「野球以外の」東京六大学の有名人・著名人④【法政大学・アナウンサー(フジ・テレ朝・テレ東)編】 | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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法政大学野球部を中心として、東京六大学野球についての様々な事柄について、思いつくままに書いて行くブログです。
少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

「野球以外の」東京六大学の有名人・著名人をご紹介するシリーズをお送りしているが、

前回は、私の母校・法政大学「アナウンサー(NHK・日本テレビ・TBS)編」をお送りした。

今回は、その続編として、法政大学の「アナウンサー(フジテレビ・テレビ朝日・テレビ東京)編」を書かせて頂きたい。

 

 

1988(昭和63)年、法政大学社会学部教授・稲増龍夫を最高顧問として誕生した「法政大学自主マスコミ講座」(以下、「自主マス」)は、マスコミ業界に、数々の人材を送り込み、今や、ある意味では「法政の顔」と言っても良い存在となっている。

なお、ご覧の写真は、左側は法政の現総長・田中優子女史であり、右側が、「自主マス」の仕掛け人・稲増龍夫である。

というわけで、法政出身のアナウンサー列伝、「フジテレビ・テレビ朝日・テレビ東京編」を、ご覧頂くとしよう。

 

<法政出身のアナウンサー・フジテレビ編①~法政大学⇒アナウンサーへの道の「開拓者」小島奈津子~同期は西山喜久恵(上智大学OG)、福原直英(早稲田OB)>

 

 

法政出身のアナウンサーといえば、かつては、NHKの羽佐間正雄という大先達が居たが、

アナウンサーといえば、早稲田か慶応の出身者が圧倒的に多く、法政出身のアナウンサーは、殆んど居なかった。

しかし、法政の「自主マス」3期生の小島奈津子(1968~)が、フジテレビのアナウンサー試験に合格し、フジテレビのアナウンサーになった事により、以後、法政出身のアナウンサーは飛躍的に増えて行った。

小島奈津子は、アナウンサーの世界で、法政出身者の後進に道を切り開いた「開拓者」であると言って良い。

 

 

 

 

なお、小島奈津子は1992(平成4)年にフジテレビに入社しているが、

小島奈津子の同期入社は、西山喜久恵(上智大学OG)、福原直英(早稲田OB)である。

西山喜久恵の実家は、広島の老舗旅館を営んでおり、西山喜久恵は上智大学に進み「ミス・ソフィア」に選ばれるなど、注目された。

そして、小島奈津子と同期で1992(平成4)年にフジテレビに入社し、以後、「プロ野球ニュース」のキャスターなどを務めた。

私は、小島奈津子も、母校・法政の先輩としてファンだったが、実を言うと、西山喜久恵は、もっと好きであった(※当時、「プロ野球ニュース」を見ていた人には、好感度は高かったのではないだろうか)。

 

 

 

小島奈津子のもう1人の同期生・福原直英(早稲田OB)は、学生時代から、大の競馬好きとして知られ、

アナウンサーを志望したのも、「競馬の実況をやりたいから」だったという。

念願叶って、福原は競馬実況を担当するようになり、今もなお、競馬アナウンサーとして活躍している。

 

<「めざましテレビ」における小島奈津子~「突然!!奈津子でございます」の現場レポーターから、八木亜希子の後を受けて、メインキャスターに抜擢!!>

 

 

 

 

さて、小島奈津子のブレイクのキッカケになった、フジテレビの朝の情報番組「めざましテレビ」について、ご紹介させて頂く。

「めざましテレビ」は、1994(平成6)年4月~、元NHKアナウンサー・大塚範一(早稲田OB)と、フジテレビアナウンサー・八木亜希子(早稲田OG)をメインキャスターに据えて、スタートした。

フジテレビらしいというか、「めざましテレビ」は芸能ネタも多く扱い、朝から楽しい雰囲気の番組であり、視聴者の心を掴んで行った。

何と言っても、八木亜希子は大変人気が有った。

 

 

 

 

1994(平成6)年4月~、その「めざましテレビ」のスタート同時に、

小島奈津子は、「突然!奈津子でございます」というコーナーを担当し、街角や色々な場所で、

体当たりで現場レポートをこなし、その一生懸命さと、明るい笑顔で、「なっちゃん」と親しまれ、人気者になって行った。

それは、何事にも体当たりで向かって行く「法政魂」の為せる業だったと言っては、言い過ぎ(?)だろうか。

 

 

その後、八木亜希子は「めざましテレビ」を「卒業」したが、

「卒業」した八木亜希子の後を受けて、1997(平成9)年~以降は、小島奈津子が、メインキャスターに就任した。

以来、小島奈津子は、大塚範一と共に、長年、フジテレビの「朝の顔」となり、「なっちゃん」人気は不動のものとなって行った。

 

