2020/12/31…「コロナ・イヤー」の大晦日~私が感銘を受けた言葉について | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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法政大学野球部を中心として、東京六大学野球についての様々な事柄について、思いつくままに書いて行くブログです。
少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

本日(12/31)は、2020(令和2)年の大晦日である。

新型コロナウイルスの感染拡大に明け暮れた「コロナ・イヤー」も、幕を閉じようとしているが、

本当に、今年はコロナ一色であり、まるで、コロナしか無かったような1年であった。

 

 

今年(2020年)が幕を閉じるにあたり、私は、今年(2020年)の出来事を、時系列で、1ヶ月単位で書くという事を試みていたが、

この年末は、色々と忙しく、「4月編」まで書いたところで、時間が取れなくなってしまった。

そこで、今回は、2020(令和2)年の出来事を書いて行く事を、年内に完成させる事はスッパリと諦め(?)、年明けにでも改めて書かせて頂く事として、ちょっと別の記事を書かせて頂く事としたい。

それは、コロナが蔓延している、今だからこそ、心に響くような言葉を、皆様にもご紹介しようというものである。

そして、私が、普段このブログを、どのような心持ちで書かせて頂いているのかについても、書いて行けたらと思う。

それでは、早速ご覧頂こう。

 

<出口治明「人間の脳は1万年、進化していない。人間はアホで、同じ失敗ばかり繰り返しているのだから、歴史に学ぶ必要が有る」~大昔、ヘロドトスが『歴史』という本で、既にその事を指摘していた!?>

 

 

まずは、このブログでも度々書かせて頂いている方であるが、

現在、APU(立命館アジア太平洋大学)の学長を務める、出口治明の言葉について、ご紹介させて頂く。

出口治明は、幼少の頃から、とにかく本が大好きな「本の虫」であり、暇さえ有れば歴史の本ばかり読んでいるような人だったとの事だが、私も、似たような感じなので、まず、その部分で、彼には共感を覚える。

その出口治明は、大変な本好きが高じて、日本生命に勤務⇒ライフネット生命の創業を経て、遂には歴史の本を多数出版する程の人になったが、彼は、こんな事を言っている。

「人間の脳は1万年の間、進化していない。人間はアホで、同じ失敗ばかり繰り返しているのだから、歴史に学ぶ必要が有る」

そう、人間というのは、いつの世も、アホな事ばかり繰り返す生物であるが、それは、脳が1万年も進化していないのだから仕方ない、

だからこそ、過去に、人間が行なって来た事の集積である、歴史を学び、同じ失敗を繰り返さないようにしよう、という事を言いたいようである。

 

 

その出口治明が、自らの著書の中で、古代ギリシャの歴史家・ヘロドトスの言葉について、引用している。

ヘロドトスは、世界史上、初めての歴史家であり、古代ギリシャについて、『歴史』というタイトルの本を書いているが、

ヘロドトスは、『歴史』の中で、こんな事を言っているという。

「本書は、ハルカリナッソス出身のヘロドトスが、人間界の出来事が、時が移ろうとともに忘れ去られ、ギリシア人やバルバロイ(異邦人)の果たした、偉大な驚嘆すべき事蹟の数々-とりわけて両者がいかなる原因から戦いを交えるに至ったかの事情-も、やがて世の人に知られなくなるのを恐れて、自ら調査研究したところを書き述べたものである」

(『歴史』上・ヘロドトス著・松平千秋訳・岩波文庫)

 

 

 

上記の、ヘロドトスの言葉を、出口治明は、次のように「意訳」している。

「人間は、性懲りもなく、アホな事ばかりやっている。いつも同じ失敗を繰り返している。だから、自分が世界中を回って見聞きした事を、ここに書き留めておくから、これを読んで、君たちはアホな事を繰り返さないように、ちゃんと勉強しなさいよ」

出口治明曰く、「歴史」を学ぶ事の意義は、この事に尽きるというのである。

つまり、せっかく先人達が、過去に起こった出来事、人間のアホな失敗を、ちゃんと書き残してくれているのだから、現代に生きる我々も、それを学ばなければ、また同じ失敗を繰り返してしまう。

