありません。



周りの友人を見ても、そのような大人っぽい書き方をしている子はおらず、「自分だけ」という謎の優越感に浸っていた記憶があります。


小学生の時は、"周りから外れる""みんなと違う"ことに対しては全く抵抗がありませんでした。



今でこそ、字を書くことがHSS型HSPの私にとっては、"素の自分を出せる大切なもの"だったことに気付くことができました。



人の字を見て「字が綺麗」とか「字が汚い」とか言っている人がいますが、正直字には正解がありません。


書き手の数だけ、正解があると思っています。


だからこそ、自分の気持ちや感情を字に乗せることで、その人にしか書けない字が出来上がるのです。それこそが字を書くことの魅力だと思っています。



私にとって"字を書くこと"は、自分らしさを再認識する重要なものだったというお話しでした。


最後までご覧いただき、ありがとうございました。

こんにちは、うるまです。

今日はHSS型HSPさんにとっては、少々耳が痛いお話かもしれません。

 

 

※前回記事では、HSS型HSP気質と恋愛の相性についてお話ししています。↓↓↓

 

 

さて今回は、HSS型HSPの方なら一度は悩んだことがある「継続力」について考察しました。

HSS型HSPさんはコツを掴むのが早いので、速攻で一定のレベルまでは上達してしまいます。ただ、そこからさらに努力を重ねることが苦手です。何でもできるように見えて、実は何も極めることができなかった器用貧乏が多いです。

 

 

私の実体験をお伝えすると、野球部では1年生の時からレギュラーになりました。また、野球部に所属していましたが球技大会(サッカー)の得点王になる。その他スポーツは何でもできる。といういわゆる「何でもできる人」でした。

 

でも、何か1つを死ぬ気で努力し続けたことがないので、何か大きな賞を取ったり、功績を収めたことはありませんでした。

webサイトなどで、”得意なことを仕事にする”というフレーズを見た時に、私には自信を持って得意といえるモノがないことに気付いてしまいました。何よりも物事を極めるレベルまで継続した経験がないことに、コンプレックスを抱いていました。

 

「何でもできるけれど、何者にもなれない人」

 

HSS型HSPさんはこの状況に陥りやすいです。ましてや、社会にうまく馴染んでいた人ほど、自分の強み/特徴というものは削ぎ落とされてしまっています。

 

 

結論からお伝えすると、HSS型HSPさんが物事を継続できない理由は、大きく2つあります。

 

1つ目は、”他人からどのように見られるか”を想像してしまうこと。

2つ目は、実は誰よりも自分に期待していること。

 

 

1つ目の要因は、HSP気質が大きく関係しています。

これまで優等生を演じ、親の期待に答え続けてきた分、失敗することに対して臆病になっていました。(がっかりさせてしまうのではないか、笑われるのではないか)

 

2つ目の要因は、考察するに、「井の中の蛙でいたい」「実は自分が、それほどすごくはないということに気づきたくない」「簡単に出来なくなる段階がくるのが怖い」という思いがあるからだと気付きました。

 

 

プライドが高く、自分に根拠のない自信を持っているため、失敗や上手くいかないことに対しての耐性がとてつもなく低い。

HSS型HSPにとって”「否定 / 敗北」は自分の存在意義を失う”というレベルの話なのです。負けるぐらいなら最初から挑戦しない、勝ち戦のみ戦う、という感覚です。

 

そのため、”自分の力が通用しなくなってきた”という環境に身を置きたくないからこそ、物事が長続きしないのです。自分で自分の失敗を認められないからこそ、失敗する(上手くいかなくなる)前に撤退しているだけなのです。

 

HSS型HSPさんの解説で、「他の物事に興味関心が移行するため、継続力がなく長続きしない」というものをよく目にしますが、これは少し違います。実際はこうではないでしょうか。

 

「物事が上手くいかなくなる前に他の関心事を見つけなければなりません。そのためにアンテナを常に外向きに張っている。なぜなら、自分に対する期待を裏切りたくないから。」

 

 

リスクを恐れず行動が取れるHSS型の気質を、繊細なHSP型気質が邪魔をしているのです。

他人軸で生きてるから、周囲の雑音が気になってしまい、物事が継続できない。

 

