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Jアラートの訓練から。思ったこと。

まとまってないし長いけど、できれば聞いてほしい…。

1/31、神奈川では一斉にJアラートの訓練がありました。

正直、違和感しかなかった。

一応マニュアルにある通り"窓から離れた部屋の中央部に集ま"ったけど。言われたからには、ひとりで「やりたくありません」って言えないし。


地震や火事だったら、どんなことが起こるかある程度予測ができるし、そのための対策も立てられる。

でも、ミサイル飛んで来たら…って。
想像つかないのに、訓練の仕様がない。
何に対応して良いのか、さっぱり分かんないのに。

「とりあえず、訓練音聞いて集まりました」っていう形だけの訓練が、すごく嫌だった。


しかも、正確なソースは記録しそびれたけれど、
『北朝鮮』や『ミサイル』という言葉は、不安を煽ったり在日コリアンへの配慮から、使わないように
っていう文言も見た。

ますます、何を想定して訓練すれば良いのか、何のための訓練と伝えれば良いのか分からなくなる。


「国民保護サイレン」っていうネーミングもどうなの?って。

国民を保護するなら、サイレン音決めて形だけの訓練するより、もっともっとやる事ないの?って思ってしまう。…想像力の乏しい一市民の戯言かもしれないけど。


太平洋戦争のことに舞台を通して触れれば触れるほど、今の状態に危機感が強くなっていく。
だからと言って何かできるわけじゃないけど、だからこうやって書く。



先日、友達と話してた。

「今は自由だよね。昔は、夫が戦地に行くって言っても、お国のためだから、妻は万歳して見送って、泣いてすがったり出来なかったんだから」

…私もそう思ってたんだけど、友達が話すのを聞きながら「あれ?」って思った。

今は確かに平和で自由だ。

でも、被災地に向かった自衛隊の方々の家族ってどうだったんだろう?

泣いてすがって引き止められただろうか。

もちろん、そうした方もいただろうし、泣きすがることが出来る、そういう選択肢を取れるだけ、昔より自由なのだろう。

でも、「被災地のため」っていう使命感の下に動く家族を、笑顔で「気をつけてね」って精一杯見送った方がたくさんいたんじゃないか。

それって、状況は違えど、形は似ていないか?戦地に夫を送り出した妻と。


「なぜ戦争反対を唱えられなかったのか」
という問に対して
「それを言えない社会だったから/戦争を疑問視する風潮になかったから」
という答がある。

言えない社会、疑問視しない風潮が出来上がってからじゃ、止められない。

自由だから。平和だから。
だからって、言えない社会や疑問視しない風潮が出来上がらないとは限らない。

いつでも、そんな社会に戻ってしまう危険性が孕まれてるんだ。

それを、「訓練やります」「はい、わかりました」っていう流れの中に居て、強く感じた。

新春絵日記

あけましておめでとうございます。

昨年は、ミュージカルにお芝居に、観るも出るも奔走した1年でした。
お世話になった方々がたくさんいて…本当にありがとうございましたm(_ _)m

今年もいろんな方々とステキな出会い・経験を重ねていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。


さて。
新春絵日記なんてカッコつけて題名つけましまが年末年始の諸々をまとめようかと思いまして。

まずは。

年末。
いきなり私事ですが(って、全部私事ですがw)父が退職致しまして、お祝いにディナーを。
そしたら、予約していたお店で「お祝いですか?」って聞かれたので「父の退職で…」って話したら、即席でデザートプレートを作ってくれました。
こういうステキな計らい、感激です。
ありがとうございました♡


で、年が変わりまして。
実家の子供部屋を父が退職後の書斎にしたいって言うんで片付けに行きました。
そしたら、いろいろお宝(?)が…笑


五円玉貯金w

中学くらいの時に、社会で高利貸しの絵(↓こういうの)を見て、なんとなく憧れて(?)始めちゃったようなw

とても、この長さまでは貯まらなかったのですが、使うに使えず、貯金箱の中で眠ってました笑


お次は母のもの。
木のテニスラケット。

「もう使わないよね」って捨てようとしてたから、「ちょっと待って、何かの小道具で使えると思うから取っといて!」って阻止w
物を捨てる基準が「小道具として使えるか/使えないか」になってきた笑

木のテニスラケットをご用命の際はご連絡ください。←



懐かしき、徳島での市民ミュージカル。
2回目のくるみ割り人形の時ですね、これは。

この経験がなければ、今の私はないんだなぁと思うと、ひとつひとつの出会いを大事にしていきたいと、つくづく感じます。


昔のものって、見始めるとキリがないんですよね。
そうこうしてると、全く片付けの手が進まないのですが笑

また後日、掘り出し物を探しに(いや、片付けに)行ってきます💨

知ってる人は知っている

知ってる人は知っている(シュー)
知らない人は覚えてね(シュー)
オイラはボイラ(シュー)
っていう昔のCMが、時々頭の中で再生されます。

今回のブログを書こうと思った時にも再生されまして。

そうなんだよね。

知ってる人は知っている。

その分野の人、関連する人や団体に繋がっている人、地元の人、
…そういう人たちは図らずも情報をキャッチしていて、「知ってる人」。

でも、繋がりのない人は「知らない人」。

「知ってる人」が「伝えたい」と思った時、如何にしてそれを伝えるか。

たくさんのツールがある中で、その場を想像したり、その場に生きた人に寄り添ったりするには、芝居というツールがしっくりくると思う。

「伝えたい」気持ちばっかりになったら、芝居として面白くなくなってしまうけれど、「気持ちを動かして伝える」っていうのは、芝居の魅力なんじゃないかな、と今回改めて思った。





『鎌倉アカデミア』

このブログにおいでくださった方は、「知ってる人」でしょうか?「知らない人」でしょうか?