だからこそ、歴史を学ぶ必要が有る、というわけである。

これは、私も全く同感である。

 

<コロナのせいで、リモート講義ばかりで、全然キャンパスライフが無かった今年(2020年)~しかし、出口治明は…?>

 

 

さて、今年(2020年)というのは、コロナが蔓延したせいで、

大学の講義も、殆んどがリモートでの講義に終始し、今年(2020年)、大学に入学した学生達は、

楽しいキャンパスライフを送る事も出来ず、鬱々とした日々を送った人も多かったという。

その事については、私も本当に気の毒だと思うし、

「せっかく大学に入ったのに、何でこんな事になってしまうのか」

と、新入生達が、不満に思う気持ちも、凄くよくわかる。

もしも、自分がその立場だったとしたら、やはり、つまらない1年だったと、悲観していたかもしれない。

 

 

しかし、物は考えようである。

大学生というのは、人生で一番、時間が有り余っている時期であり、勉強しようと思えば、いくらでも勉強出来る時期である。

ここで、今後の人生が大きく左右されると言っても、過言ではない。

つまり、こんな時期で、なおの事、時間が有り余っているからこそ、それを活かすも殺すも、自分次第なのではないだろうか。

 

 

 

 

そこで、出口治明の言葉を再び引用させて頂く。

出口治明は、1948(昭和23)年、三重県に生まれ、1967(昭和42)年、京都大学(京大)に入学したが、

ちょうど彼が大学に入学した頃は、学生運動、所謂「全共闘運動」の全盛期であった。

そのため、せっかく大学に入学したのに、大学はロックアウトされ、1年間、全然大学には行けなかったという。

その頃を回想し、出口治明は、こんな事を言っている。

「下宿で、好きなだけ、本を読む事が出来る。本当に、これは天国やなと思いました」

元々、本好きだった出口は、これ幸いとばかり、下宿で、1日中、自分が好きな本を読みまくっていたというのである。

 

 

 

今年(2020年)、出口治明は、NHK-BSの企画で、「最後の講義」と称し、

全国の大学生に向けて、リモートで講義を行なったが、そこで、出口は自らの学生時代、

前述の「全共闘運動」で、大学に行けなかった頃の事を、こう語った。

「私が大学に入った年は、全共闘運動で、大学がロックアウトされ、大学に行けませんでした。今の皆さんと同じく、ステイホームするしか無かったのです。でも僕は、大学に入り、下宿で1人暮らしをした時に、朝早く起きなくても、誰にも文句は言われないし、好きな本は、いくらでも読めるし、これはまさに天国やなと思いました。今思えば、本当に貴重な時間でした」

元々、本が大好きだった彼は、より一層、貪るように本を読み、内面的には、非常に充実した時間を過ごしていたのである。

という事で、今の大学生の皆さんも、せっかくだから、何か本を読むも良し、自分の好きな事に没頭するも良し、是非とも、充実した時間を送って頂きたいと、私は思う。

 

<出口治明が語る、「コロナ時代を生き延びる方法」とは?~ズバリ「運と適応」(ダーウィン「進化論」より)である!!>

 

 

今、世界中が、コロナとの戦いに明け暮れ、大変な事になっているが、

こんな時代だからこそ、人間は、如何に過ごして行くべきか、という事についても、前述の「最後の講義」の中で、出口治明は語っている。

彼が引用しているのは、かの有名な、ダーウィン「進化論」である。

 

 

 

 

 

出口治明は、ダーウィンの著作『種の起源』が愛読書との事であるが、

彼は、ダーウィン「進化論」の真髄を、次のように語っている。

「生物が生き残るかどうかというのは、強いかどうか、賢いかどうかという事とは違うで。運と適応やで」

「環境に適応(アジャスト)できた生物だけが、生き残るんやで」

つまり、コロナで大変な世の中になってはいるけれども、この環境になっても、

上手く適応できて、運が良い生物だけが、生き残って行く、それが全てだという事である。

という事で、こういう時代になってしまった事は仕方無いので、環境に適応し、なおかつ、健康には気を付けて、生き延びて行きたいものである。

 