自分の感性のままに生きていれば、自分に対する評価を気にすることもありませんので、実は物事が長続きします。

なぜならそこには「私は心からコレがしたい!」という自分の強い意志があるからです。

 

HSS型HSPさんが物事を継続するためには、「繕ってきた自分を脱いで、本来の自分を生きること」が必要になるというお話しでした。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

次回は、HSS型HSPならではの”友達付き合いの違和感”についてお話しします。

こんにちは、うるまです。

今回は、HSS型HSPの私がこじらせていた、恋愛についてお話しします。

 

※前回記事では、HSS気質とHSP気質の板挟みに悩んでいた部活動(野球部)についてお話ししています。ぜひご覧ください↓↓↓

 

 

 

 

さて、いきなりですがHSS型HSPさんは恋愛上手でもあり恋愛下手でもあります。これは、自分の気質をどのように活用するかによって結果が大きく分かれます。

 

結論から言うと、「HSS型=モテ思考」「HSP型=非モテ思考」です。

 

 

私は高校時代、完全に後者のHSP型の非モテ思考でした。彼女ができることはもちろんなく、女子の顔色を伺い、嫌われないように行動する。これでは「友達止まりの優しい男」としか見られませんでした。

 

HSP型の気質は、一言でいうと「”普通”に上手く染まる能力」です。何の特徴もない普通に染まってしまった人は、魅力的に映りづらいです。

 

自分の発言がどう捉えられたか気になり、好きな人の顔を見てしまう。LINEの返信が遅いと、何か嫌われるようなことをしたかなと1人で焦る。周りに合わせて動けているかを常に意識している。声が小さい。相手の目が見れない。Twitterでいいねが来るかどうかで自分の価値を測り一喜一憂。

 

今振り返ると、高校時代は非モテの行動しかしていませんでした。

結局、「私が告白しても相手が困るだろう/振られるに決まってる」と自分で言い訳を作り、行動を起こさないように自分で自分を誘導していました。

 

HSPさんの相手の気持ちや感情を想像できる気質は、恋愛や人間関係においては有利に働きます。

 

ですが、相手の気持ちや感情といった「目に見えないもの/正解がないもの」に対してHSP気質を発揮しすぎるとデメリットの方が大きくなってしまいます。何より自分がしんどくなります。

 

”これ以上は考えない”という基準を自分の中で設けることも、HSP気質の方にとっては自分を守るためにも必要になってきます。

 

 

一方で、恋愛において大きな味方になったのが、”HSS型の気質”です。HSS型の気質が顕著に出てき始めた大学時代に効果を発揮しました。

 

特に「我が道を進む / 他人に興味がない」という気質が、恋愛においては効果抜群みたいで、この事実に気付いてからは女性関係に困ることはなくなりました。

 

欲しいものは、追いかければ追いかけるほど逃げていきます。HSS型気質は「他人に期待していない」ということがベースにあるので、その無関心さが相手にとっては”人としての余裕”に映るということです。

 

ただしHSS型HSPさんは、自分次第で”モテ思考”になれる反面、注意しなければ”非モテ思考”にもなってしまうのです。

 

夢や目標に向かって努力している時はHSS型気質が強く現れ、恋愛に執着していないからこそモテます。

 

逆に「彼氏/彼女が欲しい...」と恋愛に執着している時は、気になっている相手にスポットが当たり、無意識にその人に気に入ってもらえそうな自分を演じてしまいます。いわゆる”他人軸の人生”になってしまうので魅力的に映らず、結果モテません。

 

つまり、”HSS型HSP気質があるからモテる”のではなく、”自分の人生を生きている人が魅力的に映る”のです。

自分が他人軸で生きていることに気付かない、違和感すらもたない人が大半の世の中で、HSS型HSPさんは他人軸で生きることに居心地の悪さを感じます。いや、感じることができるのです。

 

自分軸で生きたいと本能レベルで思えるHSS型HSPだからこそ、その気質に素直に従うことが、周り回って良い結果をもたらしてくれます。”どのように見られたいか”ではなく”どのように生きたいか”。実にシンプルでした。

