【備忘録】2020/12/3…「プロ野球優勝シリーズ」と今後の構想について(前編) | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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法政大学野球部を中心として、東京六大学野球についての様々な事柄について、思いつくままに書いて行くブログです。
少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

12月に入り、今年(2020年)も、残す所、1ヶ月弱となった。

今年(2020年)は、コロナの事ばかりで、大変な年になってしまったが、

私としては、体調を崩す事も無く、どうにか、ここまで来ているので、

このまま無事に今年(2020年)を無事に乗り越えて行きたいと思っている次第である。

 

 

ところで、このブログを普段からお読み頂いている方は、お気付きの事と思われるが、

今年(2020年)の9~11月にかけて、私は、プロ野球の各球団の優勝にまつわる記事を書いていた。

その時期は、ほぼ毎日のように、プロ野球の各球団の優勝に関する記事を書いていたが、

その大半は、「前編」だったり、「第1話」だったりして、まだ完結していない。

では、何故、そういう事になったのかという事と、今後、それらの記事を、どのように書いて行くつもりなのかについて、改めて、ここでご紹介させて頂きたい。

 

<今年(2020年)8月末~9月上旬…王貞治の「ホームラン世界記録」シリーズを書く!!>

 

 

今年(2020年)の8月末~9月上旬にかけて、

私は、このブログで、王貞治「ホームラン世界記録」に関する記事を、毎日のように書いていた。

「今日は何の日?」というタイトルで、王貞治が、例えば「通算755号」「通算756号」「通算800号」の、節目の記念ホームランを打った日について、取り上げていたのだが、王貞治「ホームラン世界記録」にまつわる日付は、不思議と、8月末~9月上旬頃に集中していたのである。

その結果、王の「ホームラン世界記録」に関する記事は、結果として、8月末~9月上旬頃に集中する事となったわけであるが、

お陰様でというか、「王貞治の『ホームラン世界記録』シリーズ」については、無事に書き上げる事が出来た。

とは言っても、「通算756号ホームラン」達成の時のセレモニーの様子など、また書き切れていない所も有るので、それについては、日を改めて書かせて頂く事としたい。

 

<毎年9~11月は、プロ野球の「優勝の季節」~毎日、プロ野球の各球団の優勝達成の日付に記事を書く事を自分に課し、「締め切り」を設定!?>

 

 

さて、「王貞治の『ホームラン世界記録』シリーズ」を書き上げた私が、

次なる目標としたのが、プロ野球の各球団の優勝にまつわる記事である。

毎年、9~11月頃は、プロ野球の優勝が決まる、所謂「優勝の季節」であるが、

私は、「今度は、プロ野球の各球団の優勝に関する記事を書こう!!」という事を、目標に定めたのであった。

 

 

 

こうして、過去のプロ野球の歴史を振り返り、各球団の優勝が決まった日付に合わせて、

各球団の優勝にまつわるエピソードを書いて行こうと、私は決めたのであるが、

これは、自らに「締め切り」を課して、ブログを更新して行く事を狙ったものでもあった。

従って、別に誰に頼まれたわけでもなく、私が勝手に始めた事ではあるのだが、

そのお陰で、9~11月にかけて、私は文字どおり、毎日、締め切りに追われ(?)、走っていたという感覚が有る。

 

 

そして、この「プロ野球優勝シリーズ」の記事も、とりあえずは一段落しているが、

まだ完結しておらず、書きかけの記事ばかりなので、

今回は、それらについて、私自身が忘れないための「備忘録」として、

そして、今後、どのような「構想」を持っているかについて、改めて、ここでまとめさせて頂きたい。

という事で、私が今書いている「プロ野球優勝シリーズ」を、日付順にご紹介させて頂く事とする。

 

<1990/9/8…「吉村禎章(巨人)、優勝決定サヨナラ本塁打~巨人V2と須藤大洋」>(完結)

 

 

