皆様、明けましておめでとうございます!
今年も宜しくお願い致します!!
…という事で、2024(令和6)年の新年一発目の投稿であるが、
昨日(2023/12/31)書いた記事の「続き」を書かせて頂くが、そのテーマは、
桑田佳祐とユーミン(松任谷由実)の「共演」の歴史と、日本のポップスのクリスマス・ソングの歴史である。
前回の記事では、本来はキリスト教由来の文化で、海外では、
「クリスマスは家族で過ごす日」
と、相場が決まっていた所、
1980(昭和55)年にリリースされた、ユーミン(松任谷由実)の、
『恋人がサンタクロース』
という曲がキッカケとなり、日本においては、
「クリスマスは恋人同士で過ごす日」
という、新たな風潮が生まれた後、
1983(昭和58)年にリリースされた、山下達郎の、
『クリスマス・イブ』
という曲が、更にその風潮を強めて行った…といった経緯を描いた。
そして、時代は「平成」に入り、ますます、その傾向は強まって行く。
敢えて言えば、「平成」とは、
「猫も杓子も、クリスマスは恋人同士で過ごすという事が『常識』になって行った時代」
と言い換える事も出来よう。
という事で、
「桑田佳祐とユーミン(松任谷由実)の『共演史』と、クリスマス・ソングの変遷」の「中編」を、ご覧頂こう。
<1989(平成元)年6月10日…映画『彼女が水着に着がえたら』公開~主題歌のサザンオールスターズ『さよならベイビー』が大ヒット~『私をスキーに連れてって』(1988)・『彼女が水着に着がえたら』(1989)・『波の数だけ抱きしめて』(1991)の「ホイチョイ・ムービー3部作」が若者達の「恋愛観」に多大な影響を与える>
1989(平成元)年6月10日、馬場康夫監督率いる、「ホイチョイ・プロダクションズ」製作の映画、
『彼女が水着に着がえたら』
が公開された。
この映画の主演は、原田知世と織田裕二であり、この2人が恋に落ちる…という物語である。
なお、馬場康夫監督と「ホイチョイ・プロダクションズ」といえば、この前年(1988年)に、
『私をスキーに連れてって』
という映画を製作し、これが大ヒットとなったが、
『彼女が水着に着がえたら』
は、その「続編」的な作品である。
とは言っても、登場人物などの設定は異なるが、
『私をスキーに連れてって』が、主人公のOLと会社員が、スキー場のゲレンデで恋に落ちるという設定だったのに対し、
『彼女が水着に着がえたら』は、主人公のOLと会社員が、夏のマリンスポーツで恋に落ちる…という設定であり、似たような内容である。
そして、『私をスキーに連れてって』が、『恋人がサンタクロース』をはじめ、全編、ユーミン(松任谷由実)の楽曲が使われていたのに対し、
『彼女が水着に着がえたら』は、夏の湘南の海が舞台という事もあって、全編、サザンオールスターズの楽曲が使われている。
つまり、『私をスキーに連れてって』と『彼女が水着に着がえたら』は、「姉妹編」のような作品と言って良い。
そして、『彼女が水着に着がえたら』の主題歌に起用された、サザンオールスターズの『さよならベイビー』は、サザンにとって初の「オリコン1位」という大ヒットを記録した。
なお、サザンにとって通算26枚目のシングルで、初の「オリコン1位」という事であるが、
サザンが、それまで「オリコン1位」を獲った事が無かったというのは、かなり意外である。
ともあれ、サザンはユーミン(松任谷由実)と同様、映画とのタイアップで大ヒットを飛ばしたが、
「平成」の時代とは、映画やドラマとのタイアップで、音楽のヒット曲が生まれるという、
「タイアップの時代」
でもあった。
『彼女が水着に着がえたら』
は、その先駆けのような作品だった。
なお、馬場康夫監督と「ホイチョイ・プロダクションズ」は、この時期、
『私をスキーに連れてって』(1988)・『彼女が水着に着がえたら』(1989)・『波の数だけ抱きしめて』(1991)
…という、所謂「ホイチョイ・ムービー3部作」を次々に大ヒットさせたが、これらの映画は、当時の若者達の「恋愛観」に、多大な影響を与えたと言って良い。
つまり、
