近世日本の身分制社会(095/書きかけ141) | 「オブジェクト指向の倒し方、知らないでしょ? オレはもう知ってますよ」

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- 本能寺の変とはなんだったのか23/? 2022/04/09

 

今回も 1582 年までの状況がどのようなものであったのか、議会史的な考察と、社会心理学的な考察を中心に、中央関係者らの特に廷臣たちの内心と、その調停役をしていた明智光秀の内心について触れていく手法を採っていく。

繰り返すが、独裁主義(敷居向上の手本姿勢狩り優先・リーダーシップ主義)であろうが合議主義(敷居維持の完結落ち度狩り優先)であろうが

 

 等族主義(公正な公文書・誓願書といえる身分謄本登録の管理。国際指導責任としての信用名義人の連署状の整備)の議決性・組織性(構想の品性規律)

 

があるのか、それとも

 寡頭主義(ただの指標乞食主義・ただの劣情共有主義)でしかない、その低次元な落ち度狩りのみで調子に乗ることしか能がない今の公的教義と大差ない法賊(偽善者)ども

でしかなのか、現代でも高次元側(等族主義)低次元側(寡頭主義)かの認識(自己等族統制)を、まずは自身からしようとする前提でいるのかどうかが重要になる。

その荀子的(等族主義的)な手本姿勢(等族義務=社会的説明責任・国際的指導責任の敷居の見習い合い)の

 組織的(国家的・人間関係的)な転換期(仕切り直し)における社会心理学的関心

に、普段から冷静さ慎重さ丁寧さの余裕をもった整理の見方ができているかどうかが

 当事者的人生観(人文性と啓蒙性の敷居)の転換期(仕切り直し)における社会心理学的関心

の、人(国際人道観)としての公正な整理の見方に結び付くのである。

当事者(自身)にとっての道義関係(契約主従・義理関係・同種同業的関心等)の範囲内なのか範囲外なのか、そこに余裕(視野)をもった整理(議決性)の見方ができていない怒り(ただの劣情共有・ただの失望共有・不良債権のただの無償奉仕)を無神経・無計画に向け合おうとする、そのだらしなさも普段から疑い見抜けないようでは、世の中を解った内に入らないのである。

そこで空回りするばかりで、肝心の

 

 議決性(敷居確認の手本姿勢・社会的指導責任・国際的説明責任)の示し返し(見習い合い)
 

の最低限も自分たちでできたこともない寡頭主義(ただの指標乞食主義・ただの劣情共有主義)こそが、衰退(組織崩壊)の原因であることは、荀子・韓非子だけでなく孫子の兵法でも、相手のことよりもまずは自分たちのその急所(だらしなさ)を突かれないよう、日々の内部整備を怠るなと重々指摘されている所になる。(情報戦の基本)

そこを普段から疑い見抜いていくという最低限もできていないからこそ、公的教義のような主体性(議決性)など皆無な、低次元な侮辱・挑発(ただの指標乞食論)のだらしない怒り(劣情共有・失望共有)を向け合うことしか能がない手口(敷居低下)に、まんまと乗せられるのである。

本能寺の変が起きた 1582 年は、織田氏の高次元な身分再統制(身分制議会・兵農分離・士分家格の仕切り直し)の敷居がとうとう具体的に全国に向けられ、廷臣ら中央の旧態の高官たちも、地方の諸氏たちも進退が迫られるようになっていた。

どちらが高次元側(格上)低次元側(格下)なのかの議決性(等族社会化の国家構想の等族義務)の差は、織田氏と諸氏とのその白黒は、もうはっきりしていたのである。

それまで荀子的独裁制(手本姿勢の基準)で整理(敷居向上の状況回収)されてきた最低限の敷居によって、孟子的合議制(落ち度の最低限の基準)の具体的な確定作業(身分再統制)がとうとう始まってしまったのを、結果的に明智光秀が阻止することになったのが、本能寺の変の政治的な部分になる。

正親町天皇(おおぎまち)の次代の誠仁親王(さねひとしんのう)と、織田信長の次代の織田信忠の、同時の盛大な継承式典の予定が控えられていたことは、織田氏による天下静謐の大局は既に決したことの、事実上の国内和平宣言(全国再統一)の予定と見てよい。

すなわち、織田氏が敷く新たな等族議会制(政権・家長権・裁判権)の「開幕宣言を、新陛下に公認宣言して頂く」意味になる。

これによって、

 領地特権は削減されてもどうにか等族諸侯扱い(管区吏僚扱い・近世大名、正式な地位・議席の割り当て)される予定だった諸氏

 領地特権(管区吏僚)の等族義務に見合わないと裁定された者は、地方の旧態特権は没収、中央の旗本(武家屋敷)に強制収容

 織田氏の仕置きをまだ受けていない地方の家臣団らも、旗本への強制収容、または士分家格の剥奪の平民扱い(士農分離)


