相互間の認識は等価にはならない | うちゅうじんの意識

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変人で孤独が好き。占いに興味を持ち独学、何とかアラフォーの中年まで生きてきました。自身のメンヘラ気質と上手に付き合い、心安らかな人生の過ごし方を模索中です。


こんにちは。


輪廻転生、生まれ変わり


この事を信じて認められる人にお話しします


過去生で出会った事がある人に今生において

もまた、出会ったというケースがあるかと思

います。

それらは、家族や恋人など切っても切れない

深いつながりの縁もあれば、相手から一方的

に恨み等何らかの執着心を抱かれ、追いかけ

て来られるような、前世の業の縁もあると思

います。(自分が恨み等の執着を持つ相手を

追いかけて、また出会ったという反対の立場

の場合もありますよね。)


前世の未解決の課題が"業"です。


軽いものであれば、前世にて大変世話になっ

た事があったのに、その人へお礼が出来てい

なかったから今生では、今度は自分が何か役

に立つ事をして恩返しをしてあげたいとか。


それって、要は自分の気が済むように貸し

借りのない、損得の過不足がないようにし

たいというバリバリのエゴなんですけどね。


実際問題において、相互間の認識は、以外

に"ちぐはぐ"なんですよね。


例えば、一方は相手に何か恨みに思っている

けれど、もう一方は何の罪悪感もないので、

何かと衝突してきて面倒な人くらいに思って

いる場合。


あるいは、一方は、相手を傷つけてしまった

と罪悪感を抱いており、もう一方は、特に

その人を恨んだりしていない場合。


結局のところ、

愛憎やら、怨恨やら罪悪感やら、後悔やら、

あらゆる他人に対する感情、執着心は自分

の心の檻の中の想念であり、己自身で消化

していくべき課題だと思います。


どんなにおしどり夫婦であっても、フタを

開けて見たら、一方が相手にぞっこんなだ

けで、もう一方は相手を別に嫌いじゃない

けど、好きで仕方がないとかそんなことは

全く無かったりする組み合わせが実は多い

のではないかと思います。


因果応報の世は、必ずしも、当人同士の間で

解決するものではなく、私達がやった善行、

悪行の報いがまったく関わりのないところ

からでも、必ず戻って来るというものです。

それが、生き死にを越境すると"前世の業"

となります。

そして、自身に因果応報の報いを与えること

を望んでいるのは、私たち自身の精神です。

そうすることで、この世において私たちの

魂は鍛えられていきます。







ほっしー