ジェイムズ・ジョイスの長編小説『ユリシーズ』の[第3部」[第16章]~[第18章]を読了したので内容紹介します。丸谷才一訳の文庫本の第4巻に当たり、これで小説は終わりです。主人公のユダヤ人ブルームの1日の彷徨もいよいよ終盤を迎えます。浮気した妻モリーとの対峙が待っています。終盤になっても、ジョイスの文体などの実験的手法は続き、最後まで読者を翻弄します。
[第3部]
[第16章「エウマイオス」]
午前1時。馭者の溜まり場。主人公ブルームは、兵隊に殴られておまけに酩酊状態の教師・詩人のスティーブンを助け起こします。乗り物は見つからず、仕方なく二人で歩きます。酔っ払ったスティーブンに対してしらふのブルームは訓戒を垂れます。ブルームは警官や兵士やスティーブンを見放した医学生たちの悪口を言います。スティーブンは旧友のコーリーに出会い、金を貸してやります。ブルームはスティーブンに、父ディーダラスのいる実家へ戻ったらどうかと提案し、スティーブンは一家の貧しい生活を思い出します。二人はリフィ川のほとりの馭者の溜まり場へ行きます。この喫茶店の主人「山羊皮」は、かつて無敵革命党員でフィーニックス公園暗殺事件の関係者だったと噂される人物です。外でケンカしているイタリア人たちの言葉が美しいとブルームは言いますが、イタリア語を解するスティーブンは、彼らは金のことでケンカしていると言います。いかがわしい客たちに注目されながら、ブルームはコーヒーと甘パンを注文しますが、スティーブンは食べません。赤ひげの老船員がスティーブンに話しかけてきます。マーフィーと名乗る老船員は、スティーブンの父サイモン・ディーダラスをアイルランド人の誇りだと褒め称えます。マーフィーはディーダラスがサーカスの射撃の達人だったとか、解雇されたばかりの船員生活の思い出など法螺話を始めます。それを聞いていて、ブルームは長い旅に出ることや船乗りへの敬意を夢想します。店を覗く娼婦を見て、ブルームが悪口を言うと、スティーブンは、この国にはもっと大切なものを平気で売り渡す連中がたくさんいると言います。ブルームとスティーブンは霊魂の不滅や神の実在を巡って議論します。店主の「山羊皮」は、アイルランドの天然資源を搾取するイギリスを非難する演説をぶちます。ブルームはスティーブンに、暴力や不寛容、差別や不平等を否定する意見を述べます。馭者の一人の語る革命家(護民官)パーネル帰国説がきっかけで、ブルームはパーネルの不倫(姦通)事件を思い出し、自分の妻モリーの不倫疑惑と自分自身の無力を思い浮かべます。そして、スティーブンに妻モリーの豊満な写真を見せて紹介します。ブルームはスティーブンの優秀さに惚れ込み、自分の若い頃のように政治に関心を持っていることを快く思います。ブルームはスティーブンのパトロンになったような気分で、どうやって一夜の宿を提供しようかと思案します。そして自宅へ招待します。ブルームはスティーブンのイタリア語と美声を思い浮かべ、妻モリーと二重唱する姿を夢想します。疲れ果てて酔っているスティーブンは、なにしろ他に行くところがないので、店の勘定を済ませたブルームについて行きます。ブルームは疲弊したスティーブンに身体を貸して歩きます。道みち二人は音楽について語ります。ブルームはカトリックの宗教音楽の素晴らしさを熱弁します。スティーブンはアイルランドやイギリスの古い曲を褒め称えます。スティーブンが古いドイツの民謡を数小節歌うと、ブルームはその素晴らしいテノールの歌声に感激し、スティーブンが歌手として成功することを夢想します。章題「エウマイオス」は、叙事詩『オデュッセイア』に出てくる豚飼いのエウマイオスのこと。「山羊皮」がエウマイオスに対応します。スティーブンはテレマコスに対応します。ブルームは、エウマイオスを訪れるオデュッセウスに対応しますが、オデュッセウスは変装して作り話を語るので、彼のこの面に老船員マーフィーが対応するとも言えます。