 

”何かを手にいれたいと願う時ほど、自分の人生に集中しよう”と私が学んだ経験をお話しさせていただきました。

 

次回は、HSS型HSPの悩みである”継続力の無さ”について考察してみます。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

こんにちは、うるまです。HSS型HSPです。

今回も高校時代の話をさせてください。

 

※高校時代、親との関係性に違和感をもった大学受験について、前回記事でお話ししています。ぜひご覧ください↓↓↓

 

 

 

 

私の高校時代は、活発でアクティブな”HSS気質”と繊細で感受性が強い”HSP気質”、両方が発揮されていました。

特に部活動ではHSS気質の自分とHSP気質の自分に、自己矛盾を感じ違和感を抱えながらも正体が分からず、流れのままに過ごしていました。

 

まず、私はチームスポーツの野球部に所属しながらも、我が道を進み”大人”に対して漠然と反抗心を持っていた選手でした。監督やコーチからの指導はその場では受け入れるものの、最終的には自己流に走る選手でした。

 

 

さらにチームスポーツでありながら、チームの勝敗に関心がもてない...。何より自分の成績にしか興味がありませんでした。

チームが負けても自分が3本ヒットを打っていれば大満足。チームが勝っても自分が活躍できなかったら全く嬉しくない。

 

そして、「みんなで・・・」「チームで・・・」という言葉が苦手で、みんなで遠くまで行くより、1人で早く行きたいタイプの人間でした。「”協調性”という言葉は、自分で責任を取りたくない人間が、自分を正当化するために作った”逃げのフレーズ”だ。」と本気で思っていました。

 

明らかにチームスポーツに向いていない人間です。でも、これが私の本性なのです。
 

この時から「自分が一番である」というHSS型HSPならではの自信をもっていました。これは振り返ってみて気付いたことですが、私の場合は他の人から指導を受けた際よりも、「自分の感覚や経験を信じて試行錯誤した時」の方が結果がついてきていたのです。

 

自分を棚に上げるつもりは全くないのですが、HSS型HSPは自分を信じて突き進んだ方が成功率が高いのではないでしょうか?

HSS型HSPの私にとって、「納得感」があるかないかで行動の質も変わってくるのです。

 

監督やコーチからアドバイスを受けてもも、自分が納得していない内容については上手くできませんでした。いや、自分が納得していないから、わざと上手くいかせていなかったのかもしれません。

 

この納得感をもたせるためにも、HSS型HSPさんは”自分で決める”ということが大きな原動力になると気付けました。

 

しかし、私はHSS型HSPです。繊細で感受性の強いHSP気質も持ち合わせています。

監督やコーチのアドバイスをほとんど聞かなかったので、「監督、コーチからどう思われているか気になる...」という周りを気にするHSP気質が登場していました。

 

HSS型の気質に振り切って生きれたら、どれだけ生きやすいのだろう...。

この時は”自分のことしか考えていない”自分はダメだ。普通じゃない。と思い込んで、本当の気持ちを”普通・常識”で抑え込んでいました。

 

そんな葛藤の中で、私は「怒られない範囲の中で、良い子を演じながら、自分の好きなように行動する」ようになってしまいました。何かやりたいことを思い付いたとしても、「これは怒られる、これは怒られない」という基準のもとでまず判断するようになっていました。もう自分軸で行動ができなくなっていたのです。

 

 

自分の気持ちと行動が一致していないからこそ、心にしこりが残ってしまうことが多かったです。

当初は自分の気質について認識はしていませんでしたが、HSS気質とHSP気質の板挟みに悩んだ初めての経験は、間違いなく高校の野球部でした。

 

 

次回は、HSP気質に悩んだ高校時代の恋愛についてお話しします。

最後までご覧いただきありがとうございました。

こんにちは、うるまです。

今回は、HSS型HSPである私が”親”との付き合い方を考え直すきっかけとなった、大学受験のお話をさせていただきます。

 

 

※前回記事では「親の期待に応えるために生きていた学生時代」についてお話ししています。ぜひご覧ください。

 

 

 

