1992~1996年のサザンとユーミン⑦…1994年『砂の惑星』と『私の運命』(第1部) | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

法政大学野球部を中心として、東京六大学野球についての様々な事柄について、思いつくままに書いて行くブログです。
少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

1992(平成4)~1996(平成8)年、私が10代で中高生だった頃、

サザンオールスターズ松任谷由実(ユーミン)が、テレビドラマとタイアップして、大ヒット曲を連発していた。

その頃のサザンとユーミンの黄金時代にスポットを当て、

「1992~1996年のサザンとユーミン」

というシリーズ記事を書かせて頂いている。

 

 

そして、私がこれまで書いて来た、

「1992~1996年のサザンとユーミン」

のシリーズは、下記の6本である。

 

①1992年『涙のキッス』と『ずっとあなたが好きだった』

②1993年『真夏の夜の夢』と『誰にも言えない』

③1993年『エロティカ・セブン』と『悪魔のKISS』

④1994年『Hello, my friend』と『君といた夏』

⑤1994~1995年『祭りのあと』と『静かなるドン』

⑥1994~1995年『春よ、来い』

 

…という事で、今回はこのシリーズの「第7回」であるが、

今回、取り上げるドラマは、1994(平成6)年10月~1995(平成7)年にかけて放送されていた、TBSのドラマ、

『私の運命』

である。

『私の運命』は、所謂「医療ドラマ」であり、末期癌に冒されてしまった患者とその家族の葛藤を描いた物語であり、

日本のテレビドラマとしては珍しく、1クール(3ヶ月)ではなく、

1994(平成6)年10月~12月は「第1部」、

翌1995(平成7)年1月~3月は「第2部」という、

「2部制」

で放送された。

つまり、「2部制」で描かなければならないほど、重厚な「大作」だったという事であり、私も、このドラマは、毎回、テレビを食い入るようにして見ていた。

非常に重い内容のドラマだったのだが、とても惹き付けられたものである。

 

そして、『私の運命』の主題歌を歌っていたのが、ユーミン(松任谷由実)である。

前述の通り、『私の運命』は「2部制」だったが、

『私の運命』の「第1部」(1994.10~12)の主題歌は『砂の惑星』という曲であり、

『私の運命』の「第2部」(1995.1~3)の主題歌は『命の花』という曲であった。

それでは、前置きはそれぐらにして、

「1992~1996年のサザンとユーミン」の「第7回」、「1994年『砂の惑星』と『私の運命』(第1部)」を、ご覧頂こう。

 

<1994(平成6)7月~9月…野島伸司・脚本のTBSドラマ『人間・失格~たとえばぼくが死んだら~』~Kinki Kids、桜井幸子、赤井英和、加勢大周らが出演し、学校の壮絶な「いじめ」を描いた問題作>

 

 

1994(平成6)年、私が高校生の頃、私の高校の同級生の殆んどが見ていて、とても話題になったドラマが有る。

それが、『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』と、『私の運命』というドラマである。

『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』は、1994(平成6)年7月~9月にかけて放送され、

『私の運命』は、1994(平成6)年10月~1995(平成7)年3月にかけて放送されていたが、

共にTBSでのドラマであった。

1994(平成6)年7月~9月といえば、「1992~1996年のサザンとユーミン」の「第4回」で取り上げた、

フジテレビの「月9」ドラマ『君といた夏』(※主題歌は、ユーミン(松任谷由実)『Hello, my friend』)が放送されていた時期だが、

『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』は、TBSの金曜22:00~の枠で放送されていた。

そして、このドラマは、とても重い内容のドラマだった。

それは何故かと言えば、学校の壮絶な「いじめ」が描かれた作品だったからである。

 

 

ところで、『人間失格』といえば、太宰治の小説『人間失格』が、すぐに思い起こされるが、

当初、TBSは、『人間失格』というタイトルを、そのまま使おうとしていた。

しかし、太宰治の遺族から、

「『人間失格』というタイトルを、そのまま使うのはやめて欲しい」

というクレームが来たため、急遽、「人間」と「失格」の間に「・」を付けて、

『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』

というタイトルに変更されたという経緯が有る。

そして、『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』の脚本を書いていたのが、

既に『101回目のプロポーズ』(1991年、フジテレビ)・『高校教師』(1993年、TBS)・『ひとつ屋根の下』(1993年、フジテレビ)…などの大ヒット作を次々に書いていた脚本家・野島伸司だった。