の身分制議会(士農分離)の謄本登録の法的手続き(公認)に従わなければ法賊(騒乱罪予備軍)扱いという、地位(議席)の全国的な仕切り直しの具体化も目前だった状況と見てよい。

その予定だったのを、明智光秀が本能寺の変で時間稼ぎするも、羽柴秀吉(豊臣秀吉)による天下総無事令の刀狩と太閤検地で、その続きが肩代わりされることになった。

変事には明智光秀も再び足利義昭派の意識も見られることで「明智光秀は旧態の室町体制に戻そうとしていた」説が強調されることもあるが、そうではない。

先述したが足利義昭(それを庇護していた毛利氏も)は、中央的な指揮権(家長指名権や軍役の裁判権)が確立できるだけの議会制の再興などできておらず、織田氏の高次元な敷居にすぐに合わせることができなかった反織田派の旗頭、すなわち身分再統制に対する時間稼ぎ派たちの体裁的な旗頭だったに過ぎない。

織田氏の等族議会制(閉鎖有徳禁止の異種異文化の収容の旗本吏僚体制。法治国家的な登録謄本体制のための身分再統制)の手本を、諸氏はすっかり見せ付けられてしまっていた。

その敷居に対応できていない自分たちの従来の観念価値(主体性・議決性)が、格下げされるだらしない側が、足利義昭を中心(武家の棟梁)とする士分家格の仕切り直しの、三管四職(さんかんししき)の再興なのかどうかもよく解らないような権力機関の再建に、一致団結できていた訳がないのである。

織田氏の中央の敷居(身分再統制)で、格下げや士分家格(公務公共資格)の剥奪(閉鎖有徳として制裁)は間違いない、自分たちの今後の地位(議席)のことで精一杯の気の小さいだらしない集まりが、室町政権の再建のために議決性(上としての国家構想の等族義務)を以って団結などできる訳がない。

上同士の事情など十分に聞かされることもなく、それを確認し合う機会も乏しい下々なら、その情勢を理解するのに時間もかかるのも当然だが、一方で上から順番に高次元な敷居が向けられるようになった諸氏の上層の間では、部下たちへの今までの威勢の気まずさで、そこをとぼけていただけである。

この状況を現代の商社競争で例えれば、機能・品質がより高い新商品を新規開拓的に出すことができている商社に対し、定番品(ロングセラー品)という訳でもない、10年も20年も前の品質(価値観)のままの商品を、何の工夫もなく同じ値段のままで出し続けることしかしていない競合は、いずれ勝ち目など無くなっていく話と同じになる。

値段の水準は従来と同じままで、品質改善しながら提供できている主導側に対し、それに追いつくのに精一杯になっている側がもし、

 「そんなことをされたら、今まで通りの体質のままの商社側は今までの観念価値を失い、皆が迷惑するというジョーシキもワカランノカ!」

などと、今の公的教義体質(虚像上下慣習)と大差ない寝言をほざき始めるような、業界の足並みを退廃的に訴え始めるようなだらしない商社がもしいたら、

 「よそのとやかく以前に、自分たちでもできたはずの企業努力不足に対し、普段からそういうごね方の姿勢潰しの規制(権力)で自分たちの足並みを揃えるやり方しかして来なかった、普段からのそういう組織体質のだらしなさが、まずは問題なのではないか?」

と、特殊な事情でもない限りは大半の人は、そうした基本的な所から考えるはずである。

第三者視点で見ている内はそんなに難しい訳でもない話のはずでも、ところがいざ自分たちの今までの観念価値が通用しなくなる事態に直面した途端に、そういう態度を内外に出し始めるものなのである。

当時の廷臣たちや諸氏たちも同じだが、そういう事態に直面してからでないと常に無神経・無関心・無計画で、「常にそうなってから、常に手遅れになってから」の「そうなった時だけ」のもう遅い」ことにただ騒い合い、ただ怒り(劣情)を向け合うことしか能がない、議決性など皆無な公的教義と大差ない低次元同士を、日頃から疑い見抜くことなどしてきていない証拠といえる。

 

自分たちで議決性(敷居確認の主体性・社会的指導責任・国際的説明責任)の構築(自己等族統制)をしてきた側と、してこれなかった側の


 天狗の鼻をへし折る格上側とへし折られる格下側との敷居差がはっきりしてしまってから

 化けの皮を剥がす格上側と剥がされる格下側の敷居差が歴然となってしまってから

通用しなくなってきている過去の大衆合議主義(時代遅れの寡頭主義)の押し売りを続けることしかできなくなっている、その愚かさを自分たちで議決性を以って自覚(仕切り直し・自己等族統制・再統一)できたことがない、制裁(格下げ)されて当然の典型が今の公的教義のような法賊(偽善者)どもなのである。

