世俗主義と原理主義 x 独裁主義と民主主義 (トルコ編) | Ty Hassyの敢えてwokeなブログ

Ty Hassyの敢えてwokeなブログ

弱い者いじめ、差別主義、排他主義、民族主義、排外主義的愛国主義、独善主義に断固反対し、今の社会の在り方や世界観や生き方に、ちょっとだけ新たな視点を提示するブログです。

 先日、トルコでクーデター未遂事件が起こりました。
 トルコと言えば国民の99%がイスラム教徒なのに政治体制は世俗主義を貫いてきたことで知られています。
 イスラム教は、基本的に個人の生き方を教えるだけでなく、社会制度の在り方まで規定しているため、本来なら政治経済もイスラム法に則ったものでなければ完結しないという特徴を持っています。
 そのような個人の生き方から社会制度の全てにわったってイスラム法に基づくべきであるという考え方は本来のイスラム教そのものなのですが、個人の生き方はイスラム教に基づくにしても社会制度は宗教的理念とは切り離した制度にしようというのが世俗主義と言われ、これまでのトルコ政府はその路線を踏襲していました。
 それに対してイスラム教の原理原則に従うことを徹底すべきであるという考え方をイスラム教原理主義と言いますが、今のイランやサウジアラビアなどはイスラム教の原理主義で政教一致政策をとっている国です。
 従って、イランやサウジアラビアでは今でも犯罪を犯したらイスラム法によって裁かれ、刑罰もイスラム法で定められた刑が処せられることに成っています。
 ただ、同じイスラム教でもイランはシーア派ですが、サウジアラビアはスンニ派で、その宗派対立を表向きの理由として、両国は覇権争いをしており、それに欧米・ロシアのなどの大国の思惑が絡んで、その代理戦争をシリアやイラクでしているうちに、その空きにイスラム国が台頭して来て、もう誰が味方で誰が敵か分からないような混乱状態に陥ったのが今の現状であると言えます。
 そういう中でトルコは、ムスタファ・ケマル・アタテュルク以来半ば独裁的に世俗主義政策をとってきたわけであり、以来、軍が世俗主義の番人として、民主的な選挙でイスラム系の政党が勢力を伸ばすとクーデターを起こして、抑え込み、1982年には憲法で世俗主義を標榜するようにもなりました。
 その後も、選挙の度にイスラム教政党が力を付けると軍が横やりを入れてきたと言う経緯がありました。
 しかし、トルコにおけるイスラム教政党と言うのは上記のイランやサウジアラビアのような原理主義政策を訴えている訳ではなく、イスラム教精神に則った福祉政策や貧しい人々の救済措置を訴えるなど基本的に穏健派で、民衆の要望に沿った政策を標榜しており、特に貧しい人々に人気があって、選挙をする度に多数派を占めると言う傾向が続きました。
 そして、ついに2010年9月には、1982年に制定された憲法が、軍や司法当局に強大な力を与えすぎているとして、もっと国会や大統領の権限を強化することを主眼とした憲法改正の国民投票が行われ、賛成多数で可決されました。
 当時、首相であったエルドアン氏は、その後2014年8月には大統領に就任し、今度は逆にエルドアン大統領の権限が大幅に強化されるようになり、反対派からみれば独裁的であるとして、今回のクーデターへと繋がっていったのだと思われます。
 つまり、今回のクーデターは、2010年の憲法改正によって大幅に権限が縮小された軍や司法当局の不満分子が結束して巻き返しを図ったのと、イスラム教政党内部での主導権争いも絡んで起こされたように思われます。
 今回の事件では様々な情報が飛び交っており、何が真実なのかよ良く分からない面もありますが、大きな流れで見れば、世俗主義政策を始めたアタテュルク以来の政権は半ば独裁的に政治を推し進めてきたわけですが、民主主義的な選挙をする度に、イスラム教政党が伸長し、それを軍部が抑え込んできたのを、ついに抑えきれなくなって、民主主義的に憲法が改正され、軍と司法の力が縮小されて、その後、現エルドアン大統領の権限が大幅に強化されたのを機に、反エルドアン派と権限が縮小された軍と司法の不満分子が反旗を翻すに至ったと見るのが無理のない解釈だと思います。
 ということで、今後、エルドアン大統領がこの機に乗じて反対派を一掃して、逆に独裁的になっていくのか、あくまで従来通り、EU加盟を目指して、民主化政策を推し進めていくのかが見極めどころであると思います。