夢の糸(意図)
いいことだ
パターン化して世界を見ることは
ときには
四六時中
個人的に
見えるようにして
翻訳して
認識すれば
それが
世界というものになる
だから
聞こえてくるもの
見えるものは
そのまま
想像の産物だから
ときにはそれをアートのように創造して
四六時中
個人言語で再構築するなら
私の世界は
私のアートになる
まるで
ギャラリーなんて無用の長物のように
糞のように
展示なんかする必要などなく
観るもの聴くものが
そのまますべてアートだから
つまり
この頭が
勝手に作りだす
命令もしていないのに
勝手に認識する
まるで言語とは似ても似つかわしくない風に
つまり
肉体には五感があり
さらに
自律的な欲望があり
それによって世界を認識するが
それとは別に
勝手に認識を始めるルートがある
そこを少し広げてやると
思ってもみなかった世界に気づく
それは自分が想像した世界のようにも
共通に分配できない価値
眠りのあとには夢は来ない
夢を紡ぎだす糸には
それ自体に意図がある
だから一度、既存の糸を切って
意図そのものを紡がなければ
自律的な夢を見ることはできない
幸せ(?)を感じるとき
幸せだと感じるのは
ぼくの場合、やはりとても暗い性格を反映してか、とても地味なことであり
詳細まで決まっているのです。
それは、ノガタのわびれた商店街を夕日が暮れる前に歩くことです。
そして、寺に隣接した公園に行き、
だれもいないベンチに腰掛けるのです。
その公園には滑り台があって、
高台にあるせいで、遠くの新宿のビルが滑り台の横に見えます。
ベンチは藤棚の下にあって、
藤が咲いていなくても、年中なんらかの草木が茂っています。
その辺りは寺が密集していて、
大木がうっそうと生えていて、
まるで森の中にいるように感じます。
なぜかそこに行くと落ち着くのです。
そして、”幸せ”すら感じます。
ベンチに腰掛けているのに飽きると
商店街を通って帰ります。
ちっぽけな商店街が
まるで人間の営みの小ささを暗示しているようで
なんだかうら寂しくなるのですが
そんな小都会に暮らしている自分の身の丈に合っているようで
落ち着くのです。
何年たっても
このわびれた商店街は変わらないのだなと思うと
ひょっとして自分が死んだあともこのまま同じ営みが永遠に繰り返されるような気がしてきて
いったい自分って何? と改めて考えさせられるのです。
それから、
汚い中華そば屋で、安い定食などを食べられればなお幸せです。
帰る頃にはすっかり空も暗くなって星など出ていたら、またさらに幸せを感じます。
新宿のビル群よりも遠い星の光が見えるのですから。
自分の小ささをさらに強く感じます。
でも、パスカルの言った言葉も同時に思い出します。
人間は葦のようにひ弱な存在だが、考えることによって宇宙すらも包み込むことができる。
つまり、自分は弱く、もうすぐ死ぬ運命にあるが、
永遠で無限の宇宙に存在している。
なぜか、今、存在している。
そして、どういうわけか、自分はそのこと(神秘が存在していること)を”知って”いるのです。
自分と宇宙のギャップを感じるとき、
なんとなく幸せな気持ちになるのです。
桜の木との対話
暖かい昼が過ぎて
夜は窓を開けていると涼しい風が入ってくる
桜の花びらも散り
花のがくや茎までも散らばっている
今度は緑の若葉を一斉に芽吹こうとして
風に揺れ
日光を浴びて
笑っている
一本の桜の木と話をした
そう言えば
桜の木には名前なんてない
自分が”桜”と呼ばれていることすら知らない
それなのに
話はできる
言葉でしゃべらないから
喜んだり、寂しがったり
誇らしげだったり、つまんなそうだったり
刻々感情を変える
過激な性格に見えるが
とてもナイーブ
そして
歳をとらない
どんなに老木だろうと
自分を老人だとは思っていない
若くて無邪気な生命に満ち溢れている
きみは、冬の間、なにをしていたの?
じっと耐えていたの?
それとも眠っていたの?
どんな夢をみていたの?
