『イギリス人の患者』小説版と映画版 | ほうしの部屋

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 マイケル・オンダーチェの長編小説『イギリス人の患者』を読了しました。

 著者のオンダーチェは、1943年セイロン(スリランカ)の生まれで、カナダに渡ってトロント大学を卒業、クイーンズ大学で修士号を得ました。1970年に『ビリー・ザ・キッド全仕事』でカナダ総督文学賞を受賞。1992年に発表した本作品『イギリス人の患者』がカナダ総督文学賞とブッカー賞を受賞。その後に発表する作品も、数々の文学賞に輝いています。2016年に、カナダ勲章の最高位にあたるコンパニオンの称号を授与されます。2018年、ブッカー賞50周年を記念して歴代受賞作から最高の作品を選ぶ、ゴールデン・マン・ブッカー賞を、本作品『イギリス人の患者』が受賞しました。ブッカー賞といえば、世界的に権威の高い文学賞であり、その歴代受賞作の中のナンバーワンに輝いたわけです。本作品は『イングリッシュ・ペイシェント』という原題で、1996年に映画化され、アカデミー賞で作品賞をはじめ9部門を受賞しました。映画は、原作を下敷きにしているとはいえ、全く異なる作品として観るべきだと言えます。そこで、今回は、本作品『イギリス人の患者』を読み、さらに映画『イングリッシュ・ペイシェント』を観て、双方を比較する形で内容紹介したいと思います。

 1945年の第二次大戦終結間近のイタリアの、ナチスが去って打ち捨てられた丘の屋敷に、二人の人物が暮らしていました。一人は全身に火傷を負ったイギリス人らしき身元不明の男です。もう一人は、男の面倒を見る若い看護師のハナです。ハナは男の身体を洗い、砲撃によって穴だらけになった図書室から本を持ち出してきて男に読み聞かせます。そこに、ハナの父親の友人で、戦争の最中に拷問で両手の親指を失った、カラバッジョという男が加わります。カラバッジョは、元泥棒ですが、その腕前を買われて、連合軍の秘密工作員として雇われていました。さらに、インド出身のシーク教徒の工兵キップ(キルパル・シン)が加わります。キップは各地で地雷や不発弾の処理を行っており、ハナたちのいる屋敷をねぐらにして、屋敷や周辺の不発弾や地雷の処理を行っていました。この4人の人物が、コミュニケーションを交わし、回想にふけったり、思い出話を語る流れになっています。次第に、イギリス人の患者の素性が知られていきます。しかし、物語は、4人各々の回想や想像などが断片的に出てきて、なかなか本筋が見えにくい構造になっています。時には随想的に、時には詩的に、語りは表現され、読者がストーリーの概要をつかむのに非常に苦労する内容になっています。それでも、戦争が4人にもたらした傷、各々の人物が抱える心の傷などが見えてきて、何とも言えない特殊で深い読後感をもよおすことになります。

 それでは、本作品の内容を紹介します。しかし、本作品は、あらすじをつかむのが非常に困難な構成になっています。各々の回想や独白が断片的に重なり合っており、それを一本の線的ストーリーとして成立させるのは困難です。そこで、ごく大雑把な概要を述べるにとどめます。興味を持った方は、本作品を通読してみてください。ついでに映画版も観てみることをお薦めします(DVDも出ています。まあ、映画版はアカデミー賞を総なめにした有名作品ですから、観たことのある方も多いことでしょう)。

 第二次大戦末期のイタリア、フィレンツェの北、トスカーナの山腹に立つ元尼僧院のサン・ジローラモ屋敷が舞台です。連合軍が立て籠もり、ドイツ軍を撃退しました。ドイツ軍が北へ逃げ、戦争が終結に近づくと、この屋敷はうち捨てられました。ここで4人の男女が出会います。若い看護師のハナはカナダ出身ですが、この戦争で、幼い子供を亡くし、父を亡くし、何百人という兵士たちの死を看取ってきました。撤退するドイツ軍を追って連合軍が北上していき、うち捨てられた屋敷にハナはとどまって、一人の患者の面倒を見ています。その患者はイギリス人らしく、全身にひどい火傷を負い、顔の見分けもつかず、本当にイギリス人なのかどうかも疑わしいのです。ハナは、イギリス人の患者の体を洗い、包帯を取り替え、食事を与え、モルヒネを投与し、不眠の患者のために、砲撃で崩壊した図書室から持ってきた本を読み聞かせます。図書室で古びたピアノをたまに弾いてみました。ハナはもう大いなる大義のためなどで行動しない、ここにいる一人の患者の面倒だけを見る、と誓っていました。