誰しもが直面する、当事者的人生観(歴史観)の転換期(当事者ごとの改革期)における、自分たちの議決性(人文性と啓蒙性の敷居=目的構築・組織構想の敷居=不都合的完結主体都合的継続の敷居)の向き合いは、戦国後期でも現代でも、どの国でも同じなのである。

三淵藤英(みつぶち ふじひで 細川藤孝の兄)のように事情を心得た上でやむなく反織田派に組した連中についてはともかく、織田氏の敷居で格下げ(身分再統制)を迫られ、それにただ慌てているだけの、時間稼ぎのために反織田派にただ便乗していただけの連中も、そういう所なのである。

ただの不都合同士(ただの旧態派閥利害)の寄せ集めに過ぎない、議決性(国家構想・国内再統一・等族義務の敷居の仕切り直し)で強固に一致できたことがない地方裁判権止まりのだらしない集まりが、等族諸侯(重役の議席)扱いされる訳がないのである。

現代の商戦でも、敷居の主導性を強豪に確立されてしまった競合や小口は、その敷居を意識しながら別路線で抵抗していく工夫や、小口こその強みの仕切り直しといった住み分けもしていかなければ、存在価値(主体性)は失っていく一方となる。

法人税の支払いも怪しいような小口側たちが、「大勢の従業員を抱え、多くの関連会社と連携し、巨額の法人税の支払いを毎年している大手の上層ら」と同格扱いなど、そう簡単にされる訳がないのと同じである。

その関係が、当時の身分再統制(旧態の償却処分)をする側の織田氏(新中央)と、それを向けられるようになった旧諸氏(旧地方)たち、旧廷臣たち(旧中央)との、身分再統制の関係なのである。

もちろんこれは、ただの大手主義の強調でもなければ、小口をあなどっている訳でもない、当時の旧・新の部分を現代風の力関係に例えた話に過ぎない。

大手でも小口でも、年季の長さに応じて古参主義(寡頭主義・閉鎖有徳)に陥りやすいのは同じだが、小口はより視野の狭い閉鎖社会に陥りやすく、一方で大手でも、上がそういう所にしっかりしていなければ、いたずらに大勢を不条理に遭わる不祥事も起こしがちな所もある。

民権言論(議決性)の向き合いから考えれば、大手でも小口でも結局は、大衆的合議観(価値の共有維持・敷居維持・貸方的)参入障壁的牽引観(観念価値の確立・敷居改革・借方的)の関係を議会体制的(損益計算の構想的・規律的)に整備できるかどうかにかかってくる。

大手側になればなるほど、参入障壁的牽引観(荀子的独裁制)もやりにくくなるが、だからといって今まで通りの大衆的合議観(立証主義的な孟子的合議制)を続ける分だけ、古参主義(寡頭主義)にどんどん陥る所になる。

一方で小口側としても、小口だからこそ大手よりもやりやすいはずの参入障壁的牽引観(荀子的独裁制)の強みに向き合わずに、小口なのに大手側の大衆的合議制の観念(規律)ばかり無神経・無計画に用い、それで世の中を解った気にケンカ腰になりたがる悪循環に、小口はより陥りやすいといえる。

 

織田信長は 1554 年に織田家を継承して 1582 年に亡くなるまでに、組織がいくら拡大されていっても古参主義(寡頭主義)に陥ることなど一切なく、荀子的独裁制による敷居向上の指導で、孟子的合議制の確定作業をしようとした、等族国家としての基本(国家構想の議決性の姿勢)に一貫できていた所が、偉大なのである。

大手・小口はともかく荀子的独裁制(姿勢狩り)孟子的合議制(落ち度狩り)の使い分け(等族義務=育成理念の社会的指導責任)が続けられるよその高次元な部分を見習っているといえるのならともかく、中小なのに大衆合議主義(指標乞食論)にただ頼って古参主義(寡頭主義)の悪循環に陥るばかりでは、何の見通しも無くなっていくのも当然の話といえる。

大勢になればなるほど、議決性の敷居確認も困難な分、足並みを揃えるためだけの過去の規則に頼らざるを得ず、個々にとってのもったいない時間や費用の浪費の弊害となり、個々の自立尊重の促進もやりにくくなるのが大手の欠点になる。

大手は大勢の足並みの弊害の規律を必要とする分、100人で80人分、200人で140人分、300人で200人分というような力量(費用帯効果)体制化との隣り合わせの弱点を、数物価値的な足並みで補うのが特徴的になる。
 

