1992~1996年のサザンとユーミン⑧ ~1995年『命の花』と『私の運命』(第2部)~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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法政大学野球部を中心として、東京六大学野球についての様々な事柄について、思いつくままに書いて行くブログです。
少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

1992(平成4)~1996(平成8)年は、私が10代の中高生であり、私の「青春時代」だったが、

その頃、サザンオールスターズ松任谷由実(ユーミン)が、テレビドラマとのタイアップで、大ヒット曲を連発していた。

その頃のサザンとユーミンの「黄金時代」にスポットを当て、

「1992~1996年のサザンとユーミン」

というシリーズ記事を、当ブログにて「連載中」である。

 

 

「1992~1996年のサザンとユーミン」

で、私が今まで書いて来た記事は、下記の通りである。

 

①1992年『涙のキッス』と『ずっとあなたが好きだった』

②1993年『真夏の夜の夢』と『誰にも言えない』

③1993年『エロティカ・セブン』と『悪魔のKISS』

④1994年『Hello, my friend』と『君といた夏』

⑤1994~1995年『祭りのあと』と『静かなるドン』

⑥1994~1995年『春よ、来い』

⑦1994年『砂の惑星』と『私の運命』(第1部)

 

…という事で、現在は1994(平成6)年10月~1995(平成7)年3月にかけて、

日本のテレビドラマでは珍しい「2部制」で放送された、

TBSの『私の運命』というドラマについて書いているが、

前回(第7回)では、その『私の運命』の「第1部」について書いた。

そして、今回(第8部)は『私の運命』の「第2部」について書くが、

1995(平成7)年1~3月にかけて放送された『私の運命』(第2部)は、戦後日本史上でも稀な大事件である、

「阪神大震災」(1995/1/17)「地下鉄サリン事件」(1995/3/20)が起こった時期に放送されたという意味でも、特筆に値する。

それでは、「1992~1996年のサザンとユーミン」の「第8回」、「1995年『命の花』と『私の運命』(第2部)」を、ご覧頂こう。

 

<『私の運命』(第1部)の「あらすじ」の、おさらい~佐藤(※鈴木)千秋(坂井真紀)と鈴木次郎(東幹久)のカップルを襲った悲劇~鈴木次郎が肺癌に冒され、闘病の末に亡くなる>

 

 

 

 

前回の記事で、『私の運命』(第1部)の「あらすじ」はご紹介したが、

前回の記事を書いた時から、少し当ブログの更新の間が空いたので、『私の運命』(第1部)の「あらすじ」のおさらいも兼ねて、『私の運命』(第1部)の放送リストを、ご紹介させて頂く。

なお、1994(平成6)年10月~12月の放送分については、主題歌はユーミン(松任谷由実)『砂の惑星』という曲であった。

 

(※第①~⑪話の主題歌は松任谷由実『砂の惑星』)

・第①話「悲劇の婚約者」(1994/10/11)

・第②話「死の告知」(1994/10/18)

・第③話「誰にも言えない秘密」(1994/10/25)

・第④話「手術前に彼は別れようと言った」(1994/11/1)

・第⑤話「兄と妹、涙の純情物語」(1994/11/8)

・第⑥話「母が信じる霊能力者」(1994/11/15)

・第⑦話「結婚にふさわしい条件」(1994/11/22)

・第⑧話「禁じられた遊び」(1994/11/29)

・第⑨話「愛から友達に変わる時」(1994/12/6)

・第⑩話「涙がとまらない結婚式」(1994/12/13)

・第⑪話「再発そして次郎の告知」(1994/12/20)

 

(※以後、主題歌が松任谷由実『命の花』に変更)

・第⑫話「死を目前にした家庭内暴力」(1995/1/10)

・第⑬話「愛する自信を失う言葉」(1995/1/24)

・第⑭話「お兄ちゃん、次郎を殴る」(1995/1/31)

・第⑮話「遺言」(1995/2/7)

・第⑯話「次郎の死」(1995/2/14)

・第⑰話「涙の遺書と母の復讐」(1995/2/21)

 

 

…という事で、前回の記事でご紹介したのは、ここまでだったが、

同じ建設会社に勤める、佐藤千秋(坂井真紀)鈴木次郎(東幹久)「恋人同士」であり、紆余曲折を経て結婚したものの、実は、次郎は肺癌に冒されていた。

一時は、東洋医科歯科大学付属病院に勤務する「天才外科医」片桐俊太郎(佐野史郎)による、「キジマリン」という抗がん剤の投与が上手く行き、次郎は退院する事が出来たが、その後、次郎の体調は再び悪化してしまった。