イギリス人の患者は、穏やかな口調で、ハナに自分のことを語ります。飛行機の墜落で、燃えながら地面に落ち、砂漠の民であるベドウィン族に助けられたといいます。患者は、書き込みや貼り付けた切り抜きで膨らんだ、ヘロドトスの『歴史』を持っていました。ハナはその書き込みを読み始めました。患者は、どこにいても自分がどの町にいるかすぐにわかると言います。砂漠の中で鍛えられた方向感覚です。患者は、ベドウィンが砂から掘り出した何丁かの銃の使い方を教えたといいます。

そこに、ハナの父親の友人だったカラバッジョがやってきます。街の病院でハナの噂を聞いて、この屋敷にいることを知ったといいます。カラバッジョは元泥棒で、その特技を買われて連合軍のスパイとして活動していましたが、ドイツ軍に捕まり、拷問を受け、両手の親指を失っていました。拷問の後遺症に苦しみ、モルヒネ注射の中毒になっています。カラバッジョは何度も拷問のフラッシュバックに苦しめられます。盗むものもない屋敷で、カラバッジョの関心はハナに集中し、そのハナはイギリス人の患者に結びついています。イギリス人の患者は、安全なピサの病院に移ることを拒否しました。そしてハナも不発弾や地雷だらけの危険な屋敷にとどまることを決意しました。ハナは、イギリス人の患者は、絶望した聖人であり、自分が守ってやらなければならないとカラバッジョにいいます。ハナは看護師の制服を脱ぎ、ドレスを着てスニーカーを履いていました。戦争からおりたことを示す服装でした。ハナは、軍隊が牧師でなく看護師に、死にゆく兵士を看取らせていることに憤慨していました。イギリス人の患者は、この部屋は、有名なイタリアの文学者であるポリツィアーノの部屋だったに違いないといいます。

さらに、もう一人、インド人でシーク教徒のキップ(キンパル・シン)が屋敷に現われます。キップは連合軍の工兵で、地雷や不発弾の処理を担当していました。それは死と隣り合わせの毎日であり、自身はイギリスに惹かれていますが、故郷には過激な反英主義者の兄がいます。キップはハナが弾くピアノの音に惹かれて屋敷にやって来て、メトロノームの刻む音に、爆弾の時限信管の時計を重ね合わせていました。キップは屋敷の庭にテントを張ってそこで暮らし始めます。工兵は自立自存、他人の助けを必要としません。キップは、次々と、屋敷の各所に残された、不発弾や地雷や仕掛け爆弾の処理を行っていきます。イギリス人の患者は補聴器を使うようになり、屋敷内の出来事を全て感じ取っていました。そのおかげでキップの存在も知るようになりました。イギリス人の患者は、銃器や爆弾の構造に精通しており、それでキップと気が合い、爆弾を分解して信管などの構造について意見を交わすようになりました。イギリス人の患者は、ベドウィンに救われてから連合軍に引き渡されたことを話します。博識でドイツ語にも堪能だった患者は、ドイツ軍のスパイかという嫌疑もかけられました。しかし、結局は、肌は真っ黒に焼け焦げているが、どうやらイギリス人らしいという周囲の見立てに行き着きました。敵なのか味方なのかわかりませんでした。屋敷の北側の山腹で、キップが大きな地雷を見つけました。キップは鉱石ラジオで音楽を聴き、それで時間感覚を保ちながら、地雷の信管のワイヤー群に立ち向かいました。キップが止めるのも聞かず、ハナが手伝いにきました。キップはどうにか正しいワイヤを切断して地雷を無力化しました。ハナは、死ぬかと思った、どうせ死ぬなら、あなたのような若い人と一緒に死にたいと思った、と言いました。ハナはキップの腕枕で眠りました。キップは女への責任感を負わされたように感じました。カラバッジョが蓄音機を見つけてきて、イギリス人の患者の部屋でレコードをかけて、カラバッジョとハナとキップは踊りました。その時、キップはコルダイト火薬の臭いを感じて、近くで地雷が爆発したことを察知しました。屋敷を出たキップは、地雷処理に失敗して死亡した部下を埋葬して、戻ってきました。キップは地雷処理の現場に女(ハナ)を立ち会わせたことを後悔していました。カラバッジョはかつて二重スパイをでっちあげる訓練を受けました。しかし、この屋敷では、他人の真実を探る以外に、身を守る術はありませんでした。カラバッジョは、ハナに、ハナが愛しているキップに爆弾処理の仕事をやめさせるように説得しようとしましたが、ムダでした。ハナとキップの間柄は、つかず離れずの状態が続きました。イギリス人の患者は、ハナを聖人のように思っていました。

