不可視(インヴィジブル)な人生 | ほうしの部屋

ほうしの部屋

哲学・現代思想・文学・社会批評・美術・映画・音楽・サッカー・軍事

 

 ポール・オースターの長編小説『インヴィジブル』を読了しました。

 オースターは、現代アメリカを代表する作家の一人です。1947年生まれで、コロンビア大学を卒業後、船員として世界中を放浪し、パリに住んで、詩作や翻訳に没頭したのち、帰米して、ニューヨークに住みました。詩作、翻訳、評論などを執筆していましたが、小説を書くようになり、いわゆる「ニューヨーク三部作」が絶賛され、売れっ子作家になりました。オースターの小説の多くには、彼自身の若い頃の生活が反映されています。大学時代の貧乏生活、パリ滞在、ニューヨーク特にブルックリンでの生活などが、作品に反映されています。本作品『インヴィジブル』にも、オースターの若い頃の生活の一部が垣間見えるように書かれています。オースターは2000年代に入っても、旺盛に執筆を行い、映画の脚本や監督も務めています。

 オースターは、作中作を多用する、メタ・フィクション(メタ・テクスト)の使い手であり、ほとんどの作品で、この手法を用いています。本作品『インヴィジブル』も例外でありません。主人公の書いた私小説の草稿が原テクストであるとともに、ストーリーの中核を引っ張り、そこに書かれたことの真偽を巡って、様々な人々の言動や思いが交錯するのが、メタ・テクストとして書かれています。しかし、オースターという作家は、技術(技法)に溺れることなく、普通に読んで、面白く、最後まで飽きることなく読み進められるように書いています。この構成力と表現力(筆力)の両輪が、オースターの作品の魅力を支えています。

 本作品で、主人公は、テクストによって、一人称(私)、二人称(君)、そして三人称(実名)と、呼称を変えて登場します。それは、主人公自身の視点や思考を重視する部分と、主人公の言動を客観的に捉える部分など、物語の進行上、場合に応じて呼称を変える必要があるからです。おぞましい猟奇的な殺人事件、姉弟の近親相姦など、ショッキングな出来事や描写が出てきて、読む者を物語の世界に引きずり込んでいきます。

 

 それでは、本作品の内容を紹介します。

 

[第Ⅰ章]私(主人公=アダム・ウォーカー)の回想録になっています。

 1967年春、コロンビア大学2年生で詩人を目指していた私は、パーティーで、フランス系スイス人のルドルフ・ボルンという男と知り合います。ボルンはマルゴという女性と一緒でした。ボルンは際だったところの全くない顔で、大勢の中にいれば不可視(インヴィジブル)になっていました。ボルンの発言は、タカ派に思えるときもあれば、アナーキストかと思われるような思想を表明するときもありました。話せば話すほど、ボルンとマルゴは私にとって現実感を失っていきました。ボルンは、いつか私がボルンの伝記を書くことになると言います。それから何日かして、私は安レストランで、ボルンに再会します。マルゴが私のことをひどく気に入って、ボルンに援助するように進言したといいます。ボルンは雑誌の出版を考えていて、その仕事を私にまかせると言うのです。まず、雑誌の企画書を書いてほしいと言います。ボルンは、私のギャラも含めて2万5千ドルまでは投資できるといいます。私は雑誌名を『尖筆(スタイラス)』に決めて、企画書を書きました。ボルンは、企画成立のお祝いに、自分のアパートメントに食事に来るようにと私を誘いました。食事会の日、マルゴが料理の腕を振るい、ボルンは酔っ払って暴言を吐き散らしました。ボルンはマルゴとは恋人関係ではなく、私がマルゴを気に入ったかどうか、執拗に聞いてきました。ボルンは36歳で、大学教授をしているといいます。そのつてで、ボルンは私に関する情報をかなり集めているようです。その後、マルゴから連絡があって、ボルンが不在の時に、アパートメントへ来るように誘われます。マルゴと私は5晩続けて寝ました。マルゴとのセックスは最高でしたが、私がマルゴについて知ったのは、パリで生まれ育ったぐらいのことでした。ボルンがパリから戻ってくる前日、いつものように愛し合った後、マルゴは私に、会えるのはこれが最後になるかもしれないと言いました。マルゴは消えました。ボルンから連絡があり、雑誌出版用の第一回目の投資6250ドルの小切手を私は受け取りました。マルゴは私と寝たことを、ボルンに包み隠さず報告したといいます。ボルンは、フランスで、ある女性と婚約しているといいます。ボルンは、私が成功することに賭けてみたといいます。その晩、ハドソン川沿いを散歩していたボルンと私の前に、少年が現われて拳銃をつきつけ、金を要求しました。ボルンは、隙を見て、少年をナイフで刺しました。少年の銃に弾は入っていませんでした。私は救急車を呼びにその場を離れ、再び戻ると、少年もボルンもいませんでした。探すと、近所の公園で、めった刺しにされて殺された少年の死体を見つけました。ボルンがやったのは間違いないと私には思われました。これは正当防衛を超えた、惨殺の犯罪です。私は、ボルンのくれた小切手をビリビリに破いて封筒に入れ、ボルンに送り返しました。ボルンから、事の顛末を黙っているようにという脅迫状が届きました。私は、数日、行動をためらいましたが、意を決して、警察に届け出ました。しかし、警察が逮捕に向かうと、ボルンはパリへ発った後でした。私は、ボルンと自分が許せないと思いました。

