愚者一人一人に物語がある | ほうしの部屋

ほうしの部屋

哲学・現代思想・文学・社会批評・美術・映画・音楽・サッカー・軍事

 

 ポール・オースターの長編小説『ブルックリン・フォリーズ』を読了しました。

 著者のオースターは、現代アメリカを代表する作家の一人です。デビュー作から一貫して、ニューヨークを舞台とする作品を多く書いてきました。本作品『ブルックリン・フォリーズ』も、ニューヨークが舞台です。ニューヨークのブルックリンにたむろす、主人公を含めた登場人物たちの愚行の数々を描き、オースターにしては珍しく、喜劇的な作品になっています。

 オースターは、作中作を幾つも何重にも埋め込む、メタ・フィクション(メタ・テクスト)の手法を得意としていますが、本作品もその一環として書かれています。主人公や登場人物たちの様々なエピソードや独白が、原テクストとして幾重にも織り込まれており、それが最終的に、臨死を体験した主人公が思いついたビジネスのアイデアに直結します。

 肺ガンを患ったことを契機に、保険の外交員の仕事を辞めてニューヨークのブルックリンで生活を始めた主人公を巡る、親族、友人、恋人、仕事仲間などとのやりとり、登場人物たちの真剣ながら端から見ると奇妙で喜劇的にも思える出来事が語られていきます。主人公は、自分や親しい人々の愚行の数々を記録し続け、いずれは本にしようと考えていましたが、日々の些事や大きな事件に巻き込まれて、なかなか進みません。物語の終わり間際に、瀕死状態に陥った主人公は、生命の危機を脱して、大きな計画、商売を思いつきます。

 

 それでは本作品の内容を紹介します。

 