 

 

 

『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』

に主演していたのが、Kinki Kids(堂本光一・堂本剛)である。

物語は、堂本剛が、名門私立中学校(男子校)に転校して来た所から始まるが、

堂本剛が転入して来たクラスに居た同級生が、堂本光一である。

そして、堂本剛の父親役で、ラーメン屋を経営している男を演じていたのが赤井英和で、

堂本剛・堂本光一らのクラスの担任の先生という役どころだったのが、桜井幸子であった。

そう、この1年半前(1993.1~3)に『高校教師』で、担任の先生だった真田広之と恋愛関係になる女子高生を演じていた桜井幸子が、今度は学校の先生の役を演じていたという事になる。

そして、桜井幸子の何処か陰の有る、寂し気な雰囲気は、学校の先生役でも同じであり、このドラマにもピッタリであった。

 

 

 

 

『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』

は、見ていて、とても胸が苦しくなるドラマであった。

堂本剛は、当初、転校して来たクラスに溶け込もうと努力するが、何故か、同級生達から陰湿な「いじめ」に遭ってしまう。

それは何故かといえば、堂本剛堂本光一が仲良くなりそうだった様子を見ていた、社会科教師の加勢大周が、それに嫉妬して、堂本剛を「いじめ」に遭うように、裏で色々と画策していたからである。

加勢大周は、美少年の堂本光一の事を気に入っていたので、その光一と親しくなろうとしている剛が、目障りになった。

たったそれだけの理由で、加勢大周は、教師という立場を利用し、生徒達を裏から煽り、剛がクラス中から「いじめ」に遭うように仕向ける。

このドラマにおける加勢大周は、本当に悪魔のような男であった。

だが、剛と光一の担任の先生だった桜井幸子は、その事に全く気付かない。

何故かと言えば、桜井幸子加勢大周の事が好きであり、目が曇っていたからだった。

加勢大周は、そんな桜井幸子の気持ちをも利用して、彼女のクラスでの剛に対する「いじめ」が発覚しないようにしていた。

 

 

そして、その後はどうなったのかといえば、クラス中からの壮絶な「いじめ」に耐え切れなくなった剛は、自ら命を絶ってしまうのである。

剛の父親・赤井英和は、愛する息子の死に衝撃を受けた。

そして、剛がそんな酷い「いじめ」に遭っていた事に、全く気付いてやれなかった自分を深く責めた。

赤井英和は、剛が何故、こんな目に遭わなければならなかったのかを調べて行く内に、「いじめ」の実行犯達を突き止め、そしてその「黒幕」に加勢大周が居た事も判明した。

「俺の大事な息子を、こんな目に遭わせた奴らは、絶対に許さない…」

こうして、復讐の鬼となった赤井英和は、「いじめ」をした人間達への復讐を実行して行く…というような話である。

私は、このドラマを見ていて、胸が痛くなり、何度も目を背けたくなってしまったが、

「このドラマは、『いじめ』の酷さ、悲惨さを描き、絶対に『いじめ』は許されないという事を描いているに違いない」

と、自分なりに解釈したものである。

なお、加勢大周が悪魔のような男だった事に気付いた桜井幸子も、その事に気付けず、結果として、教え子である剛を死に追いやってしまった自分を深く自分を責めていたが、

周りの人間を利用して、悪魔のような所業をした加勢大周も、やがて報いを受ける事となる…。

「あの『稲村ジェーン』の加勢大周が、随分と酷い悪役をやったものだな…」

私は、溜息をついてしまった。

1990(平成2)年、サザンオールスターズ桑田佳祐が監督を務めた映画『稲村ジェーン』に主演し、「青春スター」としてデビューした加瀬大周も、『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』では、「憎まれ役」を演じる事となったのだから、人生、わからないものである。

なお、加勢大周は視聴者からの反感(?)を買ってしまったのか、この後は目立った活躍も無く、いつしか芸能界の表舞台から姿を消して行った。

この悪徳教師役が、あまりにもインパクトが強かったという事であろうか…。

 

<TBSのプロデューサー・貴島誠一郎の「貴島組」が手掛けたドラマ~『ずっとあなたが好きだった』(1992)・『誰にも言えない』(1993)・『ダブル・キッチン』(1993)~佐野史郎・野際陽子を好んで起用した貴島誠一郎>

 

 

 

 

 