そして、闘病の末に、遂に次郎は千秋の腕の中で息を引き取った。

最愛の息子・次郎を失った、次郎の母・真理子(野際陽子)は、

「息子さんの身体は、私が必ず治す」

と言っておきながら、結局は息子を救ってくれなかったという事で、片桐に深い恨みを抱き、病院で片桐の腕を包丁で刺してしまった。

幸い、片桐は一命を取り留めたが、これまでの片桐の無茶な治療などが、マスコミで槍玉に上げられ、

「患者を薬の実験台にした挙句に、患者を死なせてしまった」

という激しい非難を浴びた片桐は失脚し、地方の病院に「左遷」されてしまった…。

以上が、ここまでの『私の運命』の「あらすじ」である。

 

<1994(平成6)年10月8日…「中日VS巨人」の「10.8決戦」~プロ野球史上初の「同率最終決戦」を制し、長嶋巨人が優勝>

 

 

 

さて、ここからは『私の運命』の話とは関係が無い「余談」である。

『私の運命』の第1回の放送日の3日前、1994(平成6)年10月8日は、プロ野球史上に残る大決戦が有った。

この日(1994/10/8)、長嶋茂雄監督率いる巨人と、高木守道監督が率いる中日ドラゴンズが、共にシーズン最終戦で戦う事となったが、巨人と中日は、

「69勝60敗」

という、全くの同率首位で並んでいた。

そして、巨人と中日は、中日の本拠地・ナゴヤ球場で激突し、

「シーズン最終戦で、勝った方が優勝」

という、プロ野球史上初の、

「同率最終決戦」

を戦う事になった。

両チームの選手達には、物凄いプレッシャーがかかったものと思われるが、当事者である巨人・長嶋茂雄監督は、この戦いを、

「国民的行事」

と呼んで、自ら楽しんでいるような様子であった。

そして、結果は長嶋巨人が6-3で中日を破り、長嶋巨人が優勝したが、

「10.8決戦」

として、後に語り継がれる事になる、この試合は、

「視聴率48.8%、瞬間最高視聴率67%」

という、物凄い高視聴率を叩き出した。

勿論、私も試合開始から終了まで、テレビに釘付けになって見ていたものである(※こう言っては何だが、「アンチ巨人」の私は中日を応援していた)。

まさに、長嶋監督が「国民的行事」と言っていただけの事はあったが、これはプロ野球史上最高視聴率として、未だに破られていない。

そして、前述の通り、この3日後の1994(平成6)年10月11日、『私の運命』の第1話が放送開始された。

 

<1994(平成6)年の「巨人VS西武」の日本シリーズ~長嶋巨人が4勝2敗で西武を破り、日本一>

 

 

さて、こうして劇的な形で優勝を決めた長嶋巨人は、

パ・リーグ5連覇を達成していた、森祇晶監督率いる西武ライオンズと対決する事となった。

「巨人VS西武」

の日本シリーズでの対決が4年振りに実現したが、当時、私の通っていた高校では、野球好きだった数学の先生が、この日本シリーズを前にして、

「巨人と西武、どちらが勝つか、みんなで予想しよう」

と、言い出した。

「両チームの星取り(第何戦で、どちらが勝つか)まで、誰かピタリと当てられる人が居るか、やってみよう」

と、その先生は言い、クラスの皆に紙を配った。

こうして、クラス全員で、西武巨人が対決する日本シリーズの勝敗予想をする事になったが、

当時の西武は「史上最強」と言われており、クラスの8~9割ぐらいは、

「西武が日本一」

と、予想していた。

ちなみに、私は、

「4勝1敗で西武の日本一」

と、予想しており、その星取りは、西武から見れば、

「〇〇●〇〇」

と、予想していた。

とにかく、私のクラスでは、

「巨人が西武に勝てるわけがない」

と、予想している人が殆んどであった。

野球をよく知らない女子たちも、

「野球はよくわからないけど、西武が勝ちそう」

と、言っていた。

なお、クラス全員分の星取り予想は、教室の前に張り出されていた。

今思えば、その先生も、なかなか面白い企画(?)を考えたものである。

 

 

それで、結果はどうなったのかといえば、ご覧の通りである。

 