イギリス人の患者は、南カイロを中心とした1930年代の自分の過去を振り返りました。1939年、リビヤ砂漠探検の偉大な十年間が終わり、広大な沈黙の地域は戦場になりました。1930年に、イギリス人の患者たちは、幻のオアシスの町ゼルジュラを探していました。何度も砂嵐に襲われ、砂漠の町エル・タジにようやく到着しました。1931年、イギリス人の患者は、ベドウィンのキャラバンに加わりました。1932年~1934年には、探検の仲間たちは各地に散っていきました。イギリス人の患者は、国は人をいびつにすると考え、国や国籍を憎むようになりました。イギリス人の患者は仲間とともに、ゼルジュラを探して砂漠を旅しましたが、めぼしい収穫はありませんでした。彼らは若く、権力や財力は一時のものであることを知っており、ヘロドトスに共感していました。ジェフリー・クリフトンという若者が、妻を連れてアフリカにやって来て、イギリス人の患者の仲間に加わりました。回想がここまできて始めて、イギリス人の患者は、自分の名前がアルマーシであることを明かしました。アルマーシの仲間に加わったジェフリーは飛行機の操縦ができました。1936年、アルマーシの一行は、飛行機で、探検に乗り出しました。数ヶ月後、アルマーシは、カイロでのダンスパーティーで、ジェフリーの妻キャサリンと踊りました。二人は不倫の恋に落ちました。

キャサリンは嘘は嫌いだといい、アルマーシに抱かれたことを夫に打ち明けるといいます。生真面目な夫ジェフリーは、妻キャサリンとアルマーシの不倫を知ったら気が狂ってしまうだろうとキャサリンはいいます。アルマーシもまた、キャサリンを失うことなどできないと思っていました。アルマーシとキャサリンは逢瀬を重ねました。しかしついに、キャサリンはこれ以上夫を裏切れないといい、アルマーシと別れることを告げます。

イギリス人の患者アルマーシは、ハナが与えるモルヒネ注射で夢見心地になりながら、回想を続けます。カラバッジョがハナに話したことによると、イギリス人の患者は実はアルマーシ伯爵というハンガリー人で、失われたオアシスであるゼルジュラを探してアフリカの砂漠を探検して、戦争中は、ドイツに協力してスパイの案内人をしていたというのです。ドイツのロンメル将軍の部下のスパイを案内した後、行方知れすになったといいます。アルマーシが飛行機の操縦もできたということが、墜落で全身火傷を負ったことの裏付けになるといいます。カラバッジョは、イギリス人の患者アルマーシに、モルヒネとアルコールの混合物であるプロンプトン・カクテルを与えて、さらに話を聞き出そうとします。アルマーシは、1942年の夏に、エジプトとリビヤの国境地帯を飛行機で飛んでいたといいます。その地まで彼らを運んだトラックは、ベドウィンの破壊工作で爆発炎上しました。しかし、アルマーシは、近くに飛行機が埋まっていると覚えていました。その近辺の洞窟で、アルマーシは女性のミイラを確認します。それは不倫相手のキャサリンでした。それより3年前に、嫉妬に狂ったジェフリーが、アルマーシとキャサリンを乗せた飛行機を墜落させて自殺しました。キャサリンも重傷を負い、アルマーシが洞窟まで運びました。

キャサリンを残して、助けを呼びに一人で砂漠を歩いたアルマーシは、一人だけ助かりました。彼は3年経って、キャサリンのもとへ戻ってきたのでした。アルマーシはキャサリンのミイラを抱いて、埋もれた飛行機のもとへ行きます。飛行機を掘り出して、キャサリンを抱いたまま操縦席に座りエンジンをかけました。飛行機は離陸しました。しかし、エンジンオイルが漏れ、各所に不具合が生じて、飛行機はまともに飛べませんでした。乾燥したキャサリンのミイラは崩れて風に舞いました。諦めたアルマーシはパラシュートを身につけて、墜落寸前の飛行機から飛び降りました。その時、アルマーシは自分の全身が火に包まれていることに気づきました。イギリス人の患者アルマーシの告白はこのようなものでした。カラバッジョとキップは、食料庫から盗むコンデンスミルクに夢中になり、親しくなった見返りに、キップは自分の過去を語りました。キップは、イギリス本土で爆弾処理の技術を習得しました。自分の尊敬する師匠だった人物は、爆弾処理の最中に、爆発事故で亡くなりました。ドイツ軍は、イギリス本土を爆撃し、様々な種類の時限信管を付けた爆弾を投下しました。信管を外さないと、爆弾は爆発の危険にあります。その信管に様々なものがあり、キップは、ほとんど行き当たりばったりで、処理に当たりました。過去の知識や経験が役に立たない場合もあり、一か八かの運試しで生き延びると、それは新しい信管の処理方法として連合軍全体に情報伝達されました。