 60歳にして肺ガンを患い、治療を受けて寛解した私(主人公=ネイサン・グラス)は、保険外交員の仕事をやめて、50数年ぶりに、ニューヨークのブルックリンに戻ってきました。いままで住んでいた家は売れて、代金を元妻イーディスと折半しました。娘のレイチェルが来て、何か目標をもたなければいけないと説教していきました。街を散歩していて、立ち寄った古書店の、ゲイの経営者ハリーと親しくなりました。私は、『人類愚行の書』というものを執筆していました。自分も含めて、色々な人々の、愚行、失敗、恥などをメモ書きして、段ボール箱に放り込んで溜めていました。その後、カテゴリーごとに分類するために、マルチボックスにネタを保管するようになりました。しかし、この本の主人公は、私ではなく、甥っ子のトムでした。トムは、今は亡き私の妹ジューンの一人息子で、文学者として将来を嘱望されていましたが、博士論文でつまづき、学問の道を諦め、ハリーの古書店で働いていました。その前はタクシー運転手をしていました。荒れた生活で肥満体になっていました。トムの妹オーロラ(愛称ローリー)は、兄とは正反対の奔放な性格で、父親の知れない娘ルーシーを産んで育てていました。トムはハリーと意気投合して、ハリーの店で働くことになりましたが、ハリーが語る経歴はすべてでたらめでした。ハリーは自分の過去を隠していました。ところが、ある日、ハリーの娘と称するフローラという女性が店を訪ねてきました。ハリーは精神を病んでいるフローラに薬の服用を再開して母のもとに帰るように説得しました。それがきっかけで、ハリーは自分の本当の過去を私たちに打ち明けました。ハリーは、百貨店の香水売り場の販売員をしていました。そして大富豪の娘のベットと知り合い、結婚し、ベットの親の援助で画廊を開きました。性的に内気なベットを相手に、ハリーはゲイでも夫婦生活ができました。そして、まかり間違って娘のフローラができました。ハリーは前衛画家のスミスという男を見出し、その作品は非常に高値で売れました。しかし、スミスは自殺してしまいます。そして、ハリーはドライヤーという画家と恋仲になります。ドライヤーは優れたデッサンの能力を活かして、死んだスミスの贋作を大量に生み出しました。それがハリーの画廊の経営を支えました。しかし、スミスの妻に贋作を見破られて、ハリーとドライヤーは詐欺の罪で逮捕され服役しました。妻ベットとも離婚して、刑務所を出た頃のハリーは無一文になっていました。ベットの両親から経済的な支援を受ける代わりに、地元を出て二度と妻子の前に現われないことを約束させられました。こうしてハリーはニューヨークのブルックリンに、自分の古書店を開くことになったのです。私は娘のレイチェルに手紙を書いて非礼を謝り、従兄のトムと引き合わせたい旨を伝えようとしました。私は、昼食に行きつけのカフェの給仕をしているマリーナという既婚女性に恋をしました。私とトムは精子バンクを訪れ、精子採取のマスターベーションを補助するエロ雑誌に、トムの妹オーロラがあられもない姿で出ているのを見つけます。かつてのオーロラは、ポルノ雑誌のモデルだけでなく、数多くのポルノ映画に出演し、ヌード・ダンサーの仕事もしていました。オーロラは、トムが大学院生の頃、娘のルーシーを連れて同居していたことがありました。そして、ウエイトレスのバイト先で知り合ったバンドメンバーと意気投合して、ボーカルを担当することになり、各地をライブで巡るようになりました。そしてトムの前から姿を消しました。ニューヨークでタクシー運転手になったトムに、オーロラは電話をかけてきて、会いたい旨を伝えました。オーロラの話では、バンドメンバーの影響でドラッグにはまり、そこから抜け出すためのクリニックで知り合ったデイヴィッド・マイナーという男と結婚することになったというのです。デイヴィッドはキリスト教系の新興宗教にのめり込んでいました。それから3年、トムのもとにオーロラからは何の連絡もありませんでした。私とトムがいつもの昼食を取るために一緒に歩いていると、トムが恋心を抱いてBPMというニックネームをつけた女性が自宅の玄関先で子供たちを学校の送迎バスに乗せるために待っているのを見かけました。私はトムの代わりに、BPMに話しかけました。BPMはナンシーという名前で、アクセサリーを作っている工芸家でした。ナンシーは古書店主のハリーを知っていました。その縁を利用して、私はナンシーにトムを紹介しました。私は、ナンシーの自宅のショールームを訪問して、160ドル前後のネックレスを購入しました。ナンシーは、話してみると、友好的な人物でしたが、軽薄なニューエイジ思想にかぶれており、トムの相手としてふさわしくないと私は思いました。それにナンシーは既婚者で子供もいます。私は、ナンシーから買ったネックレスを、恋愛感情を私が抱いている、カフェのウエイトレスのマリーナに、誕生日プレゼントとして贈りました。私は、ハリーとトムと一緒に晩餐を取っている時、ハリーから、理想郷であるホテル・イグジステンスの話を聞きました。そして、そういうホテルを手に入れるための大金が近々転がり込んでくるかもしれないと、ハリーは言いました。私は、ナンシーと頻繁に顔を合わせるようになり、親しくなりました。