・第①戦~1994/10/22…巨人●0-11〇西武

・第②戦~1994/10/23…巨人〇1-0●西武

・第③戦~1994/10/25…巨人〇2-1●西武

・第④戦~1994/10/26…巨人●5-6〇西武

・第⑤戦~1994/10/27…巨人〇9-3●西武

・第⑥戦~1994/10/29…巨人〇3-1●西武

 

何と、長嶋巨人が4勝2敗で西武ライオンズを破り、長嶋巨人が「日本一」となった。

つまり、結果は巨人から見て、

「●〇〇●〇〇」

という結果となり、私のクラスでは、その星取りを正解させた人は、一人も居なかった。

「まあ、どちらが勝つかという事と、星取りまでピタリと当てるのは、確率から言って、まず無理という事だよ」

日本シリーズの結果が出た後、件の数学の先生は、そう言ってニンマリと笑っていた(?)ものである。

 

 

なお、1994(平成6)年10月25日に行われた、日本シリーズ第3戦は、延長戦にまでもつれ込む激闘の末、巨人が2-1で西武を破ったが、試合が長引いたお陰で、視聴者は日本シリーズに釘付けとなり、

同日(1994/10/25)の同じ時間帯に放送されていた『私の運命』の第3話は、「視聴率11.8%」と、低迷してしまう。

私も、日本シリーズ第3戦の方をメインに見ており、『私の運命』第3話は、恐らく、あまり熱心には見ていなかった。

ちなみに、その回では、鈴木次郎(東幹久)後藤里美(常盤貴子)が、かつては恋人同士だった…という「過去」が明かされれいた。

 

<1995(平成7)年1月10日…『私の運命』第12話から、主題歌が松任谷由実(ユーミン)の『命の花』に変更されたが…?>

 

 

さてさて、1995(平成7)年の年が明け、『私の運命』の放送は続いていた。

そして、1995(平成7)年1月10日の『私の運命』の第12話から、主題歌が変更され、それまでの主題歌である、ユーミン(松任谷由実)『砂の惑星』という曲から、同じくユーミン(松任谷由実)が歌っている、

『命の花』

という曲が、『私の運命』の主題歌になった。

そして、それに伴って、『私の運命』のタイトルバックも変更された。

「へー、主題歌が変わったのか…」

それまで、熱心に『私の運命』を見ていた私も、主題歌が変わった事には、ちょっとビックリした。

そもそも、日本のテレビドラマが、「2部制」で放送される事自体、とても珍しく、従って、主題歌が途中で変わるという事も、大変珍しい。

そして、ユーミン(松任谷由実)の新曲『命の花』は、1995(平成7)年2月20日にリリース予定と発表された。

だが、この後、戦後日本史上でも稀な大惨事が起こってしまい、『命の花』も、もろにその影響を受ける事になる。

その大惨事とは、

「阪神大震災」

の事である。

 

<1995(平成7)年1月17日…「阪神大震災」が発生~『私の運命』第13話の放送も延期され、ユーミン(松任谷由実)の『命の花』も発売中止に>

 

 

1995(平成7)年1月17日、午前5時46分、

淡路島北部の北緯34度36分、東経135度02分、深さ16kmを震源とする、マグニチュード7.3の大地震が発生した。

そして、多数の死者・行方不明者が出てしまい、

「阪神大震災」

と称される事となったが、当時、高校生だった私が、初めてリアルタイムで体験した大災害であり、テレビに映し出される悲惨な光景に、呆然としてしまったものである。

なお、同日(1995/1/17)放送予定だった『私の運命』第13話は放送延期され(※翌週(1995/1/22)に放送)、

『私の運命』(第2部)の主題歌だった、ユーミン(松任谷由実)の新曲『命の花』も、

「歌詞が、阪神大震災を彷彿とさせる」

という理由から、発売中止となってしまった。

とにかく、「阪神大震災」では甚大な被害が出たが、その影響は多方面に及んでいた。

 

<『私の運命』(第2部)のあらすじ①~鈴木次郎(東幹久)が亡くなり、次郎の忘れ形見・昇(益田圭太)と共に暮らしていた千秋(坂井真紀)の前に現れたのは…?>

 

 