一方で小口は大勢でない分だけ、議決性の敷居確認のし合いが大手よりもしやすくなる利点があるはずだが、大衆的合議主義の一方的な押し付けによるその姿勢(敷居)潰しをただ植え付けることしか能がない、その典型が今の公的教義体質といえる。

大手型の足並みのための合議的弊害観念全て合わせる必要などないはずの小口は、そこを自分たちで議決性を以って整備していければ、2人で4人分、10人で15人分といった力量(費用帯効果)体制にもっていく工夫も、個々の自立尊重(人文性と啓蒙性の等族統制)の強化面でも、十分可能なのである。(順述)

ただし大衆的合議主義に頼らないほど初動は、10人の足並みを揃えるどころか2、3人の足並みを揃えるのも、実際は難しい。

しかし大手でないのに、自分たちに合うのかどうかも解らない大手と同じ大衆的合議主義にただ頼ってばかりいれば、小口としての自分たちの強み(参入障壁=皆が簡単には真似できない)はいつまで経っても構築されていかない。

 

だからこそ大手には逆に難しい、小口だからこそできる自分たちの自由意欲規律的(主体的)な議決性に取り組むことが重要なのであり、商戦でも民権言論でもそこは同じである。

大手の仲間入りなど実際にできる訳でもない立場、所詮はその下っ端止まりに過ぎない立場が、いきなりケンカ腰に道義関係の範囲外の大手主義(実績主義・大衆合議主義)を用いる法賊(偽善)行為はそれこそ「その大手と同列入り、その成功者と同列入りできている、その道義間同士でやれ!」という話である。


小口は大勢でない分だけ、議決性の敷居確認のし合いが大手よりもしやすくなる利点があるはずだが、一方的な押し付けによる姿勢(敷居)潰しを無神経・無計画・無関心にただ植え付け「枠が決まっている大手の同列入り、成功者の同列入りができない奴のことなど、どうなろうと構わん」をただ繰り返しているだけの典型が、今の公的教義体質といえる。


議決性(当事者性)など皆無な、大衆合議観念のただの偶像権威化(旧態権威のただの再確認)の植え付けをだらしなく繰り返すことしか能がない公的教義体質やオブジェクト指向体質などは、小口側にとっては悪循環化させる原因にしかならない。

道義関係の範囲外のうちのめし合いと従わせ合いにまんまと乗せられるから、小口も10人で8人分、5人で3人分といった大手型の力量(費用帯効果)体質に陥り、それこそ大衆合議主義(大手側)のいいなりの養分として、思う壺なのである。

下(外)に強み(議決性)などもたせないための、下(外)はずっと下(外)であり続けさせるための大手の古参慣習体質(権力)の落ち度狩り(ただの指標乞食主義・ただの劣情共有)の押し付け合いの手口で、下(外)同士で失望させ合いいがみ合わせ、市場を支配しやすくしているだけの構図にまんまと乗せられている典型である。


足並みの権威(弊害観念)で維持できている内はいいが、上としての等族義務(社会的指導責任・手本家長の姿勢)が忘れられ、表向き(落ち度狩り)実態(姿勢狩り)の区別もつけられない地位(議席)の蹴落とし合いばかりで、議決性の敷居の仕切り直し(再統一戦・選挙戦)を誰もやらなくなる末期症状(傾国・衰退)を迎えたのが戦国前期(閉鎖有徳闘争)であり、その愚かさが少しは反省されたのが戦国後期(議会改革・人事改革)である。

 当事者性(人文性と啓蒙性の主体性)の議決性(姿勢狩り落ち度狩りによる目的構築・組織構想)といえる手本礼儀(敷居確認)の示し合い(見習い合い)

も自分たちでせずに、大手主義(旧態観念)のただの養分になり下がり、それにただ振り回されてきただけの自分たちのだらしなさの自覚(自己等族統制・再統一)もできたこともないにも拘わらず、世の中を解った気になってただ調子に乗ってきただけの公的教義と大差ない低次元な法賊(偽善者)どもとは、さっさと決別せよ。

これは荀子・韓非子だけでなく孫子の兵法でも、普段からそういう矛盾を疑い見抜く最低限もできていない法賊(偽善者)が指揮権(地位・公務士分・議席)に居座ろうとすることが、組織体制でも諜報戦でも、皆を衰退(低次元化・信用崩壊)させていく原因だと、重々指摘している所なのである。

大手側(社会的強者側・成功者側)として良い思いなどしていない筆者もそうだが、結局は自身は小口側だと少なくとも自身で思っているのならなお、低次元な公的教義のような、道義関係などない大手側(強者側・成功者側)のただのいいなりの養分どもとは、冷静さ慎重さ丁寧さの整理の見方で距離を置くことから始めるだけでも、自分たちの議決性(目的構築・組織構想に合った手順・育成理念)の敷居整理のきっかけになる。