桜は、嬉しそうに答えた
「忘れちゃったよ」
「今、きみに会えて嬉しいよ」
「太陽が温かいように」
「きみの光を感じるよ」
「ぼくの光?」
「そう、きみから発する光」
「どうなんだろう? ぼくはもうすぐ死ぬんじゃないだろうか?」
「死ってなあに?」
「さあね。 ほんとうはぼくにもわからない」
「ぼくは生命しか知らないよ」
「冬の間だって、それしか夢見てなかったんだ」
「きみは生命を夢みていたの?」
「そうだよ。 光だよ」
「光?」
「そう。光によって目を醒まし、光の内にまどろみ、光がからだの中を通っていく」
「それが生命?」
「そうだよ。きみの言う”死”の中にも、別の”光”がある」
「だから、生命は永遠なんだ」
「ありがとう。ぼくにはまだよくわからないけど、いつか今日のことを思い出すような気がするよ」
「そうだといいな。きみがぼくを思い出してくれるといいな」
「ああ、きっと思い出すよ」
「それじゃあ、また」
「え? 行っちゃうの?」
「うん。また来るよ」
桜の木は無言で寂しそうに風に揺れていた。
キリストはなにを語ったか?
キリストはなにを語ったか?
って下の方に広告でてたから書くんじゃないけど
そんなのわかる人いるの?
聖書だって何回もの公会議で編纂されたものだし
第一、キリストっていう呼び名自体がキリスト教のドグマだし
そのキリストだって何人もいる
十字架に架かって死んだはずなのに復活して昇天したのは新約のキリスト
そのあと世界各国を旅したという伝説もあるし
神の一人子としての神秘学的超人としてのキリストもいる
そうじゃなくて、ただの愛を説いた人間としてのキリストもいる
なにを信じようと自由だが
2000年前のキリストが何を語ったかなんて
もうどうでもいいんじゃない?
ブッダだって同じこと
どうでもいいし
仏を見たら仏を殺せって禅で言われているけど
そんな決まり文句も死語になるくらい
ブッダもキリストも、もうこの際どうでもいいし
まあ、がんばれや
ムハンマドもクリシュナも
どうでもいいし
僕の尊敬する教祖は
たぶん
ウーパールーパーとか
すずめ
だろうな
それと
マリアさまかな
現実改造法
秘密の魔法の夢の実現
簡単にだれでもできる方法
1講座たったの1万円
グルジェフ、ウスペンスキーの流れをくむ
SF現代版現実改造法
今回は特別無料ですべて公開
お見逃しなく
まずは呪文を唱えよ
オプルンブルンチュルシュ
目を閉じ深呼吸三回
息を止め
シュルルルルル
一気に吐き出す
脳内酸欠状態になるまで繰り返す
そのうちに眩暈を起こし倒れる
倒れたらそのまま沈黙
1時間すると体が冷たくなり
やがてあなたはあの世にいる自分を発見するだろう
つまり
即効現実改造法簡易版
でも
試してみない方がベターなのは言うまでもない
なぜなら
現実はそんなに単純じゃないから
たった今、理想の異性が目の前にいても
あなたはその現実に気づかないとしたら
ただ目が見えないだけ
ブレインをきれいにする音楽
ブレイン(脳)をきれいにする音楽を作った。
それを聴いているのは今のところ自分しかいない。
聴いていると、どうやら他の効果もあるらしいことがわかった。
不眠症が治る。
ストレスが軽減される。
初期の風邪が治る。
聴きながら眠ると、とても気持ちがいい。
裸になってシーツにくるまり、虚脱状態で聴いていると
いつの間にかトランス状態になってくる。
金縛り状態にも似ている。
今度は、ブレインをきれいにするアートを作ろうと思う。
最近、自分の周りで不可解なことばかりが起きている。
自分のせいでもないはずなのに、
どうしてなのかわからない。
きっとブレインが疲れているのかもしれない。
だから、ブレインのための子守唄を聴いて
この世の干渉から抜け出して
あの世とこの世の境あたり
たぶんアストラルレベルに近いところに一時的に退避して
記憶を取り戻す
まだ言語を覚える前の世界認識の記憶
すべてが不可解なほどに混沌としていながらも
自由に浮遊している状態
そこには肉体はないから
実際の肉体は痙攣していなければならない
あるいは金縛り状態になければならない
ブレインだけが覚醒していて
意識は眠っている
あるいはその反対
ブレインは麻痺していて
意識だけが覚醒している
どちらにしても
記憶は飛んでいて
忘れてしまった夢のように
思い出せない
それなのに体験したという自覚はある
それなのにその詳細は認識されない
そんな状態が
エンドレスに続いて行く
きのう見た夢
きのう見た夢はおもしろかった
全部は覚えていない
でもところどころ覚えている
なんか、うらぶれた港町にいる
夕方、海の方の空を眺めると
沈みかけた太陽光線に
ちぎれた雲が空を覆っていて
極彩色の異常な色と光に彩られている
無言の雲は流れ