 

[第Ⅱ章]主人公アダム・ウォーカーは年寄りになり、古い友人の僕(ジム)と連絡を取り、原稿を送ってよこしました。ウォーカーは白血病で余命いくばくもないといいます。文学の道をあきらめたウォーカーは、法曹人になり、社会の底辺で苦しむ不可視(インヴィジブル)の人々の助けになるように仕事をしていました。ウォーカーはサンドラという女性と結婚しましたが、サンドラはガンで他界していました。二人の間に子供はいませんでした。ウォーカーは、1967年に自分の身に起きたことを私小説の体裁で原稿にしていました。第一の原稿は「春」、送られてきた第二の原稿は「夏」と題されており、その中で、ウォーカー(主人公)は「君」という二人称で扱われていました。

 ボルンと袂を分かった君(主人公=ウォーカー)は、パリへ留学する申請を大学に入れました。留学までの2ヶ月間を真夏のニューヨークで過ごすことになり、姉と同居生活を始めました。1歳4ヶ月上の姉グウィンは、秋からコロンビア大学院で学ぶ予定で、出版社で編集のバイトをしていました。君も、図書館の整理係のバイトに就きます。君は、図書の保管庫で、古い稀覯本に出会うのが楽しみになりました。しかし、おおかた暇な図書館では、性的妄想にふけってばかりいました(たまに自慰もしました)。君とグウィンはかつて、共通の弟アンディを水難事故で亡くしており、今でもその痛みを引きずっていました。自分の不手際でアンディを死なせてしまった母親はショックで精神病院に入院しました。君とグウィンは、アンディにつらく当たっていたのではないかと、少年期の後悔を今でも引きずっていました。そういう思い出が、君と姉の間に親密さを生んでいました。それで、グウィンが15歳、君が14歳の時、二人は遊び半分で疑似性交までしました。その行為のことを思い出した二人は、語り合い、何の良心の呵責も感じていないことを確認しました。あれは最高の経験だったと二人とも思いました。二人は、あらゆることを語り合い、議論しました。ボルンについての話になり、グウィンは、ボルンが君に援助を申し出たのは、同性愛の傾向があったからではないかと推測を述べました。君は、ボルンのことで君の中の何かが壊れているなら、自分の手で元に戻さなくてはならないと思います。君はドライヤーの映画『奇跡』を観て、弟のアンディや、ボルンに惨殺された少年が生命を復活させる幻想に囚われて涙を流します。弟のアンディが死んでからずっと、君とグウィンは、毎年のアンディの誕生日を祝っていました。アンディの思い出を語り尽くし、今でも生きていたらどんな人間になっているかを想像して語り、未来のアンディに何が起こるかを推測して語り合います。しかし、グウィンは、アンディが死んで10年も経ち、この誕生日の儀式が不可能になってきた、もう無理だといいます。アンディの誕生日の儀式をやめることになり、君も安堵します。君とグウィンは、愛について語り合い、酒に酔った勢いもあり、抱き合い、キスします。そして、避妊措置を十分に講じた上でセックスに興じるようになります。この、姉弟の近親相姦は、君がパリへ発つまで1ヶ月間続きました。パリへ発つ日、両親も見送りに来て、空港までの車の中で、君とグウィンは手をしっかり握り合っていました。

 

[第Ⅲ章]ウォーカー(主人公)は、僕(ジム)に「夏」の原稿を送ってまもなく死亡していました。ウォーカーの義理の娘が、ウォーカーの命令に従って、彼の死後、コンピュータにあった1967年の出来事を綴った原稿を全て消去したといいます。娘によると、ウォーカーの姉のグウィンは、建築家と結婚して子供もおり、大学出版局の局長をしているそうです。娘は、僕に、ウォーカーが遺したメモ帳を渡しました。そこには、第三の原稿「秋」のための草稿とメモ書きが記されていました。そのメモ書きをもとに、僕は、ウォーカーの物語を文章として読める形に書きました。今度は、主人公のウォーカーは実名の三人称で扱われていました。

