単位を落とすと、次学期は履修登録をしなくても、該当科目名の後ろに【再】と表示され、2回目の学費を支払うことなく、単位認定試験を受けることになります。

 

前回(25年度前期)、「エントロピーからはじめる熱力学('20)」を落としましたが、その次学期(25年度後期)は休学だったために、【再】の恩恵を受けることができませんでした。【再】の権利は休学中持ち越すことはできません。

 

そうこうしているうちに、「エントロピー~」は閉講になり、新規開設科目として「ミクロとマクロを繋ぐ熱統計力学('26)」になりました。履修制限はないようです。

 

「理想」としては、初歩からの数学を復習しながら、白チャート(Ⅱ+B)(Ⅲ)(C)をクリアしていき、微分積分に取り組む、それを土台にして熱力学に臨む……。

理想としては「立派」ですが、生活環境を考えると、現実的じゃないと感じています。

 

「熱力学」と「微分積分」は、「壁」です。

背伸びしている自覚があります。

他の科目(化学系や線型代数)に関しても背伸びじゃないとは言い切れないのが実情ですが、結果で振り返ってみると、大きな断絶があります。

 

黒字と赤字ぐらいの差。

 

もっと言えば、自然と環境コースを選んだ時点で、頭のどこかで考えていたことです。

一周回って開き直れば、現実の方が追い付いたと言ってみることができそうです。

そういうことにします。

 

休学は有効に使えました。

学期を通して28-30コマ/週、進学指導できました。

白チャート(数Ⅰ+A)はクリアできましたが、勉強のためのまとまった時間の確保はできませんでした。

 

“Now is the winter of our discontent made glorious summer by this sun of York”

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「【再】【再】入門微分積分('22)」

「[再]ミクロとマクロを繋ぐ熱統計力学('26)」

「量子化学('19)」

「宇宙の誕生と進化('19)」

「太陽と太陽系の科学('198)」

「はじめての気象学('21)」

 

「6」科目申請予定

面接は「6」科目応募予定

一月の体重は「6」「6」kg.

身長も一の位は「6」

上記放送科目の開設年をすべて足した数字の一の位も「6」

更に上記引用文中に含まれている"s"の数も「6」 

現在202「6」年

最寄駅から勤務先の駅まで「6」駅

「6(ロク)」の反対は「9」か「クロ」か決めかねています

その代わり、好きな食べ物はカレーライス(長音入れて「6」文字)

そして、次、「6」年生です

 

「入門微分積分」は3回目です。「【再】【再】」は実際の表記ではありません。

新規開設の「ミクロとマクロを~」に、「[再]」を冠しているのは「エントロピー~」へのつながりを意識しているからです。

 

錚々たる顔ぶれです。どれも手強そうな科目です。無傷じゃすまないでしょう。

頑張ります。

「現代を生きるための化学('22)」「かたちの化学('23)」

「初歩からの化学('18)」「分子の変化からみた世界('23)」

 「現代~('22)」第4章~第8章

 章末には理解を確認するための問題がありますが、とある問題は文中に根拠を求めることができませんでした。それで、後継科目である「かたちの化学('23)」を開いてみたところ、求めていた根拠そのものではありませんでしたが、その「とある問題」の内容が改めて説明されていました(ただし、問題に沿う形ではない)。

 

 わからない内容は、後継科目や「初歩からの~」の同項目を読み比べたり、下記問題集に当たったりしていますが、それでも解説(前提となっている考え方)がつかめないときは、GPTに訊ねるようになりました。

 

 入学当初は思いもよらなかった利用法です。

『化学[化学基礎・化学]基礎問題精講 四訂版』『鎌田の有機化学の講義 四訂版』

 「現代~('22)」に関しましては、これまで買ってきた、大学受験のための参考書も総動員しての「3巡目(前回2巡目は途中消滅)」です。

 ある種の悟りもあり、それは「この内容が、(自分自身が)高校生のときに分かるはずがない」「(一方)高校生の時点で軽々と取り組めていた人がいた(いる)」というものです。