さて、「1992~1996年のサザンとユーミン」のシリーズでも既に取り上げて来たが、

TBSプロデューサー・貴島誠一郎は、数々の大ヒット・ドラマを製作していた。

この連載記事で既に取り上げて来た、「貴島組」のドラマは、下記の通りである。

 

・『ずっとあなたが好きだった』(1992.7~9)

・『ダブル・キッチン』(1993.4~6)

・『誰にも言えない』(1993.7~9)

 

上記のドラマに共通しているのが、全て、野際陽子・佐野史郎が出演している事であるが、

野際陽子・佐野史郎は、それぞれ全く違う役で出演し、それぞれ違った関係性だったが、貴島誠一郎は、よほど野際と佐野がお気に入りだったようである。

そして、1994(平成6)年1月2日、『ダブル・キッチン』の「お正月スペシャル」も放送されたが、

貴島誠一郎は、同年(1994年)秋にスタートする新ドラマの主役として、ある若手女優を大抜擢する。

それが、『ダブル・キッチン』では、ほんの脇役だった、当時24歳の坂井真紀である。

 

<1994(平成6)年…数々のテレビCMに出演し、人気急上昇中だった坂井真紀>

 

 

 

坂井真紀といえば、1994(平成6)年頃は、沢山のテレビCMに出演しており、よく見かける顔であった。

「声は低いけど、なかなか可愛い子だな…」

と、当時の私は思っていたが、当時の坂井真紀の印象といえば、

「今、売り出し中の新人タレント」

といったものである。

そして、数々のテレビCMに出演していた坂井真紀は、まさに人気急上昇中であった。

その坂井真紀が、まず「小手調べ」として、前述の『ダブル・キッチン』に脇役として出演し、そこで好演をしていた事が、貴島誠一郎の目に留まった。

こうして、坂井真紀「運命の扉」も、大きく開かれようとしていた。

 

<1994(平成6)年10月…新ドラマ『私の運命』の主役に坂井真紀が大抜擢>

 

 

 

1994(平成6)年10月11日、火曜21:00~の枠で、TBSの新ドラマ、

『私の運命』

が放送開始された。

『私の運命』は、貴島誠一郎プロデュースのドラマであり、このドラマの主役として、貴島に大抜擢されたのが、坂井真紀である。

「へー、坂井真紀がドラマの主役をやるんだ…」

私は、そう思っていたが、前述の通り、当時の私は坂井真紀を結構気に入っていた(?)ので、

「坂井真紀が出るなら、見てみよう」

という事で、何となく『私の運命』というドラマを見始めた。

『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』

という、衝撃の問題作の直後の時期という事でもあり、

「果たして、どんなドラマなのかな?」

…と、まずは「お手並み拝見」といった所だったが、私は物の見事に、このドラマに「どハマリ」してしまった。

そして、『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』の時もそうだったが、当時、私のクラスの同級生達の殆んどが、『私の運命』も夢中になって見ていた。

そんな忘れ難きドラマが、『私の運命』であった。

 

<『私の運命』の主要な登場人物>

 

 

では、ここで『私の運命』の主な登場人物をご紹介させて頂く。

『私の運命』の主要な登場人物は、下記の通りである。

 

・佐藤(※後に鈴木)千秋…坂井真紀

・鈴木次郎…東幹久

・片桐俊太郎…佐野史郎

・佐藤守…段田安則

・鈴木真理子…野際陽子

・後藤里美…常盤貴子

 

 

では次に、『私の運命』の登場人物達の関係性について、ご紹介させて頂く。

佐藤千秋(坂井真紀)鈴木次郎(東幹久)は、同じ建設会社に勤める同僚であり、2人は恋人同士で、やがて結婚する。

従って、ドラマの途中で佐藤千秋鈴木千秋という名前に変わる。

そして、佐藤千秋(坂井真紀)の兄が佐藤守(段田安則)で、東洋医科歯科大学付属病院の医者である。

佐藤守(段田安則)・千秋(坂井真紀)の兄妹は、ある事情から、幼い頃から両親と離れ、姉弟で支え合って生きて来た。

その佐藤守(段田安則)とは、東洋医科歯科大学付属病院に勤務する医師の同僚であり、「天才外科医」として、その名を馳せているのが、片桐俊太郎(佐野史郎)である。

また、同病院の看護師で、かつて鈴木次郎(東幹久)の恋人だったのが後藤里美(常盤貴子)で、次郎と里美は物語の中で、思わぬ形で「再会」する。

その鈴木次郎(東幹久)の母親が、鈴木真理子(野際陽子)である。

という事で、「貴島組」の「新作」である『私の運命』には、またしても、野際陽子・佐野史郎が出演している。

…以上の関係性を念頭に置き、これからご紹介させて頂く、『私の運命』の「あらすじ」をお読み頂きたい。

 

