出会いが人を変える!
宮本延春著「オール1の落ちこぼれ教師になる」「未来の君が待つ場所へ」を読んだ。家庭環境の問題やいじめで、家でも学校でも「勉強どころじゃなかった」子どもが、中学1年で通知表がオール1で、中学を卒業する時、掛け算九九が2の段までしか言えったその子が、多くの人との出会いや「物理・宇宙の真理」との出会いを経て、猛勉強し、国立大学・大学院を卒業して、高校の教師になった・・という、その経緯を本人が語りながら、いじめから子どもを救えず、勉強が分からない子をそのまま放置し、死にたいとまで思わせた家庭と学校・教育の惨状が展開されています。
出会いが人を変える、そのすばらしさに感動しながら、出会いに恵まれず、人や学校・社会のマイナス面ばかりに押しつぶされ、生きる喜び・学ぶ喜びを知らずに、無気力に自分の人生を投げてしまっていたり、人や社会に敵意を抱いたりしている子どもや若者の無惨さを思います。
少年法が改正され、更生保護法が制定される中で、生まれ変わり、やり直すための出会いが本当に保障されるのか?やってしまたこの責任は本人が取らなくてはならないとしても、そのような子ども・若者になるまで誰も助けなかった責任を、本人に対して、本人の周囲のおとなたちと社会が取らなくてはいけないのではないか。
出会いが人を変える、そのすばらしさに感動しながら、出会いに恵まれず、人や学校・社会のマイナス面ばかりに押しつぶされ、生きる喜び・学ぶ喜びを知らずに、無気力に自分の人生を投げてしまっていたり、人や社会に敵意を抱いたりしている子どもや若者の無惨さを思います。
少年法が改正され、更生保護法が制定される中で、生まれ変わり、やり直すための出会いが本当に保障されるのか?やってしまたこの責任は本人が取らなくてはならないとしても、そのような子ども・若者になるまで誰も助けなかった責任を、本人に対して、本人の周囲のおとなたちと社会が取らなくてはいけないのではないか。
声に出して言うということ
現職の大臣が自殺した。生きて言うべきことがあったのではないのか?生きていると言わなければならなくなるから死を選んだのか?それを言うことは死ぬ以上につらいことだったのか?決して声に出して言ってはならないことだったのか?
先日、高校3年生の子どもたちの話を聴く機会があった。先生に対して、親に対して、世間のおとなたちに対して、かなり鋭い批判があり、こんなことを思いながら日頃生活していたのかと改めて考えさせられた。そして、おとなに改めて欲しいその思いを身近なおとなに訴えても、何も変わらない、そして、授業中分からないことがあっても、授業を中断させてしまっては悪いと思い質問ができない、両親双方が親同士の問題を子どもにぶつけてきて重たすぎる・・・など、子どもたちが、声に出して言ってもムダ、言ったら悪いと、身近なおとなに自分の思いを伝えることをあきらめている様子がうかがわれた。
声に出して言ってごらんと言うには、本当のことを言っていいんだよ、言ったらちゃんと受け止めるよ、という合図を、日頃からおとなたち が子どもたちに向かって送っていなければならない。それは、おとなに対しても同じなのかも知れない。死ぬくらいなら、思い切って言ってごらん、死ぬことなんてないんだよ・・・と。
先日、高校3年生の子どもたちの話を聴く機会があった。先生に対して、親に対して、世間のおとなたちに対して、かなり鋭い批判があり、こんなことを思いながら日頃生活していたのかと改めて考えさせられた。そして、おとなに改めて欲しいその思いを身近なおとなに訴えても、何も変わらない、そして、授業中分からないことがあっても、授業を中断させてしまっては悪いと思い質問ができない、両親双方が親同士の問題を子どもにぶつけてきて重たすぎる・・・など、子どもたちが、声に出して言ってもムダ、言ったら悪いと、身近なおとなに自分の思いを伝えることをあきらめている様子がうかがわれた。
声に出して言ってごらんと言うには、本当のことを言っていいんだよ、言ったらちゃんと受け止めるよ、という合図を、日頃からおとなたち が子どもたちに向かって送っていなければならない。それは、おとなに対しても同じなのかも知れない。死ぬくらいなら、思い切って言ってごらん、死ぬことなんてないんだよ・・・と。
今、子どもたちは?
一昨日は、週1回の「ほっとすぺーす」の日。もと私の実家だった一軒家を開放して、朝10時から夕方6時まで開いています。寄付していただいた絵本やおもちゃがいっぱいです。
午前中は1~2歳の子とお母さんがやってきて、いっしょに子どもを遊ばせ、親同士おしゃべりして、お弁当を食べたり、、私も子どもと親、両方の仲間に入れてもらって遊んでいます。
たまたま小中学生の帰りが早くて、3時には6年生のAチャン、続いて中2のTちゃん・・・と、急に部屋が狭くなった感じでした。
その頃には、おちびちゃんたちはおねむで、ほとんど入れ替わりに引き上げて行ってしまいました。
いつもは、もう少しゆっくりする親子がいて、面倒見の良いお姉さんたちが、おちびちゃんたちと遊んでくれて、お母さんたちもゆっくりできて、良い感じのことが多いのですが。
同じくらいの年頃の子ばかりになると、どうして穏やかに仲良く遊べないのでしょう?誰かが泣き 出したかと思うと、誰かが怒って2段ベッドの上によじ登って上からティッシュをばら撒いたり、しまいにはとうとう帰っちゃった・・・。
子ども同士の無邪気な喧嘩のようでもあるけど、何かそれぞれ発散できない鬱屈したものを抱えてるように感じます。
午前中は1~2歳の子とお母さんがやってきて、いっしょに子どもを遊ばせ、親同士おしゃべりして、お弁当を食べたり、、私も子どもと親、両方の仲間に入れてもらって遊んでいます。
たまたま小中学生の帰りが早くて、3時には6年生のAチャン、続いて中2のTちゃん・・・と、急に部屋が狭くなった感じでした。
その頃には、おちびちゃんたちはおねむで、ほとんど入れ替わりに引き上げて行ってしまいました。
いつもは、もう少しゆっくりする親子がいて、面倒見の良いお姉さんたちが、おちびちゃんたちと遊んでくれて、お母さんたちもゆっくりできて、良い感じのことが多いのですが。
同じくらいの年頃の子ばかりになると、どうして穏やかに仲良く遊べないのでしょう?誰かが泣き 出したかと思うと、誰かが怒って2段ベッドの上によじ登って上からティッシュをばら撒いたり、しまいにはとうとう帰っちゃった・・・。
子ども同士の無邪気な喧嘩のようでもあるけど、何かそれぞれ発散できない鬱屈したものを抱えてるように感じます。