「プロ野球優勝シリーズ」の初っ端に、私がまず書いたのが、

『1990/9/8…「吉村禎章(巨人)、優勝決定サヨナラ本塁打~巨人V2と須藤大洋」』という記事である。

1990(平成2)年、藤田元司監督率いる巨人が独走で優勝したが、最後は、吉村禎章サヨナラホームランで、巨人優勝が決定した。

この試合、私は現地(東京ドーム)で観戦していたという思い出が有り、その事も書かせて頂いた。

 

 

その頃、小学生だった私は、巨人ファンだったのだが、

巨人ファンだったにも関わらず、須藤豊監督率いる横浜大洋ホエールズにも惹かれ、

そろそろ巨人ファンから大洋ファンへと「転向」する「過渡期」でもあった。

その頃の、私の葛藤(?)についても、この記事では書かせて頂いたが、

この記事は「読み切り」だった事もあり、既に「完結」している。

 

<2016/9/10…広島東洋カープ、25年振り優勝~優勝までの苦節25年(前後編)>(完結)

 

 

2016(平成28)年9月10日、緒方孝市監督率いる、広島東洋カープが、1991(平成3)年以来、25年振りの優勝を達成したが、

『2016/9/10…広島東洋カープ、25年振り優勝~優勝までの苦節25年(前後編)』という記事で、

私は、その広島東洋カープの「苦節25年」の歩みを書かせて頂いた。

この記事は、「前後編」であり、一応、「完結」している。

 

<2003/9/15…阪神タイガース、18年振り優勝~暗黒の18年の苦闘(前編・中編)>(未完)

 

 

2003(平成15)年9月15日、星野仙一監督率いる阪神タイガースが、1985(昭和60)年以来、18年振りの優勝を達成した。

阪神タイガースは、1985(昭和60)年に優勝⇒日本一になって以来、長きにわたる低迷期を迎えてしまったが、

その阪神暗黒時代を経て、18年振りに優勝の栄冠を掴み取った所までを描こうと、

私は、『2003/9/15…阪神タイガース、18年振り優勝~暗黒の18年の苦闘』という記事を書いたが、

今の所、「前編」「中編」まで進んでおり、まだ「完結」はしていない。

現在、1992(平成4)年、阪神が亀山努・新庄剛志の登場で「亀新フィーバー」を巻き起こし、ヤクルトと激しい優勝争いを繰り広げ、

阪神があと一歩で優勝という所まで迫った1992(平成4)年まで書き終わっている。

その続きについても、勿論、今後書いて行くつもりである。

 

<2000/9/24…長嶋巨人の劇的優勝&高橋尚子、シドニー五輪で金メダル獲得>(完結)

 

 

2000(平成12)年9月24日、長嶋茂雄監督率いる巨人が、

「マジック1」で迎えた、東京ドームの巨人-中日戦で、

0-4と4点ビハインドの9回裏に、江藤智の同点満塁ホームランと、二岡智宏のサヨナラホームランという、

劇的な二者連続ホームランで、長嶋巨人がリーグ優勝を決めたが、この事についても、私は記事を書いた。

 

 

そして、長嶋巨人がリーグ優勝を達成したのと全く同日(2020/9/24)、

高橋尚子が、女子マラソンで金メダルを獲得するという快挙が有ったが、

その高橋尚子の金メダルについても、同じ記事で書かせて頂いた。

という事で、『2000/9/24…長嶋巨人の劇的優勝&高橋尚子、シドニー五輪で金メダル獲得』という記事は、「読み切り」であり、既に「完結」している。

それにしても、長嶋巨人の劇的な優勝と、高橋尚子の金メダルが全く同日とは、今考えても物凄い出来事であった。

 

<2002/9/24…原巨人、星野阪神に「史上初のサヨナラ負け優勝」>(完結)

 

 