さて、これまで親の望む息子を演じてきた私ですが、”大学受験”をきっかけに我慢の限界がやってきました。

それは、「希望する大学を受験させてもらえなかった」ことです。

 

私は元々、医療系の大学に進み、「柔道整復師(整体師)」になることが夢でした。給料や勤務体系等も大変なことは認識していましたが、幼い頃からの夢だったので柔道整復師の資格が取得できる大学を受験したいと、勇気を出して伝えました。

 

しかし、親からの答えは「NO」。

理由は、4年制の総合大学を卒業し、民間企業に就職することが、親の中で”普通”だったから。

 

この理不尽な理由によって、私のやりたいこと/夢は実現させることはできませんでした。これまで親が敷いたレールの上を歩いてきた私が、勇気を出して本心を伝えたにも関わらず全く相手にもされませんでした。

 

親からは「最低でも関関同立以上に行きなさい」と言われていて、偏差値でしか大学を見ていないことにも違和感を感じていました。

 

親の前では涙を我慢して、自分の部屋に戻って1人で泣きました。

ここでようやく私は「自分の意思で生きていきたい / 自分で決めて生きていきたい」と強く思えることができたのです。

 

 

そしてこの大学受験を、親の期待に応える最後の自分とすることを決めました。


 

受験勉強も頑張り、何とか関関同立の大学に合格することができました。しかし、心の底から喜ぶことができませんでした。

受験勉強をしていても、「柔道整復師になれた世界線」を想像してしまい、モヤモヤを抱えたまま過ごしていました。

 

大学では1人暮らしを始め、少しずつ親と距離を取るようになりました。

 

 

私がこれまで大きく道を外さず生きてこられたのは、”親”のおかげだと思っています。それについては今でも感謝しています。

 

ただし、子供の人生は親のものではないはずです。親であったとしても、あくまで自分ではない”他人”。

 

家族だから、気の合わない/考え方が合わない人でも、仲良くしていかなければならない。無理してでも付き合っていかなければならない。

 

このような凝り固まった考え方で、自分で自分を苦しめていたことにも気付くことができました。家族とは関係性が近く、深いからこそ、その距離感を見誤ってしまうことも多いのではないでしょうか。

 

自分が親という立場になった時には、自分の子供としてではなく”1人の人間”として子供に向き合う意識を持ちたいと思います。

 

 

次回は、HSS型HSP気質で苦しんだ高校時代(勉強、部活動、恋愛)の話をさせていただきます。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

こんにちは、うるまです。

HSS型HSPの私は、”親”に殺されかけました。

 

もちろん物理的にそのようなことはされていませんし、大事に育ててもらったという自覚もあります。

ただ、”HSS型HSP”という気質を殺されかけたのは事実です。

 

HSS型HSPの私は、正直家族の中でも浮いています。異質な人間です。

今回の記事は、家族との関係性に悩んでいるHSS型HSPさんにはぜひ読んでいただきたいです。共感できる部分も多いと思います。

 

家族との付き合い方について、私なりの答えをお伝えさせていただきます。

 

 

 

※前回の記事では、私のHSS型HSP気質が開花した、中国の上海での生活についてお話ししています。↓↓↓

 

 

 

今回は中国での生活ののち、日本に帰国してからのお話になります。

 

実は私は4人家族で、両親と2歳年上の姉がいます。

先入観を持たず、何事にも積極的に行動する私とは対照的に、他の3人は保守的で周りからどのように見られているかを気にするタイプでした。いわゆる”自分達の面子を汚したくない”人たちです。

 

そのスタンスが、中国からの帰国後は一層顕著に現れるようになりました。

”海外(中国)で生活した私たち”という謎のステータスを着飾り、地元の友人を見下しているような雰囲気を感じていました。

 

私は子供ながらに、「この人たちは海外(中国)で何を学んだんだろう...?」と軽蔑していました。

しかし、稼ぐ力や自分で生活していく力のない私は、親の望むレールの上を歩く選択肢しかありませんでした。


学級委員にも手を挙げ、さらには中学では転校生にも関わらず生徒会長にもなりました。部活動は野球部に所属し、最後の夏の大会では背番号1を渡されエースに選ばれました。そしてなんとも理解し難い理由から、ガラの悪い子と遊ぶことは制限されました。塾にも通い、定期テストでは常に学年1位を取り、県内の公立高校へ進学しました。