<『私の運命』(第1部)の「あらすじ」①…婚約し、結婚間近だった佐藤千秋(坂井真紀)と鈴木次郎(東幹久)のカップルに「試練」が…鈴木次郎(東幹久)が「肺癌」の「ステージⅢーB」で「余命半年」と宣告される>

 

 

佐藤千秋(坂井真紀)鈴木次郎(東幹久)は、同じ建設会社に勤める同僚であり、2人は「恋人同士」だった。

千秋と次郎は「婚約」も成立し、あとは結婚式を待つばかりだった。

つまり、2人は幸せいっぱいのカップルであった。

千秋は、次郎の母親・鈴木真理子(野際陽子)とも既に顔を合わせており、千秋は次郎の母・真理子にも気に入られていた。

まさに、順風満帆といった所である。

だが、そんなある日、次郎が会社の健康診断で、肺に異常が見つかった。

そのため、千秋の兄・佐藤守(段田安則)が勤務する、東洋医科歯科大学付属病院で、次郎は念のために「再検査」を受ける事となった。

 

 

「僕は煙草も吸わないし、多分、大した事は無いよ…」

次郎は、当初、そんな事を言って、楽観的だった。

だが、次郎の肺は、重大な病気に冒されている事が判明してしまう。

佐藤守(段田安則)の同僚の外科医、片桐俊太郎(佐野史郎)は、真理子(野際陽子)千秋(坂井真紀)を呼び出して、2人にこう告げた。

「鈴木次郎さんは、肺癌に冒されいます。これは『ステージⅢーB』という状態です。このまま行けば、鈴木さんは余命半年です…」

いきなり、悪魔の宣告のような事を告げられ、真理子と千秋は、一気に絶望のドン底に突き落とされてしまった。

「まさか、そんな…」

真理子は泣き崩れてしまい、千秋もショックのあまり呆然としていた。

「…ですが、まだ望みは有ります。今、ある抗がん剤が開発されています。それを投与すれば、鈴木さんは助かる見込みが有ります」

片桐は、2人にそのような事も言った。

真理子と千秋は、片桐の言葉に、一縷の望みを託すしか無かった。

 

<『私の運命』(第1部)の「あらすじ」②…次郎は一時的に持ち直し、千秋と次郎は結婚~しかし「肺癌」が進行し、追い詰められて行く次郎と千秋たち…>

 

 

当初、次郎には、次郎が肺癌に冒されているという事は伏せられていた。

だが、「念のための検査入院」という事で、次郎は東洋医科歯科大学付属病院に入院する。

その病院で、次郎はかつての恋人・後藤里美(常盤貴子)と「再会」を果たす。

何と、里美は次郎のかつての「恋人」であり、今は看護師として、この病院に勤めていた。

だが、千秋はそんな事は勿論、知る由も無かった。

 

 

 

さて、次郎の肺癌の治療について、

片桐俊太郎(佐野史郎)佐藤守(段田安則)の意見は、真っ二つに割れていた。

片桐は、前述の通り、

「新開発された抗がん剤を投与し、治療にあたる」

と主張していたが、千秋の兄・守は、

「それは危険が大きすぎる」

と言って、真っ向から反対していた。

だが、片桐は「天才外科医」として、数々の難しい手術を成功させて来た実績が有り、結局は片桐の意見が通ってしまう。

なお、この「抗がん剤」は「キジマリン」という名前だったが、これは勿論、TBSのプロデューサー・貴島誠一郎(きじま・せいいちろう)から取られたものであろう。

それはともかく、片桐は、次郎の母・真理子や、次郎の婚約者・千秋に対して、

「私にお任せ下さい。次郎君の身体は、私が治します」

と言って、大見得を切っていた。

片桐は、患者を治す事よりも、自らの「功名心」にはやっており、どうやら次郎についても、自分の「手柄」にしようとしているフシが有った。

そんな片桐は、手術中にオペラの曲を流したりする、派手な振る舞いが有り、後藤里美(常盤貴子)は、今は片桐の恋人であった。

 

 

 

