仏説阿弥陀経 要約全文

 

 ある時、釈迦は祇園精舎で1250人の弟子たちと一緒にいた。その中には、舎利弗や目連といった阿羅漢や、文殊菩薩や弥勒菩薩といった優れた菩薩、また、帝釈天などの神々もいた。釈迦は舎利弗に以下のとおり説き聞かせた。

 

 ここから西に向かって10万億の仏の国を過ぎたところに、極楽と呼ばれる世界がある。そこには阿弥陀と呼ばれる仏がいて、現在も教えを説いている。極楽という名称は、一切の苦しみがなく楽しみだけを享受できる世界であることに由来している。

 

 極楽には、宝でできた池があり、不思議な力を持つ水に満たされており、底には金の砂が敷き詰められている。そして、池に浮かぶ大きな蓮の花は美しい光と清らかな香りを放っている。池の岸には立派な建物があり、金・銀・瑠璃・水晶等で美しく飾られている。また、常に優れた音楽が流れており、天上界の花が降り注いでいる。人々はこの花を器に盛り仏たちを供養している。人々は食事の後、しばらくの間散歩して心身を整える。

 

 極楽には、白鳥・孔雀・オウムなどの美しい鳥がいて、その美しい鳴き声は七菩提分や八正道などの優れた修行法を説いている。住民はこれらの鳴き声を聞いて仏・法・僧を念じている。極楽には地獄や畜生や餓鬼の者がいない。したがって、極楽の鳥とは、畜生ではなく阿弥陀仏が教えを説くために現わしたものである。また、極楽には、宝の網飾りがなされた並木があり、そよ風に揺れて美しい音楽を奏でている。この音色を聞く者は、誰でも自ら仏・法・僧を念ずる心を起こすのである。

 

 阿弥陀仏が放つ光は無限であり、その光を妨げるものはなく、全ての国々を照らす。また、阿弥陀仏と極楽の住民の寿命は計り知れないほど長い。また、阿弥陀仏の元には数えきれないほどの阿羅漢・菩薩が存在する。極楽に生まれる人々はみな不退転の位に至り、また、一生補処という最上位の菩薩たちもたくさんいる。仏弟子たちは極楽に生まれ変わりたいと願うべきである。なぜならば、優れた聖者たちと共に同じところに集うことができるからである。

 

 極楽の素晴らしさを知ったのであれば、極楽に生まれ変わりたいと願うべきである。しかしながら、わずかな功徳を積むだけでは極楽に生まれ変わることはできない。もし善良な人間が、阿弥陀仏という名を聞き、その名を心にとどめて1日、あるいは7日までの間、一心に思いを乱さないのであれば、その人が命を終えようとするときに、阿弥陀仏が多くの聖者とともに現れ、極楽に生まれ変わることができる。

 

 私(釈迦)がこうして阿弥陀仏の計り知れない功徳の力を称賛しているのと同様に、東方・南方・西方・北方・下方・上方の世界にいる数えきれないほどの多くの仏たちも同様に、世界の隅々にまでに阿弥陀仏の優れた徳が真実であるとし、「阿弥陀仏の計り知れない功徳の力を称賛して信じなければならない」と言っている。

 

 善良な人間たちが、多くの仏たちの説く阿弥陀仏の名と教えを聞くのであれば、全ての仏たちに護られて、この上ない悟りに至ることができる。そのため、お前たちは、私(釈迦)や多くの仏たちが説く阿弥陀仏とこの教えを深く心にとどめなければならない。

 

 私(釈迦)が多くの仏たちの計り知れない功徳の力を称賛しているように、多くの仏たちも私の計り知れないの功徳の力を称賛して「釈迦仏は世にもまれな難しく尊い行を成し遂げた。世界は様々な濁り・汚れ・煩悩に満ちて、人々は悪事を犯すばかりであるが、釈迦仏はこの上ない悟りを開いて人々のために信じがたいほどの尊い教えを説いた」と言っている。私の行うことは、本当に得難いことなのである。

 

 釈迦がこれを説き終えると、舎利弗や多くの修行僧、天人や阿修羅などは皆、喜びに満ち溢れて深く心にどどめ、礼儀正しく礼拝して立ち去った。

 

以上