未来の私か、過去の私しかいない | うちゅうじんの意識

うちゅうじんの意識

変人で孤独が好き。占いに興味を持ち独学、何とかアラフォーの中年まで生きてきました。自身のメンヘラ気質と上手に付き合い、心安らかな人生の過ごし方を模索中です。


こんにちは。


普段から私たちが目にしている生命、万物、


植物や石や虫や小動物、近所に住んでる人、


家族、友人、会社の上司、同僚、取り引き


先の人、etc…


それらは全部、過去(過去生)のあなたもしく


は、未来(未来生)のあなたです。



たとえば


知り合いのAさんの至らない点ばかりが気に


なって嫌で仕方ないならば、過去のあなたに


も同じような至らない点が幾つもあったので


しょう。


知り合いのBさんが、今の自分にはない素敵


な所がいくつもあって、うらやましくてたま


らないなら未来のあなたはきっとBさんのよ


うな素敵な人になっていることでしょう。



私たちは、己れというフィルターを通して、


世の中を観ているので、自分が理解可能な


範疇で対象を捉えます。


あなたの抱くAさん像と、他の人が抱いて


いるAさん像は全くの別人です。


つまり、今の自分と同レベルか、少し上の人


(未来の自分)か、少し下の人(過去の自分)の


事しか、明瞭に理解出来ないのです。


あんまり、遠い未来の自分はどんなだか、


よく想像つかないし、あんまり大昔の自分


のことは忘れてしまって、よくは思い出せ


ません。


遠い遠い未来の自分も、遠い遠い過去の自


分も、ほぼ、エイリアンそのものです。だ


から、理解出来なくて、怖いから排除した


くなるんです。見ないようにシャットオフ


しちゃうんです。脳はいつでもあなたの要


望にきちんと応えて、興味のないものは表層


意識に上がらないように、事前に取捨選択を


してくれます。(便利ですね。)


そして、私たちは、遠い過去の世で自分が


石だった頃のことなんて思い出せないこと


でしょうし、遠い未来に如来になっている


自分の姿なんて想像もつかないことでしょう



ごく普通の凡夫が、偶々如来に出会ったと


しても、如来のことを自分と同じ"凡夫"と


して認識してしまいます。誰かにその人は


如来だよと教えてもらっても、何がちがう


のか凡夫には判りません。それこそ、空で


も飛んでもらわないと認めることは出来ま


せん。


それが仏縁のある凡夫ならば、何か勘が働き


如来とは気付けなくとも、お布施をしようと


行動するでしょう。






ほっしー