「若い男女が、リゾート先で恋に落ちる」
という舞台設定に、多くの若者達が憧れたという事であるが、敢えてこういう言い方をすれば、
「恋愛至上主義」
という価値観が生まれたという事でもある。
そして、それは、
「平成のクリスマス」
の在り方にも大きな影響を与えて行く事となる。
<1989(平成元)年…牧瀬里穂が出演したJR東海の「クリスマス・エクスプレス」のCMが話題に~山下達郎『クリスマス・イブ』も「クリスマス・ソング」の定番に>
さて、1988(昭和63)年に、当時15歳だった深津絵里が出演し、
山下達郎の『クリスマス・イブ』が起用された、JR東海の新幹線のCMである、
「ホームタウン・エクスプレス」
が、大いに話題になった事は、前回の記事で書いた。
そして、その翌年、1989(平成元)年、JR東海は、更なる「名作CM」を生み出した。
それが、1989(平成元)年、当時18歳の牧瀬里穂が出演した、
「クリスマス・エクスプレス」
のCMであるが、恋人を出迎えるために駅に走り、新幹線の改札口から出て来る恋人を待つ牧瀬里穂が、とても可愛かった。
以下、そのCMの内容について、ご紹介させて頂く。
とある駅(※ちなみに、ロケ地はJR名古屋駅)で、1人の女の子(牧瀬里穂)が、何やらプレゼントを持って、全速力で走っていた。
彼女は、すれ違う人にぶつかってしまい、
「すみませんでした!!」
と、頭を下げて謝っていたが、その拍子に彼女が被っていた帽子が脱げてしまっていた。
しかし、彼女には、どうしても急がなければならない理由が有った。
今日はクリスマス・イブである。
そのクリスマス・イブの日、彼女の恋人が、此処に来る事になっていた。
彼女は、その大切な彼を迎えに行っているのである。
なお、BGMとして流れているのは、勿論、山下達郎の『クリスマス・イブ』である。
彼女は、新幹線の改札口に着いた。
しかし、彼はまだ来ていないようだ。
「彼、まだ来てないのかしら…」
辺りをキョロキョロと見回す彼女は、ちょっと不安そうな表情だった。
いや、もしかしたら、待ち合わせの時間を間違えてしまったのか…。
(※当時は携帯電話も無く、待ち合わせの失敗はよく有る事だった)
「あ…」
しかし、そこで彼女の顔が綻んだ。
新幹線の改札口の向こうに、彼が姿を現すのが見えたのである。
彼女は、表情を輝かせていた。
いよいよ、彼に久し振りに会う事が出来るのである(※久し振りに会うかどうかはわからないが、多分そうである)。
彼女は、咄嗟に柱の陰に身を隠した。
彼女は彼を迎えるために、精一杯のお洒落をして来ていた。
彼女はお気に入りの帽子を被り直し、彼へのプレゼントを手にしっかりと持ち、彼が来るのを待っていた。
「やっと、彼に会える…」
彼女の嬉しさやドキドキが、見ているこちらにも伝わって来るかのようだが、彼女は目を閉じ、呼吸を整え、彼とのご対面に備えていた…。
…という事で、このCMはここで終わるが、その間、たった60秒である。
その60秒間で、ここまで劇的な物語を表現しているというのが、本当に凄い。
そして、
「クリスマス・エクスプレス」
というロゴが画面上に出て来るのだが、要するに、このCMは、
「新幹線に乗って、大切な人に会いに行きましょう」
という事を宣伝している。
それを、牧瀬里穂という、当代一の超人気アイドルを起用し、こんなにキラキラした素敵なCMに仕上げてしまった、JR東海のセンスは本当に凄い。
今見ても、このCMの完成度は本当に素晴らしいが、こんなCMを見てしまったら、
「やっぱり、クリスマスは恋人同士で過ごしたい」
と、多くの若者達が影響されてしまうのも無理は無いと、思ってしまう。
ともかく、当時18歳の牧瀬里穂の圧倒的な可愛さも相俟って、「クリスマス・エクスプレス」は、「名作CM」として、未だに語り継がれている。
余談だが、私は当時は牧瀬里穂の大ファンであった。
<1990(平成2)年…桑田佳祐の初監督作品~映画『稲村ジェーン』公開~「桑田佳祐VSビートたけし」のバトルも勃発>
1989(平成元)年、全編にわたってサザンの楽曲が使用された映画、
