たった1日の出来事(その1) | ほうしの部屋

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 ジェイムズ・ジョイスの長編小説『ユリシーズ』を読み始めました。とりあえず、短い[1]を読了しましたので、内容紹介します。とはいえ、要約的なものを読んでも『ユリシーズ』の魅力はあまり伝わりません。百科全書的な引用や比喩に満ちあふれた文章で、その魅力は要約では伝えられないからです。何しろ、現在のスタンダードな丸谷才一訳の場合、本文の3分の1ぐらいの分量の膨大な訳注が付属しています。訳注も一緒に読まないとこの小説の醍醐味は味わえないとも言われます。しかし、柳瀬尚紀は新訳で訳注を付けずに翻訳するという冒険をしました。本当は柳瀬訳で読みたかったのですが、柳瀬は最後の数章を残して死去してしまい、現在、出版されている翻訳は途中までのものです。そのため、仕方なく丸谷訳を仕入れて読んでいるわけです。

 この内容紹介で「読んだつもり」になっていただいても、概要を知っていただいても構いませんが、小説本体を読むことに関心をお持ちになる方が一人でも増えれば幸いです。

 それにしても、ジョイスの最後の奇天烈小説『フィネガンズ・ウェイク』を読んだ(読んだつもりになった)後だけに、いかに『ユリシーズ』が難解と言われても、普通の文章として読めることが嬉しくてたまりません。普通の読書ができる喜びです。しかし、『ユリシーズ』でも、ジョイスは様々な仕掛けを施しているようで、油断は禁物です。

『ユリシーズ』は、1904616日という設定のたった1日の、アイルランドのダブリンとその周辺での出来事を綴った長編小説です。いわゆる「意識の流れ」に従って、登場人物の想念などが自由気ままに膨らみ浮遊します。そのため、たった1日の出来事でも膨大なテクストになるのです。

 小説の中心は、主人公のユダヤ人ブルームが、妻の浮気に悩みながら、その浮気を容認して傍観するという心理的葛藤です。しかし、[1]では、まだ主人公ブルームは登場しません。重要人物の一人であるスティーブンが中心です。スティーブンは作者ジョイスの分身とも見なされています。

 教師のスティーブンは詩人でもあり、生粋のアイルランド人の詩人らしく、朝のひとときでも、海辺の散歩でも、すぐさま自由に想念(妄想)を広げ、詩的な思索や表現を頭に思い浮かべ、それと現実認識との境が曖昧になります。

 

[1]

[1章「テレマコス」]

 午前8時。ダブリン郊外の、塔に下宿する、教師で詩人のスティーブン・ディーダラス、医学生で詩人のマラカイ・マリガン、そしてヘインズの3人の朝のやりとり。スティーブンとマラカイは髭を剃りながら雑談し、ヘインズに呼ばれて朝食の席につき、そこへ牛乳売りの老婆が来ます。スティーブンは、髭を剃っている間に、マラカイに焚きつけられて、母の死に立ち会った時のことを思い出します。その後、マラカイは泳ぎに出かけ、その後を追って、スティーブンとヘインズが歩きながら、イギリス人と(イギリスの植民地である)アイルランド人との違いを浮き彫りにするような会話を交わします。章題の「テレマコス」にはスティーブンが対応します。テレマコスは、叙事詩『オデュッセイア』の中の、オデュッセウスの息子です。

 

[2章「ネストル」]

 午前10時。塔から近いドーキーの学校。教師のスティーブンは覇気のない生徒たちに、わざと歴史の難しい質問を投げかけます。授業が終わり、出来の悪い生徒の質問に答えながら、自分の幼い頃と母親との関係を思い出します。それから、スティーブンは、校長のディージーから給料を受け取り、口蹄疫について書いた投書を新聞社に紹介してくれるように頼まれます。ディージーは保守派のイギリス贔屓で、ユダヤ人を毛嫌いしています。スティーブンとは相容れない思想・性格の持ち主ですが、ディージーはスティーブンの才覚を一応認めています。ディージーが章題の「ネストル」と対応します。ネストルは、叙事詩『オデュッセイア』の中で、トロイアで戦うギリシアの将軍たちの最年長で最も賢い男です。

 

[3章「プロテウス」]

 午前11時。ダブリン市内南東の遠浅の海岸。スティーブンは、ディージーに頼まれた投書を新聞社へ運ぶ道すがら、海辺をぶらぶら歩きます。視界に入る女たちなどの人物を見ては、「あれは産婆で~」「あれはジプシーで~」などと想像して架空の物語を頭の中で創り上げます。そうしながら、スティーブンは、過去の親族とのやりとりやパリでの生活などを思い出し、そこに詩人的な妄想も絡み、架空の、あるいは現実を妄想でねじ曲げた話をいくつも創り出し、詩の一句を思いつき、ディージーの投書の一部を引き裂いて書き付けます。そうしながら、スティーブンは自分のどうしようもないアイルランド人根性(元カトリック教徒根性)を再認識します。章題の「プロテウス」は、叙事詩『オデュッセイア』に出てくる、海神ポセイドンの牛飼い、つまりあざらしの群れの番人で、容易に姿を変貌させる海の翁プロテウスのことで、スティーブンの巡り巡る想念を象徴しています。