 化学は、高校生のとき、全くわかりませんでした。

 現在、化学のいくつかの理論が、何かのたとえ話のように感じます。物質間における電子のやり取りが、仕事の割り振りのようにです。少し仕事を受け取ると目一杯になり、他のことが受け付けられなくなる(言葉を換えれば、集中する)のは、ハロゲン類は電子受け取ると、希ガスと同じ電子配置になり、安定化する……というふうにです。

 自分なりにたとえが成立すると、理解できている気持ちになります。

 実際はどうなんでしょう。

 

「初歩からの数学('18)」

「白チャート(数Ⅱ+B)」数B 3章 数列(途中まで)

 現行の課程では、「I+A」「Ⅱ+B」「Ⅲ+C」となっていますが、高校時代は「I+A」はあったと思いますが、「Ⅱ+B」ではなく、「代数・幾何」「基礎解析」と呼ばれていました。

 「Ⅰ+A」の先生と「代数・幾何」の先生は同じで、ひょうきんな方で授業もわかりやすかったです。一方、「基礎解析」の方は、高圧的な先生で、「(高校は)義務教育じゃないから、嫌なら勉強しなくてもいい」というのが口癖の方でした(実際に、帰った生徒もいました)。この先生は好きになれず、授業はほぼほぼ寝ていました。謙遜ではなく、内容は全然覚えていません。

 ちなみに、「白チャート(数Ⅱ+B)」は、「数Ⅰ+A」とは違い、頭から取り組んでいるのではなく、印刷教材に合わせた項目を取り組んでいます。したがって、数Ⅱの部分は手付かずです。

 第12章数列 は、履修時(20年度後期)も今も、教科書を読んでいるときは、「こういうことなんだな」と「感じる」ことはできるのですが、「理解している」「使える」というところまでになるには、まだまだ先のお話です。

 数列の考え方が、梃子摺っている「微分」に通ずるのは気のせいでしょうか。

 

「がんを知る('16)」「中高年の心理臨床('20)」「グリーフサポートと死生学('24)」

清水研(2019)『もしも一年後、この世にいないとしたら』文響社

岸見一郎・古賀文雄(2013)『嫌われる勇気』ダイヤモンド社

雨宮和希著/吟イラスト(2021-2023)『灰原くんの強くて青春ニューゲーム1~3」ホビージャパン

 

今「4」を読んでいて、全9巻です。

ジャケ買いでした。

読んでみたら、「やり直し」系で、求めていたものではなかったので、残念な気持ちのまま読み進めていたら、壁を越えたと思われるやり取りに、ハッとさせられるものがありました。

それからは、読み進めるのが楽しみになっています。

 

どうして、ここ数年、急にラノベ志向になったのかなと、感じている自分もいました。

10代のころから文学青年で、ロードス島戦記やフォーチュンクエストは読んでいましたが、「ラブコメなんて」という立場でした。

 

「やり直し」の物語に「学び直し」をしている己を感じています。

「中高年の心理臨床('20)」の履修時に、それまでの時間を振り返ることができました。

「ラブコメ」を選んでるってことは、振り返ったこと(の一部)の再確認なのかなって思います。

 

陰キャ、カースト。

当時は、この言葉はありませんでしたが…。

「初歩からの化学('18)」

ピーターペジック著/青木薫訳(2011)『青の物理学 空色の謎をめぐる思索』岩波書店

「現代を生きるための化学('22)」

 第1章~第3章 精読

 以前も同様のことを記しましたが、「現代を~」のほうがナンバリングは上[220]ですが、「初歩からの~[210]」よりもとっつきやすく思えます。「初歩からの~」で、苦しんだからという考え方もできますが、それだけではないんじゃないかなとも思います。

 

 高校生のときに、まじめに取り組んでいた人、一通り学べていた方は全く別の感慨があるのかもしれませんが、「やり直し組」としては、以下のような印象を抱いています。

 「現代を~」の構成は、前半基本項目、後半その応用という流れで、前半は高校化学の延長を学びます、ただし、量子力学(原子軌道・分子軌道)は(当時の?)高校化学の範囲を圧倒的に超えていて、いきなり新項目を突き付けられる迫力です。

 

 英語を学ぶために、最初はABCと思ったら、次は、カンタベリー物語を原文で読みましょうぐらいの飛躍。

 

 いくつかの考え方は、別角度で確認したいですが、何度も読み込めば、なんとなく「こういうことなのかな」というところまでは辿り着きました。仮に、それが錯覚だとしても、それは次につなげるだけ。

