たった1日の出来事(その3) | ほうしの部屋

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 ジェイムズ・ジョイスの長編小説『ユリシーズ』の[2][9][13]を読了したので、内容紹介します。ちょうど丸谷才一訳の文庫本の第2巻に相当する部分です。主人公ブルームやスティーブンらの影が薄れてしまうほど、個性的な数多くの面々が登場して、小説は複雑性を増してきます。また、ジョイスお得意のダジャレなど言葉遊びや比喩、言葉の音楽的表現なども増えてきて、実験的(前衛的)小説であることを、読者は認識せざるをえなくなります。しかし、中心的な、主人公ブルームの妻モリーへの(浮気の)疑惑、夫婦円満だった頃への憧憬は、かなり明確に表現され、たびたび出てきます。

 

[2]

[9章「スキュレとカリュブディス」]

 午後2時。国立図書館の一室。教師で詩人のスティーブンは、酒場にいましたが、12時半にヘインズとマリガンに会う約束を電報で断り、図書館へ来ます。そして、雑誌か新聞にでも売り込みたい下心を持って、年長の名声のある文学者たちにシェイクスピアの『ハムレット』に関する論考を披露します。聞き手は、途中から加わるマリガンを除いて、イギリス系又はスコットランド系のアイルランド人ばかりです。今夜のジョージ・ムーアの主宰する文学者たちの会合にスティーブンは招かれていません。図書館の会合にいたラッセルは、プラトン流に、芸術が明かさねばならないのは理念(イデア)だと強調します。スティーブンはプラトンを馬鹿にしてアリストテレスを支持します。アイルランド人による国民的叙事詩を作り上げる必要性を感じます。スティーブンのハムレット論は、シェイクスピアの生涯に照らして『ハムレット』を読み解き、逆に『ハムレット』を手がかりにシェイクスピアの生涯を推測するというものです。スティーブンによると(マラカイ・マリガンの信念に反論して)、シェイクスピアの心情は王子ハムレットにではなく、王子の父ハムレットの亡霊に投影されており、王子ハムレットは幼少で死んだシェイクスピアの息子ハムネットの、王妃ガートルードはシェイクスピアの妻アンの投影です。シェイクスピアは年上のアンに誘惑されて征服されたという性的劣等感にさいなまれています。妻アンと結婚してから死ぬまで、シェイクスピアが妻について触れた言葉(文章)は全くありません。多情な妻アンはシェイクスピアの弟リチャードと密通しています。孫娘の誕生をきっかけに和解の兆しが見えますが、晩年、ストラトフォードに帰ってからも夫婦のしこりは消えませんでした。このような、当時の伝記的研究を織り交ぜた、スティーブンの固定観念から生まれた解釈でした。シェイクスピアの作品群と当時の社会的事件との関係も語ります。論考(演説)にちりばめたシェイクスピアからの引用は、ほとんどがスティーブンが自分の文脈に都合良く適当に拾い集めたもので、原典の意味と必ずしも対応していません。マリガンが途中から加わって、スティーブンの論説に嘲笑的な評を差し挟みます。スティーブンは「男は意識して子供を作るという意味で父親であったことがない。父とは唯一の生みの親から唯一の子へゆずられる神秘的な身分である」と言います。スティーブンは、シェイクスピアは自分のウイリアムという名前を演劇の各所に隠してちりばめていると言います。そして、嘘をつく弟、王位を狙う弟、妻を寝取る弟、またはそのすべての三位一体、この主題は常にシェイクスピアと共にあると言います。新聞社の広告取りの(主人公)ブルームが図書館に来て、広告の文案のために地方紙を調べています。スティーブンの仲間たちは、ブルームのことを嘲笑したり皮肉を込めて論評します。スティーブンたちの会合は解散し、彼と共に図書館を出て行く途中で、マリガンは目に入るもの、心に浮かぶことを皮肉混じりに言い立てます。章題「スキュレとカリュブディス」は、叙事詩『オデュッセイア』に出てくる、恐るべき怪物スキュレと魔の淵カリュブディスです。スキュレには、アリストテレス、神学、ストラトフォードが対応します。カリュブディスには、プラトン、神秘主義、ロンドンが対応します。ユリシーズ(オデュッセウス)に対応するのはスティーブンで、ユリシーズがスキュレの航路を選ぶように、スティーブンはアリストテレスを好みます。