2002(平成14)年9月24日、就任1年目の原辰徳監督率いる巨人は、

「マジック1」で迎えた、甲子園球場の阪神-巨人戦で、サヨナラ負けを喫したが、

マジック対象チームだった、2位のヤクルトが敗れた事により、巨人の2年振りの優勝が決定した。

『2002/9/24…原巨人、星野阪神に「史上初のサヨナラ負け優勝」』という「読み切り」の記事で、これも既に「完結」している。

 

<1999/9/25…福岡ダイエーホークス、悲願の初優勝(前編)>(未完)

 

 

1999(平成11)年9月25日、王貞治監督率いる福岡ダイエーホークスが、悲願の初優勝を達成し、

王貞治監督が、感激の胴上げを受けたが、このダイエー初優勝は、1973(昭和48)年の南海ホークス最後の優勝から数えて、ホークス26年振りの優勝でもあった。

私は、『1999/9/25…福岡ダイエーホークス、悲願の初優勝』というタイトルで、記事を書いたが、

前述の、1973(昭和48)年の南海ホークス最後の優勝から書き始め、1988(昭和63)年、南海ホークス「ダイエー」に身売りし、本拠地を福岡に移転し、「福岡ダイエーホークス」が誕生した所までを「前編」として描いている。

従って、福岡ダイエーホークスが、悲願の優勝を達成するまでの道のりは、まだこれから書く予定である。

 

<2001/9/26…北川弘敏(近鉄)、代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン>(完結)

 

 

2001(平成13)年9月26日、梨田昌孝監督率いる大阪近鉄バファローズが、12年振りの優勝を達成したが、

近鉄優勝は、北川博敏「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」という、

野球史上、空前絶後と言っても良い、超劇的な結末により、決まった。

『2001/9/26…北川弘敏(近鉄)、代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン』というタイトルで、

私は「読み切り」で、この記事を書いたが、今年(2020年)の4/24、当時の近鉄監督だった梨田昌孝氏が、コロナに倒れた時、私は、梨田氏の病状回復を祈って、この試合についての記事を書いている。

その後、梨田氏は無事に回復し、私もホッとしている次第である。

 

<1999/9/30…中日ドラゴンズ、11年振り優勝(前編)>(未完)

 

 

1999(平成11)年9月30日、星野仙一監督率いる中日ドラゴンズが、11年振り優勝を達成したが、

私は、『1999/9/30…中日ドラゴンズ、11年振り優勝』というタイトルで、

中日ドラゴンズが、第1期・星野仙一監督時代の1988(昭和63)年に優勝した所から書き始め、

現在、「前編」として、1991(平成3)年に、星野仙一監督が退任し、「第1期星野監督時代」が終わった所までを書いている。

今後は、「高木守道監督時代」「第2期星野監督時代」を描き、中日が1999(平成11)年に11年振り優勝を達成する所までを描く予定である。

 

<1967/10/1…阪急ブレーブス、球団創立32年目の初優勝(前編)>(未完)

 

 

1967(昭和42)年10月1日、西本幸雄監督率いる阪急ブレーブスが、球団創立32年目にして、悲願の初優勝を達成した。

私は、阪急の創立者・小林一三の事が好きで、このブログでも、小林一三阪急ブレーブスについては、沢山、書いて来ているが、今回は、『1967/10/1…阪急ブレーブス、球団創立32年目の初優勝』という記事で、改めて、阪急ブレーブスの球団史について書いている。

現在、1936(昭和11)年の阪急ブレーブスの球団創立~1949(昭和24)年のセ・パ両リーグ分裂までを「前編」として書いているが、

そこから、1967(昭和42)年に阪急ブレーブスが初優勝を達成するまでの道のりを、今後、このシリーズで描かせて頂きたく思っている。

 

<1960/10/2…大洋ホエールズ、奇跡の初優勝(前編)>(未完)

 

 

