【当ブログ開設7周年】2013/5/22…「頑張れ!法政野球部」開設~このブログの「歴史」 | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

法政大学野球部を中心として、東京六大学野球についての様々な事柄について、思いつくままに書いて行くブログです。
少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

今から7年前、2013(平成25)年5月22日、私はこのブログ「頑張れ!法政野球部」を書き始めた。

つまり、本日(5/22)は、このブログの開設記念日(?)である。

このブログを始めて、本日(5/22)で、ちょうど7年が経ったという事になる。

 

 

昨年(2019年)のこの日(5/22)も、私は、このブログが誕生したキッカケについての記事を書いたが、

今年(2020年)も、その事について、書かせて頂きたい。

そもそも、私はこのブログは、2013(平成25)年春の東京六大学野球で、

法政と明治が勝ち点4同士で激突した、優勝をかけた「最終決戦」を記録したいがために、書き始めたのである。

勿論、最後は法政優勝を祝福する記事を書くつもりだったというのは、言うまでも無い。

というわけで、今回は2013(平成25)年春の「法明V決戦」の思い出と、このブログの、その後の歩みについて、書きたいと思う。

 

<2013(平成25)年春の東京六大学野球~法政と明治が快進撃で、「勝ち点4」同士で法明戦を迎える!!>

 

 

2013(平成25)年春の東京六大学野球は、今思い返してみても、本当に熱い展開だった。

我が母校・法政と、法政の永遠のライバル・明治が、共に快進撃を続け、

法政と明治が、最終カードまで1つも勝ち点を落とさず、「勝ち点4」同士で、最終決戦である「法明戦」を迎えたのである。

早稲田と慶応の対決である「早慶戦」は、何処か華やかな雰囲気であり、「華の早慶戦」と称されているが、

法政と明治が激突する「法明戦」は、「血の法明戦」という、何とも物騒な呼び名で呼ばれている。

つまり、「法明戦」とは、それだけお互いにとって、絶対に負けられない戦いという事である。

 

 

「法明戦」は、毎回、血みどろの「死闘」を繰り広げ、どちらが勝っても、お互いに精も魂も尽き果てるような、凄まじい戦いになる事が多い。

そんな風に、ただでさえ激しい戦いになる「法明戦」が、「勝ち点4」同士で激突し、お互いに「勝ち点を取った方が優勝」という「決戦」になったのだから、これで盛り上がらない筈が無い。

当時、私は本当にワクワクしていた。

 

<2013(平成25)年春の法政野球部~開幕直前、金光興二監督が「クーデター」で「追放」されるも、選手達が結束し、「開幕8連勝」で「4カード連続ストレートで勝ち点」の快進撃!!>

 

 

 

では、2013(平成25)年春の東京六大学野球で、「法明戦」を迎える前の両校の戦いぶりについて、ご紹介させて頂く。

まずは、法政についてである。

既に、この事については、当ブログでも何度も書いているが、

この年(2013年)の法政は、開幕直前に、金光興二監督が、何とも不可解な、選手達による「クーデター」により「追放」され、

当時、法政の助監督を務めていた神長英一が、急遽、代理監督として指揮を執る事となった。

「こんなゴタゴタが起こるようでは、今年の法政はダメだな」

と、私も含め、法政ファンは皆、思っていたが、その予想に反して、法政は快進撃を見せた。

 

4/13 法政○10-1●東大 船本

4/14 法政○9-3●東大 石田

4/27 法政○6-3●慶応 船本

4/28 法政○4-0●慶応 石田

5/4 法政○10-1●立教 船本

5/5 法政○2-1●立教 石田

5/18 法政○9-2●早稲田 石田

5/19 法政○9-3●早稲田 船本

 

(※スコアの右横の人名は、法政側の責任投手)

 

 