2020年以降の近年は、どこも過去の観念価値の衰退が著しく、その切り替えも顕著になってきている。

 

従来の大手主義(大衆合議主義)的な資本観念(金銭感覚・時間感覚・情報整理力・人的信用基準・事業体質など)に、道義関係(契約主従関係・義理関係・同種同業的関心)の範囲外のはずのことまでいつまでも偉そうに共有し合おうとする愚かさくらい、自分たちの議決性で自覚(自己等族統制・敷居確認・仕切り直し)できてから、せめてよそのことをとやかくいえという話である。

ISO9001規格を例に、これも職場のこの資格の有無のことよりも、その存在(規律の敷居)にどう向き合うことができているか、これも当事者がそれぞれどのような、議会的な見方ができているのかになる。

製作所感のある町の建造物の塀を注意して見てみると「9001取得」と打ってある所をよく見かけるが、これは企画・設計・生産・出荷の体制管理のための、質の高い文書伝達管理ができているといえる、その厳しい審査が通っている会社かどうかの業務指導的な資格になる。

筆者はある機会で過去に、この9001に準拠した設計・生産・品質管理の書類体制を提出する側の現場に少し関わったことがあるため、議会制の姿勢の一環としてここで紹介しておきたい。

9001の職場でも、それを提出する側の業務に関わったことがない人には実感が出ない話かも知れないが、これは製品ができるまでの過程の、仕様書の作成から設計書から、発注書や伝票といった、その業務に使用された書類全体(伝達手段)に対する検品(質管理)といったものになる。

段階ごとに各工程を細分化し、現場を請け負った者も、現場監査や指導役の者も、間違いのない確認が行われた上でその工程が行われたのかどうか、さらにその文面で本当に間違いや誤解が生じにくいものになっているのかどうかの、伝達業務の検査になる。

つまり問題が起きた時に「こちらの意図と違うことを、勝手に誤解して違うことをした向こうが悪い」という、力関係のトカゲの尻尾切り(マッチポンプ)の言い訳もいくらでもできてしまうような、そこを面倒がりながら偉そうにうちのめし合ういい加減な体制が蔓延していないかの、監査体制になる。

 「皆が(上が)これが解りやすいといっているのだから、こう合わせろ」

 

 「なんでそんなこともワカランのだ」

 

 「そのジョーシキもイチイチ説明しないとワカランノカ」

 

からくる信用事故化の蔓延予防としても、9001審査の基準に通る業務体制なのかどうかが意識される。

特に9001を取得している現場は、9001を取得していない所でできあがる部品や材料などは、精密性が求められるものほど取引対象外にしている所も多い。

解りやすい例でいうと、例えば航空機の製造や自動車の製造のように、些細な不具合がきっかけで大事故に発展してしまうかも知れないものや、銀行でまだコンピュータシステム化されてない所を導入したり新型化をする際に、特に顧客に大きな不利益を与えるような不具合が起きてしまうと信用がガタ落ちになってしまうような、そうした設計を請け負う製作所で9001は重視される。

人が作る以上は、どれだけ注意を凝らしてもどうしても何らかの不具合が出てしまう場合もあるが、ただし9001ある所とない所の決定的な違いは、どの部分のどの工程に問題があったかを、履歴的(名義的)にしっかり追うことができるのか、できないのかの違いになる。

部署的な責任の所在も重要だが、その原因究明の資料を元に、9001の基準に沿う形で、社訓的に次からの対策事項に反映させていくことができる体制(取り組み)になっているのかどうかは、もっと重要な所になる。

取引対象外の意味も、いくら安上がりで品質が良いものであったとしても、何か問題があった時に、外注間で9001基準でやりとりができないと、特に裁判沙汰になってしまった際に、そこが社会的信用として問われた時に申し開きもできなくなってくるから、取引対象外という意味になる。

例えば飲食業や食品販売において、食中毒の原因となる危ない体制になっていないかの食品衛生管理の観念のように、9001のような基準資料が普段から重視された上で不具合や事故が起きてしまったのと、そうした自分たちの規律重視の基準資料がない、利益重視の安全性(信用)軽視ばかりで事故を起こしたのとでは、社会的信用の酌量も当然のこととして違ってくる。

全てではないにしても極端ないい方をすると、9001資格がある側から見れば、それがない側は「自分の責任ではない理由(落ち度狩り一辺倒)を押し付け合うことが前提の集まり」なのである。

