小さなスナック・・・ | どら猫でござる。

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ゴールデン猫劇場

こんにちは

こんばんわ

おはようございます。(_ _)

 

本日はお日柄も佳く

皆様はイカがお過ごしでしょか

我が輩はタコがお過ごしです。

 

「アビガン」という言葉が

すでに死語となりつつある今日この頃・・・

 

こんなまとまりのないブログ

いつもごひいきに

ありがとうございます。 (–_–)

 

先日のことじゃった

街を歩いていたら

道端でバッタリ!と倒れて・・

 

違う!違う!(*O*)

バッタリ!と

昔懐かしい同級生の女子(熟女)に会って

 

「あらー!もしかしてドラちゃんじゃね」

 

「は・・?えー・・とどちら様で」

 

「私、私、私じゃが、同級生の・・」

 

そう言われましても

あまりにも変わり果てたお姿で・・(失礼!)

(う〜む・・思い出せない・・)(-_-) 

 

「えーっ、わからんとぉ・・?」

 

まずい!

ここはひとつ思い出したフリをして

「あー!里子ちゃんじゃね」

 

「違うわ!和子じゃが!」

 

「そうそう、和子ちゃんじゃった」

(それでもピンとこないが・・まあいいか)

 

「ははは・・・」

「あははは・・・」

 

なぜか笑い合う二人・・・。

 

そんなこんなで

今日の「どらメシ」

(寿司盛り合わせとだし巻とポテトサラダ)

 

昔むかしのそのまた昔・・

(いや、そこまで昔ではない)

 

若けえ頃は

女性に会うたび

「あーら、いい男ね・・」なんて

言われたこともあったりなかったり・・(¯◇¯) 

 

今ではすっかり朽ち果てて

花咲かないGさんになってしまいましたが・・(-_-)

 

口だけはまだまだ達者です。 ('_')b 

 

そんな我が輩ごときは

もうここ数年でだいぶ人付き合いを減らしている

ていうか

古い友人や知人が亡くなったり

介護状態になったり

コロナで足掛け約4年間の交流中断も大きかったし

なんとなくフェイドアウトしてるし・・・

 

元々、お節介やきで仕切り屋で

来る者拒まず、去る者追わずの精神で

広く浅くの付き合いをしてきたが

 

今後はそういう薄い交友は絞っていこうかな・・と

それは何故か?

と、訊ねたら

 

残された時間が

どんどんなくなっているからでござる。

 

損も得も無く、貸し借りも無く

これまでの恩も忘れ、なんの役にも立たず

こちらの期待を裏切ってばかり・・ってのは

もうはっきり言っていらないだろ・・

と、思ったわけ。

 

「心の断捨離」もしなくちゃね

 

最後に畳の上で死ねるのか

それとも

道端のドブにでも落ちて死ぬのか

わからんけど

 

残された時間を大切に

深く、濃くがあるのにキレがある。

クールに、ダンディーに生きるのだ。(¯ー¯)b

 

あ、ども・・

若く見えても話題は昭和

「どら」でござる。('_')b

 

(猫はパッ!と見、年齢がわからん)

 

というわけでございまして

 

先ほどの

街でバッタリ!と倒れた・・

もとい

街でバッタリと会った

同級生女子(今は熟女)といろいろ話しているうちに

「飲みかた」(こちら地方では飲み会のことをこう言う)

やろうぜ!!

という事になって

向こうが女子(今は熟女)3人

こちらが男子(今はGG)3人集めて・・・

 

それから数日後・・・

 

馴染みの墓場で

もとい

馴染みの酒場で

プチ同窓会・・・

 

カンパイ☆□D\(^_^ )じゃ

 

人によっては何十年ぶりかの再会・・

昔話に花が咲く・・・

かと思えば

 

出てくる話題は

 

孫。

年金。

病気。

介護。

再就職。

 

これがベストファイブです。(笑)

 

我が輩としては

この辺の話にはちょっと

入っていけないのでござるが・・・ (´`;) 

 

子供もいない、孫もいない

体力はさすがに衰えたが

大きな病気もないし・・・

 