 留学のためパリに着いたウォーカーは、ボロボロの安ホテルに滞在することになりました。ウォーカーは、ボルンのパートナーで、ウォーカーとセックスに興じたマルゴのことを思い出し、電話で連絡を取って再会します。そして、マルゴを捨てたボルンが凶悪な殺人者だということを告げます。マルゴから、ボルンが結婚する相手は、エレーヌという女性で、18歳の娘がいると教えられました。マルゴはウォーカーの部屋に同行し、セックスしようとしますが、ウォーカーはどういうわけか悲しくなります。ウォーカーはセックスに狂っており、セックスは至上者であり、この世で唯一の救済者だと思っていました。その二日後、ウォーカーは今度は、カフェでボルンに偶然、再会します。ウォーカーは、ボルンが少年を惨殺したことをなじりましたが、ボルンは、公園で何度も少年を刺したのは自分ではないと言い張ります。正当防衛に関しては良心の呵責は全くなく、ウォーカーが自分を裏切って警察に通報したことも責めるつもりはないといいます。ボルンは自分の婚約者エレーヌの娘セシルを紹介するといい、自分の名刺をウォーカーに渡して去りました。ウォーカーは、エレーヌにボルンの悪行のことを話して、結婚を破談させようと考え、ボルンに連絡を取ります。ボルンは、婚約者母娘との夕食にウォーカーを招待しました。ウォーカーは、エレーヌとセシルに何とか取り入ろうとします。エレーヌは言語聴覚士として働いていました。娘のセシルは、大学生で、ギリシア文学を専攻していて、古典の猟奇的な叙事詩を翻訳することに取り組んでいるといいます。その翻訳稿を読ませてもらう約束をして、ウォーカーはボルンの婚約者母娘と関係を続けることに成功します。ウォーカーが自分の計画をマルゴに話すと、マルゴは真顔で、やめるように諭します。ボルンには、強力な人脈があり、敵に回すと何をされるかわからないといいます。ボルンは諜報機関とつながりがあるからこそ、ウォーカーの家族の情報などもすぐに得ることができたのだと、マルゴはいいます。しかし、ウォーカーは、ボルンが何者でも構わない、自分は少年を惨殺した犯人としてのボルンを断罪したいだけだといいます。ウォーカーは、マルゴの実家の豪邸に招かれ、マルゴが子供部屋として与えられていた女中部屋でセックスしました。その後、ボルンの婚約者エレーヌの娘セシルに会ったウォーカーは、古典の猟奇的な叙事詩についての話題から始まり、親しく話を交わします。それからセシルとの付き合いが始まります。ウォーカーは、セシルの該博な知識と独創性に圧倒されます。エレーヌとセシルの家に食事に招かれたウォーカーは、エレーヌから、おくてのセシルがウォーカーに恋をしていると告げられます。その後、セシルがウォーカーのホテルの部屋を尋ねてきて、ウォーカーを愛していることを告げます。自分はとても辛抱強いのだとセシルはいいます。ウォーカーは、セシルの母、ボルンの婚約者エレーヌに、ボルンの少年惨殺の犯罪行為について秘密を話します。翌朝、ボルンが電話をかけてきて、自分を裏切ったことを罵り、復讐するとウォーカーを脅迫しました。セシルがウォーカーに、母親に婚約者ボルンについて酷いことを言ったと責め、顔に唾を吐きかけました。数日後、ウォーカーの部屋に警官が来て、家宅捜索を行い、麻薬の袋を見つけて、ウォーカーを逮捕しました。ウォーカーは、麻薬になど見覚えはないと抗議しますが、警察は、ウォーカーがフランスで裁判にかけられるか、国内退去処分を受け入れてアメリカに帰るか、どちらかを選ぶように言われます。こうして、ウォーカーの短いパリ滞在は終わりを告げました。

 

[第Ⅳ章]1967年の秋に、ニューヨークでウォーカー(主人公)に再会した僕(ジム)は、ウォーカーがパリでの出来事を語りたがらないのを不審に思いましたが、40年後に「秋」のメモを読んで、納得しました。当時、ウォーカーの姉のグウィンは、非常に美しく、僕も何度かデートに誘って断られました。40年後、ウォーカーの死後に、グウィンに連絡を取った僕は、ウォーカーの原稿をグウィンが読みたがるので送ることにしました。姉弟の近親相姦の話が露骨に書かれているので、どうなることかと僕は気をもんでいましたが、数日後、グウィンが電話してきて、落ち着いた調子で、原稿のほとんどは正確だが、自分はウォーカーとセックスしたことは一度もないと言うのです。グウィンは、弟は自分を慕いすぎていて、そのせいでこのような嘘を創作したのだろうといいます。グウィンは、ウォーカーの原稿を出版可能な形にできないかと僕に相談しました。僕は、仕事でパリに赴いたついでに、マルゴ、ボルン、エレーヌの消息を探ったがわからず、ただ一人、セシルが大学で文学を教えていることを知り、連絡を取りました。結局、母のエレーヌはボルンの暴力的な気性を警戒して結婚しませんでした。その後、長い年月が経って、セシルはボルンに再会し、その時の模様を記した日記のコピーを僕にくれました。その内容が下記のものです。

