吾輩は「犬」である? | ほうしの部屋

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 ポール・オースターの長編小説『ティンブクトゥ』を読了しました。

 著者オースターについての詳しい説明は省きます(過去記事でも何度も扱っているので)。1947年生まれの、現代アメリカ文学を代表する作家の一人です。2000年代に入っても、旺盛な執筆活動を行い、名作を生み出しています。

 本作品『ティンブクトゥ』の主人公は、犬です。放浪の詩人に飼われて各地を旅する雑種の老犬が主人公です。この犬は、主人の言動を理解します。自分でも脳内で人間並の知性を持って思考できるのですが、言葉を話すことは当然できません。詩人と旅する生活は、貧しくも楽しいものでしたが、別れがやってきます。詩人が重病にかかって、死に瀕し、救急車で運ばれていきます。そこで主人と別れた犬は、主人(詩人)が死んだことを悟ります。詩人は生前、「ティンブクトゥ」へ行くと言っていました。それはどんな場所かはわかりませんが、犬も行きたいと思っていました。主人(詩人)と別れた犬は、新しい飼い主を探して、各地を放浪します。そして、ついに、平和な中流家庭に拾われて、不自由ない生活を手に入れます。しかし、犬はどうしても、元々の主人(詩人)のことが忘れられません。詩人は、たびたび夢に出てきました。主人(詩人)を求めて、犬はある行動に出ます。

 まるで、夏目漱石の『吾輩は猫である』の「犬」版という感じです。理性と思考力を持つ犬が、人間関係や人間社会を冷徹に見つめ、自分の生きる道を探っていきます。犬には犬の批評眼があります。著者オースターはたぶん漱石の「猫」のことは知らないと思いますが、漱石の猫が超然としているのに比べて、オースターの犬は主人との絆を非常に大切に思っています。そこは、猫と犬の違いでしょう。人間並の知能を持つ犬と主人(詩人)との絆が心にに染み渡る内容になっています。

 

 それでは、本作品の内容を紹介します。

 