選手達が自ら、金光監督を追い出すという挙に出た法政は、

ここで結果を出せなかったら、何を言われるかわからないという「危機感」が、良い方向に作用したのか、

法政は、東大、慶応、立教、早稲田の4カードを、全てストレートの連勝で破り、無傷の「開幕8連勝」で、「勝ち点4」を奪う快進撃を見せた。

このシーズンの法政は、とにかく強力打線が爆発し、圧倒的な強さを見せていた。

そして、法政の選手達は「優勝」という目標に向かって、一致結束していた。

勿論、私も法政の快進撃はとても嬉しく、「法政の優勝、間違い無し!!」と、「確信」していた。

 

<2013(平成25)年春の「法政の快進撃」を、1人、苦々しい思いで見ていた、十勝花子さん>

 

 

しかし、この2013(平成25)年春の「法政の快進撃」を、1人、苦々しい思いで見ている人が居た。

それが、金光興二・前監督とは、彼の学生時代から親交が深かったという、十勝花子さんである。

彼女は、前述の金光監督の「追放劇」を、現役の法政野球部の部員達が、

法政のOB会に焚きつけられた事により、扇動されたものであると見ていた。

十勝花子さんは、金光監督時代、金光監督を応援するため、1試合も欠かさず、法政の応援に来ていたというが、

そんな金光監督が、開幕直前に、いきなり監督をクビになったという事が、許せなかったという。

 

 

私は、後に、十勝花子さんに「インタビュー」させて頂き、その記事を、このブログに掲載した事が有ったが(※2014年10月)、

その時も、十勝さんは「大体、やり方が汚いわよ」と、金光監督下ろしの「クーデター」に、大変憤っていたものである。

東京六大学ともなると、OBが幅を利かせ、現役の部に対して、色々と口を出して来る事も多々あるようであるが、

法政野球部は、特にその傾向が強かったようである。

そして、十勝花子さんが一番怒っていたのは、

「神長さんが、あの8連勝を、まるで自分の手柄のような顔をして、金光さんに対し、感謝のカの字も無かった事よ」

という事であったが、野球というのは、結果を出した者勝ちな所も有る。

というわけで、そういうゴタゴタも有ったが、法政は圧倒的な強さで、優勝に「王手」をかけていた。

果たして、法政はこのまま、スンナリと優勝を決めてしまうのであろうか!?

 

<2013(平成25)年春の明治野球部~大苦戦の連続ながらも、東大戦以外は全て2勝1敗で勝ち抜き、「勝ち点4」をもぎ取る!!>

 

 

さて、2013(平成25)年春の「法明V決戦」の、もう一方の当事者である明治であるが、

このシーズンの明治は、法政とは対照的な戦いぶりであった。

明治は、苦戦の連続であり、どうにかこうにか、苦労しながらも「勝ち点」を積み重ねていた。

 

4/20 明治○5-3●立教 山崎

4/21 明治●0-1○立教 関谷

4/22 明治○1-0●立教 山崎

4/27 明治●1-10○早稲田 山崎

4/28 明治△2-2△早稲田

4/29 明治○9-1●早稲田 山崎

4/30 明治○5-1●早稲田 関谷

5/12 明治○10-0●東大 山崎

5/13 明治○2-0●東大 関谷

5/18 明治●3-5○慶応 山崎

5/19 明治○4-0●慶応 関谷

5/21 明治○2-0●慶応 山崎

 

(※スコアの右横の人名は明治側の責任投手)

 

 

ご覧の通り、明治は、東大戦に連勝した以外は、全て2勝1敗という激闘を制しており、

明治は、粘りに粘って、どうにか「勝ち点4」をもぎ取って来ていた。

明治は、早稲田戦、慶応戦では、初戦を落としながらも、その崖っぷちから、その後に連勝して「勝ち点」を奪取していた。

まさに「粘りの明治」の面目躍如であった。

 