 

私が何か成果を残すと、親は喜んでくれました。私のことを褒めてくれました。

でもそれは、親が望む「優秀で周りに自慢できる / 周りにも迷惑をかけない息子」だったからでした。

 

全て本来の私の気持ちに従った行動ではないので、自分が褒められているという感覚は一切ありませんでした。誰か他の人が賞賛されているのを、横で聞いているような感覚に毎回陥っていました。

 

もうこの頃には、本来のHSS型HSP気質を隠すことも上手くなっており、私の行動基準はいつも”親が喜ぶかどうか”になっていました。HSS型HSPは相手が望んでいることや、相手の気持ちに敏感なので、相手を喜ばせることは私も何となく得意でした。

 

ただし、いつも親は褒めてくれましたが、私は何も嬉しくないし、喜びの気持ちすら湧き上がってきませんでした。

それよりも、親の支配の下で行動を起こすことに違和感や窮屈さを日々感じていました。

 

そんな時ふと、私は ”自分で何も決められない人間” であることに気付いてしまいました。親の期待や望む生き方がないと、次の行動を起こせない人間になってしまっていたのでした。

 

そして、今自分は嬉しい気分なのか、悲しい気分なのか、怒っているのか、本当は泣きたいのか。

いつからか自分の感情が分からなくなりました。自分で自分のことを理解できないのは非常に辛かったです。

 

 

「悪目立ちしてはいけない」「周りに迷惑をかけるな」「普通は○○なんてしないよ」「みんなで一緒に・・・」

親から幾度となく浴びせられたこれらの言葉によって、私の中のHSS型HSPは殺されかけました。そして、親の期待に応え続けた人は、周りからの評価でしか自分の存在意義を見出せなくなってしまいます。

 

”普通”ではないHSS型HSPが、”普通の人”を演じられるはずがありませんでした。

 

 

私は過去の経験から、「みんなで・・・」「チームで・・・」という言葉が苦手です。

協調性とは責任を取りたくない人が、自分を正当化するために作った概念ではないかと思っています。

 

そんな私が、親からの束縛に危機感を本気で感じたのは、”大学受験”がきっかけでした。

ここで、ようやく「親から離れなければ私は幸せになれない」と強く思ったことを今でも鮮明に覚えています。

 

 

非常に冷たい言葉かもしれませんが、「家族であったとしても、あくまで”他人”」だということに気付くことができたエピソードについて、次回お話ししています。

 

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

おはようございます。うるまです。

今回は、私がHSS型HSP気質を育んだ過去についてお話しします。

 

※前回の記事では、自分の心に従って生きていた小学生の頃の話を書いています。ぜひご覧ください。↓↓

 

 

 

さて、HSS型HSP気質をフル活用して、自分の本心に従って生きていた小学生時代。小学6年生の時に、私はこの気質をさらに開花させる出来事に出会いました。

 

それは、「中国の上海での生活」です。

 

父親の仕事の都合で、小学校6年生〜中学1年生までの2年間を中国の上海で過ごしました。当時の中国は経済成長期真っ只中で、高層ビルが立ち並び、上海万博も開催され、日々経済成長しているのが目に見えて分かりました。経済成長という良い面だけでなく、「貧富の差」という対照的な現実を目にしたのも初めてでした。

 

また、中国の方は「自分軸」で発言をしたり、行動する文化なので、いわゆる「察する文化」はありません。だからこそ自分の気持ちをハッキリと伝える必要がありますし、他人の人生を生きている暇なんて全くありません。

 

その他にも言語の壁や文化の違いなど、”日本での当たり前が通じない”生活は、私にとっては刺激的で居心地が非常に良かったのです。

 

一例をお話しすると、大晦日の過ごし方が日本と中国では全く違います。日本では紅白歌合戦をみて、除夜の鐘を聞きながら静かに新年を迎えますが、中国では大晦日の夜に大量の爆竹を鳴らします。この爆竹は路上で販売されており、一般の人が購入して路上で爆竹を鳴らします。この爆竹には魔除けの効果があり、夜にも関わらずあちこちの路上で爆竹が鳴り響いていました。