 雑種犬のミスター・ボーンズは、主人のウイリーが肺病でもう長くはないことを知っていました。生まれたての子犬のときから一緒にいたので、ウイリーがいない世界などミスター・ボーンズには想像できませんでした。それは存在論的な恐怖でした。世界からウイリーを引き算してしまったら、おそらくは世界自体が存在をやめてしまうのです。色々な犬種の混血であるミスター・ボーンズは、ボロボロの毛からあちこちにイボが飛び出し、吐く息は臭く、目は充血し、こんな犬を救ってやろうというような新しい飼い主は現われるわけがありませんでした。ミスター・ボーンズは、多弁症でしじゅう喋り続けるウイリーの言うことはいつもわかりましたが、あいにく話すことはできませんでした。ウイリーは放浪の詩人でした。彼の作品の出版を手助けしてくれるというビー・スワンソンが住むボルチモアまで、ウイリーとミスター・ボーンズはニューヨークから歩いてきました。ウイリーは23年間で74冊のノートに、詩、小説、エッセイ、日記、自伝などを書き綴ってきました。それをコインロッカーに預けて、高校時代のウイリーの英語教師だったスワンソンの家を探しました。ウイリーの才能を見込んだスワンソンの手配で、コロンビア大学に奨学生として入学しましたが、ウイリーは、統合失調症を発病し、入院してしまいました。ウイリーは実に多くの物語を語ってきたので、ミスター・ボーンズは何を信じて良いのかわからなくなっていました。ウイリーの母のおしゃべりの断片を繋ぎ合わせて、自分が生まれる前の、若い頃のウイリーの人生を何とか組み立てて理解しました。ウイリーの父母はポーランドからの移民でした。ウイリーが12歳の時に、父は心臓発作で死にました。大学へ入学したウイリーは、あらゆるドラッグに手を出しました。その影響で妄想、幻聴などの症状が起きて、ウイリーは入院したのです。退院してから母と暮らすようになり、そのクリスマスの晩に、ウイリーはテレビの中のサンタクロースが自分に話しかけてくる幻覚を見ます。サンタクロースは、ウイリーに善と寛容と献身を教えました。ウイリーは腕にサンタクロースの入れ墨を入れ、ウイリー・G・クリスマスと名乗るようになりました。母に叱られて、ウイリーは家を飛び出します。数ヶ月放浪し、数ヶ月実家で暮らすという、その後何十年も続く生活パターンが出来上がりました。ウイリーは父の生命保険の支払金の一部を受け取って、食うのに困らない状態になりました。そうしているうちに、動物愛護施設から、生まれたばかりのミスター・ボーンズを、ウイリーはもらい受けたのです。ウイリーは犬の心を持った人間でした。放浪癖、冒険心、出たとこ勝負でルールを作っていく生き方で、半年も放浪を続けるウイリーは、ミスター・ボーンズにとって格好の飼い主でした。ミスター・ボーンズは、ウイリーから、ユーモア、皮肉、メタファーの奔放さを学び、ウイリーの母から、生きているということの意味をめぐる大事な点を教わりました。不安、悩みについて、世界の重荷を自分の両肩に背負っていくことを教わりました。ウイリーは実家にいる冬の間に詩作をしました。ウイリーは、ミスター・ボーンズが全面的に善なる精神の持ち主だと思い、彼の嗅覚を使う「匂いのシンフォニー」という工作物の組み立てに没頭した時期もありました。ウイリーは、匂いを楽しむ犬の習性をもとに、嗅覚に基づく芸術を作ろうとしたのです。しかし、それは失敗に終わりました。そういった回想をしながら、ミスター・ボーンズは、主人のウイリーに従って、スワンソンの家を探してボルチモアの街を彷徨い歩きました。ウイリーは、エドガー・アラン・ポーのかつての住居を見つけて、その玄関先でうずくまりました。ウイリーは激しい咳の発作を起こし、二度と立ち上がれぬ状態になりました。ポーの国すなわちポーランドという語呂合わせで、自分の先祖の出身地としてのここで死ぬことをウイリーは望んでいるようでした。ウイリーは、たびたび、ティンブクトゥという謎の地に行くことをミスター・ボーンズに話していました。そこが来世だとミスター・ボーンズは信じました。物事は見かけほど単純ではなく、人間の精神は切れ味の悪い道具で、自分の面倒を見る知恵が不足しているとウイリーは話しました。俺はいつだって、矛盾を抱えた欠陥ある存在だった。一方では、純粋なる心、善良の鑑、サンタの忠実な僕、もう一方では、大口叩きの変人、ニヒリスト、気のふれた道化だった。その中間が詩人ってことだろうな。こうウイリーは自分のことを振り返りました。ウイリーは長々と人生観を語り、そして黙って動かなくなりました。眠りに落ちたウイリーの膝の上に頭を乗せて、ミスター・ボーンズも眠りにつきました。そこで奇妙な夢を見ます。警官がやってきました。ミスター・ボーンズは逃げ出します。ウイリーが救急車に乗せられて運ばれていきます。そこでミスター・ボーンズはハエに変身し、後を追います。病院にはスワンソンが来ていました。ウイリーは通り一遍の蘇生措置を施された後、痛みも覚えずに死んでいきました。夢から覚めて、ハエから犬に戻ったミスター・ボーンズは、まるでデジャヴのように、ウイリーが救急車に乗せられて運ばれていくのを見ます。ウイリーはティンブクトゥに向かうのだとミスター・ボーンズは思い、その場から逃げ出しました。野良犬と化したミスター・ボーンズですが、生まれてこのかた、自分で食べ物を探すということがなかったせいで、空腹に苦しみます。鳩を捕まえようとしましたが、うまくいきませんでした。何もかもが突然、日食のように暗くなったように感じたミスター・ボーンズは、ウイリーの死を確信しました。ミスター・ボーンズは、12歳の少年6人組の仲間入りをして、最初のうちは歓迎されましたが、次第に少年たちのイタズラの標的にされて、ほうほうの体で逃げ出しました。