「オブジェクト指向の倒し方、知らないでしょ? オレはもう知ってますよ」

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近世日本の身分制社会 は 2025/09/29 168 で終了。

誤認の修正以外は現段階ではしない前提。後で一斉に全体を見直し、分量を集約したいが未定。

2025/11/24 から次議題 Windows プログラム C/C++ ( オブジェクト指向の規律絶対主義への否定 )開始。

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雑談:場外馬券場の話 2026/10/15

 

この記述日から18年くらい前の、当ブログ筆者が競馬をやったことがあるという程度の、競馬業界には丸っきりのシロウト視点の当時についてを記述する。

 

< 背景 >

 

まず当ブログ筆者は、20年以上前の話だが、パチスロには全く興味が無かったが競馬は一度やってみたいと思っていたものの時間に余裕が無かったため、競馬は優先順位から除外し続けていた。

 

当時、パチンコにはまっている知人は居たが、競馬をやったことがある知人が当ブログ筆者の周囲には居なかったことも、時間に余裕ができるまで競馬場に行かなかった要因になっていた。

 

ある転機で生活環境が変わったことで、以前よりは時間に少し余裕ができて、確か2008~2009年頃( 当時31歳くらい。場外馬券場で販売していた競馬新聞が 410 円だったのを覚えていて、2009年頃がその値段だったようである )の10ヵ月くらいをかけて、定期的に場外馬券場に通うことになった。

 

競馬の開催日は基本は土日の2日間で( 土日に開催の無い週が年に数回あった )、金曜か月曜も祝日だった週は3日間で開催される場合が多く、場外馬券場の付近は平日は閑散としているが、開催日になると急に人通りが凄くなる。

 

場外馬券場は、威張り散らしている者や、酔って暴れるようなダメ人間もいるのかなと思っていたが、そういうのは無かったものの、夏場の場外馬券場はエアコンが効いていたが、当時はタバコのモクモクとそのけむり臭がかなりあった。

 

当ブログ筆者はタバコは吸わない側だから詳しい境界は覚えていないが、2010年よりも前の時代のタバコは、税の吊り上げによる年々の高額化で毎年驚かれる流れはできていたが、社会的な条項は2018年以降頃と比べるとだが、当時はもっと緩かった時期になる。

 

半公営だから当然かも知れないが、当ブログ筆者が当時通った場外馬券場は案内員も清掃員も丁寧で、警備員も居て、警察官の巡回もたまにあって思ったよりも風紀維持がされていた。

 

 

< 負け結果 >

 

10ヵ月ほど通ってあれこれ色々と挑戦してみた結果、負け額がおよそ12万円まで累積された10ヵ月目で競馬はピッタリ止めることになった。

 

場外馬券場の日に使った額をざっとメモしたものを計算した所、10ヵ月間で総額25万円使い、その内の配当は10万円弱、大まかに12万円ほどの負けとなってしまった。

 

場外馬券場に向かったその日に財布から、1万円札、5000円札、1000円札が何枚減ったのか( 増えたのか )しかメモしておらず、当日の交通費や現地付近の飲食店などの内訳額まではメモしていなかった。

 

少しややこしい話だが、馬券を除いた場外馬券場の付近で飲食店・喫茶店などで使った10ヶ月分の総額がたぶん3万円くらいであろうと見立て、減った総額12万に配当10万弱を足すと10ヵ月で馬券自体に使った総額としては22万円、馬券での負け額としては12万円ほどであろうという大まかな見立てになる。

 

 

< その日ごとに賭けた数とその様子 >

 

競馬が開催される日は、各競馬場ごとでそれぞれ午前から夕方まで計12レースほどが行われるのだが、その時間管理がよくできている。

 

A競馬場の1レース目が始まった20分後くらいにB競馬場の1レース目が始まり、その20分後くらいにA競馬場の2レース目が、といった順繰りになっている。

 

1レース目が始まる午前から場外馬券場に訪れれば、やろうと思えば計24レース近くを 賭ける/順を追ってレースをそれぞれ見逃すことなく確認する こと自体は可能な仕組みにはなっているが、その合間が20分程度しかないため、券売機を並ぶ時間にも少し余裕をもっておかないと 事前の絞り込みをしていないと/何を買うのかをざっと決めておかないと それをしようとしても検討する時間がほとんどない。