では、『私の運命』(第2部)の「あらすじ」を、ご紹介させて頂く。

ちなみに、放送リストで言うと、「第18話」の「最愛の子供が消えた日」(1995/2/28)からの話である。

千秋(坂井真紀)の最愛の夫・次郎(東幹久)が肺癌で亡くなった後、6年の月日が流れていた。

次郎が亡くなる間際、実は千秋のお腹には、次郎の子供が居たが、

次郎が亡くなった後、千秋はその子を生んだ。

生まれて来たのは男の子であり、千秋はその子に、

「昇」

という名前を付けていた。

それは、千秋と次郎が最後に時を過ごした鎌倉の海岸で、次郎が亡くなる間際に発した、

「日が昇る」

という言葉に由来していた。

こうして、次郎の「忘れ形見」として生まれたは、すくすくと成長し、6歳になっていた。

なお、の役を演じていた子役・益田圭太は、以前、『スウィート・ホーム』という「お受験ドラマ」で、山口智子・布施博の夫婦の間に生まれた子として出演しており、

「あ!『スウィート・ホーム』の子だ!!」

と、私にはすぐにわかった。

それはともかく、千秋は、片桐を刺してしまった後、罪を償った、次郎の母・真理子(野際陽子)と共に、レストランを共同経営しており、千秋と真理子と昇は、3人で仲良く暮らしていた。

 

 

そんなある日の事。

ひょんなキッカケで、千秋は、ある男と出逢う。

その男は、何と、亡き夫・次郎とソックリ、まさに瓜二つの容姿だった、中山という男である。

「…!?次郎君!?」

千秋は驚いたが、その男は当然、次郎とは別人だった。

なお、この中山という男の役を、東幹久「1人2役」で演じていたが、

東幹久が、鈴木次郎とは全く別の役で再登場したのを見て、私はテレビを見ながら、

「……。そんな馬鹿な…」

と、思ってしまった。

こういう「有り得ない展開」は、昨今の「韓流ドラマ」が、よくやっているが(?)、当時の日本のドラマでも、こういう「ぶっ飛んだ展開」は、しばしば有ったものである。

それはともかく、千秋は、愛する男と瓜二つだった中山に、心惹かれて行く事となった。

千秋は、中山に、亡き夫の面影を見ており、すっかり目が曇っていた。

 

<『私の運命』(第2部)のあらすじ②~実は「詐欺師」だった中山~そして、昇(益田圭太)が重大な病気(神経芽細胞腫)に冒されるという大ピンチに…>

 

 

さて、千秋が偶然出会ったという、中山(東幹久)という男は、一体、何者だったのかというと、

実は、中山は「詐欺師」であった。

中山というのは「偽名」であり、彼の本名は「園部陽一」なるものであった。

園部は、千秋の夫・次郎が投与された「キジマリン」という抗がん剤を製造していた製薬会社の社長の息子だった。

だが、次郎が亡くなった事を「逆恨み」した次郎の母・真理子(野際陽子)が、片桐を刺すという大事件が、マスコミでセンセーショナルに取り上げられた事により、「キジマリン」も、槍玉に上げられた。

そして、園部の父親が経営する製薬会社も倒産してしまい、園部の父親は、自ら命を絶ってしまう。

そのため、園部は、真理子たちを深く恨んでおり、「復讐」のために、彼女達に近付いていた。

そして、「中山」という偽名を名乗った園部は、千秋に近付き、彼女を信用させた後で、彼女達から大金を騙し取った。

「お前達のせいで、俺の親父は死んだ。お前達のせいで、俺の人生はメチャクチャになった。俺は復讐のために、お前達から金を騙し取ってやったのさ」

まんまと詐欺に成功した後、園部は、電話で彼女達に全てを明かし、せせら笑った。

「だけど、お前も馬鹿だなあ…。まさか、本当に俺に惚れてたのか?」

園部は、そう言って嘲笑ったが、千秋は、

「馬鹿だったわ。本当に馬鹿だったわ。あんたみたいな人を、一瞬でも信じたと思うと、ゾッとするわ」

と、言い返した。

「貴方、本当に惨めな人ね。こんな事をやるなんて。貴方みたいな、最低な人生を送るなんて、私は、まっぴら御免だわ。私は、どんなに馬鹿でも、人を信じて生きて行くわ…」

千秋は、更にそう言うと、園部は何も言い返せず、

「俺は、お前達を絶対に許さねえぞ」

と、捨て台詞を言い、電話を切った。

その後、全てを失ったと思った真理子(野際陽子)は、自ら手首を切り、命を絶とうとしてしまったが、幸い、彼女は一命を取り留めた(※そして、レストランも人手に渡らずに済んだ)。

