Startin' over… -18ページ目
教室を破壊するのは勝手だが、同時に賃金までむしりとろうとするのはいかがなものか。

暇人、仕事ができない故の忙しいアピールは、ただでさえ周りの人間を疲弊させるが、
それを顧客側に誇示するとは、接客業の常識からあまりに乖離していて理解に苦しむ。

あいつも、藤原先生も、鼻で笑う始末。
自分のためだけに働く人間を軽蔑する、ごく一般的な感覚を持っているのだろう。
またできない奴はできないなりに、仕事のできる、正確には”やる”人間に嫉妬の情を向け続けるばかり。
威圧的とまでは言わないにしろ、それに負けて泣いてしまう女の子が出てもおかしくない。
藤原先生を守る。
それが私のすべき仕事だと認識した。

「お疲れ様。今日的外れなこと言われなかった?」
「え、あの子にですか。」
「いや。社員スタッフもろもろから。」
「だい、じょうぶでしたけど。」

ただ知っている。
彼女の指導力の高さと大学受験生を担当しているという事実。
中1の数学さえままならない人間からしたら、どうやら羨ましいらしい。
本来は社員の怠惰、未確認故に起こったミス。
また規定通りに行動した講師に責任をなすりつける。
裏でやるならまだしも、生徒さんに、お客様に聞こえるように”藤原”の名前を出し、いない所で糾弾する。そんなにも彼女を下げてでしか自己の価値を保てないのか?
接客業として失格だ。
彼女の教え子はどう思う?
そんな考えるまでもないことさえ考えられない人間は、即刻賃金を頂いている自己を否定し、消えるべきである。
そもそも、ミスの原因が社員にあることさえ認識できていない。
思考力と洞察力に疑いを持ってしまう。
使えない上司に恵まれた故に使えないスタッフが稼働している。
使えない人間は、使えない部下しか使えない。


薬学部に合格した生徒さんがいらっしゃった。
「こんにちは。」
「おおー、こんにちは。元気だった。」
「はい。私、今日最後なんです。」
「あら、寂しいわ。」
「先生本当にお世話になりました。」
「いやいや、夏期講習の短い期間だったけど。」
「先生と一番英語勉強したんで。」
と言っても、夏の4コマのみ。
「添削とか本当に助かりました。」
「一人じゃなかなか難しいよね。あれ、仮定法でif使わない場合のやつとかわかってもらえたとき、
すごい嬉しかったよ。」
「ほんと先生他の子のこととかいっつも気にしてて、あの人と違って。」

目線の先には言うまでもなく、一番顧客から料金を搾取している人間。

これは自慢に響くかもしれないが、事実である。
生徒さんから頂いた言葉だ。
お金を頂き生活を保証して頂いている故にやった、私ができることによるものらしい。

生徒さんとは、お客様とは、教室の実情を映す鏡である。
それに対し、自分の虚栄心を満たすためにお客様を利用するが故盲目になる。
残念ながら、社会には、会社には、そんな類いの恥ずかしい人間がはびこっているらしい。
「待ってて。」

その一言で、すべては伝わる。
残っている生徒さんを送り出し、無駄を創出した故に残業をしている社員を残し、そそくさと上がった。

「あれ?いない」

いつもの暗がりの中に入っても、あいつの姿は見えない。

「嫌だったのかな。」

だが歩き進めると、
遠くに細身のすらっとした陰から視線を向けられるのを感じた。

近づいてみて見ると、カーキ色のアウターにいつものリュック。
陰に同化している。
さらに遠い場所で待っててくれた。
こちらの都合をよく考えている。

「ごめんね。」
いっしょに歩き出す前に必ずそう言うけど、いつも返事は無く黙っていっしょに歩いてくれる。


「昨日、何とかなったよ。」
「そうなんだ。」

嫌な飲み会だった。信頼できる人間との関係を深める、信頼できる仲間を増やす。
そのために講じられる手段として、なけなしの知恵を絞った結果飲み会を開いた。
故に仲間では無い人間には極秘にする必要がある。
嫌いな人間にほど笑顔、軽蔑している人間ほどほめちぎる。
そんな私の性格の悪さを見抜けない人間が厄介だ。
何を言おうお金を頂いている自覚が無い人間は軽蔑する。
自己満足のために子供を踏み台にしてしか優越感を得る事ができない人間は、即刻教育サービスの現場から消えるべきだと思う。
この信条が揺らぐ事は無いだろう。