ちぎれたりくっついたりしながら
わけのわからない形に変容している様子が
狂気じみているのに
それを眺めている自分はなんだか
とっても世俗的な所にいるのを知っている
その証拠に
見ず知らずの人が馴れ馴れしく声を掛けてくる
「あの雲を見てごらんなさいよ」
そちらを見ても別に今まで見ている雲以外、何もない
「あれはとても異常ですよ」
でも、なにが異常なのかわからない
もしかしたら自分が見ている雲と
この人が見ている雲は別なのかもしれない
確かに、狂気じみた色彩と形には違いない
でも、彼が言わんとしている”異常”という言葉の意味ほどには
その雲は異常じゃない
自然現象ではあり得る範囲の色彩と造形だ
ところが見ているうちに本当に異常なのに気づく
雲の一角に
○△□の緑色のレーザー光線のような形が浮かび上がっている
「確かに異常ですね。気付きませんでした」
そう言いながら、思いついた
「ひとつお訊ねしますが、あなた、この土地の人じゃありませんね」
すると、その男は答えた。
「ええ、そうです。ここの温泉に浸かりに来た観光客です」
「やはりそうですか。ところで、どちらの温泉にご宿泊ですか」
「この土地では一番よいと評判の温泉です。よかったらご案内しましょう。入浴だけでも大丈夫ですから」
このような成り行きで、ある温泉に案内されることになったのだが
行き着いた先は、温泉というより大きな銭湯のようなところだった。
大きいといっても、尋常な大きさではない。
建物の屋根は見えないくらい高く、遠く、湯船に至るまで、
脱衣場が地平線まで続いていて、その先は霞んでよく見えない。
そこで、服を脱いで、なぜかその男と銭湯に入るのだが
そこで、場面が変わる。
どこかの洞窟の入口の前に立っている。
なんだか、そこには前に来たことがあるような気がする。
その中にも入ったことがある。
中から外を見るとありふれている風景なのに
外から中を覗くと、なにかとても神秘的な感じがする。
そのカラクリを利用して
だれかが金儲けをしようとしているのだ。
ところが、見世物小屋のようなチンケな入場料を取ってるだけの、チンケな商売なのだ。
だから、どうせインチキだと分かっていながら、その洞窟に、入場料を払って入ることにする。
中には数人の見物客がいる。
その中の一人の女を
僕は見たことがあるような気がする。
どこにでもいそうな女だ。
ありふれた人生を送っている
ありふれた思想の持主の
ありふれた外観の女だ。
でも、そのありふれさ加減が
僕にとって、とても悲しく、なぜか、心がズキズキ痛む。
本人には、そのありふれさ加減が自覚されていないということが
ひとつの悲劇なのだ。
ヘルメットを被って、洞窟を見物しているその女は
なんで、この洞窟を見物しているんだろう。
しかも、感動している。
何に感動しているんだろう。
僕は、洞窟を見ないで、その女を見ている。
**************************
なんだか、書いているうちに怒りが込み上げてきた。
人間は、自分を自覚できない。
そのことが他人から見れば、とてもバカバカしいことに見えても
本人は自分を知らないから、そうは思わない。
それこそ、大きなお世話なのかもしれないが、
それが、悲劇の始まりだとしたら
それが、人生のつまずきの元になっているのだとしたら
人間って、なんてつまらないものなのだろう。
でも、どこにも、正解なんて存在しない。
だから、生きることにおいて、なにを基準にしたらいいのか
だれにもわからないまま
ただ、迷い、試行錯誤しながら、生き、老いていく
そんな人生に、
いったいどんな意味があるというのだろう。
***************************
これから、また眠るから
きのうの夢の続きを見ようと思う。
たしか、あの男は、温泉ばかりじゃなく
うまいものを食わせる店も知っていると言っていたような気がする。
きっと、地元の刺身とかを食わせる店だろう。
たまには、食いたい刺身を全種類、腹いっぱい食べてみたいものだ。
とにかく、つまり
やっぱりないと駄目だな~
つまりジンが
つまりなにか眠り薬みたいなものが
とにかく
麻痺させるもんが必要なんだ
つまり神経を
そうしないと
この神経というものは、
つまり
ノイズを除去するように
精巧に(?)チューニングされてるから
生まれつき(?)、デフォルトで
だから、僕のチューニングと合わないんだよね
つまり
とにかく
僕は
ノイズが欲しいし
異次元からのランダムのアクセスにも耐えられるし
つまり
正気でいられるし
もともとなにが正常でなにが異常かわからないし
現実が5感の刺激だけで構成されてるとも思わないから
つまり
とにかく
WATERだけで酔うっていうのも大変だけど
まあ、しかたない
それが人生
セ・ラ・ヴィ!