娘のレイチェルに贈るためのアクセサリーも買いました。しかし、レイチェルと連絡が取れないので、元妻のイーディスに電話しました。イーディスによると、レイチェルは、イギリスに仕事で行っているといいます。私は、いつもの昼食をとりにカフェに行きました、マリーナは休みでした。しかし、マリーナの夫と名乗る乱暴な男が入ってきて、私を脅し、マリーナに贈ったネックレスを引きちぎりました。店主がマリーナの夫を追い払いましたが、店主はマリーナをクビにすると言いました。私は、自分のせいでマリーナが職を失うことになったと後悔しました。それ以来、そのカフェに私が行くことはなくなりました。ハリーと夕食を共にしていて、ハリーのもとに、かつて贋作絵画を描いていたドライヤーが戻ってきたといいます。ハリーとドライヤーは再び、詐欺を計画しているといいます。今度は、有名作家ホーソーンの『緋文字』の直筆原稿の贋作をコレクターに売りつけるというものです。贋作そのものは、ドライヤーの刑務所仲間だったイアンという男が担当するといいます。ハリーは贋作原稿を売る見返りとして25パーセント、100万ドル近くを手にするといいます。私は、姿を見せないイアンという贋作師は架空の存在で、ドライヤーが復讐のために、ハリーをはめようとしているのではないかと心配しましたが、ハリーは、もうこの計画に完全に乗り気になっていました。トムのもとに、妹オーロラの娘で9歳になるルーシーが突然、訪れてきました。ルーシーは何を聞かれても決して言葉を発しませんでした。トムに頼まれて、私はルーシーを一時預かることになりました。トムは仲の悪い義理の姉のパメラにルーシーを預かってくれるように頼み込みました。私は、ルーシーの新しい洋服や、彼女が欲しがるものを買ってやりました。そして何日目かの夜、ついにルーシーがしゃべりました。ルーシーはパメラのもとへ行くのを嫌がっていました。私はルーシーを何とか説得して、自分の車に乗せ、トムの運転で、パメラの住むニューイングランドに向かいました。久々の運転でトムはご機嫌で、カフカについての逸話など、文学談義に花を咲かせました。しかし、途中に寄ったドライブインで、食事の後、車に戻ってみると、エンジンがかからなくなっていました。ドライブインに併設された自動車修理工場の主は、エンジンのトラブルかもしれないが、点検と修理に数日かかるといい、その間、私たちが泊まる宿を手配してくれました。その宿は、公認会計士を引退したスタンリー夫婦が営むつもりで準備を整えている最中、妻が急死して、夫一人でようやく開業にこぎつけたものでした。そのホテルで、私とトムとルーシーは夢見心地な快適な生活を4日間送りました。夕食は、近所で教職にあるスタンリーの妹のエレンが用意してくれ、毎晩、ごちそうでした。トムの義理の姉パメラは、電話で、約束の日を守らなかったと怒り心頭でした。私は、ルーシーをパメラに預ける計画をやめ、自分が預かるとトムに宣言しました。私は、ハリーの詐欺計画が成功したとして、その資金でスタンリーのホテルを買い取り、ハリーの言う理想郷、ホテル・イグジステンスにしようと考えていました。トムは、スタンリーの妹ハニーと意気投合して、ベッドを共にしました。ルーシーは次第に、家族について話すようになりました。オーロラが行けと言うからトムと私のいるニューヨークに来たといいます。言葉を発しなかったのは、新興宗教にのめり込んでいる父デイヴィッドの言いつけでした。自動車修理工場からの連絡で、私の車の燃料タンクに何者かが大量のコーラを入れたため、エンジンが動かなくなったと判明しました。これは後に、パメラの元におくられるのが嫌でルーシーがしたことだとわかりました。修理工場の主の話では、私の車はブレーキもすり減っていて、このまま走り続けていれば大事故になった可能性があるとのことでした。燃料タンクにコーラを入れた馬鹿者は、私たちの命を救ってくれたことになります。ニューヨークに帰る朝、私たちは、ハリーが急死したという知らせを受けました。これで、スタンリーのホテルを買い取る話は、まったくの夢物語に終わりました。ハリーは、私が心配したとおりに、復讐に燃えるドライヤーの計略で、架空詐欺の仲間にされて、裏切られたのです。警察に捕まりたくなかったら、店をよこせと脅されました。ハリーは貴重な古書を全部、そして店も取られることになります。怒りに燃えたハリーは、ドライヤーの車を追いかけて走り、心臓麻痺を起こして急死したのでした。ハリーが残した遺書に従って、古書店は蔵書とともに売却されて、その金の半分はトム、残りの半分は、店番をしていたドラァグ・クイーンのルーファスに渡されることになりました。ルーファスはジャマイカに帰るから遺産はいらないと言いましたが、トムは、ジャマイカにいるルーファスの祖母に渡すつもりでした。私は、ドライヤー一味に連絡を取って、詐欺のことを警察に通報されたくなかったらハリーの財産から手を引くように脅迫し、納得させました。ハリーの遺灰は、公園の木の根元に撒くことになりました。ルーファスは見事なドラァグ・クイーンの扮装で、踊り、歌いました。その後、彼はジャマイカに帰りました。しかし、ハリーの遺産の法的処理が済むまでは、トムは無収入です。私は、古書店の店番を手伝うことにしました。