 

また、新年を迎えるとお祝いとして、色々な所で花火が打ち上げられます。この花火が深夜まで続くので、静かに過ごす日本とは大違いだなと、子供ながらに文化の違いに驚きました。驚きながらもなぜかワクワクしていたことを鮮明に覚えています。

 

 

 

そして私がこの中国での生活を通じて育んだHSS型HSP気質は、

 

”物事に対して先入観をもたない”

 

ということです。

 

 

HSS型HSPさんは、物事に対して偏見や先入観をもたない方が多いです。日々興味の赴くままに行動するHSS型HSPさんは「何事もやってみないと分からない」という考えがあるので、最初から否定的な見方をする方はほとんどいません。

 

だからこそ、初心者であることを何度も経験しているHSS型HSPにとっては、新しいこと/もの/方法/人(自分が知らないこと/もの/方法/人) に対してフラットに接することができるのです。

 

上手くいくかは実際に試してみないと分からないし、この人がどんな人なのかは話してみないと当然分からない。

 

そして私はこの中国での生活で、自分の中での常識や偏見がどれほどの機会損失を招いているのかと感じました。常識や先入観に捉われて、次の一歩を踏み出せないことは非常にもったいないと実感できたことが、私が中国で過ごした意味だと思っています。

 

 

このような経験をさせてくれた父親には、今では非常に感謝していますが、この経験をさせた父親を恨んだ時期もありました。

 

HSS型HSP気質を開花させてしまった私は、中学2年生の春に日本に帰国し、地元の公立中学校に転校しました。これがHSS型HSP気質に悩み続けるスタート地点になったのでした。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

次回、違和感の中で過ごした学生時代についてお話ししています。

 

こんにちは、うるまです。

HSS型HSPの私が、”本来の自分”を生きることができるまでのストーリーを、複数回に分けてお話しします。

 

 

※こちらの記事では、私のこれまでの人生の全体像をお話ししています。ぜひご覧ください。↓↓

 

 

 

 

 

さて、いつからでしょうか。自分の気持ちに嘘を付きながら生きるようになってしまったのは。

私は小学生の頃は、間違いなく「HSS型HSPの私(ありのままの自分)」を生きることができていました。

 

大好きな野球・ゲームにのめり込む毎日。それと並行して、くもん教室に通い勉強も頑張っていました。

野球をするためには人を集めないといけないので、小学校の連絡網をもとに同級生や1.2個上のお兄ちゃんの家に電話をしていました。大好きな野球をするためには、家電でもピンポンでも何でもする。

 

子供ながらに自分の感覚や興味の赴くままに、様々なことに行動力を発揮していました。そこに”他人の目”や”世間一般”といった、他人軸は存在すらしていませんでした。

 

 

自分が興味を持ったことや欲しいと思ったものは、手に入れないと気が済まない。

手に入れるための努力は厭わない。

でも手に入れてしまった途端、興味が無くなってしまう。

そして別のものに興味の対象が移り、次はそちらに労力を注ぐようになる。

 

 

今思うと、私は小学生の頃からこのサイクルを回していました。良く言えば「何でもできる」、悪く言えば「器用貧乏」。何より物事が長続きしないので、特筆して秀でた能力がない。得意なことがない。一番になれない。

 

でも、この頃は周りの人からは「何でもできる子だね」と言われて、その言葉を素直に喜んでいました。

小学生の時は「お金を稼ぐ」「仕事をする」という場面が当然なかったので、このHSS型HSP気質が原因で悩むことはなかったのだと思っています。むしろ小学生の頃は「HSS型HSP」という言葉すら知らなかったです。


 

ですが、社会人になってこのHSS型HSP気質に苦しめられることになるとは、想像すらしていませんでした。

 

生活のために、この仕事を何十年も続けていかなければならない。継続力がないので、何か専門的な知識や経験を持っているわけではない。何の強みもなく社会の歯車の一部として埋もれてしまう。