 

15時頃に始まる10レース目だったかが今週の注目馬が走る目玉レースになっていて、そのレースを事前買いして、他に数レースを楽しむ、という来客が多いようである。

 

※ その目玉レースの時間帯がモニタ中継場の所に来客が一番集まり、終わると、まだ2レースほど残っているが急に人が減り始める。例えば2番人気3番人気が最後の追い上げで1位入りしたりすると一同で「おぉぉ~!」という良い意味の歓声が挙がる時もあるが、怒って騒いだりするような人はいなかった。

 

その日の全レースを毎回全勝負している人はそういないと見られるが、賭け方は本当に様々で、例えば3連単の 100 円賭け( 1位2位3位をピッタリ当てる必要があるため最も難しいが配当倍率もかなり高い。掛け金 100 円でも万円単位の配当になる場合もある )を各1レース1個ずつといった、計画的なやり方をしている人ならいるかも知れない。

 

当ブログ筆者が競馬を始めた最初の頃に、レースのことでまず驚いたのが、競馬新聞や情報誌の前評判の分析から大いに外れる確率の方が、思っていた以上に高かったことにまず驚いた。

 

当ブログ筆者が見た感じだと、目玉レースでもそうでなくても、そのレースの2番人気はともかく1番人気の馬が 2位以内 4:6 2位入りできない くらいで、1位入り予想25%~30%くらいでそれで高確率の世界だと見ておくくらいが丁度良いといえるほど、馬券を的中させることが難しい。

 

目玉レースですら、8位予想9位予想あたりの全く注目されていない2頭が1位2位入りして、1位2位注目が8位9位に終わる場合などいくらでもあり、何の盛り上がりもないまま大勢があきれながら中継モニタを眺めている様子を、何度も見た。

 

そういうこともよくあっても、それでも前評判人気で1位~3位入りする率も確かに高い感も否定できない、そこが本当に難しい所で、だから前評判の1位2位予想も全くあてにならないという訳ではない、ただし評判通りの順当な結果になるのも15%~20%くらいでそれが高確率の世界だというくらいで見ておくのが丁度良い。

 

そのように、馬券を的中させること自体がそもそも難しいにも拘( かか )わらず、思った以上にオッズ( 配当倍率 )が低い、とてもその難しさに見合ったオッズではないことにも、さっそく驚かされた。


当ブログ筆者はどういう賭け方をしていたのかというと、しばらく通うつもりで目玉レースの他もいくつか勝負する前提でいたため、評判人気の馬を選んでもオッズが低すぎて割に合わないと思い、3番人気以降から6番人気あたりまでの、状態や評価の情報がそれなりに出でいる馬の、馬連( 選んだ2頭の1位2位入りを的中。馬単だと1位2位をピッタリ当てる必要がある分オッズもより高くなるがもっと難しい )を基本に500 円ずつ賭けるやり方をしていた。

 

たまにそれと1位2位人気とを組み合わせたりで、その賭け方だと、25倍~60倍くらいのオッズ帯になるため、そのやり方で500円を基本に挑戦してみることになった。

 

22万円を500円で割ると10ヵ月の合計は440くらいの勝負を購入したことが解り、1ヵ月で44勝負、1ヵ月の土日のその半分の月5日間ほどのペース( 土曜はたまにで日曜の昼から行く時が多かった )で場外馬券場に訪れていため、1日あたり8~9勝負分を購入していたことが解る。

 

1レースごとに2予想分、3予想分( 1000円分、1500円分 )を購入していたことが多く、1日3レースほどに絞って、どういう組み合わせで賭けるかオッズばかり見ながら1時間後あたりのレースをじっくり考えていた。

 

当ブログ筆者は、10ヵ月間で的中で得られた配当の合計は10万円弱だったと上述したが、10ヵ月間440件ほどから、その内の5件しか的中していない。

 

1賭け金を500 円を基本に、25倍~60倍帯あたりを狙っていたため、的中した際に一番少なかった額が1万4000円ほどで、最高で2万6000円ほどの、そうした5回の合計が9万7000円ほどとなった。


 