ところが筆者が極めて残念に思うのは、この9001指標乞食化している現場が大半だという所になる。

それも結局は「その現場がそうだから合わせろ」「そんなこともワカランノカ」感からいきなりケンカ腰に始まる、9001の本分指導の重視など大してできていない所が大半だと見てよい。

9001の審査に合格しなければ給料がもらえないとか、休日出勤しなければならなくなるとか、上司に叱られるとか「9001のつじつまが合っていればいいんだろ」感ばかりで、9001にただ依存しているだけの、どこも現場はそんなものである。

確かにつじつまとして9001の審査さえ通れば、結果的にはその規律による社会的信用は維持できるが、どこも向き合い方の順番が逆さまなその社風任せの中途半端な現場指導であることが、むしろタチが悪い所になる。

航空会社や製造関係で、大事故を起こすといかに大変かを新人社員に向けて指導するための、そうなった場合の現場と後処理の悲惨さの映像を作り、9001の本来の業務指導の本分から入ろうともせずにそういうお涙頂戴のただの印象操作と大差ないような劣情ばかりで訴えようとする所は、筆者がむしろあきれている所になる。

「規格・基準のつじつまさえ合っていれぱ、上司に叱られさえしなければいいんだろ」感ばかりの低次元な公的教義体質(ただの指標乞食主義)の蔓延を、本分育成的にやめさせることが、体制改善のためにまずは先決といえる。

そういう根本的な所から指導できたことがない、万事面倒がりながら偉そうに世の中を解った気にケンカ腰になることしか能がない公的教義と大差ないようなオブジェクト指向主義者どもにしても、プログラミングスクールや専門学校と謳っている所も、9001の本分の基本指導などどこも皆無なのが実情といってよい。

織田信長は、等族議会制(法治国家としての謄本登録制の品性規律)を敷くにあたって、いってみればこの現代風の9001の本分指導として、寺社に奉納する誓願書(行政の公文書)を徹底指導するための議会を追求した所が、偉大だったといえる。

織田信長の名義だけでなく、幹部たち、旗本吏僚たち、また必要に応じて現地の村役たち、地域の寺社もよくよく確認させながら、健全化のために名義人として連署させることを徹底させたことが、どこよりも努力されていた所なのである。

この法(裁判記録・履歴)の基本中の基本を徹底させることによって、何かあれば、どの立場の者にどの等族義務(社会的指導責任)があったのか、また今までどういう経緯でそういう規定になったのかの見直しから、名義人や規定の仕切り直しのための貴重な資料にしていけるようになる。(本来の裁判権のあり方=国会議事堂の本来の手順)

中世では日本も西洋も、その議会制の本来の形を、寡頭主義の人事差別がどこも抜け切れずに、そこが中途半端にしかできていなかった、どこもそこがあまりに不足していたから時代の変化に対応できずに乱世を長引かせたのである。

これは現代でも、名義的(当事者的・民権言論的)な整理(議決性の議事録)から始めない内から、当事者性(人文性と啓蒙性の敷居)の高次元低次元をうやむやに指標乞食主義(寡頭主義・閉鎖有徳)の怒り(ただの劣情)を向け合うのみで、敷居向上する訳がないのは同じである。

どこをどう見直すのかを確認し合う(見習い合う)議決性(育成理念)の損益分岐的(手本的)な資料(議事録・履歴)がどこにも見られない、それを面倒がりながら偉そうに万事うやむやにし合いながら怒り(ただの劣情)を向け合うことしかしてこなかった公的教義と大差ない低次元者同士に、なぜできもしない自覚(自己等族統制)を無神経・無計画に期待し合うのかという話である。

判決(法治国家としての国際的な敷居の品性規律)の決め手となる裁判記録の資料(議事録・履歴)として認められないような低次元な言い分の繰り返しで、国威・格式(等族主義)といえる勝訴・敗訴の解決(敷居向上)に結び付く訳がない、その本来の姿をようやく近世初頭に人類は少しは反省するようになったのである。

そこが全く不足していたのを、日本では織田政権が、西洋では帝国議会(カール5世を中心とする王族連合)がついに、国威・格式(等族統制)の問題としてそこに熱心に今風の9001の本分の方に取り組むようになったのである。

 

織田信長がその本分主義で遠慮無用だった所を、豊臣秀吉がそこを工夫し、徳川政権では敷居をあえて下げて「つじつまが合っていればよい」の合議制とする流れになるが、何にしてもまずは織田信長が、その貴重な前例手本を作ってくれたおかげだったのである。

公的教義は今も当時も、人類に何ら貢献などしてこれなかった所か、この後に及んでまだ時代遅れの寡頭主義(聖典整理の議決性など皆無な指標乞食論)で各地の有徳(司教座や教区の指導機関)を従わせようと、その流れの妨害ばかりしていたから、とうとう制裁(格下げ)を受ける側として16世紀に踏み潰されたのである。