<2013(平成25)年5月21日…明治が慶応を2-0で破り、「勝ち点4」!!この瞬間、法政VS明治の「勝ち点4」同士の「法明V決戦」が実現!!~そして、日付が変わった5月22日未明、私が「頑張れ!法政野球部」を書き始める>

 

 

前述の通り、2013(平成25)年春、法政は無傷の「開幕8連勝」で、優勝を目前にしていた。

そして、法政以外で優勝の可能性が有ったのは、この時点では「勝ち点3」の明治だけになっており、

その明治も、もし慶応に勝ち点を落とせば、その時点で法政の優勝が決定するという、まさに崖っぷちの状態であった。

しかし、明治は5/18に、慶応との初戦を3-5で落としながら、翌5/19に明治は慶応を4-0で破り、

雨天中止で1日置いた5/21、明治は慶応を2-0で破った。

この瞬間、明治も「勝ち点4」となり、法政と明治が、遂に「勝ち点4」同士で並んだ。

 

 

私は、「法政と明治が、勝ち点4同士で並んだ」という事実に、大変ワクワクしていた。

長年、東京六大学野球を見て来たが、私にとって、法政と明治が「勝ち点4」で並び、「法明戦で、勝ち点を取った方が優勝」というシチュエーションは、ずっと夢見て来た事だったからである。

その「長年の夢」が、遂に実現したとあって、私は本当に嬉しかったものである。

明治が負けて、法政の優勝が決まるよりも、「法政と明治の最終決戦で、勝った方が優勝」という対決が実現する事の方が、当時の私にとっては、最重要な事であった。

そして、「勝ち点4同士の法明V決戦」が実現する事が決まった、この日、私は「頑張れ!法政野球部」というブログを書き始めた。

最初の記事をアップしたのが、日付が変わった2013(平成25)年5月22日未明の事である。

 

 

 

ところで、さっきから私が画像をアップしている、法政と明治のイメージキャラクター(?)は、一体、何なのかといえば、

法政は、環境活動改善推進のキャラクターとして、2008(明治20)年に学内公募で誕生した「えこぴょん」であり、

明治は、2007(平成19)年に、学生や教職員による学内公募で誕生し、「明治」と、森の賢者「ふくろう」を併せた名前を意味する「めいじろう」である。

今や、法政と明治を代表するキャラクター(?)としてお馴染みの「えこぴょん」と「めいじろう」も、2013(平成25)年春の「法明V決戦」を、待ち望んでいたに違いない。

というわけで、私は「法明V決戦」を記録するため、このブログを書き始め、タイトルも「頑張れ!法政野球部」としたが、

勿論、最終的には、私は法政が優勝するであろう事を全く疑っていなかったし、法政の優勝を祝福する記事を書く事こそが、このブログを始めた動機の全てであった。

こうして、2013(平成25)年春、運命の「法明V決戦」の時はやって来た。

 

<2013(平成25)年5月25日(土)…「法明V決戦」第1ラウンド~「法政〇9-5●明治」法政打線が爆発し、法政が「開幕9連勝」で優勝に「王手」!!>

 

 

2013(平成25)年5月25日(土)、遂に「勝ち点4同士」の「法明V決戦」の火蓋が、切って落とされた。

勿論、私も朝早くから神宮球場へ行き、法政を応援する観戦仲間の方達と一緒に、一塁側の法政の応援席に陣取り、法政野球部に声援を送った。

この日(5/25)、神宮の空は好天に恵まれ、この大一番を一目見ようと、法政側(一塁側)も明治側(三塁側)も、応援席はギッシリ超満員であった。

 

 

 

そして、「法明V決戦」の第1戦は、法政打線が爆発し、

一時、法政は2-5と明治にリードを許しながらも、法政は終盤に猛打で試合を引っ繰り返し、

法政が9-5で明治を破り、これで法政は「開幕9連勝」で、早くも優勝に「王手」をかけた。

「これで、法政の優勝は間違い無いな!!」

私は、早速、始めたばかりのブログで、この試合の「観戦記」を書いた。

明日(5/26)、法政が明治に勝てば、1982(昭和57)年春、1985(昭和60)年春に続き、

法政史上3度目となる「10戦全勝」で、法政の優勝が決まる。

「頑張れ!法政野球部」は、ブログを始めて数日目にして、早くも、最大の目的である、「法政優勝の祝福記事」を書く事になりそうだと、私は思っていた。

 