そして、中国系のヘンリーという少年に出会い、食べ物をもらい、ヘンリーの自宅の庭の一角に隠れ住むようになりました。しかし、ヘンリーの家は中華料理店であり、かつて、ウイリーから、犬は食われるから中華料理店には決して近づいてはならないと教えられたことを、ミスター・ボーンズは思い出しました。しかし、中華料理店であるがゆえに、ミスター・ボーンズはごちそうの残飯にありつくことができました。ヘンリーの家の庭に隠れ住む状況はしばらく続き、ヘンリーとミスター・ボーンズは友情を結びました。孤独だったヘンリーは、ミスター・ボーンズにひっきりなしに話をし、ミスター・ボーンズも楽しんで聞きました。ミスター・ボーンズは、ヘンリーからカルという名前で呼ばれるようになりました。しかし、幸福な時は長続きしませんでした。ヘンリーの父は大の犬嫌いで、ミスター・ボーンズの隠れ家を見つけると、烈火のごとく怒りました。危険を感じたミスター・ボーンズは、ボルチモアから出ることを決意し、走り出しました。三日間走り続け、ミスター・ボーンズはヴァージニア北部のどこかにたどり着きました。疲れ果てたミスター・ボーンズは眠りに落ち、夢を見ます。夢の中で、ミスター・ボーンズはウイリーと一緒に地下鉄に乗っていました。ミスター・ボーンズはウイリーから、飢え死にしないために新しい主人を見つけるように諭されます。目覚めたミスター・ボーンズは、ウイリーが夢の中でティンブクトゥに連れていってくれていたのだと思いました。ある中産階級の家の庭にやって来たミスター・ボーンズは、その家の幼い男児に見つかり、その姉や母親にも見つかり、予想外に歓迎されます。ミスター・ボーンズは自慢の芸を見せますが、その家の母親ポリーは彼が空腹なのだと見抜き、ごちそうを用意してくれました。娘のアリスは、ミスター・ボーンズを家で飼うように母に進言しました。ミスター・ボーンズは体中をきれいに洗ってもらい、スパーキーという名前をつけられました。ただし、ミスター・ボーンズを飼うには、最終的には、留守にしている父でパイロットのディックの許可が必要でした。帰宅したディックは、家族の話を聞き、ミスター・ボーンズを子細に観察して、決定を下しました。家の中には決して入れないこと、そして去勢手術を受けさせることなどを条件に、飼うことを許可しました。ディックは、立派な犬小屋を建ててくれました。ポリーは、ミスター・ボーンズを動物の美容院と病院に連れて行き、体を綺麗に洗い、トリミングを施し、ダニなどの害虫を駆除しました。ディックが仕事で、子供たちは学校や保育園で留守になり、母親のポリーだけになると、ポリーはミスター・ボーンズを家の中へ招き入れました。何でも夫の言うとおりに従わされてきたポリーの、ささやかな反抗でした。そして、ミスター・ボーンズは、何が起きたのかもあまりわからないまま、獣医のところで去勢手術を受けさせられました。ミスター・ボーンズは、夫に抵抗を感じるポリーの話の聴き手になりました。ポリーはこの家を愛していましたが、夫を愛してはいませんでした。ミスター・ボーンズは、かつての主人ウイリーは、どこでどう間違って、この家のような安楽な定住生活を失ったのか、考えました。ウイリーは常に外から中を眺めていただけで、自分で試そうとはしませんでした。ミスター・ボーンズは、この家の芝生が大好きになりました。しかし、家族休暇で一家全員が旅行に出かけることになり、ミスター・ボーンズはペット・ホテルに預けられることになりました。ミスター・ボーンズは、前々から問題のあった健康がすぐれない状態で預けられました。与えられた食事を吐いてしまい、発熱、頭痛、極度の腹痛に苦しみました。苦しみながら眠りにつくと、夢の中にウイリーが現われ、烈火のごとく怒り、ミスター・ボーンズとの関係を断絶すると言うのです。ウイリーは、ミスター・ボーンズは物笑いの種になったといいます。たしかに、このところずっと、ミスター・ボーンズは、やたらと自分を憐れみ、ごくささいな不正や侮辱についてくよくよ考えていました。ありがたく思うべきことはたくさんあり、生きるべき生はまだ残っている。だからウイリーは俺のことは考えるなと言ったのでしょう。ホテルの職員は、ミスター・ボーンズを獣医に診せようと相談していました。それを聞いたミスター・ボーンズは、逃げ出しました。森の中へ逃げ込んだミスター・ボーンズは歩き続けました。疲労困憊して眠ると、ウイリーの夢を見ました。カリフォルニアの日光まぶしい海岸で、ミスター・ボーンズはウイリーと共にのんびり過ごしていました。先日のウイリーの暴言は、偽者の悪魔のウイリーの仕業だったのだとミスター・ボーンズは思いました。ウイリーは、ミスター・ボーンズが時が来たらティンブクトゥに入れてもらえると言います。それまでは、ポリーやアリスの前で良い子にしていなければならないと諭しました。目覚めたミスター・ボーンズは、自分には、ドック・ホテルにもポリーの家にも戻る体力がもう残っていないことを悟ります。ミスター・ボーンズは最後の力を振り絞って、道路に出ました。そこは、何車線もある高速道路で、車が猛スピードで行き交っていました。そこに足を踏み出せば、ティンブクトゥに行ける。しかし、ウイリーは、ミスター・ボーンズが自殺たことを快く思わないでしょう。そこで、ミスター・ボーンズは、考えました。「車よけ」のゲームをするのだ。道路を渡り、車をよけて向こう側へたどり着く。それを繰り返す。運悪く車に轢かれたらゲームオーバー。ミスター・ボーンズは、ここ何か月で最高の力と幸福を自分の中に感じました。そして、音に向かって、光に向かって、四方八方から迫ってくる車の轟きに向かって走りました。あわよくば、日暮れ前にはウイリーのもとに行けるだろう、とミスター・ボーンズは思いました。