『彼女が水着に着がえたら』
が公開され、大ヒットしたが、今度はその翌1990(平成2)年、
サザンオールスターズの桑田佳祐自身が、初めて映画監督に挑戦した映画、
『稲村ジェーン』
が公開された。
当時、桑田佳祐は34歳で、サザンは既に、
「国民的バンド」
の名声を確立していた。
だが桑田は、それには満足せず、「映画監督」という新たなフィールドに挑戦したのである。
『稲村ジェーン』
の舞台は、1965(昭和40)年夏の稲村ヶ崎である。
そして、加勢大周・的場浩司・清水美砂らが主演し、その3人の「恋愛模様」を中心とした物語であるが、
この映画で特筆すべきは、サザンオールスターズの名曲中の名曲、
『真夏の果実』『希望の轍』
が生まれたという事であろう。
桑田佳祐は、映画監督としてだけではなく、音楽の製作総指揮も務め、全編にわたってサザンの「新曲」を書き下ろした。
『真夏の果実』『希望の轍』
という曲は、『稲村ジェーン』のために作られた曲である。
なお、この映画に出た清水美砂は、同年(1990年)冬、クリスマスを舞台にした、あるドラマに出演するが、その話については後述する。
こうして公開された映画『稲村ジェーン』は、映画の出来栄えについては、賛否両論だった。
ビートたけしは、『稲村ジェーン』について、
「『稲村ジェーン』には、ひどく退屈したなあ。音楽抜きなら、桑田ファンも逃げ出すぜ。俺は、半分も見ない内に逃げ出したくなっちゃった」
と、酷評していた。
それに対して、桑田佳祐は、
「僕の映画が楽しくないのは、たけしさんの感性が低いからだ」
と言って、反論した。
こうして、
「桑田佳祐VSビートたけし」
のバトルが勃発してしまったが、映画の内容はともかく、『稲村ジェーン』は興行的には大ヒットした。
更に言えば、ビートたけしは、『稲村ジェーン』の映画自体は酷評しているが、
「この映画のサザンの楽曲は素晴らしい」
と、音楽については絶賛していた。
「台詞なんか要らないから、全編、サザンの音楽だけ流していれば良かったのに」
という、「毒」を吐いていたのは、ビートたけしらしかったが…。
なお、この後、桑田は一度も映画監督はやっていないが、『稲村ジェーン』で色々と懲りた(?)のかもしれない。
<1990(平成2)年のJR東海「クリスマス・エクスプレス」のCM>
さて、1989(平成元)年に牧瀬里穂が出演し、大いに話題になった、JR東海の、
「クリスマス・エクスプレス」
のCMであるが、1990(平成2)年に、今度は高橋理奈が出演し、
「クリスマス・エクスプレス」
の第2弾のCMが作られた。
勿論、言うまでもなく、CMソングとして起用されたのは、山下達郎の、
『クリスマス・イブ』
であるが、1990(平成2)年版の「クリスマス・エクスプレス」では、せっかくのクリスマス・イブなのに、恋人に逢えず、寂しくとぼとぼと自宅に帰って来た高橋理奈が、自宅の家の扉に、恐らく恋人から、
「ここのレストランで待ってる」
というようなメッセージが書かれたメモ書きを発見し、パッと顔を輝かせる…というような内容である。
悲しみに打ちひしがれた表情から、一瞬にして表情が輝くという、そのコントラストが非常に印象的であった。
そして、
「クリスマスは、恋人同士で過ごすもの」
という刷り込みは、1990年代に入り、ますます強くなって行く。
<1990(平成2)年10月~12月…TBSドラマ『クリスマス・イヴ』放送~主題歌の辛島美登里『サイレント・イヴ』も大ヒット>
1990(平成2)年10月~12月、TBSで、
『クリスマス・イヴ』
というドラマが全11話で放送された。
このドラマの主演は、吉田栄作・仙道敦子のコンビだったが、その恋人同士である2人が、色々な出来事を乗り越え、
「クリスマス・イヴに、逢えるかどうか」
という事が、まるで重大事のように描かれている。
吉田栄作は、エリートの銀行員であり、大変モテる男だったが、恋人の仙道敦子の他に、あの『稲村ジェーン』に出ていた、清水美砂とも、ただならぬ関係になってしまう。