私も、今年の6月までは「知らない人」でした。
それが、鎌倉アクターズの『リトルボートストーリー』を観て「知ってる人」になり…その時は考えもしなかった展開がこの後に。笑

劇団劇作家さんの内部リーディングにお誘い頂いた時に、この作品と再会して。
その時点ではキャスティングが決まっていたので出演は難しいかと思われたら、ご縁があって出させて頂くことになり、11/26を迎えました。


鎌倉アカデミアとは、戦後すぐに開設された私塾のようなもの。
戦時中に統制されていた学問が、敗戦によって自由に学べることとなり、鎌倉にある光明寺を借りて開校したものの、財政難などの理由から4年半で閉校……ものすごく簡潔に言うとこんな感じ?


その鎌倉アカデミアが実際に開かれた光明寺で、11/26に公演がありました。

いろんな繋がりの中で作品に出会い、関わらせていただいたことは、本当に幸せでした。

人との繋がり…

事あるごとにその素晴らしさを感じますが、これからもいろんな出会いがあることを願って。

衆院選

衆院選、開票速報が流れてます。

去年からお芝居に関わるようになって、初めての国政選挙。

お芝居に前から関わってる人にとっては「当たり前」かもしれないけど、自分なりにはすごく感覚が違った選挙だったので、書き留めておこうかと。

相変わらず、支離滅裂の散文ですが。


今回、新党が乱立したものの、蓋を開けてみれば自公の勝利。

でも、私の感覚としては「あれ?」という感じで居る。


なぜなら、私のfacebookやTwitterには反阿部政権、憲法改正に反対投稿が多かったから。

去年からお芝居に関わり始めて、お芝居関係のfacebookの"友達"
(お友達…と言ってしまうとおこがましい方々が多いのですが。。。)
が増えました。

お芝居に関わっている方々って、今まで私が関わってきた方々に比べてずっと、政治に対する意見を公にされている方が多い気がします。

そして、その方々の大半が憲法改正に反対の意見をお持ちで。


だからこそ、政情に疎い私は「憲法改正反対の声が大きいから自公が議席を減らすのかな…?」と予想していたのが外れて「あれ?」と思ったわけです。


お芝居って元来、力を持っている勢力に対して「そうじゃないんじゃないか」っていう意見を提示することが多い気がする。

じゃぁ、それはなぜ?

…不勉強な私の一意見ではありますが…

人って、今の状況より「幸せになりたい」「豊かな心で居たい」っていう気持ちがきっとある。
そして、それを周りの人と分かち合いたいっていう気持ちも。

「幸せ」って言うと押しつけがましく感じるけど、平和な日本であってほしい、っていうのも、
子どもたちをはじめとした皆が「幸せに暮らせるように」っていう願いなのかな、と思って。

で、その幸せや豊かな心を求めていく時に、「今のままじゃダメだ」って声を上げていくことが必要で。
その声を上げるツールとして、お芝居があったりする。

だから、お芝居をやっている方々は「今のままじゃ危ない!」っていう危機感も持つし、それを表そうとするのかな、って。


私自身はそれを見て、直ぐに"〇〇党支持"に変わったりするわけではないけれど、
少なくとも「私の身近な人がこういう意見を持っているんだ」っていう、今までと違う視点で政治に対する興味が湧いてきた気がする。


政治への無関心や投票率の低下が叫ばれてる。


自分の身近な人が意見を表明することで、どんな角度からでも良いから政治に関心を寄せられるのなら、無関心よりずっと良いと思う。

そういう意味で、お芝居に関わり始めて、図らずも、政治に対してちょっと見方が変わったな、と思う、今回の選挙でした。

龍平さんワークショップ

2017.10.14

今年の2月に観た『君よ生きて』からフォローしていた望月龍平さんのブログに、ワークショップの案内を見つけて。

小田原のミュージカルも終わった今、これからどうしようかなー…っていう思いもあって申し込みしました。


ワークショップの内容とは外れるんだけど。

「動けば、人に会えるんだな」、って。


市民ミュージカルに応募するまで、プロの演出家さんや作曲家さんって雲の上で出会うチャンスなんてない人たちだって思ってた。

それが、駅で見かけた募集ポスターがきっかけで素晴らしい先生方に出会えて。

以前の私なら、プロの演出家さんのワークショップなんて自分には不相応だと思ってたけど、自分が舞台立ってみて、「会えるんだ、チャレンジできるんだ」って分かって、今回応募できた。


結果。

応募して良かったー。


内容は、自分のノートにまとめたので、自分の宝箱へ。


今回気付いたのは、いかに自分が常に緊張しているか、ということ。

応募の段階では、お芝居をするにあたって緊張をほぐしたい、という旨を書いたのだけど、ワークショップの帰り道で電車に座ったら、「あれ?肩が柔らかい」、って。

自覚してる緊張――例えば本番前の緊張を10だとしたら、きっと朝起きた時から緊張のバロメーターは作動し始めてて、仕事したり人と会ってる時は、私の場合は常に6〜8くらいに針が振れてるんじゃないかなっていう感じがした。ワークショップの後の自分の身体の状態からいって。


だから、日常の中でいかに力を抜くことができるかっていうのが自分の課題だと思うし、それに気付けたことが今回の大きな収穫。


またひとつ、貴重な経験ができました(*^^*)
ありがとうございました☆