ゴールデンウィークは、人が溢れかえっている街に出る気にはなりませんので、朝のうちにバイクで都心から離れて地方の観光スポットを回るのが毎年の恒例となっています。北関東3県は日光や大洗などの有名観光地を除けば、渋滞も人も少なくて快適に過ごすことができ、ドライブやツーリング先として大変おススメです。

 今年は栃木県の下野市付近を散策し、天下三戒壇と呼ばれた下野薬師寺(跡)を参拝(見学)してきました。

 

 

 現在、我が国で僧侶になるには、各人が信仰する宗派において師僧を見つけて「得度」する必要がありますが、この得度については、仏教が伝来した飛鳥時代から鎌倉時代までは国家によって管理されていました。これは、兵役逃れのために得度しようとする者を防止するためであったと言われます。

 

 そして、得度を受けた僧侶は、僧侶として守るべきルールである戒律が授けられる「授戒」を受ける必要があるところ、この授戒については、国家によって指定された3寺院に限定されていました。天下三戒壇、すなわち、奈良の東大寺、福岡の観世音寺、そして、今回訪問した栃木の下野薬師寺となります。

 

下野薬師寺戒壇堂

 

 授戒は、先輩の僧侶たちに証人となってもらい、戒律を守ることを宣誓する儀式であり、奈良時代に鑑真和上が我が国にもたらしたとされます。今やまともに戒律を遵守している僧侶はほとんどいないという状態であり、日本仏教において決して重要視されていない戒律ですが、日本仏教以外では、現在でも戒律を遵守することこそが僧侶である証とされています。

 

 欽明天皇や聖徳太子が導き入れた我が国の仏教においては、当初、授戒の制度がなく、得度しても、実は正式な僧侶とはいえない…といったコンプレックスがあったようであり、奈良の朝廷は、これを解消するために国家プロジェクトとして戒律の専門家であった鑑真の招請を行いました。歴史の教科書において、「鑑真の来日」は、必須学習事項となっており、大抵の人はその歴史的意義について実感がわかないでしょうけど、実のところ、不十分であった我が国の仏教の体制を完成させたという極めて重要な出来事であったわけです。

 

 

 さて、この下野薬師寺ですが、我が国に三か所しかない正式な僧侶の認定機関であることから、往年は西国の大寺院に匹敵する壮大な伽藍を誇る寺院であったのですが、その後に衰退していくことになります。その原因の一つとして、「比叡山延暦寺に大乗戒壇が設立されたことにある」とされているのが非常に興味深く、次回にこれを詳述することとします。

 

 次回に続きます。