 

今振り返ると、HSS型HSPの私は”お金”や”周囲の評価”に囚われている時に、生き辛さを感じていました。

 

 

一方で小学生の頃の私は、本能のままに生きていました。

 

「自分がやりたいから行動する」

 

これだけでした。

 

 

 

「お金」や「名声」「褒められること」などは全く求めていませんでした。頭の中にすらなかったと思います。

自分がやりたいことに夢中で取り組んだ結果、野球が上達したり、周りの人から褒められるという経験をできました。

 

お金や名声などは求めてはいけないもの。自分の本心のままに行動した結果、後からついてくるものでした。

 

 

 

「本当のあなたは何がしたいのか?」

 

私は今フリーランス人事としてお仕事していますが、この小学生の頃の振り返りがきっかけになりました。

お金や名声、周囲の評価などが全て無い世界なら、あなたは何がしたいですか?

 

この問いと向き合い続けた結果、”普通”から外れた生き方・働き方ができるようになりました。

その経緯については、今後お話しさせていただきます。

 

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

 

次の記事はこちらです↓↓↓

 

こんにちは、うるまです。

 

前回記事では幼少期に通っていた「ピアノ教室」についてのお話をしています。↓↓↓

 

 

今回は、私の”負けず嫌い”な性格のルーツについてお話しさせていただきます。

”負けず嫌い”と聞いてイメージされるのは「他の人に負けたくない」「敗北を糧に努力を重ねることができる」「勝つまで継続する」というものだと思います。

 

しかし、私の”負けず嫌い”はそれらとは違ったのです。

 

私の”負けず嫌い”とは、「敗北を糧に、次の勝利に向けて努力するモチベーション」ではなく、「負けない/失敗しないように生きること」でした。

 

幼少期の頃から私の中で「負け」「失敗」というものは非常にネガティブなもので、「勝ち・負け」は自分の存在意義を左右するほど重要なものでした。幼少期から極端な性格で、0か100の考え方をしてしまう癖がありました。

 

今は、「失敗」や「敗北」から学ぶことが多いので、その極端な考え方はほとんどなくなりましたが、当時の私は、何より「負けたくない」ので何事も強い人には勝負を挑まない、難しいことにはチャレンジしない。そんな日々を過ごしていました。

 

 

例えば、野球。

 

少年野球チームに入る前は、家で家族や祖父母と野球を毎日のようにしていました。基本的に大人の人が新聞紙のボールを投げて、それを私が打つ、というものでした。

 

母と祖母は、いつも私が打ちやすい所にボールを投げてくれていましたが、父と祖父は打つことが難しい所にもボールを投げてきて、私が上手に打てないことも多かったです。

 

その「上手にできない/自分の思い通りにできない」感覚が私は大嫌いでした。父や祖父とする野球は毎回その気持ちにさせられるので大嫌いでした。なんともワガママな性格だったと思います...。

 

なので野球は極力、母か祖母とするようになっていました。自然と「自分が優秀だと感じられる範囲」「自分が優越感をもてる快適な場所」から飛び出す勇気が失われていったのだと思います。もしかすると、元々そんな勇気はもっていなかったのかもしれません。

 

他には、将棋。

 

祖父母の家に遊びにいった時には、必ずと言っていいほど将棋をしていました。その将棋の相手選びでもこの”負けず嫌い”な性格が発揮されていました。

 

まず、基本的には強い人には挑まない。自分が勝てる/勝てそうな人としか勝負しない。何より負けたくない。負ける自分を見たくない。

 

そして、選ばれたのは祖母でした。

祖母はあまり強くなかったので、基本的には私が勝っていました。今思うと、私が勝つように力を抜いてくれていたのかもしれません。

 

毎回、祖母に勝負を挑んでいたので、それを見ていた祖父にこう言われました。

 

「また弱いものいじめか。自分より弱い人とばかり戦っても意味がない。」

 

この言葉を言われたのは20年以上前にも関わらず、今でもはっきりと覚えています。私の祖父は13年前に亡くなっていますが、この言葉は今でも唯一覚えています。

 