大手と小口の話に戻り、大手思考の

 指標乞食主義通り    = 頭が良い側 = 怒りを向ける側   = 頭を下げさせる側      = 負担を押し付ける側

 指標乞食主義通りでない = 頭が悪い側 = 怒りを向けられる側 = 頭を下げなければならない側 = 負担を押し付けられる側


としているだけの、道義関係の判別もできていないその指標乞食論(ただの偶像論・ただの劣情共有)が失効してしまえば、精神的支柱(人生観・歴史観)の粉砕がいとも簡単に完了してしまうような、


 自分たちの強み(議決性・等族義務)を自分たちで構築

などできたことがない、世の中を解った気になってケンカ腰になることしか能がない、公的教義と大差ないだらしない法賊(偽善者)どもに振り回されない姿勢になれることが、敷居向上の議決性の、小口向けの身分再統制(敷居の仕切り直し)のきっかけといえる。

その大手やユ-メージンとやらやソーリダイジンとやらの成功者側や強者側は、そもそも筆者のことを知っているのか、そしてそれを引き合いに出す第三者も、それらとの同列の強固な信用関係(道義性・議決性の敷居確認)が確立できているのか。

 

5年10年の有志といえる間柄でもない、会ったこともない、その現場に立ち入ったこともない、その議決性を整理(見習い合い)しようともしていない「ない・ない・ない・ない」づくめの第三者同士でなぜ、こちらのことを知る必要のない格上側と、こちらが知らなければ頭が悪い格下側、怒りを向けられる格下側、頭を下げなければならない格下側の力関係が、いきなりケンカ腰にできあがるのか。


その資本観念(金銭感覚・時間感覚・情報整理力・人的信用基準・事業体質など)に全て合わせ、その資本観念外は全てけしからんと否定し、それにないことや違うことが書かれている図書館の書籍も全て禁書扱いの態度も「それでいいとする道義同士だけでやれ」が、いってみれば大手(内)と小口(外)の道義関係なのである。

 

注目性(話題性)のある知識のいいなりになることが絶対善で、そうでない知識は憎むべき絶対悪だとしているだけの、公的教義と大差ない知覚障害者(ただの指標乞食主義)の集まりに過ぎない法賊(偽善者)どもの実態も普段から疑い見抜けないだらしない手合いが、

 

 人間性(人文性)と社会性(啓蒙性)の整理力(敷居維持と敷居向上)を重視できているといえる議決性(法治国家としての社会的指導責任・国際的説明責任)の手本姿勢(見習い合い)

 

の社会心理学的関心(公正な人生観・歴史観)など、もち合わせている訳がないのである。

大手・小口はともかく、例えば商品開発(設計)の姿勢を9001の例にすれば、9001の審査保証欲しさに依存的な取り組みしかどこもしていない実態に対し、そこに本分(姿勢狩り)的に自分たちで体制(議決性)を整備していく意欲で、普段から計画的に進めることをしていければ、大きな強みになる。

競争的には、9001を上回る基準(敷居のための規律)を自分たちで整備して「9001などという過去のやり方よりも、我々の敷居に合わせたらどうか」といえるくらいを目指す風紀が最初からあった所こそが、他との強みの差を作っていけるものなのである。

 

優れている所は「規則や常識は、敷居を突破するための、次の高次元な段階のためにある」が他よりも見られるから、優れているのである。

 

これは決して大げさな話ではなく、9001を導入しても「つじつまさえ合えばいいんだろ」観で結局事故を起こすことの蔓延を防止するために、9001の審査の前の社内監査体制として、いわば二重の本格的な監査体制を構成している所もある。

 

そのように、その維持に資金を投じること自体も簡単な話ではないが、まず漏れや抜けを自分たちで徹底審査・指導し、まず自分たちで重度に応じて始末書を作らせるようなことまでできている所は当然のこととして、普段の高い意識も渋々でも皆がそこに向くようになる。

 

損益計算書なども同じ、ただ会計士的、法務局的に審査が通ればいいというつじつまの向き合いしかしていない所と、その貸方と借方の項目の内訳にこだわりと工夫をもって研究的に帳簿を管理している所とで、事業主(組織)の力量の差が出てくる話も同じである。

 

大手主義的だからこその足並みの弊害に対する、二重の本格的な監査体制も必要になってくる所を、小口が自分たちの快適性(当事者性)を自分たちで整理せずに、なんでも大手主義(強者主義・成功者主義)に丸ごと合わせようとするできもしない思考停止を始めるから、小口としての強みが育っていかないのである。

 