[第17章「イタケ」]
午前2時。エクルズ通り7のブルームの自宅。主人公ブルームは教師で詩人のスティーブンを同行して自宅へ向かい、様々な通りを歩き回ります。二人は歩きながら、文学、音楽、宗教、アイルランド、女性、友情など様々なことを語り合います。両者ともに、音楽的な印象に敏感で、大陸的な生活を好み、宗教の正統的教義に反感を持ち、女性の魅力に弱い性格であることを確認しました。また、スティーブンは、食物の摂取と市民的自立の重要性を説くブルームに異論を唱え、ブルームは、文学が人間の精神を永遠に肯定するというスティーブンの考えに不同意を示しました。二人はブルーム宅に到着しますが、ブルームは鍵を持って出るのを忘れたため、柵を乗り越えて半地下エリアに降り、台所のドアから入ります。そしてガスコンロに火をつけ、蝋燭を灯し、玄関にスティーブンを招き入れ台所へ案内します。スティーブンは、自分の暖のために火を灯してくれた色々な人々のことを思い出しながら、台所を見回します。ブルームは水を汲みながら、水の普遍性、民主的な平等性、その千変万化に思いを致します。そして、水嫌い、風呂嫌いのスティーブンを諌めます。ブルームは湯を沸かして、髭を剃ります。調理台にあった馬券を見て今日一日の競馬の勝敗を思いながら、ココアを作ります。ブルームとスティーブンはココアを飲み、四方山話をします。二人は共通の知人、資産家の未亡人ミセス・リオーダンの思い出や、互いの履歴についてや、ブルームの科学的気質、スティーブンの芸術的気質、古代ヘブライ語と古代アイルランド語などについて語り合います。スティーブンはブルームに過去の蓄積を、ブルームはスティーブンに未来の運命を見ます。ブルームは父の自殺や、妻モリーの知的発育不全を直そうとしたことを思い出します。スティーブンはブルームに促されて物語詩を歌いますが、どういうわけかユダヤ人をからかう歌です。しかし、ブルームは不機嫌にならず微笑を浮かべます。スティーブンの物語詩から、娘ミリーが幼い頃に錯乱を起こしたことを思い出し、現在のミリーの奔放ぶりにも思いを致します。スティーブンは一夜の宿を提供するというブルームの申し出を感謝しながらも辞退します。ブルームはスティーブンからあずかっていた金を返します。スティーブンがブルームの妻モリーにイタリア語を、モリーがスティーブンに声楽を教えるという約束がなされます。ブルームは、青年期に、不平等や貪欲や国家間の抗争から生ずる数々の社会条件を改善したいと望んでいたことを思い出します。ブルームとスティーブンは庭に出て星空を眺め、ブルームは宇宙的時間の長大さに比べたら人生などごく短いこと、逆に物質の構成要素を辿ると無限に無に近づくことを教えます。そして、著名人や自分の親しい人、自分の息子だったルーディの誕生と死に際して現れたり消えたりした星のことを思います。ブルーム家の二階の部屋に明かりが灯っているのを見て妻モリーのことを頭によぎらせて、ブルームとスティーブンは並んで小便をします。ブルームの放尿よりもスティーブンの放尿のほうが元気がありました。二人は天をよぎる彗星を目撃します。教会の鐘の音が聞こえ、ブルームと握手して、スティーブンは去ります。屋内に戻ったブルームは頭をぶつけた痛みをこらえながら家の様子を改めて見渡し、家具の配置が変わっていることに気づきます。ピアノの上の灰皿に残った吸い殻が来訪者がいたことを伝えています。ブルームは心痛を抱えながら、飾ってあった結婚祝いの品々を眺めます。鏡を見て、孤独で変わりやすい一人の人間のイメージを自己に投影します。