 

一方、法政打線に「粉砕」された明治は、早くも崖っぷちに追い込まれた。

この分だと、ここから明治が引っ繰り返すのは、相当難しいのではないか…。

明治の人達も、この時はそう思っていたに違いない。

しかし、2013(平成25)年春の明治は、このまま引き下がるような、ヤワなチームではなかった。

ここから、明治は凄まじい「闘志」で、反撃に転じるのである。

 

<2013(平成25)年5月26日(日)…「法明V決戦」第2ラウンド~「法政△5-5△明治」一進一退の白熱の攻防戦、「死闘」の末に、プロ併用日ため、9回で5-5の引き分け~法政は、終盤に逆転を逃し、惜しくも勝利成らず>

 

 

 

2013(平成25)年5月26日(日)、「法明V決戦」の第2戦を迎えた。

法政は、この試合に勝てば優勝であり、明治としては、「負けたら終わり」の試合である。

そして、この日(5/26)は、プロ野球の試合との併用日であり、東京六大学野球は、規定により延長戦が無く、9回で打ち切りとなる。

この事が、この試合にとって重要な意味を持つのであるが、この日(5/26)は、前日(5/25)とは逆に、法政が三塁側、明治が一塁側であり、

この試合も、法政も明治も、応援席は超満員になっていた。

勿論、私もこの試合でも神宮に来て、法政野球部を応援する観戦仲間の方達と一緒に、法政を応援した。

自慢じゃないが、私は学生の頃から、法政の優勝がかかった試合を見に来て、法政が優勝を逃したという事は、それまで一度も無かった。

つまり、法政は必ず私の期待に応え、優勝を決めてくれていたのである。

勿論、私はこの試合でも、「必ず、法政は優勝する!!」と信じて疑わず、ワクワクしながら、法政の優勝が決まる、歓喜の瞬間を待ち望んでいた。

 

 

 

「法明V決戦」の第2戦は、凄まじい展開になった。

法政が3回表に3点を先取し、その後、法政は3-5と明治に逆転を許し、3-5と法政の2点ビハインドで迎えた8回表、

法政は猛反撃に転じ、5-5の同点に追い付き、なおも1死満塁という絶好のチャンスを迎えた。

 

 

 

この場面で、法政は、とっておきの代打・伊藤諒介を送り込んだ。

伊藤が打って逆転すれば、法政は一気に優勝に近付く。

法政側の応援席のボルテージは最高潮に達した。

ここで、伊藤諒介は、明治・山崎福也の球を弾き返し、あわやセンター前へ抜けようかという当たりを放ったが、

山崎が、見事な反応を見せ、この鋭い当たりを右手のグラブに収めると、捕手に送球しアウト、捕手から一塁へ転送されダブルプレーになり、法政の大チャンスは一瞬にして潰えた。

「あーっ!!」

法政側の応援席は大きな溜息につつまれ、そして皆、落胆したが、この後、試合は5-5のまま引分けに終わった。

前述の通り、プロ併用日のため、延長戦が無かったのである。

私は、ともかく「法政は負けなくて良かった。流れは、まだ法政に有る」と、この引き分けを前向きに捉え、ブログの「観戦記」にも、そのように書いたが、後から思えば、法政がこの時、一気に逆転出来なかった事で、明治は命拾いし、流れは明治に傾いて行く事となったのである。

 

<2013(平成25)年5月27日(月)…「法明V決戦」第3ラウンド~「法政●3-6明治〇」法政が明治に完敗し、明治が優勝に「逆王手」~勝負は、「勝った方が優勝」という「真の最終決戦」へ…>

