前回記事「仏典を読む(その4)阿弥陀経2」の続きです。

 今回から、無量寿経の要約に入ります。無量寿経は浄土三部経の中で最も分量が多く、上下巻に分かれる長編であり、「大経」と呼ばれています。今回の要約作業にあたっては3回全文を通読しましたが、阿弥陀仏や極楽浄土という本題から外れた話題が多く含まれており、正直なところ、それらが内容の理解を妨げているような印象を持ちました(例えば、冒頭から「菩薩」についての説明がかなり長々と説明されています)。

 このブログで今後行っていく仏典要約では、それぞれの本題を理解した上で、重要部分を書き落とさないように十分注意し、他方、本題から外れていると思われる部分については大胆にカットしていく方針でいきたいと思います。

 

 

【無量寿経(上巻)】1

 
① ある時、釈迦は王舎城において12000人の優れた弟子たちと一緒であった。弟子の中には、舎利弗・目連・摩訶迦葉といった釈迦教団の中心人物たち、また、普賢・文殊・弥勒といった優れた大乗の菩薩たちがいた。
 
② 釈迦は、喜びに満ちており、その姿は清らかで表情は輝いており、いつも以上に気高く見受けられた。そこで、弟子の阿難は丁寧に合掌し、「世尊(釈迦)は今日は特に優れた禅定に入っておられ、また、世の中で最も秀でたものとして優れた智慧の境地に入っておいでになります。そしてまた、世の中で最も尊いものとして如来の徳を行じておいでです。過去・現在・未来の仏の方々はお互いに念じ合われるということですが、今まさに世尊も他の仏の方々のことを念じておられるに違いありません。もしそうでなければ、なぜ世尊のお姿がこのように神々しく輝いておられるのでしょうか」と問うた。
 
③ これに対し、釈迦は「阿難よ。大変結構な問いである。如来はこの上ない心で迷いの世界を哀れむ。如来が世に現れるのは、仏の教えを説き、人々に真の恵みを与えたいと考えているからである。如来の悟りは、計り知れない尊い智慧を備えて人々を導くのである。これから私が説く教えをよく聞くがよい」と答え、以下のとおり、教えを説き聞かせた。
 
④ 今より遥か昔に錠光という名の仏が世に現れ、多くの人々を教え導き、悟りを得させた後に世を去られた。その後、多くの仏がこの世に現れた末に世自在王という仏が現れた。世自在王は、如来・応供・仏・世尊といった様々な聖者の呼び名で世の人々に仰がれていた。ある国王は世自在王仏の説法を聞いて深く喜び、悟りを求める心を起こし、国も王位も捨てて出家して修行者となり、法蔵(ほうぞう)と名乗った。
 
【メモ】
 とりあえず第一回目はここまでとなります。
 ①によると、弟子12000人に向けた説法であったということでしょうか。東京ドームが55000人収容、さいたまスーパーアリーナが37000人、日本武道館が14500人(実際には10000人くらい)ですので、日本武道館で釈迦の説法ライブが行われたとイメージしましょう(笑)。
 ②では、釈迦の十大弟子の1人である阿難が「今日の師匠(釈迦)はいつもと違う」と気づきます。そして、③では、釈迦が阿難のその気づきを認めているので、釈迦がいつもと違う特別な説法を行おうとしていることがわかります。それだけ無量寿経の内容が重要であることを強調しているのでしょう。
 ④では、錠光という仏が出てきますが、これは別名「燃灯仏」(ねんとうぶつ)と呼ばれる仏であり、釈迦の前世において「釈迦が遠い将来必ず悟りを開くだろう」と予言(授記という)したことで有名です。錠光が亡くなってから、50人くらいの仏が世に現れますが、その後、世自在王仏が登場します。この世自在王仏が後に阿弥陀仏となる法蔵に対して教えを説くことになります。
 
 次回に続きます。