現状に当てはまる寓話 | ほうしの部屋

ほうしの部屋

哲学・現代思想・文学・社会批評・美術・映画・音楽・サッカー・軍事

 

 ジョージ・ソーンダーズの中編小説『短くて恐ろしいフィルの時代』を読了しました。

 著者ソーンダースは1958年にアメリカのテキサス州で生まれました。大学で地球物理学を学び、石油採掘、ドアマン、屋根職人、ギタリスト、コンビニ店員、工場勤めなど、職を転々として、大学の創作科に再入学しました。卒業後に、創作の教鞭をとりながら、作品を発表し、現在までに短編集、中編、絵本、ノンフィクションなどを発表しています。マッカーサー賞、グッゲンハイム賞などを2006年に受賞しています。「小説家志望の若者に最も文体を真似される小説家」と呼ばれています。本作品は、2005年に発表された、4冊目の著作です。

 本作品はいわゆる寓話です。国民が一人しか住めない極小の国と、その隣の巨大な国との対立が描かれています。国境に現われた、一人の異形の男が、脳がラックから外れるたびに、熱狂的な演説で人々を魅了し、彼は独裁者にのし上がっていきます。国境管理、税金徴収、武力衝突、反乱者の処刑、無能なかつての大統領の姿などなど、冗談めいていながら、背筋の寒くなるような話が展開していきます。

 

 それでは本作品の内容を紹介します。

 

「内ホーナー国」の小ささときたら、国民が一度に一人しか入れなくて、残りの六人は「内ホーナー国」を取り囲んでいる「外ホーナー国」の領土内に小さくなって立ち、自分の国に住む順番を待っていなければならないほどでした。国境のあっち側とこっち側で、敵意のこもった視線や、聞こえよがしの悪態や、ときには面と向かって罵声が飛び交う状態が、もう何年も続いていました。「外ホーナー国」の国境警備員は、「内ホーナー国」の領土が狭くなり、体の四分の三を「外ホーナー国」にはみだした男を咎めました。フィルという外ホーナー人が、税金を取ればいいのだと提案します。この世界の多くの住人と同じく、フィルも異形の持ち主でした。内ホーナー人の女性に恋をしてフラれて、おまけに、彼の脳を巨大なスライド・ラックに固定しているボルトがときどき外れ、脳が地面にどさっと落ちてしまうのでした。フィルは立派な演説をして、「外ホーナー国」の国境付近にいる人々を感嘆させ、人々のリーダーになります。内ホーナー人たちは、「外ホーナー国」の国境付近に作られた一時滞在ゾーンにいて、数学の証明問題を出し合って入国への待ち時間を潰していました。そういう彼らよりも体が大きく屈強な外ホーナー人たちは、頭よりも体にものを言わせていました。内ホーナー人たちから徴収できる金がなくなると、フィルたちは、「内ホーナー国」の土壌や水、リンゴの木などを奪い去りました。内ホーナー人たちは、「外ホーナー国」の大統領に宛てて抗議文を送りました。太って口ひげが十五もある大統領に面会したフィルは、「一時滞在ゾーン取税法」だといいます。その法律は、世論調査で支持されました。フィルは、国境安全維持特別調整官に任命されました。内ホーナー人たちが自国に留まるために、体を積み重ね合って塔になっていましたが、塔が崩れて、多くの内ホーナー人たちが、「外ホーナー国」に入り込みました。フィルたちは、内ホーナー人たちを包囲して、税金として、服を脱がせて奪いました。反抗的で逃亡を図った男を捕まえて、解体してバラバラの部品にして、国の各所にばらまきました。そして、反乱しそうな内ホーナー人を懐柔するために、税金免除デーを制定し、首都に向かって凱旋しました。実は、平和主義の大統領に、内ホーナー人を解体したことの事情を説明するように求められたのです。その途中で、フィルは、二人の屈強な巨人をボディーガードとして雇いました。フィルは大統領に、暴動を抑止するために、逃亡者を解体した旨を説明しました。そして、大統領宮殿を、屈強な巨人のボディーガード二人に運ばせて、自分の地所に宮殿を移してしまいました。フィルは、大統領職を無理矢理譲り受けました。そして国境地帯改善プランを発表し、仲間たちに同意の署名をさせました。メディアの連中がやってきて、フィルに対して提灯記事のタイトルをいくつも連呼しました。その頃、「外ホーナー国」を幅十五センチほどの帯状の輪となって取り囲んでいる「大ケラー国」では、新大統領フィルのことが話題になっていました。平和主義で国民の幸福度を重視する「大ケラー国」では、フィルの蛮行の数々が快く思われておらず、「外ホーナー国」とフィル政権に対して軍事介入することが決定されました。フィルは、新しい法律に基づいて、収容所を造り、内ホーナー人たちを収容しようとしていました。そして、「内ホーナー国」に川を引き、魚を泳がせました。収容所に入れられた内ホーナー人たちは、五日分の税金を前倒しで徴収されることになりました。フィルの部下たちの中には反対する者もいましたが、容赦なく解体されました。しかし、内ホーナー人たちの騒ぎで、フィルの脳を収めたラックが振動しはじめ、フィルの言語能力が異常をきたし始めました。そこに、「大ケラー国」の部隊がやってきて、フィルたちの部隊を蹴散らし、内ホーナー国民たちを解放しました。フィルの脳はラックから滑り落ち、フィルは言語能力、思考力を奪われて、倒れました。内ホーナー人たちは、外ホーナー人たちを襲い始めました。そこに、天から、創造主の巨大な手が現われて、外ホーナー人たちと内ホーナー人たちを解体し、その部品を使って新たな人々を創り出しました。フィルの部品だけは使われませんでした。フィルの部品は、墓に埋められ、悪の権化を象徴する墓標が埋め込まれました。内と外のなくなった「新ホーナー国」で、新しい住人たちは、幸せに暮らしました。

