桑田佳祐とユーミン(松任谷由実)の「共演史」と、クリスマス・ソングの変遷(前編) | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

本日(12/31)は大晦日である。

今年(2023年)もいよいよ終わりだが、年末は少々多忙だったため、なかなかブログの更新が出来なかった。

しかし、ようやく落ち着いたので、今年(2023年)最後の投稿をさせて頂く。

そして、今年(2023年)最後の投稿は、

桑田佳祐(サザンオールスターズ)ユーミン(松任谷由実)「共演」の歴史についての記事である。

 

 

つい最近、桑田佳祐ユーミン(松任谷由実)が、実に36年振りに、

『Kissin' Chiristmas(クリスマスだからじゃない)』

「リメイク」した事が話題になったが、そもそも、桑田佳祐ユーミン(松任谷由実)が何故、36年前にリリースした曲を「リメイク」したのか、そして、日本のポップスで「クリスマス・ソング」は、どのような変遷を辿ったのか等について描く。

それでは、まずは「前編」をご覧頂こう。

 

<1980(昭和55)年12月1日…ユーミン(松任谷由実)、通算10枚目のアルバム『SURF&SNOW』に収録された『恋人がサンタクロース』~日本の「クリスマス」の概念を変えた?名曲>

 

 

 

 

1980(昭和55)年12月1日、ユーミン(松任谷由実)は、通算10枚目のアルバム、

『SURF&SNOW』

をリリースした。

そして、このアルバムに収録されていたのが、

『恋人がサンタクロース』

という楽曲である。

この曲は、実に画期的な曲だった。

何が画期的なのかと言えば、

「クリスマスは、男性が『サンタクロース』になり、女性にプレゼントを渡す日である」

という「概念」を、ユーミン(松任谷由実)が提唱した曲だったからである。

そもそも、「クリスマス」とは、キリスト教が由来の文化であり、外国では、

「クリスマスは、家族と過ごす日」

と、相場が決まっている。

しかし、日本ではいつの間にか、

「クリスマスは、恋人同士が過ごす日」

という風に変わって行ってしまった。

その最初のキッカケとなったのが、ユーミン(松任谷由実)の、

『恋人がサンタクロース』

という曲だった…というのである。

後に、ユーミン(松任谷由実)自身も、

「私は、日本のクリスマスの在り方を変えてしまった」

と、自嘲気味に語っている。

ともあれ、

「幸せなカップルが素敵なクリスマスを過ごす」

という「概念」ユーミン(松任谷由実)が持ち込んだ影響は大きかった。

 

<1980(昭和55)年11月21日…サザンオールスターズ、初のクリスマス・ソング『シャ・ラ・ラ』をリリース~桑田佳祐と原由子の「デュエット」>

 

 

 

さて、前述の、ユーミン(松任谷由実)のクリスマス・ソングである、

『恋人がサンタクロース』

が世に出る少し前、サザンオールスターズは、1980(昭和55)年11月21日に、通算11枚目のシングル、

『シャ・ラ・ラ』

をリリースした。

この曲は、サザンによる初の「クリスマス・ソング」であり、

桑田佳祐原由子が交互に、そして一緒に歌うと言う形式の、

「デュエット・ソング」

である。

私も、この曲は大好きだが、この後、サザンは暫くの間、「クリスマス・ソング」は出さなくなる。

そして、この3年後、日本の「クリスマス」に決定的な影響を与えた、「あの曲」がリリースされるのであるが、その話については後述する。

 

<1982(昭和57)年…桑田佳祐・原由子夫妻と、山下達郎・竹内まりや夫妻が、それぞれ結婚>

 

 

 

 

 

前述の『シャ・ラ・ラ』で、桑田佳祐原由子が、仲良く「クリスマス・ソング」をデュエットで歌ってから、約1年3ヶ月後、1982(昭和57)年2月28日、桑田佳祐原由子は結婚式を挙げた。