1960(昭和35)年10月2日、三原脩監督率いる、「万年最下位」大洋ホエールズが、奇跡の初優勝を達成したが、

現在の横浜DeNAベイスターズの前身である、大洋ホエールズの初優勝についても、私は、これまで沢山、このブログで書いて来た。

今回は、『1960/10/2…大洋ホエールズ、奇跡の初優勝』というタイトルで、大洋ホエールズの親会社・大洋漁業の創業の頃から書き始め、現在は、1954(昭和29)年に、大洋ホエールズ松竹ロビンス「合併」し、「洋松ロビンス」と改称した所までを「前編」として描いている。

それ以降、大洋は「6年連続最下位」に低迷した後、1960(昭和35)年に奇跡の初優勝を達成するわけであるが、その大洋ホエールズの奇跡の快進撃を、今後、描いて行く予定である。

 

<1978/10/4…ヤクルトスワローズ、球団創立29年目の初優勝(序章)>(未完)

 

 

1978(昭和53)年10月4日、広岡達朗監督率いるヤクルトスワローズが、球団創立29年目にして、悲願の初優勝を達成したが、私は、ヤクルトの球団史に関する記事も、これまで沢山、このブログで書いて来た(※私は、ヤクルトも結構好きな球団である)。

今回は、『1978/10/4…ヤクルトスワローズ、球団創立29年目の初優勝』というタイトルで記事を書いたが、

明治時代初期の、日本の鉄道の幕開けから、鉄道と野球の関わりについても書き、

現在は、1950(昭和25)年に、ヤクルトスワローズの前身・国鉄スワローズが、セ・リーグに加盟する所までを描いている。

この記事は長くなりそうなので、「序章」とさせて頂いているが、今後、国鉄~アトムズ~ヤクルトの苦闘の歴史と、ヤクルト初優勝までの道のりを、描かせて頂く予定である。

 

<1996/10/6…長嶋巨人「メークドラマ」完結!奇跡の大逆転優勝(前編)>(未完)

 

 

1996(平成8)年10月6日、長嶋茂雄監督率いる巨人は、

夏場に、首位・広島東洋カープから付けられた、最大11.5ゲーム差を大逆転し、長嶋巨人が劇的な逆転優勝を飾った。

所謂、長嶋巨人「メークドラマ」であるが、私は『1996/10/6…長嶋巨人「メークドラマ」完結!奇跡の大逆転優勝』と題して、1980(昭和55)年、巨人を率いていた長嶋茂雄監督が、無念の「解任」をされた所から書き始め、

現在は「前編」として、1993(平成5)年に、長嶋茂雄が巨人監督に「復帰」する所までを描いている。

今後、長嶋巨人が、如何にして「メークドラマ」を達成したのか、その道のりを描いて行く予定である。

 

<1988/10/7…中日ドラゴンズ、6年振り優勝~星野ドラゴンズ初V(前編)>(未完)

 

 

1988(昭和63)年10月7日、星野仙一監督率いる中日ドラゴンズが、6年振り優勝を達成した。

中日ドラゴンズは、1982(昭和57)年に、近藤貞雄監督の下、優勝して以来、6年間、優勝から遠ざかっていたが、

1988(昭和63)年、当時42歳の青年監督・星野仙一が、見事に中日を優勝に導いた。

今回は、『1988/10/7…中日ドラゴンズ、6年振り優勝~星野ドラゴンズ初V』と題して、

1982(昭和57)年の中日優勝から、1987(昭和62)年に星野仙一が監督に就任する所までを「前編」として描いている。

その後、1988(昭和63)年の中日優勝の道のりを描いて行く予定である。

 

<1994/10/8「10.8」決戦&1998/10/8「横浜38年振り優勝」>(完結)

 

 