 

[10章「さまよう岩々」]

 午後3時。ダブリン市街の様々な市民たちの生態。アーティンの孤児院へ向かうジョン・コンミー神父。エクルズ通りで物乞いする一本足の水兵に祝福を与えます。神父は歩きながら議員夫人や子供たちなどの相手をして、神父らしく振る舞いますが、心の中では俗っぽいことを考えてもいます。北ストランド道路の葬儀屋コーニー・ケラハーは干し草を噛みながら帳簿を締めていました。コンミー神父は市外行き電車に乗ります。電車内の人々を眺めながら、神父は布教のことなどを考えます。神父はホース道路の停留所で降り、マラハイド道路を歩きます。神父は伯爵夫人のことを思い出し、人間の色欲に思いを馳せます。歩きながら祈りを唱えます。そして再び電車に乗ります。葬儀屋ケラハーは、干し草を噛みながら警官と話をしています。一本足の水兵は、施しを求めてうなり声を上げ、ディーダラス家の三人娘を追い越します。そうやって水兵は寄付を集めて回ります。ディーダラスの三人娘は貧しい食事をとります。グラフトン通りの花と果物の店で主人公ブルームの妻モリーに土産を買う興行師ボイラン。ボイランは土産物を電車で配達してくれるように頼み、一本のカーネーションをもらいます。トリニティ・カレッジ前で立ち話するアルミダーノ・アルティフォーニと教師・詩人のスティーブン。アルティフォーニはスティーブンの収入のことを考えて諭します。ドリアー通りにあるボイランの事務所のミス・ダン。タイプライターを打ったり電話の応対をしながら、街行く人々の品定めをします。歴史を探って本を書いているヒュー・ラブ師に聖マリア修道院の会議室跡を案内するランバート。ここはアイルランド独立運動の記念碑的な場所です。ラブ師を送り出してから、ランバートはオモロイとラブ師の品定めをします。クランプトン・コートからウェリントン河岸へ歩くレネハンとマッコイ。レネハンはマッコイにマンホールにはまった男が救助された話を聞かせます。そして競馬の話題になります。次には、ブルーム夫妻を嘲笑するような晩餐会の出来事を語りますが、ブルームの芸術家的センスを認めます。その主人公ブルームはマーチャンツ・アーチの本屋で本を探しています。掘り出し物を2冊ほど見つけました。妻モリーに買ってやる本を探します。濡れ場の箇所を熟読します。この『罪の甘い歓び』という本を買います。ディロン競売場前のサイモン・ディーダラスと娘のディリー。ディリーはサイモンに小遣いをねだります。日時計台からリフィ川へ歩くトム・カーナンは商売がうまくいったことにほくほくしながら、知り合いとアメリカの悪口を言い合い、街の血塗られた歴史を振り返ります。教師・詩人のスティーブンは宝石細工師の店を眺めながら、妄想にふけります。ベッドフォード通りの本屋で立ち話をするスティーブンとディリー。ディリーはフランス語入門の古本を買ってスティーブンに見せます。下オーモンド河岸のサイモン・ディーダラスとカウリー神父とだぶだぶの服を着たドラードが世間話をします。総督府を出てキャヴァナの酒場へ向かうマーティン・カニンガムたちは、市の書記官補からアイルランド語を使うことの悪口を聞かされます。ディム通りのカフェD・B・Cでのマリガンとヘインズ。窓外を物乞いをして歩く一歩足の水兵を眺めて、アイルランドの古代神話について話します。メリオン広場近くのアルティフォーニ、ファレル、盲目の若者。ファレルは盲目の若者にぶつかり、罵りを上げます。ウィックロー通りからナッソー通りを、使いにやらされたディグナムの息子は豚肉を抱えながら歩きます。店のウインドウをのぞき、ボクシング選手について妄想したり、父の葬式のことを考えたりします。そして、フィーニックス公園の公邸を出てボールズブリッジの慈善市へ向かうアイルランド総督の騎馬行列。道行く人々(これまでの街中の登場人物たち)は、総督の行列に敬意を表します。ブルームやスティーブンといった重要人物も一市民として市井に紛れて目立たなくなっています。章題「さまよう岩々」は,叙事詩『オデュッセイア』に出てくるさまよう岩々のことで、市街の様々な人々に対応します。