桑田と原は、実はサザンのデビュー前から結婚の約束をしていたようだが、この日(1982/2/28)晴れて2人は夫婦となった。

そして、桑田が原のために作った曲だという、

『いとしのエリー』

を、桑田は、サザンのファンも招いて行われた結婚披露宴で歌い、

「エリー My Love」

という歌詞を、

「ユウコ My Love」

に変えて歌った。

まさに、サザン史に残る名場面である。

なお、当時、桑田佳祐は26歳、原由子は25歳である。

 

 

 

 

そして、桑田佳祐・原由子夫妻が結婚式を挙げた少し後、

1982(昭和57)年4月6日、山下達郎・竹内まりや夫妻も結婚式を挙げた。

という事で、この年(1982年)は、

「大物ミュージシャン・カップル」

が、相次いで結婚するという「慶事」が有った年であった。

ちなみに、結婚当時、山下達郎は29歳、竹内まりやは26歳だった。

 

 

なお、桑田佳祐・原由子夫妻と、山下達郎・竹内まりや夫妻は、とても仲が良く、普段から交流しているようだが、この2組の夫婦で「共演」したりもしている。

そして、桑田佳祐曰く、

「竹内まりやさんは、俺の姉ちゃんにソックリ」

という事で、親近感を持っているようである。

さて、桑田佳祐原由子、山下達郎竹内まりやという夫妻が結婚した翌年、1983(昭和58)年、遂に「あの曲」がリリースされる。

勿論、日本の「クリスマス」の在り方を決定的に変えてしまった、「あの名曲」である。

 

<1983(昭和58)年12月14日…山下達郎、通算12枚目のシングル『クリスマス・イブ』リリース>

 

 

 

1983(昭和58)年12月14日、山下達郎は、通算12枚目のスングル、

『クリスマス・イブ』

をリリースした。

この曲には、

「きっと君は来ない ひとりきりのクリスマス・イブ…」

という、あまりにも有名なフレーズが有るが、それは、裏を返せば、

「本当は、クリスマス・イブは恋人同士で素敵な時を過ごす日である」

という「前提」が有るという事が言える。

しかし、結局「恋人」(※もしかしたら、片想いの相手かもしれないが)は来ず、この曲の主人公は、寂しいクリスマス・イブを過ごす…。

その揺れ動く気持ちを歌っているのだが、この曲は、あまりにも完成度が高く、一度聴いたら忘れられないインパクトが有る。

そして、山下達郎は多重録音のコーラスも、全て1人でレコーディングしたという「こだわり」を見せ、それが素晴らしい楽曲の誕生に繋がった。

という事で、『クリスマス・イブ』という名曲が遂に世に出たが、この曲が「大ブレイク」するのは、もう少し先の事である。

 

<1986(昭和61)年12月24日…桑田佳祐がプロデュースした「メリークリスマス・ショー」(日本テレビ)が放送~『Kissin' Chiristmas(クリスマスだからじゃない)』(作詞:松任谷由実、作曲:桑田佳祐)が初披露>

 

 

 

1986(昭和61)年12月24日、桑田佳祐がプロデュースした、クリスマス・イブの特別音楽番組、

「メリー・クリスマス・ショー」

が、日本テレビで放送された。

当時、原由子「産休」が有った事もあり、1985(昭和60)年限りで、サザンオールスターズは一旦「活動休止」していた。

その頃、桑田佳祐KUWATA BANDを率いて活動していたが、そのKUWATA BAND時代の桑田佳祐がプロデュースした、特別番組だった。

この番組は超豪華な音楽番組であり、桑田佳祐吉川晃司が中心となって、当時の日本の音楽界で活躍していた、超豪華な顔ぶれのミュージシャン達に声を掛け、その超豪華メンバーの出演(※VTR出演も含む)が実現した。

という事で、1986(昭和61)年12月24日放送の、

「メリー・クリスマス・ショー」

の出演者は、下記の通りである。

 