そして、この時は、片桐による「キジマリン」の投与が上手く行ったのか、

一時的に次郎の体調は回復し、退院できる状態になった。

この時点でも、次郎には「肺癌」の事は伏せられたままだったが、一応、日常生活を送っても問題無いと判断され、次郎の退院が認められた。

こうして退院した次郎と千秋は結婚式を挙げ、鈴木千秋佐藤千秋となり、千秋は、次郎と次郎の母・真理子と「同居」する事になった。

こうして、ようやく千秋と次郎は幸せを手にしたかに思われたが、それも束の間の事に過ぎなかった。

結婚式を挙げてから間もなく、次郎の体調が急激に悪化してしまったのである。

 

 

次郎は、ちょっと歩くだけでも、激しく息切れしたりするようになっていた。

「もしかしたら、僕は肺癌なんじゃないか…?」

次郎は、自らの症状を疑うようになっていた。

「千秋、僕は大丈夫だから教えてくれ。僕は本当は肺癌なんだろ…?」

次郎には、「肺癌」である事は伏せられていた。

だが、千秋は、これ以上、次郎に隠し事をする事が出来なくなり、とうとう、次郎の問いに対し、頷いてしまった…。

千秋の反応を見て、次郎はショックのあまり、その場に崩れ落ちた。

千秋は、そんな次郎を強く抱きしめた。

「次郎君、大丈夫。私が付いてるから…」

千秋はそう言って、自分も次郎と共に病気と戦うと宣言した。

だが、ここから千秋と次郎たちに「地獄の試練」が襲い掛かって行く。

 

 

 

 

 

次郎の母・真理子は、次郎の病気を治したい一心で、怪しげな新興宗教にハマってしまい、高額のお金を騙し取られたりしていた。

次郎は次郎で、精神的に大荒れになってしまい、母親の真理子や千秋に、酷い暴言を吐くようになっていた。

自暴自棄になった次郎は、何と、かつての恋人・里美とよりを戻そうとしたり、とにかく、

「ヤケッパチ」

な、メチャクチャな行動を取るようになってしまう。

そして、とうとう次郎は千秋に手を上げ、千秋を殴ってしまった。

これまで次郎を懸命に支えて来た千秋も、これには大きなショックを受け、家を飛び出し、兄・守の家へ行ってしまった。

「私、次郎君と離婚する…」

耐え切れなくなった千秋は、涙ながらに、兄・守にそう告げた。

その後、次郎が守の家を訪ねて来て、千秋に謝ろうとしたが、愛する妹を酷い目に遭わせた次郎が許せず、守は次郎を殴った。

「いい加減に、目を覚ませ!!」

守に殴られた次郎は、呆然としていた。

だが、これでようやく、次郎も病気と戦う決意が固まった。

 

<『私の運命』(第1部)の「あらすじ」③…壮絶な闘病の末、次郎がこの世を去る。そして…?>

 

 

次郎は、当初、自分が肺癌に冒されているという事実を受け入れる事が出来ず、

ショックのあまり、大荒れに荒れていた。

だが、前述のような色々な出来事を乗り越え、ようやく明鏡止水の心境となったのか、病気と戦う事を決意していた。

「千秋、一緒に頑張ろう」

こうして、千秋と次郎の絆は、より一層、深まって行った。

だが、無情にも肺癌は次郎の身体を容赦なく蝕んで行き、次郎は徐々に衰弱して行った。

 

 

「もはや、最後の望みをかけ、手術をするしか無い」

片桐は、そう主張し、次郎の肺癌の手術をする事を決めた。

だが、この時点で、次郎の肺癌はかなり進行しており、これ以上、次郎の身体に負担をかける事には反対意見も多かったが、片桐は手術を実行する意見を押し通してしまう。

しかし、片桐が実際に手術しようとすると、既に次郎の肺癌は「手遅れ」の状態になっていた。

流石の片桐も手術を諦め、次郎の母親の真理子に、

「誠に残念ですが…。鈴木次郎さんは、もう手の施しようが有りません」

と告げた。

この時点に至るまで、片桐は真理子に対し、

「息子さんは、私が必ず治します」

などと、大見得を切っていた。

だが、それは出来なくなったと俄かに告げられ、真理子は半狂乱になってしまった。

「先生、次郎は必ず治すって、言ったじゃありませんか!?」

真理子は号泣し、その場に泣き崩れてしまった。

「片桐に、騙された…」

これまで、散々、息子が辛い治療に耐えて来たというのに、これはあまりにも酷い仕打ちではないか…。

真理子は、片桐に深い恨みを抱いた。

 