キップの思い出話が終わると、キップのテントにハナがやって来て二人は抱き合いました。キップは、すべてを変化する調和の一部としてとらえ、時間がちがい、場所が変われば、ハナの声も性格も、その美しささえ変わる、海に漂うボートのように、その運命は、背景の海の力に守られ、あるいは翻弄される、と思いました。その頃、再びモルヒネの力を借りて、イギリス人の患者アルマーシから、砂漠での出来事の詳細を聞いたカラバッジョは、キャサリンとの悲劇的な恋愛劇を聞かされて、結局、アルマーシが何人で戦争中どっちの味方だったのかなど、どうでもよくなってきました。カラバッジョは、キャサリンの夫のジェフリーが実は航空写真家でイギリス軍の情報部とつながっていたということをアルマーシに伝えました。アルマーシとキャサリンの不倫のことも、情報部には筒抜けだったといいます。アルマーシがジェフリーを殺したという疑いが浮上し、その時点でアルマーシに対する連合軍側の疑惑は浮上していました。しかし、そんなことは、戦争が終わりかけている今ではどうでもいいことだとカラバッジョは思いました。カラバッジョはさらに、アルマーシから戦時中にドイツ軍に砂漠地帯でどのような協力をしていたかを聞き出します。スパイの案内などです。しかし、ジェフリーの死は自殺であり、キャサリンは巻き込まれて事故死したのであり、アルマーシの工作活動で殺されたわけではありませんでした。アルマーシはキャサリンに純粋な愛を抱いていました。キップはイタリアに上陸してからの工兵としての仕事を回想しました。特に、ナポリの一帯に仕掛けられた大量の爆弾が、停電が直って電気が通った瞬間に大爆発を起こして都市を壊滅させるというドイツ軍の大規模なブービートラップは記憶に深く残っていました。キップたち12人の工兵は、発電所につながっているはずの爆弾の起爆線を探しますが、見つからず、絶望的になりましたが、結局、大爆破はデマだと判明しました。その後、屋敷のテントの中で、鉱石ラジオで、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下のニュースを聞いたキップは激怒します。爆弾処理の時間も与えずに一瞬のうちに何十万もの人間の命を奪う新型爆弾、しかも、自分と同じ有色人種のアジア人の国に投下された爆弾。爆弾を投下したアメリカと同盟国のイギリスに対して、今までの愛着は消し飛び、キップは憎悪を向けるようになります。イギリス人の患者アルマーシに、自分の怒りをぶちまけたキップは、皆に別れを告げて、古いバイクに乗ってイタリア半島を激走します。そして、事故を起こして横転したバイクごと、海に放り出されますが、命は助かりました。キップを見送ったカラバッジョは、ロープ渡りの曲芸に挑戦しますが、雷雨で頓挫します。雨のしずくをハナが手で集めて髪にすき込みます。イギリス人の患者は、もう灯りは自分にはいらないと伝えようと思いました。それから十数年経ち、故郷インドで医師になっていたキップは、カラバッジョやハナ、そしてイギリス人の患者のことを思い出し、あのときに戻りたいという心情になるのでした。

 ストーリーはざっとこのようなものです。

 

 本作品は、様々な言表が寄せ集まって出来ています。哲学者フーコーの指摘する、書かれたもの(回想されたもの)のあらゆる断片すなわち言表がちりばめられており、謎が明らかになったかと思いきや、新たな謎が生まれたりして、読み終えても、何か心に引っかかる謎めいた沈殿物が残ります。確かに、イギリス人の患者アルマーシが何者で、何をしてきたのかは、あらかた明らかになります。シーク教徒の若者キップの体験も明らかになります。看護師のハナや、元泥棒のカラバッジョの過去も浮かび上がってきます。しかし、だからといって物語が進行するわけではなく、戦争末期のイタリアの山岳地帯での生活と過去の思い出との間を行ったり来たりするばかりです。最後に、キップが、連合軍の日本への原爆投下のニュースに怒って、飛び出していくという激しい展開はありますが、それも中途半端に終わり、年を取ったキップの(インドでの)穏和な生活の描写が出てきて終わります。