 

・桑田佳祐

・KUWATA BAND

・明石家さんま(※司会)

・松任谷由実

・泉谷しげる

・アン・ルイス

・中村雅俊

・吉川晃司

・ARB

・鮎川誠

・原由子

・トミー・スナイダー

・小林克也

 

(※以下、VTR出演)

・チェッカーズ

・忌野清志郎

・THE ALFEE

・DEKAPAN(依田稔)

・鈴木雅之

・BOØWY(ボウイ

・SUE CREAM SUE

・山下洋輔

・三宅裕司

・小倉久寛

・スーパー・エキセントリック・シアター

 

 

 

 

 

 

…という事で、よくぞこれだけの超豪華メンバー達を集めたものだが、

それは、やはり桑田佳祐が音楽業界でそれだけ顔が広いという事と、

「桑田君のためなら」

という事で多数のミュージシャンが集まったという事で、桑田の「人徳」ではないだろうか。

桑田佳祐と同学年で、桑田とは仲が良い明石家さんまも、司会として番組を盛り上げていた。

そして、この番組で桑田佳祐ユーミン(松任谷由実)が初めて「共演」したが、

ユーミン(松任谷由実)、原由子、アン・ルイスの3人で、「キャンディーズ」の、

『年下の男の子』

を歌うという、楽しい一幕も有った。

という事で、「メリー・クリスマス・ショー」桑田佳祐がやりたかったのは、

「音楽番組とバラエティー番組の融合」

という事であり、例えば「シャボン玉ホリデー」のような、古き良きテレビ黄金時代を「再現」したかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

そして、「メリー・クリスマス・ショー」で特筆すべき出来事と言えば、

ユーミン(松任谷由実)が作詞し、桑田佳祐が作曲した、

『Kissin' Chiristmas(クリスマスだからじゃない)』

という楽曲が歌われた事である。

この曲は、遂に桑田佳祐ユーミン(松任谷由実)「コラボ」が実現したという事で話題になったが、

番組の最後に、出演者全員で歌われ、番組のフィナーレを飾った。

という事で、桑田佳祐ユーミン(松任谷由実)を中心とした「夢の一夜」は幕を閉じた。

 

<1987(昭和62)年11月21日…映画『私をスキーに連れてって』公開~ユーミン(松任谷由実)の『恋人がサンタクロース』が挿入歌として使用>

 

 

1987(昭和62)年、世は「バブル景気」の真っ只中であり、

日本中が浮かれ騒ぎ、日本は好景気を謳歌していた。

そんな時代を象徴する映画の一つとして、1987(昭和62)年11月21日、

『私をスキーに連れてって』

という映画が公開された。

この映画の主人公のOLを演じたのが原田知世であり、彼女がスキー場のゲレンデで知り合った男、三上博史との恋模様を描いた作品であるが、この映画で挿入歌として使用されていたのが、ユーミン(松任谷由実)の、

『恋人がサンタクロース』

であった。

そして、この映画は大ヒットし、ユーミン(松任谷由実)『恋人がサンタクロース』にも改めて注目が集まったが、これを機に、

「クリスマスは恋人同士の季節」

という刷り込みが、日本ではますます強まって行った。

 

<1987(昭和62)年12月24日…桑田佳祐プロデュースの「メリー・クリスマス・ショー」再び~クリスマス・イブの夜に、再び超豪華ミュージシャン達が集結~ユーミン(松任谷由実)が『恋人がサンタクロース』を歌い、『Kissin' Chiristmas(クリスマスだからじゃない)』が再び披露される>

 

 

 

 