なお、園部はその後、仲間割れにより、怪しげな男達によって殺害されている。

 

 

さて、その頃、昇(益田圭太)も大きなピンチに見舞われていた。

昇は、元々、身体が弱かったが、ある時、昇は酷い風邪を引いてしまった。

大事を取って、昇は千秋(坂井真紀)の兄で、医師の守(段田安則)が勤務していた、東洋医科歯科大学付属病院に、大事を取って入院した。

「昇、大丈夫だからね」

千秋と真理子は、そう言って昇を励ました。

当初、守も楽観的な見通しだったが、念のために検査をしたところ、何と、昇は、

「神経芽細胞腫」

という病気に冒されている事がわかった。

「……。そんな、次郎君に続いて、昇まで…」

検査結果を見た、守(段田安則)は青ざめた。

神経芽細胞腫とは、要するに「癌」である。

「こんな事、千秋に言えるわけがない…」

守は、思い悩んだ。

亡き夫に続き、まさか息子まで癌になってしまうなんて…。

守は、妹(千秋)に対し、昇が癌に冒されているという事は告知せず、懸命に昇の治療にあたった。

だが、昇の病状は一向に回復しなかった。

そして、追い詰められた守は、とうとう、ある「決断」を下す。

「こうなったら、あいつに頭を下げて、昇の手術を任せるしかない…」

そう、守(段田安則)は、今は地方に「左遷」された、片桐俊太郎(佐野史郎)に、昇の手術を任せるしか無いと、決意していた。

 

<1995(平成7)年3月20日…「地下鉄サリン事件」が発生>

 

 

『私の運命』で、佐藤守(段田安則)が、片桐俊太郎(佐野史郎)に、昇の手術を頼みに行くと決意する場面は、1995(平成7)年3月14日に放送された、「第20話」の「仮面」というタイトルの回だった。

そして、『私の運命』の最終回の放送を翌日に控えた、1995(平成7)年3月20日、日本中を震撼させた大事件、

「地下鉄サリン事件」

が発生した。

これは、オウム真理教が、首都圏の複数の地下鉄の路線で、猛毒のサリンをばら撒いたという、前代未聞の無差別テロ事件であり、多数の死傷者が出るという、前代未聞の大事件であった。

「阪神大震災」「地下鉄サリン事件」

という、あまりにも悲惨な災害や大事件が発生し、1995(平成7)年1~3月は、まさに世の中全体が騒然としていた。

「世の中、これからどうなってしまうんだろう…」

当時、私も不安な日々を過ごしていたものである。

 

<1995(平成7)年3月21日…『私の運命』(第2部)最終回が放送>

 

 

そして、「地下鉄サリン事件」の衝撃が冷めやらぬ中、

その翌日、1995(平成7)年3月21日、

『私の運命』

の最終回、2時間スペシャルが放送された。

この時、「神経芽細胞腫」という癌に冒されているという事を、兄・守(段田安則)に初めて告げられた千秋(坂井真紀)は、衝撃を受けた。

そして、守は更に、

「昇を助けられるのは、片桐しか居ない。俺は、片桐に昇の手術をしてもらうよう、頼んだ」

と、千秋に告げた。

千秋は、それに対して、

「ちょっと待ってよ、何であの人が出て来るの?私は絶対に嫌よ。あの人が昇の身体を触るなんて…」

と言って、激しい拒否反応を示した。

千秋は、次郎が片桐の「実験台」にされた挙句、亡くなってしまったと思い、千秋もまた、片桐を憎んでいた。

「でも、昇の病気の手術が出来る医者は、日本中を探しても、あいつしか居ないんだ」

守は、必死に妹の千秋を説得しようとした。

守はもう昇には一刻の猶予も無いと思い、千秋に昇の癌を告知する前に、先に片桐(佐野史郎)に昇の手術を託してしまっていた。

「次郎君に続いて、昇まで死んでしまったら、千秋はもう立ち直れない。何とか、頼む…」

守は、土下座せんばかりの勢いで、片桐に頼み込んでおり、片桐も、

「そこまで言うなら…」

と、昇の手術を引き受けたという経緯が有った。

 

 