<出口治明流・歴史を学ぶ意義①~「縦・横・算数」とは!?>

 

 

 

出口治明が、「歴史」を学ぶ意義について、端的に述べている言葉として、

「世界をフラットに見るには、縦・横・算数が大事」

というものが有る。

今、世界は混沌とし、日本政府も右往左往して、酷い有様だが、そんな時こそ、「縦・横・算数」を意識する事が大切だというのである。

 

 

 

 

「縦・横・算数」の、

「縦」とは、人間が今まで行なって来た事、つまり「歴史」であり、

「横」とは、今、世界はどんな状況なのかを意識する事、

「算数」とは、「数字・ファクト・ロジック」である。

この3つを意識すれば、冷静に世界を見る事が出来るし、変な情報に惑わされる事も無い、という事である。

私は、コロナの感染者の多寡で、一喜一憂するような今の状況にはウンザリしているが、

だからこそ、今の状況を冷静な目で分析する事が大事なのかなと思っている。

 

<出口治明流・歴史を学ぶ意義②~「人・本・旅」とは!?>

 

 

という事で、今まで、ちょっと堅苦しい事も書いて来たが、

出口治明は、「そもそも、歴史を学ぶという事は、単純に、凄く楽しい事である」とも述べているし、それも私は同感である。

歴史を紐解いてみると、先人達の様々な面白いエピソードに溢れており、こんなに面白い事は無いと、私は思う。

だからこそ、歴史というのは全く飽きないのであるが、

出口治明は、常々、「人生を豊かにするのは、人・本・旅である」と言っている。

今は、コロナで、あまり「旅」は出来ないかもしれないが、それならば、今は「人」との出会いを大切にして、「本」を沢山読んで、精神を豊かにして行けば良いのかなと、私は思っている。

という事で、まずは私が尊敬する、出口治明について、ご紹介させて頂いた。

 

<『みかづき』に学ぶ、「教育」の意義とは!?~「人間の心だけは、どんな時代になっても、他人が犯す事は出来ない」「人に容易(たやす)くコントロールされないためにも、教育・学びは重要」>

 

 

さて、出口治明について、タップリとご紹介させて頂いたところで、

次にご紹介させて頂くのは、以前、このブログでもご紹介させて頂いた、『みかづき』という物語についてである。

『みかづき』は、森絵都が書いた小説であるが、戦後日本の「学校教育」と「学習塾」の鬩ぎ合いを描いた、大作である。

私も、夢中になって読んだものであるが、『みかづき』の主人公は、学校教育に不信感を持ち、学校教育から落ちこぼれた子供達を救うという信念の下、自ら学習塾を作った赤坂千明と、後にその夫になった、天才的教育者・大島吾郎という、夫婦である。

 

 

 

『みかづき』は、NHKでドラマ化され、千明を永作博美、吾郎を高橋一生が演じていたが、

2人の出会いは、昭和30年代、戦後のベビーブーム世代が、大挙して小学校に入学し、子供達が溢れ返っていた時代であった。

シングルマザーだった千明は、家庭教師を務め、吾郎は、学歴が無いため、小学校の用務員を務めていたが、子供達に勉強を教えるのが物凄く上手い、天性の「教師」であった。

その2人が出会い、2人は夫婦となり、小さな学習塾を立ち上げ、やがて、この塾は急成長して行くのだが、

前述の通り、千明は、「学校教育」というものに、物凄く不信感を抱いていた。

では何故、千明が「学校教育」に不信感を抱いていたのかといえば、戦前の「軍国教育」で、散々「鬼畜米英」「忠君愛国」と教え込まれていたのに、戦争が終わると、コロッと掌を返したように、それらが全て否定され、「民主主義万歳」という教育方針になってしまった、