 

 そして、その「基本項目」を踏まえた技術を活かしたものが後半に紹介されていて(繊維、医薬品や界面活性剤など)、この「基本→応用」という流れは、学び方の王道と言ってもいいのではないでしょうか。

 

 それが「現代を生きるための化学('22)」に抱いている印象です。

 学びの王道を踏襲しているので、「初歩から」なのではないかと考えています。ただし、放送が映像ではなく音声(ラジオ)科目なので、この点だけ、「初歩からの~」(テレビ科目で、重曹などの日常のものを使った実験や、講師とゲストのやり取りは見ていて楽しい)より敬遠されやすいのではと思います。

  一方、「初歩からの化学('18)」も、高校化学の延長として、量子力学を扱いますが、「現代を~」との違いは、その背景を探る(原理そのものを探求)という視点があり(私論)、これがただでさえ難解な量子力学を(やり直し組である個人的な立場からは)『白鯨』的・『城』的にしています。
 
 例えば、大学数学(の入門)に取り組む傍ら高校数学もやり直していますが、そこにある数字や記号の背景という方向ではなく、これらの数字記号を使って、こんなことができる・学べるという方向です。
 
 仮に、ここで、「複数(言語によっては複数形がある)」とは何か、「等号(=)はどういうことか」という考えを持つと、思索を深める方向性の種類が変わります。
 
 今のはかなり極端に記しましたが、初めて「初歩からの化学('18)」に触れた印象は、内容も初めてだが、考え方も「初めて」なので、大変というものでした(→ただし、この時点では「初めて」という気持ちを抱けない)。
 
 「なんだこれ、わからないけど、おもしろそうだな」
 振り返ってみれば、言えますが、学ぶ順番としては、やさしくないと思います。
 
 学問はやさしさとは別、確かにそうなんですが…、何をもって「入門」とするかは、学問としての広がり方や大学の学問観も関係しているのかなとも思います。ここまで来ると、「化学」だけでの問題ではなくなります。

 全く別の考えもあります。それは、学び方の多様性という点からすると、王道以外のルートがあるというのは、健全だというものです。むしろ、限られたパターンしかない状態に対しては、肯定的な見方はできないものではないでしょうか。

 

 日本語教育教材に『中級を学ぼう 中級中期』という本があり、第3課は「制服」です。学校の制服について、いい点・悪い点を語るという雑談から、本編に入ることが多いのですが、この課を扱うと、高校生のときの顔ぶれを思い出します。

 

 90年代前半は、現代のようなアイコン化はされていなかったと思いますが、「制服という権威」に対する生徒の距離の測り方は、「今思えば」様々でした。校則は厳しくなかったので、比較的自由だったと思いますが、もし画一的であったら、違う風潮だったと思います。

 話を戻すと、化学に対しては、「満足とは違うけど、アリ。じゃ、次どうなる?」というのが、5年学んで休学中の現在地です。

 

 ここまで来たからには、「お土産」は欲しいです。化学的な視点とでもいうのでしょうか。身近なもの・現象を化学的にとらえられる「もののみかた」です。文字にしてみれば、そりゃそうだろというものかもしれませんし、高校の科学クラブ・科学部で試行錯誤していれば、身についた物差しかもしれませんが、個人的には、中年を越えて到達したものです。もっと近くにあるもの。

 

 英語が上級者ではなくとも、すでに、English is a part of what I am であるように、在中国生活的时光已经是我心理上的背景 であるように、「文学的なもの」が、世界観の土台になっているように、「化学的なもののみかた」に向かって、残りの単位を意識します。

 まあ、自己評価はあてになりませんがね……

 サンクコスト効果ってこともあるし……

 その時は、それまでです。 

 

「植物の科学('21)」

「一汁三菜で食生活を豊かに」「食と健康('18)」

 冬に強いと言われる「ほうれん草」を始めました。

 夜はベランダから、室内に入れています。6日目で発芽しました。

 

 23年に受けていた面接授業で、紹介された「あすけん(食事管理アプリ)」は、今も使い続けています(無料版)。いつも、ビタミンAが少なめと表示されています。

 

 ほうれん草で、何を作ろうかな~