信忍の本質を試される現象 | 『唯唯普通に生きる』

『唯唯普通に生きる』

『感情』を超えていきたい人の戯言です。

今ある現実を全て信じ受け入れる、


バクティ的な考え方が、

信忍の本質なのはわかるし、

なんとかその感覚的な理解も

日々修行しているが、


もう一段上の信忍の感覚を

試される現象として、


この苦しみを作っている根源が

今度は、協力してくれる

立場に変わってきている。


今の自分の感覚だと、

まだまだ自分というものが未熟がゆえ

本当に都合がよいと感じてしまい、


結局、何度も何度も

同じ現象が発生するのが観える。


過去は、こちらも思い込みが

ひどかったので、


その因果により右往左往

させられてしまった。


だが、その苦しみのおかげで

仏教に出会え、そのおかげで、

その因果が観えるようになってから、


基本的には、仏教の教え通りに

地道にやり続けると、

全く違う世界が現象化してきている

のも事実。


結局、真理の考え方が観えないと、

その場しのぎで、都合のよい方を

常に選択していくから、その時の

都合の損得で判断が変わってしまう、


本人はいささかも気づかない。


この現象さえ、分別心を起こさないで、

信忍していく心を作りなさい、

という事なのだろう。


仏教というのは、実はことごとく

厳しい教えなんだな。


だけど、それさえ許せる心が作れたら

たしかに人間としては成長できるだろうな。