ルーシーは近所の小学校のサマー・キャンプに入れました。私の娘のレイチェルがイギリスから戻って連絡をよこし、会いたいといいます。レイチェルは私と食事しながら、夫婦関係が破綻していることを告げました。原因は夫の浮気でした。私は、ここ最近の一連の出来事などを『人類愚行の書』として記録していきました。ブルックリンに、スタンリーの妹ハニーが、トムを訪ねてやって来ました。ハニーは、教職を辞めており、トムと一緒に暮らすつもりで来たといいます。それから数ヶ月が過ぎ、ハリーの遺産の手続きは完了し、トムとハニーは結婚し、レイチェルは夫婦仲を取り戻して妊娠し、ルーシーは地元の小学校の5年生になりました。工芸家のナンシーは夫の浮気で家庭生活が破綻し、夫はブルックリンを去りました。ブッシュ対ゴアの大統領選間近に、トムの妹でルーシーの母親のオーロラから連絡がありました。留守電に入ったメッセージで、家には電話がないから住所を告げると言って、その途中で切れていました。ホーソーン・ストリートという名前だけはわかりましたが、ノースカロライナとサウスカロライナに同名の街は数百もありました。私は、保険外交員時代の職場仲間で、人捜しの名人の男に依頼して、オーロラの住む場所を特定してもらいました。現地へ向かった私は、オーロラの夫、デイヴィッド・マイナーに面会しました。デイヴィッドは、キリスト教系の新興宗教にどっぷりはまり、教祖の教えに従っていました。ルーシーまで巻き込んだ無言の行もその一環でした。デイヴィッドは、オーロラは頭がおかしい、夫に従うのは妻の義務だといいます。オーロラが、デイヴィッドの尊師の教えを信じようとしないので、デイヴィッドはオーロラを憎むようになっていました。インフルエンザに罹って寝ているというオーロラが起きてきて、話に加わりました。そして、私はオーロラを連れて、デイヴィッドの家を後にしました。仕事が上手くいかないデイヴィッドは、新興宗教の尊師に出会って、人格が豹変し、尊師の言うことを守れば聖者になれると信じ込むようになりました。尊師の方針やメッセージはコロコロ変わり、文明の利器を捨てること(電話も外すこと)、その次には、文明に毒された言葉もできるだけ発しないこと、つまり無言の行が課せられました。子供は対象外でしたが、ルーシーがオーロラを真似て無言の行をするので、困ったオーロラは尊師に面会します。そこで、フェラチオを強要されたオーロラは、尊師の精液をブラウスに浴びて帰宅します。その出来事をオーロラが話しても、デイヴィッドは無言の行のままでした。そこで、オーロラはルーシーをニューヨークの兄であるトムのもとに送り出したのです。デイヴィッドは、部屋に目張りをしてオーロラを監禁しました。近所の公衆電話から私に助けを求める電話をするのが精一杯でしたが、それもデイヴィッドによって中断させられました。そこに私が助けに現われたわけです。ニューヨークに戻った私は、工芸家のナンシーの母ジョイスと親しくなり、その家の空き部屋に、オーロラとルーシーが住めることになりました。ジョイスと私は、もう週に何回かベッドを共にする仲になっていました。トムはハリーの遺産を整理し、一生困らないほどの金を手に入れました。トムは妻のハニーが妊娠していることを告げ、私に子供の名付け親になってほしいと頼みました。私の娘のレイチェルもまた妊娠したことを報告してきました。ルーシーが何かとオーロラに逆らうようになり、言動が乱暴になってきました。オーロラの話の聴き手になった私は、ルーシーの父親はかつてのバンド仲間の二人のうちの一人で、どちらかわからないと打ち明けられます。オーロラのもとに、夫のデイヴィッドから離婚届が来ました。これでオーロラは自由の身になれたわけです。オーロラは、私に、工芸家のナンシーとレズビアンの恋仲になっていることを告げました。ナンシーの母で私の恋人ジョイスは、怒り心頭でしたが、私は何とかなだめて、オーロラとナンシーの仲を許してやるように促しました。その会話中、デリバリーの食事をしていて、私は心臓付近に異様な痛みを感じて倒れました。こんな時に、心筋梗塞でくたばるのかと思いましたが、病院に運ばれて、何回か検査をした結果、心臓や冠動脈などには異常はなく、急性の食道炎だと判明しました。急性期で入院中、私は、自分の体が自分のものでないような、自分がどこにもいないような感覚に襲われました。その後、体調が回復しつつあるベッドで、私は新しいビジネスの計画を思いつきました。無名の、忘れられた人々をめぐる本を出版する会社を作るのです。物語や事実や文書が消えてしまう前にそれらを救出し、連続性ある物語に、一個の人生の物語に仕上げるのです。私家版で500部も刷れば良い方でしょう。生前から少しずつ出版資金を積み立てておく伝記保険というシステムも思いつきました。無名の人々が死んでも、まだ残るものがある、私たちみんなが死んでも残るものがある、本の力をあなどってはならない、と私は思いました。私が退院してニューヨークの街路に出たのは、ちょうど2001年9月11日の午前8時でした。世界貿易センタービルに飛行機が突っ込む46分前でした。しかし、まだ時刻は8時であり、まばゆい青空の下、並木道を歩きながら、かつてこの世に生きた誰にも劣らず、私は幸福だったのでした。

