今年最後の試験が終わった。山が当たって30分で書けた。なんとなく徒労感。

次、何しようか。とりあえずは年末までのダイエット。がんばろう。

学生の頃はドトールさえ、贅沢だったのに。今はすんなり入れて。
そうやってちょっとずつ満たされて。満たされすぎてたことを放ってたのかなーと、ドトールにて思う。

コーヒーに救われて。
お腹もすいてないのに甘いものでお腹を満たして。贅沢もいいとこ。そりゃやせないよー。

試験明けなのに気が晴れないのは、週末に飲んでしゃべりすぎたから。
勉強しても人格は形成されないもんだな。

お酒の席でいない人のこと、あーだこーだいうの辞めよう。ホント、阿呆。

来年はこういう後悔がなくなるように。本じゃなくて人から学ぼう。

ごめんなさい。神様。

すみません。
そう書いて、下書きに入れていた書きかけのメールの続きを考える。

そんときのテンションで書いてたら潜れただろうが、もう日が経って、なんでこんなことを書いたのか、思い出せない(泣)。だから思い出しつつも、今の私で考えてみたい。

「安い涙」は、私の涙もろさに対して言われたこと。似たようなことが芸人さんのブログにも書いてあった。感動って何だろう。

人の話で泣ける、すぐ感情移入できる人は、贅沢な感情の持ち主、汗と同様に単なる代謝がいいとか、いろいろ考えられる。ぐっとくる話に感化されること自体は、悪くないと思うけど、なんでも涙してしまうのはいかがなものかと。それは分かるし、人前で涙できるのは、図太いなぁとは思うけど。
泣ける話もそれなりに、その人自身で選別されていると思うけどなぁと。

泣くことを否定してしまわれると、行き場のない思いが痛々しく心に残る。そう思うと、初めから「泣ける話」と称するものは、痛々しい思いをお前も味わえよっていう強要にも思えてくる。「こんなこと、どう思いますか?」と見る人自身に委ねるようなもので結果的に泣くんならまだしも。
見ないことだな。
どーよってのもワカルケド、泣けてくるんだからしょうがないさ。偽善っぽくても。本当だし。

多分あんまりも哀しかったら、辛かったら泣けないタイプだと思う。

そんなことだったっけな、これって。

「無責任」
昔お世話になった人に偶然合った時に、挨拶ができていないのがず~っと心残りで。
一緒になる機会になったときに、ありがとうと言えない自分の無責任さが本当に嫌だなと。もう、そういうことをしたくないし、そうしたことがあったら勇気を出して、挨拶しよう。と、トークのエピソードを聞いて思った次第。

人生は短いとかいうけど、ぜんっぜん!
10年やそこらでも変わらない、そんなに。
皆覚えているもんだよな。
昔のことが同じように繋がってる。
そこで終わりではないから、後々のフォローがおぼつかないと結果的に「無責任」になっちゃうなぁと。だから、丁寧に、できることをちゃんとやる。今日をもって、次からそうしたいです。