 本作品は、メタ・フィクション(メタ・テクスト)として書かれているとも読めます。各々の言表が原テクストであり、それらが重なり合って、屋敷での4人の生活や会話、人間関係の変化などを語るメタ・テクストと呼応しています。著者のオンダーチェは、詩人でもあり、小説を書く際に、全体のプロットを決めずに、部分的な書き物から始めて、徐々に全体を探り当てていく作風の持ち主のようです。読者の方も、様々な言表(原テクスト)から全体像を自分なりに想定していくプロセスが必要になると思われます。原テクストが交錯して、詩的な部分もあり、全体像が見えにくいですが、むしろ、筋を追おうとせず、各々の言表(原テクスト)がもたらすイメージの重なり合いに身を委ねることを楽しむのが、お薦めの読み方かもしれません。

 本作品には、イギリス人の患者アルマーシが語る、北アフリカの砂漠地帯の冒険譚や、工兵キップが語る、地雷や不発弾の信管についての蘊蓄などが、非常に詳しく書かれています。冒険マニアや軍事マニアも惹きつけるような言表(表現の断片)がふんだんに盛り込まれています。これらが、浮世離れしたように思える舞台や登場人物の言動のある作品に、リアリティをもたらしています。特に、爆弾の信管についての話は、軍事オタクの私も初めて知るようなことが数多くあり、著者オンダーチェの綿密な取材力が発揮されていると言えます。とはいえ、現実味をもたらす要素も、あくまでも作品の中に漂う断片のように、他の詩的な表現と並べるようにちりばめられているので、夢うつつの気分の中に、一瞬、覚醒を促されるような瞬間が訪れるといった雰囲気が醸し出されています。

 

 さて、映画版のほうはどうでしょうか。アンソニー・ミンゲラが脚本・監督を担当し、アカデミー賞作品賞をはじめとして9部門で受賞しました。しかし、当然のことながら、映画版『イングリッシュ・ペイシェント』は、原作『イギリス人の患者』を大幅に書き換えています。

 イギリス人の患者アルマーシ、看護師のハナ、元泥棒の工作員カラバッジョ、工兵のキップといった、主要登場人物の関係は、原作に忠実です。しかし、映画では、イギリス人の患者アルマーシと、キャサリンとの不倫の恋愛関係の描写が中心になっています。アルマーシの回想、告白は、主にキャサリンとの関係を語るものになっています。カラバッジョが両手の親指を拷問で失うきっかけが、アルマーシがドイツ軍にもたらした写真だったことから、カラバッジョがイギリス人の患者アルマーシへの尋問をするという設定は、原作にはないもので、ここは、うまくつじつまを合わせています。

 しかし、ハナとキップの恋愛関係は、さらっと描写されるだけで、キップの爆弾処理のシーンは少しだけ出てくるだけで、数々の新しい信管を攻略していくキップの体験はバッサリ切り落とされて、出てきません。終盤で、キップが原爆投下に怒り、飛び出していくシーンもなく、穏やかに屋敷を去るのみです。最後に、ハナはアルマーシの要望で、彼に大量のモルヒネを投与して安楽死させます。これは原作にはなかったことです。原作では、イギリス人の患者アルマーシが、瀕死の状態であることがいまひとつはっきりしなかったので、映画版ではその火傷の重傷ぶりを際立たせていました。

 もちろん、『イングリッシュ・ペイシェント』という題名ですから、イギリス人の患者アルマーシを中心に描くことになり、そのためにはキャサリンとの不倫関係を中心に描く必要があるのはわかります。しかし、原作にある他の要素が簡素化したり省略されているので、物足りなさを感じます。とはいえ、原作は、様々な言表(原テクスト)の集積物ですから、そこから読者がどのように読むかは自由です。映画版も、原作の読み方の一つを提示したものとして考えるべきでしょう。

 映画版『イングリッシュ・ペイシェント』は、原作と比べると物足りない部分もありますが、映画単体としては非常によくできています。出演俳優たちの演技も、音楽も優れています。アカデミー賞9部門受賞は伊達ではないと言えるでしょう。