 

 ストーリーはざっとこのようなものです。

 

 犬(ペット)というものは、いくら良い環境で飼育されても、元々の主人や長く一緒に暮らした主人と環境を求めるものだというのがよくわかります。「猫は家に付き、犬は人に付く」と言われますが、まさに、ミスター・ボーンズにとっては、元々の主人(放浪詩人)のウィリーが、付き従うべき存在だったのです。そのため、ことあるごとに、ウイリーとの思い出が出てきて、夢の中にもウイリーが出てきます。そして、ついに、老体で病気になったミスター・ボーンズは、ウイリーの元へ自分から行くことを決意するのです。新しい飼い主に会っても、ミスター・ボーンズの孤独は癒やされません。ウイリーと別れて、ミスター・ボーンズは本当の孤独になってしまったのです。ミスター・ボーンズの世界からウイリーを引いたら何も残らなかったのです。犬と飼い主との絆の深さが、犬の視点から綿密に描かれています。

 本作品で、著者オースターは、珍しく、得意とするメタ・フィクション(メタ・テクスト)の手法を封印しているようにも思えます。しかし、ミスター・ボーンズの回想や夢におけるウイリーとのコミュニケーションの描写を原テクストと見るなら、それをふまえて現状の自分の生活や行動を省みるミスター・ボーンズの有様がメタ・テクストであると言うこともできるでしょう。ウイリーと死に別れたミスター・ボーンズの言動がメタ・フィクションを形成していると見ることができます。とはいえ、犬に独白させるというのがかなり冒険的なので、他の実験的手法は控えめにしているとも思えます。

 ウイリーが行くと言っていた「ティンブクトゥ」とは何なのか。同じ地名が、アフリカかアジアのどこかの国の首都か主要都市にあったような記憶があります。しかし、本作品では実在の場所としては扱われていないと言えます。死後に訪れる理想郷としてウイリーがイメージしていたと考えるのが自然でしょう。結局のところ、死んだウイリーがいるティンブクトゥへ、ミスター・ボーンズも後を追って行くことを決意するわけです。その理想郷で、最愛の主人との幸せな生活を送ることを飼い犬は夢見ているのです。

 ミスター・ボーンズが、飼い主だったウイリーにいかになついていたことか。決して恵まれた環境ではありません。精神の病を抱えるウイリーは、定期的に放浪生活を送り、たまに帰る実家も良い環境とは言えません。浮浪者同然のウイリーに寄り添って生きるミスター・ボーンズは、貧しく食物にも事欠く生活ながら、ウイリーの一挙手一投足を見守り、ウイリーの話を聞き、深い精神性をもって生きます。互いに相棒として認め合うウイリーとの生活こそが、ミスター・ボーンズにとって最良の生活環境だったのです。新しい飼い主にいくら恵まれた衣食住を提供されようとも、ウイリーの思い出や夢は再三、ミスター・ボーンズに降りてきて、元々の飼い主への思いを深くさせます。そして、ウイリーの元へ行き、再び良き相棒として暮らしたいと思うのです。本作品を読むと、巷の動物愛護の一般的な精神が、いかに形骸化されているかに気づかされます。

 時折、深い思索を見せる雑種犬のミスター・ボーンズは、その心の声とともに、かなり擬人化されていますが、動物(犬)としての本能的行動もリアルに描かれています。犬らしさがあってこそ、この犬の思索の深さが伝わってくると言えるでしょう。ただただ、今は亡き元の主人と一緒にいたい、良き相棒として一緒に暮らしたいという、ミスター・ボーンズとウイリーとの絆に胸が詰まります。