本日(5/20)、誠に残念な事であるが、今年(2020年)の「全国高校野球選手権大会」、所謂「夏の甲子園」の中止が決定された。
「夏の甲子園」の中止は戦後初であり、春夏ともに甲子園大会が中止になったのは、史上初の事である。
この事についての、私の率直な意見としては、本当に残念としか言いようが無く、
当事者である高校球児の気持ちを考えると、その心境は、察するに余りある。
彼らの、やるせない気持ち、虚しさ、そして、やり場の無い憤りなどを考えると、胸が痛む。
当事者ではない私としては、彼らの気持ちを100%わかる事は出来ないが、それでも、野球ファンとして大変残念であるし、
また、かつては10代だった人間の1人として、彼らの気持ちは、痛いほど、よくわかる。
「どうして、こんな事になってしまったのか…」
と、私も、どのように気持ちを整理すれば良いのか、わからない。
ましてや、高校野球に全てを懸けていた彼らは、こんな事になってしまい、本当にショックだと思う。
というより、この現実を受け止めきれず、呆然としている人が殆んどではないだろうか。
<私の身近な女性の意見①~職場の同僚の女性(野球好き)「残念だけど、若い子の健康を思えば、仕方無いんじゃない?」>
このように、私は高校野球好きとして、高校球児の立場に立ち、
どちらかといえば、高校球児の側の気持ちに近い心情で、今回の「夏の甲子園中止」のニュースを受け止めた。
しかし、他の人の意見も聞いてみたいと思い、何人かに意見を聞いてみる事にした。
まず、私の職場の同僚の女性で、大変野球好きな方の意見をご紹介する。
その人は、プロ野球も高校野球も好きであり、球場にもよく見に行くような人であるが、
彼女は、今回のニュースを聞いて「残念だけど、仕方無いんじゃない?」との事であった。
その人は、小さいお子さんが居るのであるが、
彼女曰く、「今年は、こんな状況だし、仕方ないと思う。若い子の健康の方が大事だと思うよ」と、言っていた。
なお、そのお子さんも、コロナ禍により休校が続き、学校にも行けていない状態が続いている。
従って、普通に学校も再開出来ていない状況であり、学校行事も全部中止になっている非常事態である今、
「残念だけど、今年は甲子園は出来ないと思ってたよ」との事であった。
また、子供の学校はどうなってしまうのか、その事も大変心配していた。
そう、今年はコロナのせいで、学校も正常に授業が出来ず、メチャクチャな状態になっている。
学校教育は、果たしてどうなってしまうのか、私としても、凄く心配である。
そういった状況を鑑みて、「中止も、やむを得ない」という意見であった。
私も「うーん、そうだね…」と答えた。
<私の身近な女性の意見②~私の母親の意見「私の若い頃、東大の入試が中止になった事が有った。あの時も、東大に行ける実力が有りながら、入試が無くて行けない人が沢山居た」「何十年かに一回、そういう風に、世の中が大変な事になって、どうにもならない不可抗力で、理不尽な目に遭ってしまう事も有るのよ」>
次に、私は電話で、私の母に、今回の「夏の甲子園中止」の事について、聞いてみた。
ちなみに、私の母は、野球にはあまり興味は無い。
従って、予想どおりの反応というか、「こんな状況だし、仕方無いんじゃないの?」との意見であった。
それは予想どおりだったのだが、母はこんな事も言っていた。
「私の若い頃、東大の入試が中止になった事が有ったのよ。あの時を思い出したわよ」
そう、当時は東大をはじめ、日本全国で「学園紛争」が激化し、日本中が騒然としていた時代であった。
そして、東大闘争の激化により、1969(昭和44)年、東大の入試が中止になってしまったのである。
その事は勿論、私も知ってはいたが、その東大入試の中止と、今回の件は、一体どう繋がるのか?