ニャンコの話もワンコの話も

クルマの話もロックの話も

通じない・・・ (–_–;)

 

まあでも、他の連中も

お互いに通じてないようです。(゜◇゜) 

 

ていうか

相手の話を聞いてない・・?(笑)

 

でも、お互いに

分かったつもりで笑い合っています。(^^) 

 

なにしろ

「あれよあれ・・・」

「ああ・・・あれね」

で、話が成立する世代ですから(^^;)

 

(なんだかんだ・・・)

 

遠いあの日・・・

なぜかわけもなく走ったり

ときどき、ジャンプしたり

 

ケンカもしたし

やんちゃもした

 

恋をして

結婚をして

子供を育ててきたんだ。

 

もう、いいだろう・・・

おつかれさまでした。

 

これからは

残り少ない時間を

自分のために使おう

 

そして

いつまでも元気でいよう

お互いに・・・

 

 

ひとしきり

言いたいこと言い合ったら二次会へ・・

 

10人も入ればいっぱいの

白い扉の小さなスナック〜♫

 

「いらっしゃ〜い」

 

いつもと変わらぬおもてなし

裏もなし・・・

 

平日だからか

他に客はいない貸し切り状態。

 

新しいボトル入れました。

青春の「角」です。(^ー゜)b

 

「かど」・・ではありません。

「かく」です。

 

青春時代にお世話になった

1本でもサントリー「角瓶」・・・。

 

カンパーイ☆□D\(^_^ )

 

 

ところでジョージ・・

 

よくよく考えたら

「スナック」て

おかしな名前だなぁ・・

と、ふと思った。

飲み屋なのに・・・。

 

終戦後に

いち早く復興した歓楽街は

バーやキャバレーが中心でしたが

混乱期でもあり未成年者の出入りも多く

1959年に風営法が改正され

深夜0時以降の営業が禁止となりました。

 

そこで誕生したのが「スナックバー」

つまり

「スナック=軽食」ができる「酒場」という意味で

営業時間に規制がない「飲食店」としての

「スナックバー」が大量に出現

実際にはポテトチップスや柿ピーみたいな

おつまみ程度だったが・・・

昭和の頃になると

「スナックバー」の「バー」が取れて

「スナック」が一般的になった

と、そういうわけじゃ・・・。

 

 

あれから

喜びも悲しみも幾星霜・・・

 

今や、夜の街になくてはならない

「スナック」

 

特に地方では

酒と雑談を通じて

地元コミュニティの社交場でもある。

 

まあ

中にはガラの悪い怪しい店もあるにはあるが

ほとんどの店は

やや、大げさに言えば

社会人としてのたしなみ

人間関係の酸いも辛いも嗅ぎ分ける

術を身に着ける「学習の場」

でもあったりする・・。

 

それは長い間

人生の先輩から若者へと

社会人のイロハの入り口として

教えを伝承されてきた歴史がある。

 

たまにウザイ先輩もいるにはいるが

それも人間・・。反面教師にすればいいのだ。

 

子供の頃は駄菓子屋が

大人になると「スナック」が

「人間社会のカルチャー・スクール」なのである。

 

 

ところで・・・

 

我が宮崎県は

人口10万人あたりのスナックの数が日本一!!

知る人ぞ知る「スナック王国」でござる。

 

その象徴が

宮崎最大の飲食街

通称「ニシタチ」(西橘通り)

 

コロナの影響で以前より店舗数が減ってしまいましたが

それでも約1000件の飲食店が立ち並ぶ通りは壮観です。

 

歓楽街ではありますが

大都会のように治安が悪いわけでなく

ゴミが散乱したりすることもない

街自体がアットホームな雰囲気です。

 

理由は・・・田舎だから・・・f(^^)

 

客同士のネットワーク

店同士の横の繋がりも多い

 

なにしろ

宮崎人はお人好し

のんびりしていて争い事を好まない

 

それに尽きる・・。

 

では、ここで一曲。

「小さなスナック」(1968)

歌・演奏:パープル・シャドウズ

作詞:牧ミエコ/作曲:今井久

 