その学校教育の現場の変わり身の早さと、あまりの節操の無さに、怒りを感じたからだという。

 

 

千明は、学校教育というものに絶望していた。

しかも、当時は子供達の数も多く、学校では、授業に付いて行けないのに、落ちこぼれる子供達も沢山居た。

そんな子供達のために、放課後の用務員室で、子供達に「補習授業」を行ない、大人気になっていた吾郎に目を付け、

千明は、半ば強引に、吾郎に結婚を迫り、2人で学習塾を立ち上げ、夫婦で奮闘する、というのが、『みかづき』の概要である。

千明は、吾郎との出会いの場面で、こんな事を言っていた。

「どんな時代になろうと、世の中が軍国主義一色になろうと、人間の心だけは、絶対に誰にも犯す事は出来ない。だからこそ、人間は、内面をしっかりと持ってなければいけないし、教育が大事なんだと思うんです」

そう、誰が何と言おうと、人間の心は、その人だけのものである。

従って、どんな酷い時代が来ようと、内面に軸を持つ事が重要であると、彼女は言っていた。

 

 

 

ちなみに、この物語のタイトル『みかづき』とは、

「学校教育が太陽だとしたら、塾はみかづきのようなものだと思うの。学校教育から落ちこぼれた子供達を、静かに優しく照らす月。私は、塾とは、そういう存在でありたい」

という、千明の言葉から取られている。

とはいえ、この後、世は「受験戦争」の時代となり、吾郎と千明が作った塾も、時代の変遷とともに、巨大化して行って、当初の理想とは離れて行ってしまう…という事も描かれているのだが、それはともかく、この物語では、「教育」の意味について、こんな事も書かれている。

「人に容易(たやす)くコントロールされないためにも、教育・学びは重要」

人間は、しっかり学び、勉強しておかないと、いざという時、簡単に人に流され、大変な事になってしまう可能性が有るので、人に簡単にコントロールされないためにも、普段から、ちゃんと学び、自分なりの考え方を身に着ける事、そして、それを言葉で表現出来るように出来る事が、極めて重要である、という事である。

こんな時代だからこそ、しっかりと肝に銘じておきたい、素晴らしい言葉であると、私は思う。

 

<ナベツネ(渡邉恒雄)が、戦場の極限状態で見たものとは!?~軍部の横暴、独裁政治の悪さに、ハッキリと嫌悪感を抱いた、ナベツネ~後に、読売新聞で、当時の政府・軍部の戦争責任を追及>

 

 

さてさて、次に私がご紹介したいのが、御年94歳で、未だに読売新聞のトップに君臨している、

あの「ナベツネ」こと、渡邉恒雄である。

まず、私は今の巨人は嫌いであり、巨人のオーナーとしてのナベツネは、プロ野球をダメな方向に持って行った人と思っているので、あまり好きではないが、そのナベツネが、NHKの独占インタビューに応じた、特別番組が有った。

この特別番組というのが、物凄く面白かったのである。

ナベツネは、長年、政治記者として、あの吉田茂の時代から、政界の裏側を見て来た人物であるが、そのナベツネが、戦後政治の裏側について、語っている番組であった。

それが非常に生々しいというが、物凄く人間臭い、人間ドラマが満載であり、私は夢中になって見てしまった。

私は素直に、「ナベツネ、凄い体験して来たんだな」と、ちょっと彼を見直したものである。

という事で、このナベツネのロングインタビューから、引用させて頂く。

 

 

 

 

ちなみに、ナベツネにインタビューしたのは、NHKの大越健介であるが、

このインタビューの冒頭で、まずナベツネが語ったのは、自らの戦争体験であった。

「俺が中学の時に、太平洋戦争が始まってね。でも、お国のために、こんな戦争は、早くやめなきゃいかんという信念が有った」

と、ナベツネは語っていたが、世の中が一気に、軍国主義一色になった事に、ナベツネは嫌悪感を抱いたという。

 

 

 