< 競馬をやめたまで >

 

10ヵ月全体の内の、前半の4ヵ月くらいまでは、負け額が増えていってもまだどうなるのか解らない観もあったため楽しめていたが、5ヵ月目くらいからその心境も段々変わるようになった。

 

5ヵ月目までに3回的中できた( 1ヵ月半以内に1度くらいで的中できていた )ため、負け額が増えたとしても「楽しませてくれる料金」だと思ってまあいいかと思っていたが、その次の4回目の的中までに2ヵ月半近く続いてしまったことで、そこから面白さが段々無くなってきた。

 

4回目がやっと的中した時に、次は1ヵ月以内で的中するかも知れない期待もあってもう少しだけ続けることにしたが、5回目の的中も4回目と同じく、2ヵ月半近くかかってしまった。

 

10ヵ月全体の前半5ヵ月では3回的中で負け額は前半計4万円くらいだったが、後半5ヵ月は2回的中が両方とも配当倍率が低かったこともあって後半計8万円近くの負け額になり、前半5ヵ月は今日は的中するかも知れない楽しみだったものが、後半5ヵ月では今日も的中できないかも知れない不安ばかりの、ガッカリしにいくために場外馬券場に向かう状態に段々なっていった。

 

5回目にやっと的中した時は、その間までの負け額と配当率とがあまりにも見合わな過ぎてせっかく的中しても全く嬉しく無くなっていて、その5回目の的中後から場外馬券場を2回ほど訪れてチョビっと馬券を買ったのを最後に、賭けごととしての競馬の興味をすっかり失い、ピッタリ行かなくなった。

 

10ヵ月通った間に賭けたレースの中で( 当日は 3レース + 様子見で結果だけ気にして見ていた 2レース ほどのその日の計 5レース ほどを、月5日通いほどの10ヵ月で少なくとも200レース分の結果を眺めた中で )、配当率の低い順当な結果から、たくさんではないが馬連100倍以上の高配当の結果も思ったよりもあって様々だったが、それが「やっぱりこっちに賭けておけば良かった」よりも「こんな予測なんかできる訳がない」と思えるものばかりだった、レースの見渡し回数が増えるほどそうした所ばかりが多く見えてきたことで、賭けごととしての面白さや魅力が全く感じられなくなった( だからこそ少なくとも5年くらい研究・分析を続ける気概があるほどの競馬好きとかでなければ、たった10ヵ月ではとても無理ではないかと当時思えた )のが、当ブログ筆者としての降り方になる。

 

当ブログ筆者の場合だと、賭けごととしての興味をすっかり失ったというだけで競馬の存在そのものの嫌悪感自体は全くない、だから例えばもし競馬新聞の話題になったら「今は( 昔は )ここの部分がこうなっているのか。自分がやっていた時はここの部分はこんな感じだった」といった話題も、衝動など無しに問題なくできる。

 

競馬客のような娯楽界隈では、中には自身で全く調整できなくなって暴走して誰かに損害を与え始める問題児も確かにわずかに居るが、当ブログでは要所整理など無い嫌悪感・目ざわり感をただ一方的に向けたいだけのただ偉そうなだけの日替わり所感など本意としないため、以下に順述していく。


 

< 本題:要所整理 >

 

まず、当ブログ筆者の場合、論述整理( 近世日本の身分制社会 )や検証報告( Windows C/C++ )の方でも自身の性分の特徴がよく現れていることとして、その対象が業務であろうが娯楽であろうが「自分で考えた構築の仕方・組み立て方でうまくいくかどうか」でとらえようとする気質が、当時も今も強い。

 

それで一定を過ごしてみた結果「自分の考えた方法ではうまくいかない仕組みになっている」ことが段々とはっきりし始める、厳密には「自分で考えた他の方法( こういう条件という第2ニーズ・第3ニーズ案 )なら、うまくいきそう( もっと相互健全になりそう )だとこれまでの仕組みが見えてきたが、一向にそういう方向に向かわないから最後まで自分と合わないまま」の状態が経過を追ってはっきりし始めると、その体質依存の力関係通りのいいなりにいつまでもなり続けようとすることを、嫌う所がある。

 