 

[11章「セイレン」]

 午後4時。オーモンド・ホテルのバー。ホテルのバーでは女給二人ドゥースとケネディが総督の車列を眺めながらお茶を飲んで話し、ブルームらしき男の悪口を言います。サイモン・ディーダラスが入ってきて、酒を飲み女給たちと話します。レネハンも入ってきて、ディーダラスの息子、教師で詩人のスティーブンのことを話します。やがて特別室のピアノをサイモン・ディーダラスが弾きます。花の名前などにブルームの名前を暗示させる卑猥な序曲の部分が終わると、バーの外の街中を、主人公ブルームが空腹を覚えながら歩いています。彼は便箋と封筒を買っていると、二輪馬車に乗っている興行師ボイランを見つけ、後を追います。ボイランはホテルのバーで酒を飲み、レネハンと話します。ブルームは隣の食堂でリンゴ酒を飲み、レバーとベーコンのフライを食べます。隣席にはリチー・グールディングがいて牛肉と腎臓のパイを食べています。ブルームはリチーが金勘定に汚いことを思い浮かべます。レネハンは女給に求めて、「打ち鳴らせ鐘を!」という卑猥な芸をさせます。4時に約束のあるボイランは退席します。ディーダラスやレネハンたちは、ブルーム夫妻の噂話をします(特に見栄っ張りの夫人について)。特別室でベン・ドラードが「恋と戦争」を歌い、サイモンが「夢のように」を歌います。カウリー神父が伴奏します。音楽に酔いながら、ブルームは妻モリーの公演や彼女との情交のことを思い出します。もてあそんでいたブルームの手のゴム紐が切れました。そしてブルームはモリーと興行師ボイランとの情事(浮気)を想像して苦悩し、文通相手のマーサへの手紙を書きます。ベン・ドラードが皆にせがまれて歌う「クロッピー・ボーイ」と入り交じって、ボイランがブルームの家のドアをノックする音、盲目のピアノ弾きの少年が置き忘れた音叉を取りに来る杖の音が聞こえます。幻想や妄想が入り交じった中で、ブルームは自分には息子がいないことを思い出し、もう手遅れだと考えます。ドラードの歌が終わるころ、ブルームは立ち上がり、貝殻を耳に当てて音を聞く女給を横目にバーを出ます。河岸を上流の方へ歩きながら、屁がしたくなり、ちょうど頭に浮かんだアイルランドの愛国者エメットの最後の言葉の末尾「終われり(ダン)」に合わせて、一発屁を鳴らします。章題「セイレン」は、叙事詩『オデュッセイア』の中で、近づく者を歌声で魅惑して破滅させる魔女たちセイレンのことで、酒場の女給二人に対応します。この挿話全体のダジャレ混じりの音楽的文体が、セイレンの歌声を連想させます。

 

[12章「キュクロプス」]