つまり、このドラマは、吉田栄作・仙道敦子・清水美砂の「三角関係」を描いているが、この3人の関係性が、クリスマス・イブという「大イベント」に向けて、一体どうなって行くのか…というような話だった。
「クリスマス・イブに、恋人同士で会う事が、そんなに重大事なのか」
と思ってしまうが、当時はそういう時代だった(※今もそうかもしれないが)。
そして、
『クリスマス・イヴ』
の主題歌として起用されたのが、辛島美登里が歌った、
『サイレント・イヴ』
という曲である。
ドラマ『クリスマス・イヴ』は、最終回のクリスマスの時期が近付くにつれ、視聴率もどんどん上がって行ったが、主題歌の『サイレント・イヴ』も、ドラマ共々、大ヒットを記録した。
こうして、
「クリスマスは恋人同士の季節」
という風潮は、メディアの巨大な力もあって、否応なしに定着して行く。
<1990(平成2)年11月1日…畠山憲司『クワタとユーミン』刊行>
1990(平成2)年11月1日、畠山憲司という人が書いた、
『クワタとユーミン』
という本が刊行された。
当時、サザンオールスターズを率いる桑田佳祐と、「恋愛ソングの女王」と称されていたユーミン(松任谷由実)は、
「日本のポップス界の両巨頭」
として君臨していたが、そんな桑田佳祐とユーミン(松任谷由実)のサクセス・ストーリーを分析した本である。
この本の著者・畠山憲司曰く、
「桑田とユーミンの音楽がウケたのは、1970~1980年代、日本が自己肯定的なベクトルを強めて行った時代に合っていたからである」
との事だが、要するに、
「イケイケドンドンの時代に、サザンとユーミンの音楽は非常によく合っていた」
という事である。
当時の日本は「バブル景気」に向かって行った時代であり、そんな時代の空気にサザンとユーミン(松任谷由実)は、物の見事にマッチしていた。
そして、それは「クリスマス・ソング」の隆盛にも繋がって行ったのかもしれない。
<1991(平成3)年…JR東海「クリスマス・エクスプレス」の第3弾CMに溝渕美保が登場>
1991(平成3)年、JR東海は、
「クリスマス・エクスプレス」
の第3弾CMを製作し、このCMには溝渕美保が起用された。
勿論、言うまでもなく、CMソングとして起用されたのは、山下達郎の、『クリスマス・イブ』である。
このCMで、クリスマス・イブの夜に、恋人と待ち合わせしていると思しき女性(溝渕美保)は、なかなか恋人と会えず、ガッカリした表情を見せる。
クリスマス・ツリーの前からは、恋人と会う事が出来たカップル達が、次々に何処かに去って行き、とうとう、彼女は1人きりになってしまった…。
そして、俯き、涙を流した彼女のイヤリングに、遂に姿を現した恋人が映った…というような物語であるが、相変わらずJR東海は、とてもセンスが良い。
<1991(平成3)年…遂に「夏男」のTUBE・前田亘輝も「クリスマス・ソング」を出す~前田亘輝のソロ・シングル『Merry Christmas To You』リリース>
さて、時代はいよいよ、
「クリスマスは恋人同士で過ごすもの」
という事が常識化して来たが、音楽業界の方でも、それを逆手に取り、
「クリスマス・ソング」
が量産される時代になって来た。
そして、毎年、夏に楽曲を発表し、
「夏バンド」
と称されていた、TUBEのボーカル・前田亘輝が、1991(平成3)年12月1日に、
『Merry Christmas To You』
というクリスマス・ソングを、ソロとしてリリースしてしまったのである。
「夏男の前田亘輝までも、クリスマス・ソングを出す時代になったのか…」
という感想を持った人も多かったと思われるが、芸能界や音楽界が、テレビとも一体となり、
「クリスマス」
という大イベントを盛り上げる時代に突入した、その象徴と言っては言い過ぎだろうか…。
そして、翌1992(平成4)年、
「クリスマス・ソングの当たり年」
が、やって来るのである。
<1992(平成4)年のクリスマス・ソング①~稲垣潤一『クリスマス・キャロルの頃には』>
1992(平成4)年10月28日、稲垣潤一は、
『クリスマスキャロルの頃には』