私が、このブログで「プロ野球優勝シリーズ」の一連の記事を書いたのは、

今年(2020年)の9~11月にかけてだったが、実は、昨年(2019年)にも、プロ野球の優勝に関する記事を書いた。

昨年(2019年)の10/8、私は『1994/10/8「10.8」決戦&1998/10/8「横浜38年振り優勝」』というタイトルで、

1994(平成6)年10月8日、長嶋巨人と、高木守道監督率いる中日ドラゴンズが、

全くの同率首位で最終戦で激突した、所謂「10.8」決戦について、描かせて頂いた。

この「10.8」決戦の当時、私は高校生だったが、未だに、強烈な印象に残っている出来事である。

 

 

そして、その『1994/10/8「10.8」決戦&1998/10/8「横浜38年振り優勝」』という同じ記事で、

「10.8」決戦から4年後の、1998(平成10)年の横浜ベイスターズ38年振り優勝達成についての記事も書かせて頂いた。

つまり、「10.8」という日付に着目し、巨人VS中日の「10.8」決戦と、横浜ベイスターズ38年振り優勝という2つの出来事を「抱き合わせ」で描いたわけであるが、この記事は「読み切り」で既に「完結」している。

 

<1998/10/8…横浜ベイスターズ、38年振り優勝① ~1998年の思い出~>(未完)

 

 

さて、それから1年後、今年(2020年)の10/8にも、

私は、横浜ベイスターズ38年振り優勝についての記事を書いた。

何度も何度も、同じネタばかり書いて申し訳無いが(?)、私はベイスターズファンなので、そこはご勘弁頂きたい。

それはともかく、今回の記事は『1998/10/8…横浜ベイスターズ、38年振り優勝① ~1998年の思い出~』というタイトルで、1998(平成10)年の横浜ベイスターズ38年振り優勝と、私個人の思い出なども書かせて頂いたが、

この記事の本編でも書かせて頂いた通り、今後は、改めて、1960(昭和35)年の大洋ホエールズ初優勝から、1998(平成10)年の横浜ベイスターズ38年振り優勝までの道のりを、描いて行く予定である。

 

<1992/10/10…ヤクルトスワローズ、14年振り優勝(第1話)>(未完)

 

 

1992(平成4)年10月10日、野村克也監督率いるヤクルトスワローズが、1978(昭和53)年の初優勝以来、14年振りの優勝を達成した。

前述の通り、1978(昭和53)年に、ヤクルトは広岡達朗監督の下、球団創立29年目の初優勝を達成したが、

ヤクルトは、そこから再び弱小球団に逆戻りしてしまった。

という事で、今回は、『1992/10/10…ヤクルトスワローズ、14年振り優勝(第1話)』というタイトルで、

まずは、1978(昭和53)年の広岡ヤクルト初優勝と、その翌1979(昭和54)年の最下位転落について、「第1話」として描いた。

今後、恐らく何話かに分けて、ヤクルトが1992(平成4)年に14年振りの優勝を達成する所までを、描いて行く予定である。

 

<2006/10/10…落合中日ドラゴンズ、2年振り優勝(前編)>(未完)

 

 

2006(平成18)年10月10日、落合博満監督率いる中日ドラゴンズが、2年振り優勝を達成した。

今回は、『2006/10/10…落合中日ドラゴンズ、2年振り優勝』と題して、

落合博満の現役時代や、1994(平成6)年の「10.8」決戦、

そして、前任の山田久志監督の後を受け、落合博満が中日監督の座を引き継いだ2003(平成15)年シーズンオフ、

そして、2004(平成16)年に、就任1年目の落合監督が、中日を優勝に導いた所までを「前編」として描いた。

今後は、2006(平成18)年の落合ドラゴンズ2度目の優勝までを、描いて行く予定である。

…という事で、「プロ野球優勝シリーズ」の記事をご紹介するだけでも、長くなってしまったが、

その「プロ野球優勝シリーズ」のご紹介は、まだ続くので、それについては、また次回。

(※「プロ野球優勝シリーズ」の紹介記事も、分量が多く、「前後編」になってしまったが、悪しからず)

 

 

(つづく)