私の母は、更にこう続けた。
「あの時、東大に行ける実力が有りながら、東大の入試が無くなって、行けない人が沢山居たのよ。その人達は、どんなに悔しい思いをした事か…。私の周りにも、そういう人は沢山居たわよ。私には、あまり関係無かったけどね(笑)」
「小さい頃から、東大に入る事を目指して、必死に努力して来たのに、入試が無くなって、挑戦するチャンスすら無くなってしまったのよ。たまたま、その年に高校3年生だったばかりに…。あれは、本当に可哀想だったわね」
「とにかく、何十年かに一回、そういう風に、世の中が大変な事になって、どうにもならない不可抗力で、理不尽な目に遭ってしまう事も有るのよ。今回の件も、それに近いわよね。可哀想だけど、世の中、そういう事も起こり得るって事なのよ」
と、私の母は、「東大入試中止」と、今回の「夏の甲子園中止」は、当事者である高校生達の力では、どうにもならない部分で、挑戦する舞台が奪われた、という点では同じだと言っていたのであった。
では、東大の入試が中止になってしまった事により、東大を受験出来なかった人達は、どうしたのかと言えば、
「浪人して、東大を目指した人も居れば、泣く泣く東大を諦めて、他の大学に行った人も居た。他の大学に行って、仮面浪人する人も居たし、人それぞれだったけど、みんな共通してたのは、起こった事は仕方無いから、それぞれの進む道を、自分で決めたって事よ」
と、母は言っていた。
つまり、気持ちを切り替えるのは、皆、大変だったが、それでも時間は進むのだから、みんな前に進むしか無いのだという事を、母は言いたかったようである。
この話を聞き、私は「なるほどね…」と、目指す目標が無くなっても、結局は先に進むしか無いのだという事に、気付かされた思いであった。
ともかく、当時の事をリアルタイムで体験していた人の話というのは、大変、重みが有った。
<私の身近な女性の意見③~私が付き合っている女性・A子さんの意見「高校球児が可哀想っていうのはわかるよ。でも、それって高校球児の側からだけの見方だよね。甲子園大会というのは、大会を運営して、その場を用意する人達の努力が有ったからこそ、大会が開けてたわけでしょ」「去年までは、それが成立する状況だったけど、今年は、それが難しいのだったら、仕方無いと思う。大会を開く側と、参加する側が揃って初めて、大会というのは成立するものじゃない?」>
そして、今回の件で、私が最も感心した意見をご紹介させて頂く。
私が今、お付き合いしている女性(仮に、A子さんとしておく)に、今回の「夏の甲子園中止」について聞いてみた(※ちなみに、その人も、野球にはあまり興味は無い)。
すると、A子さんは、大変、理性的な意見を言った。
「高校球児が可哀想っていうのはわかるよ。でも、それって高校球児の側からだけの見方だよね。甲子園大会というのは、大会を運営して、その場を用意する人達の努力が有ったからこそ、大会が開けてたわけでしょ」
A子さんは、まず、そういう事を言った。
高校球児が可哀想だというのは、勿論、心情としてはわかるが、それだけでは、見方が一面的ではないかというのである。
大会を運営する側にも、目を向けるべきであると、A子さんは言いたいようである。
更に、彼女は、こう続けた。
「去年までは、それが成立する状況だったけど、それが難しいのだったら、仕方無いと思う。大会を開く側と、参加する側が揃って初めて、大会というのは成立するものじゃない?」
何と素晴らしく、理知的な意見なのであろうか!
私は、A子さんの意見に、心底、感心してしまった。
彼女は、「高校球児のみんなも、今はガッカリしてると思うけど、大会を開く側だって大変なんだし、大会が当たり前に開かれるとは限らないって事だよね。去年までは、幸いにも、それが毎年続いてたけど、大会を開く側が、今年については、それが出来ない状況なんだよっていう事を、高校球児のみんなに噛み砕いて言ってあげる大人の人が、居て欲しいな」とも言っていた。
そして、「全国大会が難しいなら、例えば、地域ごとに小さな大会を開いてあげるとか、そういう建設的な方向で、考えてみたらどうかな?」という、「代替案」をも出していた。
という事で、三者三様、皆、素晴らしい意見ばかりだと思うのだが、いかがであろうか?
私は、彼女達の意見に、本当に感心してしまったが、それと同時に、人の意見に耳を傾けるという事の大切さも学んだのである。
これからも、私はこの事を心がけて行きたいと思った次第である。