 

その後、小島奈津子は2002(平成14)年3月にフジテレビを退社し、フリーになったが、フリーになった後も、「めざましテレビ」に出演を続けたものの、1年後の2003(平成15)年3月を以て、小島奈津子は、思い出多き「めざましテレビ」を卒業した。

以後、「めざましテレビ」は、1998(平成10)年4月~1999(平成11)年3月は木佐彩子(青山学院OG)、2003(平成15)年4月~2010(平成22)年9月は、「アヤパン」こと高島彩(成蹊大学OG)などが、MCを務めた。

 

<「噂の!東京マガジン」における小島奈津子~2007(平成19)年4月~以降、森本毅郎(慶応OB)と、長年コンビを組み、「TBSの日曜の昼の顔」に~息の長い活躍を続け、法政の後輩達の憧れであり続ける「なっちゃん」>

 

 

フジテレビを退社し、フリーになった小島奈津子は、

2007(平成19)年4月~以降、TBS「噂の!東京マガジン」で、森本毅郎(慶応OB)と共に、MCを務めている。

「フジテレビの朝の顔」だった「なっちゃん」は、今や「TBSの日曜の昼の顔」として、定着している。

 

 

というわけで、小島奈津子は、息の長い活躍を続け、

アナウンサーを目指す、法政の後輩達の憧れの的となっているが、

これからも、更に活躍を続け、「法政の顔」として頑張って頂きたいものである。

 

<法政出身のアナウンサー・フジテレビ編②~法政一高⇒法政大学という生粋の「法政っ子」竹下陽平~スポーツ実況一筋で、実績を積み重ねる男>

 

 

 

竹下陽平(1973~)は、法政一高⇒法政大学の出身という、生粋の「法政っ子」であり、

1996(平成8)年にフジテレビに入社したが、この時、竹下陽平と同期でフジテレビにアナウンサーとして入社したのは、佐々木恭子(東大OG)、藤村さおり(成城大学OG)であった。

竹下陽平は、スポーツ実況を志してフジテレビに入ったが、その念願どおり、野球やF1、格闘技などの実況を数多くこなして行った。

 

 

 

竹下陽平は、今もなお、フジテレビのスポーツアナウンサーとして活躍しているが、

先日、コロナの影響で無観客で開催された、プロ野球のオープン戦を実況し、

「改めて、ファンの存在の大きさを知った」と、コメントしている。

竹下陽平も言っている通り、1日も早く、スタジアムに歓声が戻って来て欲しいと、私も願っている。

 

<法政出身のアナウンサー・フジテレビ編③~ニッポン放送⇒フジテレビのアナウンサーとなった川野良子~報道からバラエティーまで、何でもござれの「実力派」>

 

 

 

川野良子(1970~)は、法政の「自主マス」出身であり、小島奈津子の2期後輩であるが、

川野良子は、1993(平成5)年~、フジテレビ系列のラジオ局・ニッポン放送に入社し、ラジオのアナウンサーとして活躍した後、

2006(平成18)年4月~以降、フジサンケイグループの組織体制変更に伴い、フジテレビに「転籍」した。

以後、フジテレビでも、安定感の有るアナウンス技術を発揮している。

 

 

川野良子といえば、ベテランのアナウンサーとして、

FNNのニュースのスポット番組で、真面目に原稿を読んでいるというイメージが強い。

川野良子という名前は、よく知らなくても、「あ、この人、何か見た事有る」という方は、多いのではないだろうか。

 

 

 

 

しかし、川野良子は、BSフジでは、ますだおかだの岡田圭右と共に、「クイズ!脳ベルSHOW」で司会を務めたり、

時には、森口博子と一緒にピンクレディーに扮したりと、意外と「お茶目」な一面も見せている。

というわけで、川野良子は、報道からバラエティーまで、何でもござれの「実力派」であると言って良い。

 

<法政出身のアナウンサー・フジテレビ編④~学生時代に浅草で人力車夫をやっていた、フジテレビの「キムタク」こと木村拓也>

 

 

 

木村拓也(1990~)は、法政の「自主マス」出身で、

学生時代は、東京・浅草で人力車夫のアルバイトをやっていたという「変わり種」である。

しかし、人力車を惹いて、数多くのお客さんと接する内に、自然とアナウンス技術(?)が鍛えられて行ったという。

なお、木村拓也といえば、あの「キムタク」と同姓同名であるが(※SMAPは「木村拓哉」だが、プロ野球の「キムタク」とは、全く同じ漢字表記)、人力車夫時代は、老舗の人力車屋で、売上ナンバーワンを記録する「超売れっ子」であった。

その時には「僕は、人力車夫のキムタクです」と、自らの名前を大いにアピールし、お客さんを喜ばせていたという。

 