 

そして、とうとう「その時」はやって来た。

次郎は、自らの死期を既に悟っていた。

「最後に、2人で思い出の海に行きたい…」

次郎のたっての願いと、千秋の兄・守の計らいによって、次郎は「退院」した。

そして、次郎と千秋の思い出の地である、鎌倉・由比ガ浜の海岸に、2人は赴いた。

2人は、思い出の海岸で最後の時を過ごしたが、愛する千秋の腕の中で、次郎は遂に亡くなってしまった。

次郎が亡くなる間際まで、千秋はずっと次郎に微笑みかけていた。

だが、遂に次郎との永遠の別れの時が来ると、千秋は、

「いやーーーー!!!!!」

と言って、泣き叫んでいた。

私は、この場面を見て、涙が止まらなかったものである(※今も、私は泣きながら?この文章を書いている)。

 

 

こうして、鈴木次郎(東幹久)はこの世を去った。

次郎の葬儀の間、次郎の母はずっと何事かをブツブツと言っていた。

「治るって言ったのに…。治るって言ったのに…」

どうやら、真理子は次郎の死を受け入れられず、片桐に対する恨み言をずっと言っていたようだ。

やがて、葬儀も終わり、一段落した後、真理子はあの病院を訪れ、何と、包丁で片桐の腕を刺してしまった。

幸い、片桐は無事だったが、この事件はマスコミでセンセーショナルに報じられ、片桐のこれまでの無茶な医療が次々にマスコミみ暴かれ、片桐はマスコミの餌食になってしまった。

そして、これがキッカケになり、片桐は東洋医科歯科大学付属病院を追われ、地方の病院に「左遷」されてしまった…。

以上が、1994(平成6)年10月~12月にかけて放送された『私の運命』の「第1部」の「あらすじ」である。

 

<『私の運命』(第1部)の主題歌…松任谷由実『砂の惑星』>

 

 

 

 

…という事で、誠に波乱万丈だった、『私の運命』の「第1部」(1994.10~12)であるが、

その『私の運命』の「第1部」の主題歌だったのが、1994(平成6)年11月25日リリースのユーミン(松任谷由実)の通算26枚目のオリジナルアルバム『THE DANCING SUN』に収録されていた、『砂の惑星』という曲である。

『砂の惑星』は、何とも物悲しい詞と曲であるが、それが『私の運命』というドラマではピッタリであった。

なお、ユーミン(松任谷由実)自身は、『砂の惑星』という曲について、

「砂漠は宇宙につながっている。朦朧は超越につながっている。過去は未来につながっている。一瞬は永遠につながっている」

…というコメントを残している。

という事で、『砂の惑星』の歌詞をご紹介させて頂き、この記事の締めくくりとさせて頂く。

 

 

『砂の惑星』

 

作詞・作曲:松任谷由実

編曲:松任谷正隆

唄:松任谷由実

 

月の砂漠をゆく 遠い異国のキャラバンのように

この世の果てまでも あなたについて歩いてゆくわ

さあ 漂いなさい 涙の海の波の 間に/\(まにまに)

ただ 泣きじゃくるように 生まれたままの子供のように

 

恋の雫 ゆれる炎 深い吐息 花の香り

一度きりの愛の魔法

今二人 授け合うの 求め合うの

 

ああ 誰も知らない 瞳の奥の碧いオアシス

なぜ あなたと出逢い 流れ流れて どこまでゆくの

さあ 安らぎなさい お伽ばなしの夢の 間に/\(まにまに)

まだ 願い忘れた 長い呪文を囁きましょう

 

ああ ふるさと離れ ここは遥かな砂の惑星

時がこぼれ落ちて 素足の跡をかき消すデューン

 

金の砂はあなたの未来 星屑まで続いている

銀の砂は私の涙

吸い込まれ 抱き合うの 癒し合うの

 

月の砂漠浸す 二つの影が寄りそうように

この世の果てまでも あなたをとても愛しているわ

 

さあ 漂いなさい 涙の海の波の 間に/\(まにまに)

ただ 泣きじゃくるように 生まれたままの子供のように

さあ 安らぎなさい お伽ばなしの夢の 間に/\(まにまに)

まだ 願い忘れた 長い呪文を囁きましょう