自助(自分たちの救済・自分たちの敷居向上)ができていないのに他助(よその救済・よその敷居向上)はできないと、標語的にはよくいわれることだが、当事者性(議決性)を以って大手と小口の区別もできたこともない公的教義と大差ないだらしない法賊(偽善者)どもが、できもしない他助(社会性・啓蒙性)のことで偉そうにケンカ腰にほざくなという話である。

 

9001は、例えば不具合が発覚した際に、どの資料(工程)までがその原因関係かをはっきりさせながら、なぜそうなったのかの精度の高い理由を、体制的な再設計といえるもので改めることができているのかの提出も必要で、資格を維持するためのその審査は、二重の本格的な監査体制を採っている所は特に厳しい。

 

不祥事が起きたら「そうなったのは自分のせいじゃない」という公的教義のような劣悪態度で平然としているような、そこに深刻性も危機感も皆無にゆるみ切っているようなだらしない集まりには、まず審査は通らない世界である。

何の役にも立たない今の日本の教育機関は、何だったら教育機関用の9001を前提とする新法案でも作って、それで世の中の正しさとやらの最低限の手本をまずは自分たちで進んで示したらどうか。

 

自分たちのしていることが9001の審査に絶対通らない、9001の前には歯が立たない猿知恵しかもち合わせていない、9001よりも遥かに低次元な格下だという実体験をしてみて、いかに自分たちが世の中のことなど何も知らないかを一度、思い知ればよいのである。

 

上述したように9001の役目の実態とは、指標乞食主義の矯正のための業務指導請負であることが実態なのだから、人を社会指導する資格などない9001未満の今の日本の教育機関9001によって業務指導を受けなければ、社会的道義に反するといえる。

 

織田信長が当時の中央や諸氏に厳しい監視の目を向けていたのも、上の等族義務としての本来の9001的な裁判法(公文書の意見整理・提出・裁量の議会制)の取り組みも自分たちで意欲的にしてこれなかっただらしない集まりが「何が公務士分(等族諸侯の議席)だ!」ととうとう格下げ(身分再統制)を向けられてしまった、1582 年はすっかりそういう状況になっていたのである。

 

議決性による敷居確認など自分たちで一切してこなかった今の日本の教育機関と、そこを指摘できている筆者との構図も、それとまったく同じである。

 

繰り返すが、自分たちの議決性(等族義務)など皆無な手合いほど、普段からよそのことには「何を人のせいにしているんだ!」とやたら厳しさを向けてきたはずが、いざ自身の資本観念の崩壊に関わる事態に直面した途端に、それと同じような寝言や泣き言をいい始めるものなのである。

 

議決性(等族義務)資本観念(道義性)の違いも区別できたこともない、その両方に違反している今の日本の教育機関のような低次元な集まりが、織田信長によって、今までの地位(議席)の資格がとうとう一斉に剥奪される事態に直面した。

 

本来の議会制の整備(仕切り直し)による等族社会化の本格化が始まろうとしていた、その時に本能寺の変が起きたのである。

 

皆、今までの資本観念からの変容に「自分は対応できる」ものだとそこを簡単に軽々しく考えているから、敷居向上(姿勢狩り)敷居維持(落ち度狩り)の違いも区別できなくなるのである。

 

当時でも今でも、実際の所は「今までの資本観念の変化に、自分はすぐに順応できると思っていたが、全く順応できなかった」1000人中999人がそうだと思っておくくらいが良く、それはそのまま、できるかどうかも解らない人の自主性(自己責任)への期待(失望)の実態といってよい。


だからこそ、議決性(人文性と啓蒙性の整理の手本)を以って敷居確認をし合う機会が、あまりにも少なすぎる深刻さに関心をもってその取り組みを誰かが始めなければ、できもしないよそにただ期待(失望)するのみでは、その健全風紀も一向に育っていかない。

 

社会問題を題材にした映画や漫画や歴史ドラマなどでよく「時代(資本観念)の変化に順応できず、主人公たちの足をひっぱろうとする悪役」が登場すると、その時は皆「本当にバカだなぁ」なんて思っても、自分たちもそういう状況と常に隣合わせだという自覚(自己等族統制)など皆、大してできていないものなのである。

 

それは実際の自分たちの周囲の揉め事や、報道される事件や不祥事や武力紛争などの見方でも、同じことがいえる。

 

織田信長などの歴史の大きな転換期を紹介することは、そういう所に普段からどう向き合い、疑い見抜いているのかを紹介するのと同じである。


こうした意味を歴史観(人生観)で慎重に理解することができれば、議決性の手本で牽引した織田信長がどれだけ偉大だったのか、そしてそれについていけなかった者たちから、どのように見られていたのかについても、段々と察しがつくようになる。

 

次も引き続き、本能寺の変に関する記述を続けていく。