 午後5時。酒場。主人公ブルームは、死んだディグナムの保険のことについてカニンガムとパワーに会うため、バーニー・キアナンの酒場へ行きます。酒場では、男たちが「市民」というあだ名の名物男を囲んで酒を飲んでいます。「市民」は体格が良く、革服を着込んでいます。彼らの中の一人は、こげついた貸金の取り立て屋です(この章の語り部)。「市民」を囲んで男たちは酒を飲みながらとりとめのない話を続けます。死んだはずの(午前中に葬儀が行われた)ディグナムが生きていて誰かと会ったというような話まで出てきます。ブルームは彼らに加わりますが、酒は飲みません。絞首刑になった死刑囚の勃起についての話も出てきます。それに乗って、「市民」たちは死刑になった者も含めてアイルランド独立運動の英雄たちの話をします。酒場に居着いている犬をからかったり餌を与えたり虐待したりします。弁護士オモロイから様々な訴訟沙汰のスキャンダルの話を聞きます。ブルームは、妻モリーの公演を仕切る興行師ボイランがモリーをものにするという酔っ払い連中の噂話を聞かされます。「市民」は「不貞の妻」と言ってブルームをからかいます。「市民」は、イギリスを毛嫌いし、アイルランドの再興を訴えます。ブルームは「市民」の機嫌を損ねて、からまれます。三つの原因が重なりました。第一に、ブルームはユダヤ人であり、民族間の憎しみよりも愛の大切さを説きますが、「市民」は大のユダヤ人嫌いです。第二に、「市民」が口にするナショナリスティック(愛国的)な議論にブルームが同調せず、穏やかながらも(反アイルランド語的な意見やアイルランドのスポーツを批判する意見など)反論を述べたせいです。第三に、ブルームが競馬のゴールドカップ・レースで大穴を当てたと「市民」は誤解していて、それなのにブルームが皆に酒をおごらないからです。ブルームは立ち去ろうとして、追いかけてくる「市民」に空き缶を投げつけられ、それをかわして馬車で逃げ出します。この章は、違う語り手による二種類の語りを交互に組み合わせて出来ています。主筋を語るのは「おれ」と名乗る貸金の取り立て屋。もう一人は、「おれ」の話に触発されてそのパロディを作り、やや難解な解説のようにして述べる謎の人物です。この謎の人物は、柳瀬尚紀の奇怪な解釈によれば、酒場にいた犬だとされています。章題の「キュクロプス」は、叙事詩『オデュッセイア』に出てくる一つ目の巨人キュクロプスで、ナショナリストの「市民」と呼ばれる男に対応します。

 

[13章「ナウシカア」]

 午後8時。海岸。カニンガム、パワーと同行してディグナムの未亡人を訪ねた主人公ブルームは、一人でサンディマウント海岸(朝、教師で詩人のスティーブンが歩いていた)に腰をおろし、休んでいます。北国の夏の8時なのでまだ明るいのです。三人の娘たちが子供たちを連れて遊びに来ています。その一人、ガーティー・マクダウエルは、他の二人の娘たちからやや離れていますが、若い恋人との結婚について夢想しているうちに(なかなか彼がかまってくれない悩みとともに)、中年の喪服を着た紳士然としたブルームが自分をじっと見つめていることに気づきます。ガーティーは美しく気位の高い女性で自分のファッションセンスに自信を持っています。年上の紳士との結婚も夢想しています。近くの教会から聞こえてくる祈りを耳にして、酒癖の悪かった父に苦しんだことや死去したディグナムの一家との交流も思い出します。教会の礼拝儀式と、ガーティーとブルームの視線の駆け引きとが錯綜します。遠くで花火が上がると、ガーティーはそれを見ようとして空を振り仰ぐのにことよせて、ブルームとの愛のやりとりを妄想し、身体を弓なりにしてスカートの奥の青色の下着をブルームに見せて気を惹きます。それをブルームは見ながら手淫(オナニー)します。ブルームの手淫をガーティーは知っています。それをガーティーは二人だけの秘密にしようと決意します。ガーティーら娘たちと子供たちが立ち去ります(ここまでは視点がガーティーにあり、女性雑誌に載る小説の文体で書かれています)。ブルームは、ガーティーが足を引きずって歩くのを発見します(ここからはブルームの内的独白が中心になります)。ブルームは女たちの性欲や月経、特に妻モリーと興行師ボイランの情事について考えながら射精し、ガーティーについて、モリーについて、娘のミリーについて思います。女たちの男との駆け引きについて妄想します。葬式や酒場での今日の嫌な思いが薄れたと感謝します。それから自分が持っている石鹸の匂いをガーティーの香水の匂いが漂っていると錯覚して、匂いについて思いを巡らせます。やがて周囲はほの暗くなり、コウモリが飛び回ります。それを眺めてブルームは様々な回想と妄想を混濁させます。砂地に棒きれでガーティーに伝言を書こうとして諦めます。教会のマントルピースの上で、置時計のカナリアがクックー、クックー、クックーと鳴ります。章題の「ナウシカア」は、叙事詩『オデュッセイア』に出てくる、漂着して眠っていたオデュッセウスを助け、着物と食物を与えた王女ナウシカアのことで、ブルームを誘惑するガーティーに対応します。