後に、ナベツネが軍隊に取られた時、彼は、軍隊の現実を目の当たりにした。

「何かと言えば、上官に呼び出され、イチャモンを付けられて、殴られる。中には、丸太の上に正座させられるという、拷問に耐えている人も居た。ああ、軍隊とは、こういう所かと思ったね。軍の横暴、独裁政治の悪さが、身に染みてわかったわけだ」

「日本軍というのは、武器や弾薬が全然無かったからね。木の弾を、大砲に籠めるわけだよ。実戦になったら、実弾が配給されると言われていたが、とうとう、そんな物は配られなかった。こんなので、アメリカに勝てるわけがないよ」

当時の日本軍は、そんな有様であり、「精神主義」ばかりが横行していた。

「気合いを入れれば、アメリカに勝てる」

などという、非現実的で、空虚な論理が支配する世界であり、ナベツネは絶望したという。

 

 

ナベツネは、どうにか戦争を生き延び、戦後、読売新聞の政治記者から、読売のトップにまで登り詰めたが、

彼は、こんな事を思ったという。

「あれだけ人を殺して、何百万人も殺して、日本中を廃墟にした。その連中の責任を問わずして、良い政治なんて出来るわけがない」

彼は、日本という国を破滅させてしまった、当時の政府と軍部に、激しい憤りを持ち続けていたのである。

 

 

後に、読売新聞のトップになり、実権を握ったナベツネは、

2005(平成17)~2006(平成18)年、突如、戦時中の軍部や政府を批判し、戦争責任を追及する、大キャンペーンを行なったが、

これは、ナベツネが、いつか読売のトップに立ったら、是非ともやりたい事だった、という事であろう。

 

 

しかし、ナベツネといえば、どうしても、歴代の自民党政権のトップと近い関係にあり、

「権力とベッタリ」という印象が強く、大越健介も、その点についてツッコミを入れていたが、

ナベツネは「取材対象に近寄らないと、良い記事なんて書けないからね」と、サラリと答えていた。

「それはそれ、これはこれ」

という事で、ナベツネは、とにかく太平洋戦争で酷い目に遭った人間の1人として、あの戦争は許せないという思いを抱いていたという事である。

 

<ナベツネ「我が心の内なる道徳律、道徳価値は、俺だけのものだ」(カント『実践理性批判』より)~軍隊生活で、ナベツネが大切にしていた物とは!?>

 

 

 

そのナベツネは、太平洋戦争の末期、1945(昭和20)年4月に、東京大学(東大)文学部哲学科に入学した。

しかし、せっかく大学に入ったのも束の間、ナベツネは、すぐに軍隊に取られてしまった。

所謂「学徒出陣」であるが、当時は大学どころではなく、兵隊の数も全然足りなかったので、大学生の徴兵免除も無くなり、すぐに兵隊に取られてしまっていたのである。

これは、現代の「コロナ禍」の学生もそうだと思うが、気の毒だが「生まれた時代が悪かった」としか、言いようがない。

 

 

 

 

 

ナベツネは、軍隊に取られた時、ある1冊の本を持って行った。

それが、当時のナベツネの愛読書、哲学者・カント『実践理性批判』という本である。

彼は、この本を軍隊でも肌身離さず持ち、大切にしていたという。

その『実践理性批判』の結語で、カントは、こんな事を書いている。

「自分が一生考えて、未だに敬意を表しているものが2つある。ひとつは、上なる星ちりばめたる天空、ひとつは、わが内なる道徳律である」

これは、どういう意味なのであろうか?