 

 

 

2013(平成25)年5月27日(月)、「法明V決戦」は第3戦を迎えた。

私の「予定」では、法政はとっくに優勝を決めているつもりだったのに、「法明戦」は平日にもつれ込んでしまった。

しかし、私は都合を付けて、この日(5/27)も神宮にやって来た。

この試合も、法政を応援する観戦仲間の方達と一緒に試合を見たが、この試合では、再び法政が一塁側、明治が三塁側となった。

そして、試合前に、観戦仲間の内の1人の方(女性)が、「法政が勝つように」という願いを込めて、仲間内の全員に「カツサンド」を差し入れていた。

もはや、願掛けでも何でもして、何としても法政が勝って欲しいという、「神頼み」のような心境だったのかもしれない。

 

 

 

だが、この試合は、終始、明治の一方的なペースで試合が進み、

法政は、終盤に反撃したものの、結局、法政は3-6で明治に「完敗」を喫してしまった。

これで、「法明V決戦」は1勝1敗1分という、全くの五分と五分になり、勝負は「勝った方が優勝」という、「真の最終決戦」へと持ち越された。

明治は、このシーズン、遂に1勝1敗のまま最終決戦に持ち込む事、4度目という「粘り腰」である。

事ここに至って、流石に私も「これは、いよいよヤバイかも…」と、焦りを感じていた。

何しろ、この第3戦は、法政は全く良い所無く、むざむざと明治に負けてしまったからである。

どうやら、流れは完全に明治に傾いてしまったと、私も認めざるを得なかったが、こうなったら、最後の最後まで、法政の勝利を信じて、応援するのみであると、私も腹を括っていた。

 

<2013(平成25)年5月28日(火)…「法明V決戦」第4ラウンド(最終ラウンド)~「法政●2-3〇明治」~法政が明治との死闘に敗れ、明治の優勝が決定~明治優勝の瞬間を、呆然と三塁側スタンドで見つめていた私>

 

 

2013(平成25)年5月28日(火)、「法明V決戦」は、遂に第4戦を迎えていた。

1勝1敗1分で迎えていたため、法政と明治は、「この試合で勝った方が優勝」である。

まさに、正真正銘の最終決戦であるが、私も、「絶対に法政の優勝を見るんだ!!」という一心で、この日(5/28)も神宮に来た。

この日(5/28)の神宮の空模様は、今にも雨が降って来そうな、どんよりとした、重苦しい天気だったが、私の心境も、まさにそんな感じであった。

この試合は、法政は三塁側、明治は一塁側であり、私も4日連続で、法政を応援する観戦仲間の方達と一緒に、試合を見守った。

 

 

この最終決戦も、終盤まで、どちらが勝つかわからない、緊迫した展開になったが、

1-1の同点で迎えた4回表、法政は畔上翔が、センターのバックスクリーンへ、特大のホームランを放ち、法政が2-1とリードした時は、

三塁側の法政応援席からは大歓声が起こり、法政の応援団長が「遂に、法政が優勝する時が来た!!」と、応援席に向かって高らかに「宣言」していた。

 

 

 

だが、明治はここから、またしても驚異の粘り腰を発揮し、6回裏、明治は2-2の同点に追い付くと、

2-2の同点で迎えた8回裏、明治は遂に3-2と1点を勝ち越した。

この勝ち越し点は、法政の三塁手・佐藤竜が、サード正面の鋭い当たりを、大きく後逸してしまう間に、二塁ランナーにホームインを許すという、痛恨の失点であった。

この時、法政応援席からは、一斉に悲鳴が上がり、頭を抱えて、うずくまる人も居た。

そして、これが決勝点となり、結局、法政は2-3で明治に敗れ、遂に「法明V決戦」は明治に凱歌が上がり、明治の優勝が決まったのである。

 

 

 