それほど自分にとっては、図星で核心を突かれていたのだと思います。自分でも薄々気付いていたからこそ、この言葉が刺さって今でも抜けていません。負けることを恐れて、挑戦しない。これがどれほどの機会損失を招いているのかを、当時の幼い私は想像することができませんでした。

 

ただ、その時期があったからこそ、今私は「自分を良く見せたい」という無駄なプライドは捨て、リスクを恐れず行動できるようになったのだと思っています。今この記事を書きながら、過去から現在まで、全て繋がっていることに気付かされました。

 

 

「負け」や「失敗」をどのように捉えて、自分に還元していくか。自分の弱さや恥ずかしい部分と向き合うことを続けていきたい。

 

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

こんにちは、うるまです。

 

昨日9月14日、プロ野球の阪神タイガースがリーグ優勝しましたね。おめでとうございます!地元も大盛り上がりです...!

前回の記事では、阪神タイガースがきっかけで、私が野球を始めたお話をしています。↓↓↓

 

 

 

 

さて、今回は幼少期の習い事について、お話しします。

小学校に入るまでの習い事は、「ピアノ教室」でした。

 

母が子供の頃にピアノを習っており、それと同様に姉と私もピアノ教室に通っていました。野球に夢中であった私がピアノを始めた理由は、主に2つです。

 

1つ目は、姉がしていたから。他の人が持っているものやしていることを、「自分も手に入れたい/したい」という時期だったので、「姉が習っているから自分もしたい」という理由で始めました。

 

2つ目は、母に「ピアノを習うと手先が器用になる。野球も上手になるよ。」と言われたことがきっかけです。正直この手先の器用さに関しては、ほとんど恩恵を受けることがなかったので、手先の器用さは”ピアノを習っている/いない”というより、本人の向き不向きが影響すると思っています。母に上手く転がされてピアノを習い始めました。

 

 

最初は、上手に弾けないながらも家で練習をして、少しずつ上達していく過程が楽しくて仕方がなかったです。ですが、ある程度弾けるようになると、飽きてしまいました。

 

もっともっと上手になろう、コンクールで優勝できるようになろう、と思うことができませんでした。

これはピアノに限らず、野球や勉強など他のことにおいても同じでした。

 

私が自分に対して後悔していることは、「1つも死ぬほど努力をした経験がないこと」です。

 

ある程度上手にできるようになると、それ以上に上達するまでの努力量や難しさをイメージしてしまい、モチベーションが下がる。”自分にはできない”という高いハードルを挑戦する前から作ってしまい、想像しただけで諦めてしまっていました。

 

これは幼少期の頃から変わっていません。私は何も極めたことがありません。継続力がありません。

 

結果、ピアノは小学2年生の時に辞めてしまいました。建前の理由は「野球に絞って取り組みたいから」というものでしたが、本音の理由は違います。

 

本音の理由は、「これ以上続けても私は一流にはなれない。失敗したくないし、ある程度のところで才能が頭打ちになってしまうのを見たくない。自分に才能がないことを知りたくない。」というものでした。

 

 

自分を失敗から守るために、常に言い訳をして逃げてきた人生でした。失敗や周りの目を気にせずに、本能のままに物事に熱中して努力できなかった自分が苛立たしいです。

 

子供の頃は色々なことに手を出して、勉強、スポーツ、習い事などほとんどのことがある程度できるようになりました。すると周りからは「何でもできるね」と褒めてもらえていたので、自分のことも肯定できていました。

 

しかし大人になるにつれて、それはただの「継続力がない器用貧乏」でしかありませんでした。特別なスキルや能力がない私は、今の社会では「何者にもなれない」という現実を突きつけられるのでした。

 

この頃から「次々と興味が移り、すぐに飽きてしまう」を繰り返してしまう、HSS型HSPの気質が出てしまっていたなあと気付きました。

 

様々なことに挑戦してきたので、”初心者であること”に慣れているのはメリットではありましたが、”継続することが苦手”という部分は今でも劣等感を抱いてしまうというお話しでした。

 

 

次回記事では、一般的なものとは異なる、私の変わった”負けず嫌い”についてお話ししています。↓↓↓

 

 

 

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