憲法と人権、子どもと未来について考えませんか? -2ページ目

誰のための国か

 先日、思いがけず大変なテレビ番組を見てしまいました。
振替休日の9月24日午後、NHKを前の番組の続きで見ていると、「被爆者・空白の十年」とタイトルが映し出され、それは始まりました。
原爆投下後、広島の病院も医師も被害を受け、負傷者の十分な治療・看護もできない中、火傷だけでなく、皮膚から血が吹き出るなど見たことも無い症状に、何が起きていて、どうしたら良いのかも分からないまま、必死の救護が行われた現場。
 それに対し、数日後には、それが原爆投下による放射線の被害だということを、国の医学会の中枢の医師は察知し、治療方法としてビタミン剤の投与や十分な栄養補給が必要なことなどが報告されたとのこと。しかし、その情報は現場には届かず、各地区に臨時に置かれた診療所は法律に基づいて2ヵ月後には閉鎖され、多くの人々が満足な治療を受けられずに亡くなったこと。何とか助かった方も十分な治療は受けられず、体の痛みや残った障害、更に原爆被害者であることによって受けた差別、生活苦など、現在に至るまで何重にもわたる苦しみを体験されたとのこと。
 1957年に原爆医療法が成立するまで医療費も個人負担で、被災者に対する特別な支援は行われず、治療では無く、日本人の医師によって(やがてアメリカ軍からも加わり)原爆の人体に与えた影響に関する調査研究のみが行われ、写真撮影・細胞摂取・人体各部位の標本づくり・精子採取なども実施。原爆被害の分析・治療方法の研究等、多額の国家予算を使って行われた調査研究の成果が、極秘事項として実際の被災者の治療には一切生かされず、すべて将来の核戦争に向けた研究としてアメリカに引き渡されていたとのこと。
 敗戦後で、アメリカの言うなりだったとしても、国民一人一人の惨状を見ず、たとえ見ても研究材料としか扱わなかった医師、アメリカにへつらい、自己の保身や立身出世に利用した医学会と中央政府は、戦争中一銭五厘と言われた命の重さ、その感覚でしか国民のことを考えていなかったのではないでしょうか。
 そして、昨年、教育基本法を改正し、今年、国民投票法を成立させた後で崩壊した安倍内閣も、国民の求める課題には何ら応えず、アメリカの要求する憲法改正への道筋をつけることだけは忠実に果たしたということでしょうか。

真夏の紙芝居

12日(日)、あの暑さの中、千葉中央公園で紙芝居をやりました。
アムネスティインターナショナル千葉TAFUの会主催のチャリティライブコンサートinちば 子どもの人権2007というイベントで、去年は紙芝居やとして参加したのですが、今年は欲張って、私が活動している3つの団体「千葉こどもサポートネット」「千葉県子ども人権条例を実現する会」「ちば・戦争体験を伝える会」としてブースも出し、紙芝居もやりました。
ちば・戦争体験を伝える会は、一昨年、80歳になる元教員だった方の、ご自分が戦後勤めた千葉市の本町小学校で、終戦間際に空襲があり、学校の地下壕に逃げ込んだ子どもたちが大勢蒸し焼きになって亡くなったという事実を知り、二度とあの歴史を繰り返させないために、戦争の悲惨さを子どもたち・次の世代に伝えたいという熱い思いを受け、スタートしました。
身近な方への呼びかけから始まり、千葉空襲などの体験談を伺い、そのお話しを元に、4つの紙芝が完成しました。
4歳になる直前にお母さんに負ぶわれて空襲の中を逃げた記憶を、ご自分で絵と文にした紙芝居「ふみちゃんがちいさかったとき」は、ご本人にやっていただきました。暑い中、防空頭巾をかぶり、大きな声で読み上げられた紙芝居は、多い人数ではありませんでしたが、公園の観衆に何かを伝えたと思います。
私は、子どもの人権2007というイベントの趣旨を受け、新作紙芝居「子どもの権利ってなに?」その他の紙芝居をやりました。今回は桜塚やっくん風にスケッチブックにしてみました。
絵はうまくなくていい!伝えたいことを紙芝居にしよう!といつの頃からか居直って、紙芝居作りを続けています。

子どもの味方になるということ

しばらくお休みしていました。
すべって転んで手首を骨折したということもありますが、気持ちが少しめげていました。応援していた子が遠い施設に送られました。もう地域の仲間と悪さをすることはやめていたのに、夜中に家を抜け出すのは止められませんでした。学校で大人しく授業を受けることもできませんでした。校則を守るように求める先生の指導に素直に従うこともできませんでした。
何が納得いかないのか、きちんと説明することはできず、ただ親や先生の言葉や態度の一つ一つにいらだち、あばれ、友だちの家に入り浸って、ただそこで時間をつぶしていたと言います。
学校も家庭も自分自身の置かれている状況も、すべて気に入らないのに、どう変えたいのか、何をしたいのか、つかめないまま、あがいていました。
学校と同じ指導方針で関わってほしいと言われても、心配するご両親の気持ちもわかってあげなさい、あれだけの人数がいる学校で、校則に厳しくなる先生の気持ちもや立場も理解してあげなさい。反発にエネルギーを使わないで、バカなことはやめて、自分が何をしたいか考えなさい・・・というのが精一杯でした。無力な味方でした。
中学校を卒業し、入った高校もすぐにやめ、付いた仕事もいつの間にか行かなくなり、宙ぶらりんの子ども・若者たちがいます。
中学校に来ては下級生を呼び出し、バイクで学校の周りを走り回り、先生から怒鳴られるのを待っているような子もいます。中学を卒業して、その後所属するところがなければ、他にどこにも行くところはないのです。
オイルを入れたビニール袋を、公園のベンチで寝る人の体の上に置いて火をつけた子どもたちがいます。「ホームレスはごみ。犬や猫と一緒。生きていようが、死んでいようが気にしない」という言葉に衝撃を受けますが、実は本音ではそう考えている大人は結構いるのではないでしょうか?
人を、特に若者や女性を安く便利に使える労働力としか見ない企業・財界人。危険な問題を起こしそうな子どもや若者は、どこかよそに行ってくれとパトロールを強化する地域住民。自分自身のこと・勉強・進路・友だち関係・家庭や学校のさまざまなことで思い悩んだり、悩むこともできずにあがく、思春期真っ只中の子どもたちに、校則を守り、勉強と部活に励み、健全な中学・高校生活を送るよう求める学校。そして、親の期待に応える子どもだけがかわいい親。
ジコチューの子どもを生み出しているのは、ジコチューの大人たちと大人社会?
庭にウンチをしに来る猫は脅して追い払う私も偉そうなことは言えませんが、どんな命も一つ一つ大切な命だということ、たとえ学校の勉強はできなくても、運動は得意でなくても、人を笑わすことが苦手でも、かわいくなくても、どんな子も一人ひとり大切な存在だということを、まず、身近な大人が子どもに伝えなくてはいけないのではないでしょうか。
自分自身が誰かに大切だと思われることが、人を大切だと思う気持ちを育てます。どんな子どもでも子どもの味方になること、その覚悟が求められています。