 セシルのもとに、71歳になったボルンから手紙が来ました。仕事を引退して、結婚はせず、カリブ海のキリアという小島で生活しているといいます。海を見下ろす石造りの屋敷で召使いを雇って隠遁生活を送っているといいます。セシルは、ボルンに招かれてキリアに向かいます。島に小型機で降りたセシルは、召使いの案内で、とんでもない山道を休み休み登り続け、ようやくボルンの屋敷に到着します。ボルンの話は退屈なものでした。そして、数日後、ボルンは突然、セシルに結婚してほしいと言ってきたのです。セシルが断ろうとすると、自分の人生を狂わせた、ウォーカーという男について罵詈雑言を並べたてました。当時、セシルも母のエレーヌもウォーカーの話を信じませんでした。ボルンは誰も殺していないと言い張ります。ウォーカーを国外退去に追い込んだのも、自分は関係ないとボルンは言い張りました。そして、自分の回想録を協力して出版にこぎ着けたいとセシルに依頼しました。そしてボルンは、自分が大学教授の傍ら、諜報機関で働くスパイだったことを明かします。しかし、セシルは、もう、どこまでボルンの話を信じていいのかわからなくなります。ボルンは酔った勢いで、世界に対する偏見に満ちた罵詈雑言を並べ立てます。セシルは耐えられなくなり、帰ることに決めます。持てる荷物だけを持って山道を下りていくと、数多くの人々がハンマーで石を叩き割って砂利にしているのを見かけます。その無数のハンマーの打撃音は、ずっと自分とともにあるようにセシルは思ったのでした。

 

 ストーリーはざっとこのようなものです。

 

 本作品の題名でもある「インヴィジブル」とは、まず、ボルンのことを指すと思われます。大学教授でありながら、政財界や法曹界に人脈を持ち、アメリカとフランスを行ったり来たりし、晩年になって、妄言かもしれませんが、諜報機関でスパイとして活動していたことを明かします。拳銃をつきつけたきた少年を、正当防衛を超えてめった刺しにして惨殺したことも、本当かどうか、最後まではっきりしません。このボルンという存在がまず不可視(インヴィジブル)です。さらに言えば、主人公のウォーカー本人も、積極的に回想録を書いているようでいて、不可視(インヴィジブル)な部分を残しています。なぜ、ボルンの犯罪にこだわり、執拗なまでの正義漢の振る舞いをするのか。姉のグウィンとの性生活を(グウィンの記憶によれば)捏造してまで、セックスへのこだわりを執拗に文章化しようとしたのはなぜか。文学の道を諦めて、中年以降はどのような人生を送っていたのか。見えない部分を多く抱えた主人公です。さらに言えば、マルゴも、エレーヌも、グウィンも、何らかの不可視(インヴィジブル)な部分を抱えています。その部分に翻弄されて、主人公のウォーカーは右往左往させられることも少なくありません。唯一、不可視(インヴィジブル)な部分がほとんどないと思われるセシルが、ボルンに最後に会い、物語の締めを担う日記を記します。可視的な存在であるセシルが、最後の語り部として登場するわけです。

 本作品には、執拗なまでに濃密な性描写が多数出てきます。主人公のウォーカーは、セックスに狂奔しています。しかし、これは、20歳そこそこの青年ならば、誰でもなりがちなことでしょう。セックス依存症です。本当かどうかは別として、姉のグウィンとの近親相姦に血道を上げるのも、セックス依存症的なウォーカーの性癖がそうさせているとも言えるでしょう。セックスこそが、不可視(インヴィジブル)なものを白日の下に曝し、可視化する手段であるかのように、過激な性描写が用いられています。

 ウォーカーの手記やセシルの日記が原テクストであり、それを巡る僕(ジム)の思考や関係者とのやりとりが、メタ・テクストであり、本作品も、著者オースターが得意とするメタ・フィクションの手法で書かれています。原テクストの連結で、不可視(インヴィジブル)なものが可視化される面もあれば、それが手記ゆえに、書いた者が隠したり、捏造したり、ねじ曲げたりした部分もあるために、余計に不可視(インヴィジブル)になるという面もあります。人によって見え方が異なるという、芥川龍之介の『藪の中』的な面もあり、主観的に書かれた物の、不可視(インヴィジブル)的な限界が見えます。しかし、究極的には、世界は、主観的に見えるものの寄せ集めであり、主観と主観の接触でしか語り得ないという現象学的な見方をするなら、真実を語るのも、虚構を語るのも、究極的には、手記しか手段がないともいえるでしょう。それが、本作品で、著者オースターが、手記の連鎖という手法を用いた理由に思えます。