「ねぇ、あなたはバイト先の飲み会行くの?」
「たまに。」
「ここ2ヶ月では?」
「行ってない。最後に行ったの去年の2月とかだもん。」
「だよね。」
受験生だもん。
「次の日きついから行かない。」

昨日、あいつと同い年の小坂先生にどれだけ飲ませただろうか。
こんなにも立場とは不条理で残酷。

「そういえば、あのスープってどうやってつくるの?」
「味噌だよ。」
「辛みある?」
「うん、それと唐辛子いれる。」
「辛いの平気?」
「まぁまぁかな。お客さんでめっちゃ味覚障害っぽい人いて、MAX辛くしても、甘いとか言い出す。」
「やばっ。」
「おかしい。」

笑い合うことはあっても、最近ますます目を合わせられない。
恥ずかしいのか、悟られたくないのか。


無理矢理曲がろうとして、あいつの胸に近づいた。

「え?」
「買い物してく。」

一人量販店に向けて足を向けた。



「こんにちはー。」

ふいに貫く視線は、網膜を通り越し、一糸まとわぬ心を見られたようで
授業に集中するふりをして思わず顔を背けてしまった。

そこにあるメッセージを読み取れた。
その一撃で、私の中に強烈な感情を宿したのは確かだ。
どう解読していいかを知っているにもかかわらず、そうすることを諦めてみる。


精神的に限界で、といってもいつものことで、
どうせまたどうにかやっていくのでしょうと思われるのが悲しくて、
どう荒れていいかに悩み、ただ酒で神経を麻痺させる他なかった。


夜を迎えるのは厄介だ。
何か緊張の緒が切れたのか、それとも改善されない現状を諦めたのか、
それとも単に正直に生きるという大義でもって楽な方向に流れたいのか、
よくわからない。

「お待たせ。」

たった2コマ。そのためにほぼ5時間。
なんでだろう。今日は暇になるはずだった。

「これ。新しいのです。」
「あざーす。」
「変更点は2カ所。
英語の暫定授業4回分は、必要があれば現代文でもやらせて頂きます。
あと日本史は3月分を補填するので講習は2回分です。」
「はい。っていうかねー、やっぱそうだと思ってたよ。
2月現代文無いのは暫定とりあえず英語で組んでるからって予想してた。」

全く、その通りでございます。
いつからだ?こんなにもこちらが、というか私が考えていることを読み取れるようになったのは。
少しでもセンターの得点に結びついて欲しい。

「それじゃ、これ保護者の方にお渡し下さい。」
「はい、じゃここいれとく。」
あいつが昨日渡したクリアファイルに提案表を入れようとする。
「ちょっと待って、古いのとまじる。」
「いやわかるよ。」
「書いておくよ、新って。」
「いや、わかるでしょ。」
「いいの!かしてっ。」
”改訂版”と左上に記入し、一言メッセージを添える。
あいつが書き終わるのを待っている。
「英語の方はどう?」
「ネクステやった。」
「そう。」
本当なら桐原の1100とDUOの両刀使いが最強だと思うが、一度手をつけた参考書だ。
おまけにシステム英単語との併用。
補うべき知識は多い。
「H大の2011、解いておいてね。読解の方。」
「はーい。あ、あとね国語やったよ。」
「どれ、見せて。」

センター2008の論説。
「あら、8割越え。」
「うん、ここだけ間違えた。」
「納得したの?授業で解説必要?」
「傍線部の前に書いてあった。大丈夫。」
「そっか。次小説解いてみな、この年の。」
「うん。得点が安定しない。」
「うーん、一問落とすと痛いからね。」
「ほんとそれ。漢字とかなら大したことないけど、読解一個落とすと8点だからやばい。」
2点でもそこそこの痛手なのだから、論説での失点は打撃である。
伊藤先生曰く古文の得点率はよろしくないようなのだから。


とても明日は大学に行けるような状態では無い。

「ねぇ。」
「なに?」
「今日めっちゃ雨やばかったじゃん。」
「そうだね。」
「バイトの帰りめっちゃ濡れたの。」
「それ昨日じゃない?」
「あ、そう。でも今日もやばかった。」
「そだね。」
「リュック濡れてね、乾かしたけどにおいとれなくて、ファブリーズかけてもとれなくて、
めっちゃ萎えた。」
「洗っちゃえば?」
「洗えるのかな?」
「合皮だと多少表面の劣化早くなると思うけど、気になるなら洗う価値はあるかも。」