同時にただ嫌悪感や目ざわり感を向け合うのみの上同士失格の態度丸出し( ついていけなかったお前が悪いだのの偽善挑発の下の作り合い体質にまんまと乗せられ続けているだけの、上同士失格の怠慢の顔色の厳しさを向け合っているだけのだらしない態度丸出し )もかなり嫌う所がある、今となってはそこをいつまでもうやむやにさせ合わない敷居交流をし合えるように、当ブログアカウントでは静的史料式目の論述整理( 近世日本の身分制社会 )、動的実務式目の検証報告( Windows C/C++ )の果し合いをしている。

 

当ブログ筆者のことを全力で叩きのめしたい一心で、ここでいう「自分の考えた方法( 条件 )」に過敏に反応して何をお前が勝手にそのルールを変更しようとしているんだ! 何を世の中に逆らっているんだ! そんなこともワカランノカ! と取り締まりたがる40過ぎの落ち着きのない老害が多いが、そのことに関する具体的な権限者でない同士である以上、そもそも競馬の仕様を作ったのは当ブログ筆者でもなければそいつでもないはず、オブジェクト指向の規律を作ったのも教育機関の規律を作ったのも、どこかの団体ごと企業ごとのその規則や水準を作ったのも当ブログ筆者でなければそいつでもない。

 

ただちにどうにかできる訳でもないそれらと、もしどうにも合わないようならいったん距離を置き、通るかどうかはともかく第2第3ニーズ案に気付いていくことはその仕組みへの理解を健全に深めるきっかけの、企業では取り組まれている商戦努力とすらいえる。

 

※ 32 Bit 時代に顕著だったCPU産業が好例だが、以前よりもまた1段階高速化された最新CPUがまず作られると、それを元にした Celeron シリーズのようなそこからのコスト削減版・機能削減版の廉価CPUもたくさん作られる場合など。作られるPCの全てが高性能の高額PCでなければならない必要などない、表計算管理や文書作成とネットが普通に使えればいい程度の、それ以上の高性能である必要などない事務用なら事務用に適したPCとして、その使い方の性能に合わせた買い求めやすい、用途層別の安価なニーズ別モデル分け( 条件分け )の商戦も当然努力される。その狙いどころの丁度良さのピッタリ感が人気を呼んでヒット化したその時に初めてそれが隙間産業であったことに皆が気付かされることなどいくらでもあるのは、自動車産業でも食品産業でも家電・備品関係でも観光関係でも見られる。この部分だけ欲しいという工夫で低額化で人気になることもあれば、今までなかった質の高級感・特別感・高性能化で高額でも人気になることもある。関わったことといったん距離を置く形でそうした方向性のある第2第3ニーズ的な方法案・条件案を自身でいったん整理してみること自体は悪いことでもなんでもない。ソフトアェア/アプリ開発における企画力についてもむしろ大事な取り組みになる。当ブログ筆者がここでいう「自分の考えた方法ではうまくいかない仕組みになっている」は、通るかどうかはともかくのそのことに対する理解や状況などをより深めるための方向性・健全性を含んだ意味になる。

 

※ 最初はそれがいいと思ってそのことに関わっていたが、過ごしている内に段々と自身が関わりたいと思えるものでは無くなってくることなどいくらでもあるからこそ、なんでもかんでも ついていけないお前が悪い! 自己責任だ! の上同士失格の下の作り合いの偽善挑発に乗せられるのではなく、各当事者それぞれにとっての年期計画的な概念間整理をまず敷居確認させ合うことが大事だといっているだけに過ぎない。特に娯楽だったらより解りやすいと思うが、ズレが開いていけばいくほど無理をして関わり続ける必要などない根底は共通している。20代30代だと気づきにくいかも知れないが、以前は興味をもっていた関係の商品やサービス等が、興味を失った原因に対応の刷新物が出ていたことに後で気付くこともいくらでもあり、「ああ、やっぱりこういう部分を問題に思っていた人はやっぱりいて、その対応版( 第2第3の新条件 )を作ろうとしていた人も居たんだな」と考えさせられることもいくらでもあったりする。