BON シャンカール!
ハリ・ハリ・ガンガー!
ぼくの神経は
そんなに
ノーマルにチューニングされていなくていいのに
ボロボロの車
どこにも連れて行ってくれない
それなのに
とにかく
走る
つまり
行き先もないのに
地球は丸いのに
どこに行くわけでもないのに
それでも
とにかく
明日
起きるために
寝るだけなのかもしれない・のに
それでも
とにかく
言葉だけは
なぜ・か
書かなければならないとしたら
それはなぜ?
つまり
とにかく、それが
詩人ってことでもないんだけど
それなのに
つまり
とにかく
つまり
そういうこと?
う・うん
つまり
とにかく
そういうこと
(身長は充分高いよ)
(あいだみつおは好きじゃない)
(激安通販で買う物はなにもない!)
(つまり、とにかく、そういうこと!)
ドロップアウト
あしたは寒くなるというから
きょうはもう寝ることにして
その前に風呂に入って
いま暖房の風を浴びている
生暖かいエアコンの風
眠気をさそうインドの音楽
横尾忠則の家に行ったとき
ラジカセでインドの音楽がガンガン鳴っていたのを思い出した
アーティストだなと思った
インドって
とってもアートな国だった
最近はITの国になっているようだ
デジタル化が世界を席巻したっていうわけだ
そういえば、
リップスっていうディジタル・ダンスミュージックを作ったのは
インド人だった
ファンキータウンっていうディスコ曲がヒットしたが
なんか、聞いているとトリップしそうだと感じたのは僕だけだろうか?
言わずもがなヨガもインド発祥
昔は三点倒立をよくやっていたが
最近は太ってしまってたぶんできそうにない
僕にとってインドは瞑想の国だ
マントラを使ってもいいし、ヨガを使ってもいい
ドラッグを使ったってかまわない
つまりなんでもありなのだ
要は、瞑想状態になれればそれでいいのだ
非日常
それでいて気持ち良くなければ瞑想じゃない
インドの音楽にしろ、お香にしろ、そのための手段
ぼくには気持がいい、トリップできそうになる、トリガー
エスニックっていうんじゃなくて
もっとあの世的で
リラックスしていて、開け放たれている
扉の向こうに行くと
そこに何があるというわけでもないが、
そこに日常があったとしても
雨が降っていたら雨がふっているなりに
晴れていたら晴れたなりに
その日常に巻き込まれないでいる
それが本当は気持がいいことなのだとうことを
今、思い出した
若いころ、
そんな贅沢をたくさんできてよかったと思う
若さというのは
試行錯誤で前には進まないようだけれど
本当は、今、そこにあることを
とても敏感に感じ取れる感受性があるのだ
それこそが若い神経回路の特質なのだから
若いうちから自分自身を型にはめる必要はない
アウトサイダーのまま
社会から落ちこぼれたとしても
いったいその社会ってなんぼ?
むしろ、純粋無垢の生命の方が貴重だったりする
だから、
最近、鬱が流行ってるらしいけど
社会に適応する必要など
さらさらないのかもしれない
笑われる
もしも、あなたが
あんなふうに笑ったりせずに
ただ近くを
通り過ぎていったなら
なんでもない夕方が
突然いつもと違うなにかに
変わっていたはずなのに
でもこうして
おなじ道を歩いて
同じ狭い改札を通り抜け
いつもと同じ街
ただ時間に追われて、日が暮れるから
一日が終わる前に
眠らなきゃならないから
腹を満たし
そのためになにを喰うかを考え
物色して歩く
それなのに
あなたは
ぼくの傍らを通り過ぎたとき
とても輝いてみえたのに
ぼくは、見つめ
それなのに
あんなふうに笑ったものだから
どうしようもなく
笑われているみたいで
はずかしくなり
やっぱりカッコがいけなかったのかと思い
でも、何度もあなたを見るが
やっぱりあなたは
笑っているだけ
ぼくを見て
どうしようもなく
笑っているだけ