さて、「メリー・クリスマス・ショー」の放送から、ちょうど1年後、

1987(昭和62)年12月24日に、再び桑田佳祐・吉川晃司らが中心となり、超豪華ミュージシャン達が集結した、

「メリー・クリスマス・ショー」

が、日本テレビにて、2年連続で放送された。

この時の「メリー・クリスマス・ショー」も、桑田佳祐が番組の中心となり、明石家さんまが司会を務め、桑田佳祐ユーミン(松任谷由実)「共演」が再び実現した。

という事で、1987(昭和62)年12月24日の、第2回「メリー・クリスマス・ショー」の出演者(※VTR出演含む)は、下記の通りである。

 

・桑田佳祐

・KUWATA BAND

・明石家さんま(※司会)

・松任谷由実

・アン・ルイス

・吉川晃司

・小林克也

・鈴木雅之

・鈴木聖美

・中村雅俊

・Char

・DEKAPAN(依田稔)

・泉谷しげる

・小泉今日子

・高中正義

 

(※以下、VTR出演)

・忌野清志郎

・THE ALFEE(桜井賢・坂崎幸之助のみ)

・山下洋輔

・石橋凌

・三宅裕司

・小倉久寛

・スーパー・エキセントリック・シアター

・米米CLUB

・SUE CREAM SUE

・BARBEE BOYS

・爆風スランプ

・古舘伊知郎

・前田亘輝(TUBE)

・渡辺美里

・新田一郎

・青山美央

 

 

 

…という事で、第2回の「メリー・クリスマス・ショー」にも、またまた超豪華メンバーが集まったが、

「クリスマス・イブの夜のお祭り」

としては、これ以上ないぐらいの豪華で華やかな番組であった。

そして、恐らく、今のテレビ業界で、これ以上の番組を作れと言われても絶対無理であろう。

それぐらい、当時のテレビには力が有ったし、今のテレビはすっかり「斜陽」である。

 

 

 

そして、ユーミン(松任谷由実)は、当時、大ヒットしている真っ最中だった、

『私をスキーに連れてって』

の挿入歌である、

『恋人がサンタクロース』

を、この時の第2回「メリー・クリスマス・ショー」で歌っている。

やはり、『恋人がサンタクロース』は、華やかなクリスマス・イブの夜には欠かせない曲であると、この時、多くの視聴者達は思ったのではないだろうか。

ちなみに、この時、ユーミン(松任谷由実)高中正義「共演」し、『恋人がサンタクロース』を歌っている。

 

 

そして、番組の最後を締めくくったのは、勿論、前年(1986年)にも披露された、

『Kissin' Chiristmas(クリスマスだからじゃない)』

だった。

番組の出演者全員でこの曲を歌い、2年連続で「メリー・クリスマス・ショー」のラストを飾ったが、当時、この曲は、

「絶対にレコード(※CD)化されない曲」

と言われていた。

だからこそ、当時の視聴者達は、この番組をビデオに録ったりして、大事に大事に聴いていたという。

こうして、「バブル時代」の華やかなクリスマス・イブの夜を彩った「メリー・クリスマス・ショー」は「伝説」になった。

 

<「南半球のクリスマス」を歌った!?~KUWATA BANDの『MERRY X'MAS IN SUMMER』~「ただのクリスマス・ソング」は絶対に歌わない?桑田佳祐>

 

 

 

 

さてさて、「メリー・クリスマス・ショー」に2年連続で出演し、番組でも強烈な存在感を発揮していたのが、

桑田佳祐率いるKUWATA BANDである。

KUWATA BANDは、1986(昭和61)~1987(昭和62)年にかけて、「期間限定」で活動していたバンドだったが、

そのKUWATA BANDの2枚目のシングルとして、1986(昭和61)年7月5日にリリースされたのが、

『MERRY X'MAS IN SUMMER』

という楽曲である。

この曲は、一応「クリスマス・ソング」ではあるが、リリースされたのは真夏の時期であり、歌詞を見ると、

「恋は真夏のhistory I’ve been cryin' "X'mas in Summer"」

という箇所が有る。

そう、つまりこの曲は、

「真夏のクリスマス」

をテーマにしているが、南半球では、クリスマスの時期は「真夏」であり、

「南半球の真夏のクリスマス」

を歌っているのである。

「クリスマス・ソングといえば、真冬の恋人達の季節」

という風潮(?)に、敢えて一石を投じている…というのは、穿った見方かもしれないが、

桑田佳祐という人は、

「ただのクリスマス・ソングは歌わないぞ」

という事を宣言(?)しているようにも思える。

後に、サザンも「クリスマス・ソング」を歌うようにはなるが、それはもう少し先の話である。

 