※日本プロ野球のここ20年の例では、2027年度からはセ・リーグもDH制で統一されるようになったり、かつてはなかったCSシリーズ制度が導入されるようになったり、ホームを巡るクロスプレー時においての捕手のブロックディフェンスが禁止( コリジョンルール )に変更されたり、アメリカ野球技術に対抗するために低反発ボールが導入されることがあったがそれによって日本のプロ野球技術の向上に本当に貢献しているのかが疑問視されて結局撤廃されることもあったり、審判の判定を非難することが試合妨害の退場とみなされる厳しさが強められた代替として1試合ごとにリプレイ検証2回権利を行使できるという審判側の義務も追加されるようになったり、投手の投球が打者の頭部近くに向かったら即危険球退場の規則になったり、埋もれた選手に活躍の機会を増やす目的で導入された現役ドラフト制度など、ここ20年で、時代に合わないと見なされるようになった旧規則への変更および、可能性の幅を広げるための新体制の導入が顕著に行われるようになっている。32 Bit から 64 Bit への移行期でもあるここ20年の間、各業界の特徴ごとの要望にしても判定にしてもその水準が変わってきて当然の中、判定の根底がここ40年何も変わっていない減点方式のみを徹底し続ける低次元な教育機関の教義権力にいつまでも無条件降伏でおびえ続け調子づかせ続けようとする、その上同士失格の怠慢の顔色をいつまでも窺い合おうとする気の小さい知能障害どもの方が異常なだけの話に過ぎない。その自分たちの愚かさだらしなさも自分たちで直せない改善余地だらけのはずの50億総偽善をだから上から順番の厳しさ上乗せ倍増論で踏みにじる上同士視点の敷居交流の場の作り合いのための静的史料式目の論述整理、動的実務式目の検証報告を、当ブログでしておいた。

 

それがどのようなものなのかを自身である程度関わってみたり、それに関わったことがある人からよく確認できる機会があってその仕組みのことを改めて考えさせられた上での、上同士視点のあるあるの入力観の判断材料があった上で評論するのと、よその出力観とよその出力観を片手間の雑用感覚で今丸覚えすることしか能がない教育機関絶対の態度丸出しの評論しかできないのとでは、後者はただ恰好ばかり気にしてただ良く見せたいだけに過ぎない。

 

そういう所から、当ブログ筆者の結果報告の仕方を「10万円弱の実績を得た。最高で1回で2万6000円の配当を得た」とそこだけの話しかしないのと「ただし10ヵ月間で総額22万円分の400勝負以上を挑んで5回しか的中させられなかった中での話だけどね」と一連の様子まで伝えようとする姿勢とではだいぶ違ってくる、冷静に考えれば恰好ばかり気にして内訳をうやむやに良い所だけ見せようとする前者のみなんかよりも、後者の方が明らかに知見的になる。

 

当ブログ筆者の場合だと、負け額がかさんだことを嫌ったことよりも、自身が考えた勝負どころが全く反映されないゲーム性が負け額にどんどん現れていったその様子に、賭けごととしての面白みの無さを痛感して見切りをつけることになったというのが正確だが、もしそのゲーム性に何らかの面白さ( 条件 )を見い出せるものがあったら、負け額がかさんだとしてももう少し続けていたと見ている。

 

当ブログ筆者は競馬自体に嫌悪感をもっている訳ではない、だから馬券の買い方における他の計画の立て方やそれぞれの楽しみ方は色々ある認知から、そうした他の場合を否定するつもりは全くない。

 

実際に場外馬券場を一時期通ったことがあったからこそ考えさせられたこととして、例えばその建物ひとつだけを見ても、そこでの日々の清掃や警備やもしどこかが傷( いた )んだ際の修繕や、日々の照明や夏場のエアコンといった電気代やエレベーターの安全の年々のメンテナンス費、券売機の新仕様計画も含めるメンテナンス費用、それぞれの係員の維持、馬券を購入するためのマークシートの束と筆記具の用意、といったそこの建物だけの管理費だけでもいかにも大変そうなものであることを考えると、配当率もどうしても厳しいものにせざるを得ないことも、見えてくる。

 

「胴元が儲かるようにできている」とひと言で片付けるだけなら簡単だが、レースの賞の基準を作って盛り上げたり、当ブログ筆者は全然詳しくないが少し前にはウマ娘というコラボ企画で興味客を増やそうとしたりと、各競馬場の維持を始めとするそうした興行にかかる人件費や広告や各設備や会の運営の維持も、いかにも大変そうなこともどことなく感じた。