花の東京に出て

職場の先輩に連れられて行った

池袋駅ビル井筒屋の屋上

そこは初めてのビヤ・ガーデン

19の夏だった・・。

 

その時ステージで演奏していたのが

「パープル・シャドウズ」

 

時はGSブームの真っ只中

次々とデビューするグループの中でも

ひときわ異彩を放っていた

リード・ギター、今井久の奏でる

流麗で繊細なエコー・サウンドは印象的でした。

 

 

「小さなスナック」誕生。

(以下、敬称略)

 

60年代初頭・・

日本のポップス界は

ハワイアンが全盛。

 

プロのミュージシャンになる決意をした今井久は

高校を中退してビクター音楽学院に入学。

 

その頃から

ハワイアンの大御所でスチールギター奏者

大橋節夫の事務所に出入りするようになり

スチール・ギターを習得。

その流れでハワイアンバンド「ザ・バーズ」を結成。

 

しかし、時代は

すでにベンチャーズが大ブレイク

やがて日本中を、いや世界中を熱狂させる

エレキブーム草創期を迎えていました。

 

その空気を読んだ今井久は

「フォークトレッカーズ」にいた

小松久(後にヴィレッジ・シンガーズ加入)に

エレキ・ギターの手ほどきをうけ

バンドの形態もロック・コンボへと変更。

ビクターのオーディションを受けに行った際

ホリプロからスカウトされました。

 

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※エレキ・ブームからGSブームへと

移行していく過程で

その流れをリードすべく、ホリプロは

古参の田邊昭知率いるスパイダースに続く第二陣として

ヴィレッジ・シンガーズ、ザ・サベージ、オックスなど

次々とスカウトしていた。

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「ザ・バーズ」はメンバー変更を繰り返ししながら

1967年10月にパンド名を「パープルシャドウズ」に変更。

 

ホリプロ社長の堀威夫は

牧ミエコから預かっていた詞に

曲をつけるよう今井久に依頼。

 

こうして出来上がったのが

「小さなスナック」です。

1968年3月25日。

フィリップスからレコードデビュー。

 

しかし、なかなか売れず

彼らは都内のスナック100件に

飛び込みキャンペーンを実施

その努力の甲斐あって

オリコン2位に登り詰める大ヒットとなりました。

 

 

さて・・・

 

あの印象的なギター・サウンド。

使用ギターはこれまた珍しい

「VOICE FRONTIER CUSTOM 1000」

(ヴォイス・フロンティア・カスタム)

 

このギターは岩瀬電子社製で

まだ日本の楽器メーカーが

試行錯誤でエレキ・ギターを製造していた時代

1966年頃発売されたものと思われます。

 

 

全体的なデザインは

発売されたばかりのアメリカフェンダー社の

「ジャズ・マスター」を踏襲し

ボディ材はレッドラワン。

ネックはメイプルの3ピース。

指板はハカランダ。

フレットは0フレットを持つミディアムスケール。

電気周りは自社製と思われます。

 

これらをほぼハンドメイドで組み上げ

価格は38,000円(ハードケース付き)なので

1万円〜2万円台が主流だった

当時の国産エレキとしてはかなりの高級品

という事になります。

 

今井久は

このギターのビックアップのみ

ストラト用に交換して使用していました。

 

 

そして

スプートニクスやシャドウズを彷彿とさせる

北欧風エコー・サウンド。

使用機材は当時「エコーチェンバー」と呼ばれていた

エンドレステープ式

「MIRANO ECHO CHAMBER 3R-S」。

ギターアンプはエルクの「バイキング」

いずれも本人所有品です。

 

「小さなスナック」

1968年3月25日発売

松竹より同名の映画1968年9月15日に公開

出演:藤岡弘、尾崎奈々、パープル・シャドーズなど

 

ちなみに

B面の「パープル・スカイ」

これまた隠れた名曲です。

 

 

そんなこんなで

時計ばかりが

コチコチと〜コチコチと

こんな時間となりました。

 

お開きっ!

 

ではでは・・・

飲み過ぎには注意一秒毛が三本

お体には十分に気をつけます。(¯_¯)b

 

by どら

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