 

 

 

 

 

 

 

ナベツネは、「わが内なる道徳律」について、こう解説している。

「軍隊へ行って、死にに行くんだから、そういう時に一番の価値は『わが内なる道徳律』。この道徳的価値というものは、軍隊で弾が飛んで来ようと、上官にぶん殴られようと、傷つける事は出来ない、俺だけのものだという、ひとつの哲学が有ったからね。それで『死』に抵抗するわけだ」

そう、これはつまり、先程述べた『みかづき』で書かれていた事でもあるが、

人間の心の中は、どんな状況だろうと、誰にも犯せない、という事である。

だからこそ、普段から、自分の内面を豊かにして行く事は、とても大切である。

こういう、コロナの時代だからこそ、私としても、これは非常に心に響いた。

 

<ビートたけし「今は、家に居て本を読む時間は、いっぱい有る。不幸な時代かもしれないけど、逆転して、良い方向に活用して欲しい」>

 

 

 

 

また、つい先日の話であるが、テレビ東京「たけしの新・世界七不思議」という特番で、

エジプトのツタンカーメン王の特集を放送していた時、ツタンカーメンが感染症で亡くなった、という話が紹介されていたが、

VTRを見て、MCのビートたけしは、こんな事を言っていた。

「やっぱり、感染症、ウイルスは凄いね。今、世界中がコロナで大騒ぎしているけど、歴史に残っていないウイルスって、過去にもいっぱい有ったと思うんだよね」

人類の歴史は、それこそ、病気やウイルスとの戦いの歴史でもあったと、ビートたけしは言っていた。

 

 

 

 

「今は、みんなあまり外に出られない状況かもしれないけど、だからこそ、家に居て本を読む時間は、いっぱい有る。それに、病気とかウイルスに抵抗し、人間とか動物は生き抜いて来た。今は不幸な時代かもしれないけど、逆転して、良い方に利用して欲しい」

まさに、ビートたけしが言っている事も、今までご紹介して来た事と、共通している。

こういう時期だからこそ、沢山、本を読んだりして、内面を充実させるチャンスであると、良い方向に捉えて行きたいものである。

 

<身内に戦争体験者が健在な方は、「戦争体験」を聞いておくべし!!>

 

 

では最後に、私の身内、私の祖父母の「戦争体験」について、少し触れさせて頂き、この記事の締めくくりとさせて頂きたい。

私の祖父母は、戦争を体験した世代だったが、祖父も祖母も、それはそれは、壮絶な体験をしていたという。

私の祖父は、満州に住んでいたが、戦争末期に、「学徒出陣」で兵隊に取られ、徴兵されたが、日本が敗戦し、祖父はソ連軍の捕虜になってしまった。

そして、シベリアへ連れて行かれる列車に乗せられたのだが、祖父は、仲間達と共に、思い切って列車から飛び降り、その場から逃げたというのである。

中には、後ろから銃で撃たれ、死んでしまった人も居たそうであるが、祖父は何とか逃げ切り、命を繋ぐ事が出来た。

一方、私の祖母は、1945(昭和20)年8月9日、勤労動員で工場に居た時、原爆を落とされ、被爆した。

その時、祖母は工場の中に居たが、爆風で後ろに吹っ飛ばされ、ガラスを全身に浴びたが、建物の中に居たので、辛うじて助かった。

しかし、その時、建物の外に居た友達は、みんな死んでしまった。

つまり、壁一枚で、生死が分かれたわけである。

 

その後、祖父と祖母は出会い、結婚したが、一歩間違えば、2人は死んでいてもおかしくなかったし、もし、そうなっていれば、勿論、今、私はこの場には居ない。

という事で、そういう「戦争体験」を私は一度だけ、2人から聞いた事が有るが、戦争体験者が身内で健在な方は、是非とも、そういう体験を聞いておいて欲しいと私は思う。

そして、次代に語り継いで行くのが、今の時代を生きる、我々の役割なのではないだろうか。

 

<2020(令和2)年・最後の御挨拶「皆様、良いお年をお迎え下さい!!」>

 

 

 

という事で、今年(2020年)の記事は、これにて最後である。

相変わらず、書きかけの記事も多く、完結させられていないシリーズも多かったが、

今年1年、何とか健康で過ごせて良かったと思っている。

そして、今年も、このブログを読んで頂いた全ての皆様に、この場を借りて、厚く御礼を申し上げたい。

最後に、この御挨拶を申し上げ、今年の締めくくりとさせて頂切ればと思う。

「皆様、今年1年間、本当にどうも有り難うございました!良いお年をお迎え下さい!!」