【備蓄NEWS】震災 自分の命どう守る 県内の10人に聞く(CHUNICHI web)
震災 自分の命どう守る 県内の10人に聞く
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20110410/CK2011041002000122.html
(CHUNICHI web)
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記事にもあるとおり大規模な震災により、買い込み騒ぎが起きる
「家庭を守るため」というならなぜ、災害を想定した準備をしておかなかったのか?
日常から食料備蓄の為に買い置き習慣をつけておくことが
改めて重要だと気がつかされる記事です。
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静岡県内の各自治体で避難所や防災計画の見直しが指摘され、スーパーやホームセンターで防災用品が飛ぶように売れた1カ月。備えと行動のわずかな違いが生死を分けた東日本大震災は、東海地震の発生を控える静岡県に痛いほどの教訓を残した。自分や家族の命をどう守るか、県内の10人に聞いた。 (報道部・原田遼)
「家具を固定するなど、地震の備えはしてきたが、津波があれほど恐ろしいとは」。静岡市葵区の団体職員加山勤子さん(47)は津波の映像を思い出す。
三陸地方は過去に何度も津波の被害に遭い、住人の避難意識は高い地域。だが指定避難所が津波より低かった、車で避難したら渋滞に巻き込まれた、長期間の避難生活を予想し、重たい荷物を持ち出した-などの行動が裏目に出て、波にのみ込まれた例も報道された。
震災後、県内の家庭では防災バッグを準備したり、夜間の発生や停電に備え、懐中電灯やラジオを枕元に置いたりして、素早い避難を心掛ける動きが見られる。
海岸から2、3キロの場所に家族5人で住む浜松市南区の画家内山ヒロ子さん(64)は震災時、市内北部の親戚宅へ避難したが、持っていけたのは現金や通帳など貴重品だけ。「実際に行動してみて、持って出る物はちゃんと準備しないと」と考え、非常食やラジオ、衣類など防災リュックを5人分そろえた。
行政に頼らず、避難場所や避難経路を見直す家庭もあった。海岸から3キロに住む富士市の赤沢真実さん(19)は指定避難所が公園のため、家族で非常階段がある近くの高層マンションに避難することに決めた。避難経路も、道路が広いほど津波のスピードが速かったという報道を見て、細い道を使って避難できるルートを確認した。さらに渋滞も予測して、家で原付きバイクを1台購入した。
日々の生活から見つめ直す例もあった。山田よし子さん(62)は東海地震で県内で最も大きな津波被害が想定される沼津市の海沿いで民宿を経営する。震災後はすぐに外に出られる茶の間で寝起きするようになり、急な石段を上った高台にある神社に避難できるように毎日のウオーキングを始めた。
浜岡原発近くに住む菊川市の主婦増田美奈子さん(44)は地域の母親クラブで防災の勉強会を開き、電子器具を使わずに食事を作る方法を学んだ。「地域での助け合いが大事。日ごろから近所付き合いを密にしたい」と、暮らしを見つめ直した
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20110410/CK2011041002000122.html
(CHUNICHI web)
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記事にもあるとおり大規模な震災により、買い込み騒ぎが起きる
「家庭を守るため」というならなぜ、災害を想定した準備をしておかなかったのか?
日常から食料備蓄の為に買い置き習慣をつけておくことが
改めて重要だと気がつかされる記事です。
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静岡県内の各自治体で避難所や防災計画の見直しが指摘され、スーパーやホームセンターで防災用品が飛ぶように売れた1カ月。備えと行動のわずかな違いが生死を分けた東日本大震災は、東海地震の発生を控える静岡県に痛いほどの教訓を残した。自分や家族の命をどう守るか、県内の10人に聞いた。 (報道部・原田遼)
「家具を固定するなど、地震の備えはしてきたが、津波があれほど恐ろしいとは」。静岡市葵区の団体職員加山勤子さん(47)は津波の映像を思い出す。
三陸地方は過去に何度も津波の被害に遭い、住人の避難意識は高い地域。だが指定避難所が津波より低かった、車で避難したら渋滞に巻き込まれた、長期間の避難生活を予想し、重たい荷物を持ち出した-などの行動が裏目に出て、波にのみ込まれた例も報道された。
震災後、県内の家庭では防災バッグを準備したり、夜間の発生や停電に備え、懐中電灯やラジオを枕元に置いたりして、素早い避難を心掛ける動きが見られる。
海岸から2、3キロの場所に家族5人で住む浜松市南区の画家内山ヒロ子さん(64)は震災時、市内北部の親戚宅へ避難したが、持っていけたのは現金や通帳など貴重品だけ。「実際に行動してみて、持って出る物はちゃんと準備しないと」と考え、非常食やラジオ、衣類など防災リュックを5人分そろえた。
行政に頼らず、避難場所や避難経路を見直す家庭もあった。海岸から3キロに住む富士市の赤沢真実さん(19)は指定避難所が公園のため、家族で非常階段がある近くの高層マンションに避難することに決めた。避難経路も、道路が広いほど津波のスピードが速かったという報道を見て、細い道を使って避難できるルートを確認した。さらに渋滞も予測して、家で原付きバイクを1台購入した。
日々の生活から見つめ直す例もあった。山田よし子さん(62)は東海地震で県内で最も大きな津波被害が想定される沼津市の海沿いで民宿を経営する。震災後はすぐに外に出られる茶の間で寝起きするようになり、急な石段を上った高台にある神社に避難できるように毎日のウオーキングを始めた。
浜岡原発近くに住む菊川市の主婦増田美奈子さん(44)は地域の母親クラブで防災の勉強会を開き、電子器具を使わずに食事を作る方法を学んだ。「地域での助け合いが大事。日ごろから近所付き合いを密にしたい」と、暮らしを見つめ直した