秩序の必要性を感じて書棚を整頓します。一日の収支決算報告を心のなかでまとめ、服を脱ぎます。足の伸びた爪を引きちぎり、その匂いをかいで幼少期の思い出に浸ります。そして安眠を迎える習慣として、もしも大富豪であったらどういう豪奢な生活をするかを夢想し、もし有力政治家だったら厳格に公正と社会秩序を維持するだろうと考えます。鍵を開けた引き出しの中の古手紙やチラシの類い、証書類、写真などを確認してそこに文通相手マーサからの手紙を加えます。老いた父の自殺を思い出し、ブルームは若い頃にユダヤ教の戒律を軽蔑していたことを悔やみます。そして、自分が最下層民に落ちぶれて屈辱を味わうことを思い浮かべます。それを避けるためには倦怠期の妻モリーと離別して失踪するしかないと考えます。しかし、疲労と休息の必要を感じ寝間着に着替えます。一日の出来事を回想しながらベッドを整え、モリーのそばに逆方向に静かに横たわります。そこでブルームは、新しいシーツの上に姦通の痕跡を認めます。モリーの浮気相手の興行師ボイランの精力、肉体美、商業的手腕を羨望し、嫉妬し、やがて諦め、平静になります。復讐の手段や可能性も考えますが、貞操の空しさを感じて諦めます。黄ばんだメロンのようなモリーの尻にキスし、目覚めた彼女に帰りの遅いことを詰問され、今日一日のことを多少の省略や修正をほどこしながら報告し、スティーブンについては詳しく語ります。ブルームは自分が、死んだ息子ルーディが産まれる5週間前以降、10年以上、モリーと肉体的交渉を持っていないことを思います。そしてブルームは胎児のような姿勢で眠りにつきます。この章の文体は、衒学的(ペダンティック)で極めて抽象的な言葉による一問一答形式で書かれています。誰か不明の二人の学者による質疑応答に思えます。一見客観的で正確なのが、かえって笑いを誘う滑稽な効果をあげています。叙事詩『オデュッセイア』のオデュッセウスが変装してあれこれ苦心して帰ることに、ブルームが柵を越えて帰宅する所業が対応します。
[第18章「ペネロペイア」]
午前2時半。ブルーム夫妻の寝室。主人公ブルームが帰って来て、今日一日のことを話してから、彼は眠りにつきます。夫婦はベッドで、夫の頭のそばに妻の足があり、妻の頭のそばに夫の足、という姿勢で寝ています。妻モリーは眠らないで考えます。まず夫が、明日は普段のように夫が妻のベッドへ朝食を持ってくるのでなく、彼がベッドで(卵を二つつけて)朝食を食べたい、と言ったことに驚きます。昔の亭主関白の時代に戻ったようなこれはどういう意味か。モリーが、センテンスの切れ目のない(つまりピリオド、句点のない)女っぽい考え方で思うことは、彼女のこれまでの人生、およびブルームの(彼女の知る限りの)これまでの人生のすべてです。夫との関わりで言えば、彼がモリーと知り合ったころのこと。夫の知り合いだった人々についての批評や悪口。夫はやさしかったが病気やケガで気弱になりやすいこと。夫がマーサと文通していることもモリーは見破っていました。夫は色々な女に親切にして意外に浮気性だとモリーは思っています。他の女と寝ているから自分との性交渉がなくても平気なのだと思います。それへの当てつけで、興行師ボイランや神父をはじめとする精力(精液)たっぷりの男との自分の浮気性をモリーは正当化し、夫との性生活のマンネリ化、倦怠期について思います。それでも、夫のやさしい配慮や抑制的な性格、自分を教育するような博識ぶりは評価します。ボイランと出会った時、足の美しさを褒められたことを思い出し、彼の変態性格を思います。夫ブルームも女のズロースなど下着に夢中になる変態だと思います。ブルームが手紙や花を送りつけて言い寄ってきたことを思い出します。