 

 ストーリーはざっとこのようなものです。

 

 本作品には、様々なサブストーリーが出てきて、複雑に絡み合い、メインストーリーが何なのか判然としなくなっています。一応、主人公(私=ネイサン)、甥っ子のトムが中心ですが、そこに、古書店主のハリー、トムの姪っ子のルーシーなども派手に活動して関わり合い、他にも、多くの登場人物が、決して薄からぬ存在感を示しています。全ては、主人公が執筆を企図している『人類愚行の書』のメモ書きのために集められたエピソードだと思われます。この『人類愚行の書』のメモ書きのために集められたサブストーリーの数々が原テクストであり、それらが縦横無尽に組み合わさって、メタ・テクストを形成しています。メタ・フィクション(メタ・テクスト)の魔術的な使い手としての、著者オースターの面目躍如といった構成です。これだけ複雑な構成なのに、読み進めるには難行ではないところに、オースターの筆力が感じられます。小説として、物語として、しっかり出来上がっているのです。ただ、オースター作品にありがちなように、登場人物が多いので、途中で、「あれ、この人、主人公との関係は何だったっけな?」などと、忘れてしまう危険性はあります。

 結末近くで、病床の主人公は、「無名の、忘れられた人々をめぐる本を出版する会社を作る」という計画を思いつきます。これは、まさに『人類愚行の書』の登場人物一人一人の物語を作ることです。有名無名を問わず、人は必死に生き、生きた証として、爪痕を残していきます。それは、愚行であったり、端から見たら喜劇的であったりもします。そういうエピソードを、本作品は無数に含んでいます。しかし、半ば笑いながら読み進めていくうちに、人生の奥深さや、偶然がもたらす人生の突拍子もなさに、読者はさらされます。そして、いつのまにか、一人一人の人生の物語にコミットして、自分の人生と照らし合わせたり、思い出に浸ることさえ起きてきます。それこそが、主人公が計画する、「忘れられた人々をめぐる本」の力なのでしょう。

 誰もが、一度きりの人生を送り、その人だけの物語を作って、人生を終えるのです。ほとんどの場合、それは記録されないものですが、近親者などにとっては、鮮烈な記憶とともに残っているものです。それを本にするか否かは別として、一人一人の物語が重層的に積み重なって、複雑に影響しあって、初めて、歴史というものが紡がれていくのだと思います。歴史という織物の一本一本の織り糸として、私たち一人一人の人生が息づいているのだと思います。