<1988(昭和63)年…日本人の「クリスマス観」に決定的な影響を与えた!?~JR東海の「クリスマス・エクスプレス」の事実上の「第1作」CM~深津絵里が出演し、山下達郎の『クリスマス・イブ』がCMソングとして起用>

 

 

 

さて、事実上の「昭和」最後の年となった1988(昭和63)年、

日本人の「クリスマス観」に決定的な影響を与えた、あるCMが放送された。

それが、JR東海新幹線のCMである。

それは、下記のような内容である。

山下達郎『クリスマス・イブ』という楽曲がBGMとして流れる中、恐らくクリスマス・イブの夜に、深津絵里が新幹線のホームで、恋人を待っている。

しかし、新幹線が駅のホームに着いても、恋人はなかなか現れない。

 

 

 

「彼は来ないのかしら…」

深津絵里はガッカリしてしまい、俯き、肩を落とす。

そして、俯いた彼女は、下を向き、駅のホームを、とぼとぼと歩き始めた。

彼女は、寂しくて涙を流していた。

すると、そこで思いがけない出来事が起こった。

 

 

 

 

 

 

 

何と、彼は先程の新幹線で、既に駅のホームに着いていた。

そして、ホームの柱の陰に隠れていた彼は、雑誌(?)で顔を隠しながら、ホームの柱の陰から姿を現すと、

ヒップホップのようなダンス(?)をして、おどけた調子で彼女の前に現れた。

それを見た彼女は、

「バカ…」

と呟き、涙を拭き、一旦は、プイっとソッポを向いた。

だが、やっと彼に会えた嬉しさと安心感で、本当は彼女は胸が一杯になっていた。

その後、彼女は彼に対し、

「いつまで待たせるのよ!!」

といった調子で、彼を突き飛ばそうとしたが、

彼はそんな彼女を後ろから抱きしめ、彼女を思いっきり振り回した(※ホームで、こんな事をしたら危ないと思うが…)。

そして、このCMが最も訴えたかったコピーである、

「会うのが、いちばん」

というメッセージが流れる…。

つまり、このCMは、

「遠距離に住んでいる恋人同士でも、新幹線に乗れば会いに行けますよ」

という事を、JR東海がアピールしているCMであるが、たった60秒とは思えないぐらいドラマチックであり、

山下達郎『クリスマス・イブ』と併せて、とても素敵なCMとして、多くの視聴者の印象に残った。

 

 

なお、このCMは、JR東海の、

「ホームタウン・エクスプレス」

のCMであり、厳密に言えば、後にシリーズ化される、

「クリスマス・エクスプレス」

のCMではないが、事実上、

「クリスマス・エクスプレス」

の第1作のCMと言って良い。

そして、このCMに出ていた深津絵里が、当時15歳だった…という事に、驚愕してしまう。

このCMでの深津絵里は、15歳とはとても思えないぐらい、大人っぽい印象が有るが、実は、このCMの撮影当時、深津絵里は高熱を出しており、それを押して撮影に臨んでいたので、終始、潤んだような目になっており、メイクも濃くしていた。

だから、あんなに大人っぽい表情になっていた…というが、それにしても、15歳とは思えない色気が有る。

…という事で、今年(2023年)の投稿はこれは最後である。

この続きは、また年明けに…。

 

皆様、今年一年、大変お世話になりました!!

どうぞ、良いお年をお迎え下さい!!!!