 

レース開催日の場外馬券場は出入り客が多く、馬券を買わない人でも出入り自体は自由だから、場外馬券場内での売店や競馬新聞や間違えたマークシートを捨てるためのゴミ箱に、それとは明らかに無関係な家庭ごみなどを捨てにくる者もたまに居て、清掃員に負担をかける様子に出くわしたこともあったりと、実際に通ってみると見えてくることも多い。

 

内心ではムシャクシャするから、外れた馬券や使い終わった競馬新聞をちゃんとゴミ箱に捨てずにそのまま建物のそこらに投げ捨てたり、マークシートの束を丸ごと地面に叩き捨てたりの乱暴なことをする者もたまにいて、まだ使えるマークシートでも地面に散乱しているものを戻すわけにもいかずに処分せざるを得ないなど、弁済しなくていいからとメチャクチャなことをして後片付けをしない客も確かにいるが、わずかなそういう客の行いが、全体がそう見なされがちだったりする。


そういうのを見ていると、清掃員の負担を半減させるよう皆が建物の維持に気配りできるようになるだけでも、配当倍率ももう少し上げられたりゲーム性の条件追加もできるかも知れないと、場外馬券場に通っていた時に思ったりした。

 

※ 場外馬券場の建物内を必要以上に乱さないようにすることは、アメーバブログという場借りしている立場でもそのまま共通している。ケンカ腰に俺は利用してやっている客側だぞサービスの悪さを指摘してやっている側だぞ教えてやっているんだぞ感の態度を丸出しにすることに最も熱心な利用者も少なくない、だから運営側もそこに押され気味な曖昧な後手環境管理でやり過ごさざるを得ない場合も多い。そういう所を敷居交流し合う場を誰も作ろうとしないどころか目先の利害次第にその流れを上同士失格の怠慢の顔色をたらい回し合い潰し壊し合う風潮が根強く続くあいだはその環境の敷居が改善される訳もない、有料無料がどうであれ場借りする側もいつまでもそれが通用すると思い続ける以上はその客層や利用者間の敷居も一向に改善されないことは、まさにあるある話になる。

 

今回の事例はこの記述日から18年前の話になるため、当時の風紀も近年では少し変わっているかも知れないが、当ブログ筆者が見た当時は全体の9割は恐らく良客で、そうでない一部が全体の印象を著しく悪化させているように見えた、厳密にはその9割の良客が下の作り合いの標的にされる側に陥った時( ついていけないお前が悪いという上同士失格の下の作り合いの偽善挑発をする側に立って調子に乗ろうとするも、いざされる側になった時 )の行き場の無い怒りの腹いせ行動を採り始める典型に見えた。

 

そうならないようにし合うための敷居交流の場の作り合いをうやむやに、片手間の雑用感覚が絶対の責め立てる側と責め立てられる側の下の作り合いの構図を徹底し合う上同士失格の怠慢の顔色の姿が、そのまま自分たちのそうした愚かさだらしなさを自分で直せたことがない教育機関絶対のいいなりの典型というだけのことに過ぎない、手遅れと手遅れ寸前の狭間が何もかもの初動絶対( 事前確認の準備要領の構築を絶対にさせ合わせない性善説放任主義通り・偽善憎悪通り・老害浪費通り )の下の作り合い通りでない探知次第に全力で叩きのめし合おうとする偽善丸出しが日頃の行いやSNSの態度にもそのまま現れるというだけのことに過ぎない。

 

当ブログ筆者の場合は、10ヵ月続けてみた負け額が合計で12万円までかさみ、その時に他にも使っての合計15万円というのは、累積で見ると確かに高額ではあるが、その娯楽費は1ヵ月あたりだと1万5000円ほどだから度を超えた額というほどでもなく、例えばパチスロがどうしても止められずに数日であっという間に何万円もスッテンテンにされる等と比べると、これが最初で最後となったこと、ひとつの世界をひとつの視点で見渡すこともできたことも含めて、遊び方としては健全な方だったのではないかと自身では思っている。

 

