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わたしの小学校時代について

 

 

いよいよ小学校1年生。

小学校に上がる前の冬に、

赤いランドセルが届き、

箱から出すときはドキドキワクワクして、

新しいランドセルを見ては、

嬉しい気持ちになっていました。

 

ランドセルが届いてから

近所の写真館で

記念写真を撮ってもらいました。

 

その当時は、ヘアスタイルがおかっぱでした。

なんとも言えない

緊張したかのような表情をして

映っていた気がします。

 

幼稚園から小学校低学年までは

おかっぱ頭で、

一度前髪が短くされてしまったときには

「学校行きたくない」

と泣きました。

 

 

 

無事に入学式を終えて、

1ヶ月は集団登校でしたが、

その後は、

幼なじみを迎えに行き、

田舎の通学路を、

一緒に登校するようになります。

 

 

幼なじみとの

登校中の会話で、

今でも覚えているのが、

 

「理想の建物ゲーム」です。

 

 

始めに

何回建ての建物にするのかを決めて、

そこから、

その建物に何があったらいいか、

交互に言っていくゲームです。

プールやら水族館やらスケート場やらプラネタリウムやら

子どもが行きたいと思う施設を

どんどん言っていました。

あとは、

どんな家に住みたいかとかも

話していた気がします。

 

 

今思い出すと、

そういう空想や妄想する事が

好きだったんだと思います。

よく雲を見ながら

雲が何の形に見えるかを

考えていました。

 

 

わたしの父は、

わたしの登校時間には

仕事に行って、

家にいなかったので、

雨の日は

幼なじみのお父さんが運転する車で

一緒に登校していました。

 

 

母は免許を持っていなかったので、

親に送ってもらえる子達が

羨ましかったです。

 

 

 

放課後は、

家で過ごしたり、

幼なじみや、幼なじみのお姉さんと一緒に、

外でバドミントンをしたり、家で遊んだりと楽しく過ごしていました。

 

 

この頃の家の中での遊びで

好きだったのは

お絵描きや工作

トランプなどでした。

 

 

小学校は、

幼稚園と保育園からの子たちが集まり、

知らない子たちも増えて

相変わらず人見知り全開。

さらに運動神経も良くない。

体育の時間は苦痛で、

苦手意識が強くなる一方ででした。

 

 

 

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