 

 ストーリーはざっとこのようなものです。

 

 SFテイストのある寓話として書かれていますが、現実に存在する(存在した)独裁者や侵略者のメタファーになっているのは一目でわかります。例えば、ナチス・ドイツのヒトラーによる、老齢なヒンデンブルグ大統領からの権力奪取、近隣諸国への侵略、ユダヤ人迫害、それに対する周辺国の介入による第二次世界大戦などが、念頭にあったのは明らかでしょう。著者の念頭には、ヒトラー以外にも、ルワンダやボスニアの内戦、9・11テロを発端としたテロとの戦い、その名目でのイラク戦争などがあったようです。極端に抽象化されているため、色々な現実の事象に当てはまるように読めます。現在の、ロシアによるウクライナ侵略、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への侵攻なども、イメージできます。一介の凡庸な市民が、いかに野望を巡らせて、国家指導者レベルに登りつめるのかが描かれています。提灯記事しか書かないメディア、多くの無関心な市民たちの責任でもあります。独裁者フィルという人物に象徴される、悪しき国のリーダーは、どのように生み出され、どのように支持されるようになるのかが、彼を取り巻く人々の言動も交えて、克明に述べられています。

 同じ民族同士が、ふとしたきっかけで築かれた国境線を境にいがみあうようになる状態、そこに出現する独裁者の恐怖などは、世界各地で過去にも現在にも繰り返し起こっていることです。一般市民が立ち上がって融和を図り、幸福に共存できればよいのですが、なかなか難しいものです。そこで、本作品では、天から創造主の手が現われて、市民を造りかえるように描かれていますが、そういう「神頼み」にでもしないかぎり、問題解決が困難な事態が多いのは、悲しむべきことでしょう。悪しき指導者に対して市民が良識を持って立ち上がり、対抗するという意識の大切さが痛感されます。世界を極度に単純化し、対立を煽り、憎悪と分断の社会を作り出す、あらゆる人間の罪悪の象徴が、フィルという独裁者に集約されているとも読めるでしょう。