ボイランが列車の中で豪快な男らしく振る舞ったことを思い出し、彼との駆け落ちを想像します。そして妻モリー自身のことについては、ジブラルタルでの母親のいない娘としての寂しい暮らし、友達との遊び、借りた本、初めての恋人マルヴィ大尉を興奮させようと手管をつくしたこと、色々な男を誘惑しようと着飾って画策したこと、ダブリンでの恋人ガードナー中尉に背後から犯されたこと、自分の最近の体型や美容の悩み、ブルームがあまり服を買ってくれないことへの不満などを思います。今朝の壁絵のニンフにこと寄せた講義を思い出し、乳房に執着して母乳を紅茶に絞ってくれと頼むブルームの変態ぶりを思い出します。明日の食事のこと、ピクニックに行こうかなどと思い浮かべながらブルームへの悪口も浮かびます。優秀ながら奔放な娘ミリーに対するブルームの扱いも批判します。女中のミセス・フレミングの悪口が浮かびます。興行師ボイランとの今日の午後の情事で非常に興奮したことを思い出します。ボイランが夫ブルームの与えてくれなかった性的満足を味わわせてくれたこと、次にボイランと会うことへの期待が胸をよぎります。モリーに月経が訪れます。処女を演ずる術を思い浮かべます。ブルームが連れてきたスティーブン青年について、ブルームのもてなし方を批判、詩人の才覚のある若いスティーブンと親しくなりたいという欲求を持ちます。夫婦とスティーブンの3人で暮らすことを思い浮かべます。そしてやがてボイランの粗野な態度や下品さへの批判をしますが、女としての際限のない欲望は認めざるを得ません。世の中が女の天下になれば良いのにと思います。それでも、ブルームが初めて自分を口説いた時のやり方、ブルームの家庭を思いやる優しさを確認し、ブルームの友人たちへの悪口を思います。息子ルーディの死以来、夫と疎遠になっていることを思い浮かべます。ブルームがホースの丘で求婚した日のOとYesの入り混じる思い出、そして彼女がブルームに結婚を許すYesで終わるのですが、このYesはずいぶん多義的で混沌としています。それは、ブルーム夫妻が正常な夫婦関係を取り戻すことの予兆であるよりも、むしろ一切を包み込む女性的なものの肯定かもしれません。章題「ペネロペイア」は、叙事詩『オデュッセイア』に出てくるペネロペイアを指し、貞節だが、不貞であったという伝説もあります。これが、モリーの両面性に対応します。ブルームが暴力によってでなく寛大さによってボイランに勝つ(?)のは、オデュッセウスがペネロペイアの求婚者たちを皆殺しにするのに対応します。
ジョイスはこの小説で、文体や構成などに前衛的・実験的手法を駆使しています。そのため難解な部分もたしかにあります。しかし、この小説の価値は、後に『フィネガンズ・ウェイク』で行う、文(文章)そのものの破壊、意味の破壊などに至っていないところにあります。そのため、読者はほぼ普通に読めるのです。読める文章で前衛的・実験的な仕掛けを施しているところに、この小説の真骨頂があります。
また、この小説は、究極のギャグ小説とも言えます。言葉遊びだけでなく、スラップスティックなギャグや不条理なギャグを多数仕込んでいます。真面目に語れば語るほど笑いを誘ってしまうというギャグもあります。ジョイスは、主人公ブルームの1日の所業を通して、人生そのものを語るとともに、読者を笑いに導くことも意識していると思います。楽しい小説なのです。この笑いの要素やギャグは、要約ではなかなか伝えられないものです。是非、小説本体を読んでいただくことをお薦めします。決して損はしないと思います。
新型コロナウイルスの第2波がやってきて、再び外出自粛などになった場合、このジョイスの『ユリシーズ』を読むことも、ステイ・ホーム(家籠もりの時間潰し)の有効な一手段になりうると思います。