そんな役に立たない無駄なことに熱心になることにおかしいどうの、人の大切な時間を奪うどうのを片手間の雑用感覚で言いたがる発信者がやたらと多いが、そういうことをケンカ腰に偉そうに発信している本人はだったら無駄なことを一切しない生き方とやらや、人の大切な時間を奪うことを一切していない生き方とやらをどのようにしているのか、そのための年期計画的な概念間式目整備の選任評議序列敷居体制を自分たちで論述証書的・議事録処理的に構築してきた上でそういっているのか、その敷居交流の場の内外の増やし合いを本当に最優先にしてきたのか、そこを自分たちで何ひとつしていないどころか目先の利害次第にうやむやに散々妨害し合う下の作り合いに全意識を全力で向け合ってきたはずの教育機関絶対のいいなりどものような、ただ嫌悪感や目ざわり感の上同士失格の怠慢の顔色を向け合うことしか能がない自分たちのその愚かさだらしなさを自分たちで直すことからそもそも始められない、いくらでもあるはずの自分たちの改善余地がいつまでも山積みのままの態度丸出しの分際が偉そうに上同士視点の上方修正を等族指導する側を気取る資格などない。

 

競馬にしてもブログアカウントにしても、Microsoft Visual Studio Community 2026 の扱い方や図書館の清書文献 愛知県史 資料編10 の扱い方と同じくその界隈を異環境間において場借りする立場同士である以上は、誤認間の情報錯誤もどうしても出てくる一方で、だからそれぞれが年期計画的なその敷居交流の場を内外で作り合うことも心掛けていれば、それぞれで有効活用し合う方向に向けたり、誰かに迷惑をかけない線引き範囲でそれぞれの楽しみ方を作っていく等も、自然にできるようになる。

 

例えばある4人組が、特に今年注目の目玉レースに対し、記念も込めて4人全員が人気馬の組み合わせで1万円をそれぞれ一点買いをすると4人で企画したとして、「俺の場合は6.8倍だから、もし的中したら皆に焼肉を奢るよ」などと言い合いながらそれで全員が勝負に敗れてしまったとしても、その後はしばらくはそれを一気に取り戻そうなどの無理な賭け方はしない、今月はこれでもう控えておく等を決めながら計画的に楽しむことができているのなら「なるほど、そういう楽しみ方もあるのか」という話題性にもなる。

 

1万円の1点買いという少し特別なその外れ馬券も、捨てずに家に持ち帰って「ちょっとムチャしちゃったぜ」とかいいながら記念にしばらく保管するのもひとつの楽しみ方だといえるし、楽しさを計画的に企画した明るさがあるものなら、その企画が浮上してから皆が外すまでのそのひと通りの経緯も、ちょっとした面白い話題にもしやすい。

 

面白くなりそうだと試してみたが思ったほど面白くなかったことも、試してみたら思ったよりも面白かったり発見が多かったりすることも、またこんなに難しいものだと思わなかった予想外などいくらでもある、競馬に限った話ではないそうした事例をなんでもかんでも恰好ばかりの減点否定の厳しさに変換( 片手間の雑用感覚で仕分け )させ合いねじ伏せ合えばいいというものではない見渡し方をし合うことで、今まで気づかなかった「ここの部分をこうしてみるのはどうだろうか」に改めて気づくこともあったりする。

 

何にしても、よそ同士、道義領域外同士の異環境間における境界観・階層観・段階観・傾向観などなお違っていて当然だからこそ、本当に伝えたいことだというならなお、常に不足しているその敷居交流の場の作り合いの姿勢( 上同士視点の手本の作り合いの姿勢 = まずは上から順番の上方修正の等族義務の果たし合いの姿勢 = 計画的なきざみ下方修正を進めていくための原本作りの姿勢 )になっているのかどうかが結局は大事になる。

 

片手間の雑用感覚( よその出力観のみを目先の利害次第に丸覚えしただけ )でしかないものは、どう理由付けした所で所詮は片手間の雑用感覚の態度丸出し( 上同士失格の怠慢の顔色 )を直せない弊害を抱え続ける分際でしかない。

 

当ブログで常に伝えたい部分として、競馬に関する話でもそこを今回、整理してみた。