そして、千秋と守が押し問答をしている所へ、片桐(佐野史郎)が現れた。

「兄が何て言ったか知りませんが、私は貴方が昇の手術をする事は、絶対に拒否します」

千秋は、そう言い放った。

千秋にそう言われ、片桐もムッとした表情だったが、グッと堪えて、

「鈴木さん。私は、医者として全力を尽くします」

と言ったものの、どうしてもわだかまりが消えなかった千秋は、涙を流し、首を横に振った。

「そうですか。それでは、お大事に…」

片桐は、そう言って席を立った。

「片桐、すまん。あいつを説得してから、お前に会わせるつもりだったんだが…」

守は、片桐に追いすがった。

「良いんだよ。それより、君が手術をやれよ。それでダメなら、妹さんも納得するさ…」

片桐はそう言って、病院から立ち去ろうとしていた。

「それはダメだ。昇を助けられるのは、お前しか居ないんだ…」

守は、なおも懇願したが、片桐は、

「健闘を祈るよ…」

と言って、去って行こうとした。

そこへ、千秋が走って来て、

「片桐先生、待って下さい!!昇の手術、お願いします!!あの子を助けて下さい…」

と、涙を流し、頭を下げた。

それを見た守も、一緒に片桐に頭を下げた。

「…わかりました」

片桐は、一言、そう答えた。

こうして、昇の運命の手術は、片桐俊太郎(佐野史郎)に託された…。

 

 

そして、その後はどうなったのかといえば、

片桐俊太郎(佐野史郎)による昇の手術は成功し、昇の命は助かった。

だが、その後、昇は肺炎を発症し、またもや大ピンチに陥ってしまう。

「あとは、昇の生命力を信じるしかない…」

守にそう言われ、千秋はひたすら、病院の待合室で昇の回復を祈った。

その時、夢うつつの中、千秋と昇の夢の中に、次郎(東幹久)が現れた。

「大丈夫、きっと治るよ…」

夢の中の次郎は、微笑んでいた。

そして、不安な一夜が明け、千秋が昇の病室に駆け付けると、昇は回復し、静かな寝息を立てて眠っていた。

そう、昇は遂に、度重なる生命の危機を乗り越えたのであった。

だが、片桐は実は自らは肺癌に冒され、その後、程なくして亡くなってしまった…。

 

 

…という事で、以上が『私の運命』の顛末であるが、

ここで、『私の運命』第18話~最終話(第21話)までの放送リストを、ご紹介させて頂く。

『私の運命』の「第2部」は、「阪神大震災」や「地下鉄サリン事件」の合間に放送されたという事もあり、

色々な意味で、波乱万丈な、忘れ難きドラマであった。

 

・第⑱話「最愛の子供が消えた日」(1995/2/28)

・第⑲話「新しい恋」(1995/3/7)

・第⑳話「仮面」(1995/3/14)

・最終話「私自身のために」(1995/3/21)

 

<ユーミン(松任谷由実)の「幻のシングル」、『命の花』の歌詞>

 

 

では最後に、『私の運命』の「第2部」の主題歌にして、

「歌詞が阪神大震災を連想させてしまうから」

という理由で発売中止となってしまった、ユーミン(松任谷由実)「幻のシングル」、

『命の花』

の歌詞をご紹介させて頂き、今回の記事の締めくくりとさせて頂く。

その歌詞が、本当に「阪神大震災」を思い起こさせるかどうかについては、この歌詞を読んだ皆様の判断に委ねる事としたい。

 

 

『命の花』

作詞・作曲:松任谷由実

編曲:松任谷正隆

唄:松任谷由実

 

燃える太陽さえ 燃やすほど

狂おしいこの想いを 抱いて 泣いている

恋はゆらめく灼熱の花

心を焼き尽くすまで けっして 枯れはしない

 

Sha la la la 熱いキスは 秘密のエントランス

二度と戻れはしない

Sha la la la 指先から痺れる棘にさされ

エデンの園 追われるのよ

 

離れないで 離さないわ 世界が灰になっても

あなたとなら あなたとなら 死んでもいいの

私の恋は 輝く炎 命の花

 

荒れる荒波も のみ込むほど

昂まってゆく想いに 乱れ ふるえてる

恋は嵐の中で咲く花

踏みにじられてゆくほど 紅く紅く ひらく

 

Sha la la la 見つめる目は 哀しい天使の罠

さよならのはじまり 

Sha la la la 首に胸の涙の粒を撒いて

ネプチューンの夢を見るの

 

離れないで 離さないわ 世界が海に落ちても

あなたとなら あなたとなら 死んでもいいの

私の恋は 激しいしぶき 命の花