9回表2死、法政の最後の打者・皆川普がレフトフライに打ち取られ、ゲームセットになり、明治の優勝が決まった瞬間、

一塁側の明治応援席から、一斉に大歓声が起こり、明治のスクールカラーである、紫のテープが一斉に投げ込まれたが、

法政応援席に居た人達は、遂に投げられる事は無かった、法政のスクールカラーであるオレンジの紙テープを握りしめたまま、明治の歓喜の瞬間を、呆然と眺めていた。

私も、呆然自失の状態で、明治優勝の瞬間を見ていたが、あのカツサンドを差し入れてくれた、観戦仲間の1人の女性の方は、悔し涙を流していた。

そして、私の隣に居た、もう1人の観戦仲間(男性)の方は、「取りこぼしです…」と一言、呻くように言葉を発した。

この後、足取り重く、家に帰った私は、法政が敗れ、優勝を逃したという内容の「観戦記」を書き上げた。

本当に悔しくてならなかったが、今思えば、書く事によって、気持ちを落ち着ける事が出来た、という面は有ったかもしれない。

こうして、2013(平成25)年春の、歴史的な「法明V決戦」は、幕を閉じた。

 

<「怪物・江川卓の野球人生」~このブログで初めての「連載記事」を書く>

 

 

私は、「法政の優勝記事を書く」という、最大の目標を果たす事が出来なかったが、

ブログを書き始めた以上、何か書こうと思い、「怪物・江川卓の野球人生」という「連載記事」を書き始めた。

現在、私はこのブログで、いくつも「連載」を書いているが、その初めての連載記事が、法政野球部の大スター・江川卓の物語である。

しかし、その後、法政野球部は全然優勝出来なくなり、私はこのブログを、暫く「放置」していた時期も有った。

 

<2018(平成30)年秋…法政野球部、6年振り優勝!!~遂に「法政の優勝記事」を書くという「念願」が叶う>

 

 

2018(平成30)年秋の東京六大学野球で、法政野球部は、長きにわたる低迷を乗り越え、

遂に法政は6年振りの優勝を達成した。

この時は、法政、慶応、早稲田が三つ巴で激しい優勝争いを繰り広げ、法政が最後の最後で優勝するという、劇的なシーズンとなった。

 

 

 

この時、あの2013(平成25)年春の「法明V決戦」で、最後に法政が負けた時、

「取りこぼしです…」と呻いていた、あの観戦仲間の方が、「ブログ、また書かないの?」と、私に言ってくれた。

私は、「勿論、書きますよ!!」と答え、遂に、このブログ始まって以来の念願である、「法政の優勝記事」を書いた。

そして、このシーズンの「観戦記」や、法政の優勝パレードの記事などを、一気に書き上げた。

つまり、法政の久々の優勝が、新たなモチベーションになったのである。

やはり、私にとって、法政野球部は特別な存在なのであった。

 

<2018(平成30)年秋…「ボヘミアン・ラプソディと法政黄金時代」を書く~以後、このブログの「スタイル」が定まる!?>

 

 

2018(平成30)年秋、法政が久々に優勝した頃、

映画『ボヘミアン・ラプソディ』が大ヒットしていた。

『ボヘミアン・ラプソディ』は、伝説のバンド・QUEEN(クイーン)を描いた映画だったが、

QUEEN(クイーン)の全盛期と、法政野球部の全盛時代(1970~1980年代)は、ちょうど時期が同じだ!!」

という事に、私は目を付け、このブログで、私は「ボヘミアン・ラプソディと法政黄金時代」というシリーズ記事を書いた。

以来、私は、野球ネタと芸能ネタをくっつけたような「連載」を、いくつも書くようになったが、

そういう意味では『ボヘミアン・ラプソディ』も、私にとっては重要な転機であった。

というわけで、今後も、更に良い記事が書けるよう、精進(?)して行くつもりなので、皆様、今後とも宜しくお願い致します!!