という楽曲をリリースしたが、当時、稲垣潤一はなかなかヒット曲が出ず、歌手活動も停滞していた。
だが、そんな中、秋元康が作詞した『クリスマスキャロルの頃には』をリリースすると、これが自身最大のヒット曲となった。
幸せだった過去のクリスマスを思い出している、失恋ソングではあるが、
「平成にクリスマス・ソング」
の代表曲として、未だに絶大な人気を誇る名曲である。
<1992(平成4)年のクリスマス・ソング②~B'z『いつかのメリークリスマス』>
1992(平成4)年12月9日にリリースされた、B'zのアルバム、
『FRIENDS』
にリリースされていたのが、
『いつかのメリークリスマス』
という楽曲である。
この曲は、シングルとしてはリリースされていないが、B'zファンだけではなく、幅広い層の人達に大人気となり、今や、
「クリスマス・ソングの定番」
として、あまりにも有名な曲である。
私も、この曲は大好きだが、クリスマスの時期になると、この曲を思い出すとうい人も多いのではないだろうか。
<1992(平成4)年のクリスマス・ソング③~前田亘輝『Chiristmas For You』>
1992(平成4)年11月1日、TUBEの前田亘輝は、ソロ・シングル、
『Chiristmas For You』
という楽曲をリリースした。
前田亘輝は、前年(1991年)の『Merry Chiristmasu To You』に続き、2年連続で、ソロとしてクリスマス・ソングを発表し、
「夏はTUBEで活動、冬はソロでクリスマス・ソングを出す」
というパターン(?)を確立した。
「何だ、前の年(※1991年)の曲と似たような、二番煎じの曲じゃないか」
と言われる方も居るかもしれないが、私としては、その「二番煎じ」の、
『Chiristmas For You』
の方が好きである。
ちなみに、
「僕だって、夏だけじゃなくて、冬も働きますよ」
と、当時の前田亘輝は語っていた。
<1992(平成4)年…JR東海の「クリスマス・エクスプレス」シリーズの最後のCM(吉本多香美編)が放送>
さて、数々の「名作CM」を世に送り出して来た、JR東海の、
「クリスマス・エクスプレス」
のシリーズであるが、1992(平成4)年、そのシリーズの最後のCMが放送された。
そして、1992(平成4)年版の、
「クリスマス・エクスプレス」
のCMに出演しているのが、吉本多香美である。
それまでの「クリスマス・エクスプレス」のシリーズでは、女性が男性を待っている立場だったが、
1992(平成4)年の吉本多香美は、新幹線に乗って、恋人に会いに行っている。
「チーズ!!」
彼女は、彼に会いに行く前に、自分の笑顔の写真を撮影していた。
そして、彼に会いに行くための新幹線に乗るため、彼女は、とある駅を急いで走っていた。
新幹線に乗った彼女は、鏡の前で、何度も笑顔の練習をしていた。
ここ最近、彼女は彼に会えていなかった。
しかし、クリスマス・イブの夜、遂に久し振りに彼に会う事が出来る…。
なお、これも説明の必要は無いだろうが、一応言っておくと、BGMとして流れているのは、山下達郎の『クリスマス・イブ』である。
「彼には、とびっきりの笑顔で会わなくちゃ…」
彼女は、そう思っているようである。
やがて、新幹線は目的地の駅に着いた。
「彼は何処かしら…」
キョロキョロしている彼女の前に、彼が姿を現した。
やがて、彼は彼女に気が付くと、笑顔で手を振って、彼女に駆け寄って来た。
すると、彼女は彼に会えた嬉しさで胸が一杯になり、思わず泣いてしまっていた。
「あんなに、笑顔の練習をしてたのに…」
結局、彼女は彼に会うと、涙を堪える事が出来なかった。
そんな彼女の手には、クリスマス・カードが有った。
それは、彼に会う時の笑顔の練習をするために撮っていた、自分の写真が写ったクリスマス・カードだった…。
「何て、健気な子なんだろう…」
と、今見ても感動してしまうが、このCMも、たった60秒とは思えないほど、ドラマチックである。
こうして、世間に多大な影響を与えた。
「クリスマス・エクスプレス」
のCMのシリーズは、一旦、その幕を閉じた。
(つづく)