 

2013(平成25)年~、木村拓也はフジテレビのアナウンサー試験に合格し、フジテレビアナウンサーとなったが、

「キムタク」の同期入社は、内田嶺衣奈(上智大学OG)、三上真奈(早稲田OG)であった。

というわけで、「法政のキムタク」、「フジテレビのキムタク」として、今後もご活躍頂きたい。

 

<法政出身のアナウンサー・フジテレビ編⑤~法政女子高⇒法政大学の「法政女子」関戸めぐみ~法政「自主マス」で、小島奈津子の1期後輩の4期生出身>

 

 

 

関戸めぐみ(1970~)は、法政女子高⇒法政大学という、生粋の「法政女子」にして、

法政の「自主マス」では、小島奈津子(3期生)の1期後輩の4期生であり、

1993(平成5)年4に共同テレビジョンに入社し、フジテレビの契約アナウンサーとなった。

その後、「FNNスーパーニュース」のレポーター、「フジテレビ報道2001」のMCなどを務め、現在はフリーアナウンサーとして活躍している。

関戸めぐみは、小島奈津子に続き、法政出身者のアナウンサーの道を切り開いた1人である。

 

<法政出身のアナウンサー・テレビ朝日編①~プロレス実況で名を馳せた、保坂正紀>

 

 

 

保坂正紀(1958~)は、法政の社会学部を経て、1980(昭和55)年、テレビ朝日に入社した(※同期入社は、松苗慎一郎(早稲田OB))。

保坂正紀は、法政「自主マス」結成前に、アナウンサー試験を突破した優秀な人材であったが、

1980年代に、「ワールドプロレスリング」で、プロレス実況を数多く行ない、特に、初代タイガーマスクの試合実況を多数務めた。

その後は、アナウンサーの現場から離れ、テレビ朝日の報道局で、部長待遇で後進の指導に当たった。

 

<法政出身のアナウンサー・テレビ朝日編②~法政女子高⇒法政大学⇒法政「自主マス」出身の野村華苗~現在は大学院に通う>

 

 

 

 

野村華苗(1971~)は、法政女子高⇒法政大学出身で、前述の関戸めぐみの1年後輩である。

野村華苗も、法政「自主マス」を受講し、1994(平成6)年にテレビ朝日にアナウンサーとして入社した。

なお、野村華苗のテレビ朝日の同期入社は、中山貴雄(慶応OB)、小久保知之進(早稲田OB)であり、

1期先輩は丸川珠代(東大OG)である。

野村華苗は、堀井美香同様、下世話なゴシップ雑誌にも、しばしば狙われたが、「ワイド!スクランブル」「スーパーJチャンネル」など、報道番組を中心に活躍した。

2003(平成15)年、テレビ朝日を退社し、現在は大学院に通っているという。

 

<法政出身のアナウンサー・テレビ朝日編③~テレ朝のアナウンサー⇒報道局社会部記者を経て、現在は東京都議会議員を務める、龍円愛梨>

 

 

 

龍円愛梨(1977~)は、私が法政に在学中だった頃、

法政「自主マス」の出身者として、「自主マス」の冊子の表紙を飾ったり、法政の学生新聞に登場したりしていたが、

その時は「綺麗な人だな」と思ったのを覚えている。

なお、龍円愛梨の父親は、政治学者で帝京大学教授の、龍円恵喜二である。

龍円愛梨は、2000(平成12)年にテレビ朝日にアナウンサーとして入社し、2006(平成18)年には報道局社会部記者に転じ、記者として活躍した。

 

 

 

社会問題に関心を高めた龍円愛梨は、2011(平成23)年にテレビ朝日を退社すると、

その後は政界を目指して、小池百合子が主宰する「希望の塾」に参加し、2017(平成29)年、その小池百合子が代表を務める「都民ファーストの会」の公認を受け、東京都議会議員選挙に立候補し、見事に当選を果たした。

といわけで、龍円愛梨には、政治の世界でも存在感を発揮して頂きたいものである。

 

<法政出身のアナウンサー・テレビ朝日編④~法政「自主マス」で、平松修造(日本テレビ)と同期だった池谷麻依~現在はアナウンス部を離れる>

 

 

池谷麻依(1992~)は、法政「自主マス」では、平松修造(日本テレビ)と同期で切磋琢磨していたが、

2015(平成27)年、池谷麻依は、同期の紀真耶(青山学院OG)、田中萌(明治OG)と共に、テレビ朝日に入社を果たした。

 

 

 

その後、池谷麻依は、「お願い!ランキング」のMCを任されるなど、

テレビ朝日のアナウンサーとして活躍していたが、

2019(令和元)年7月、アナウンス部から総合編成局宣伝部に異動になった。

という事で、新たな部署でも頑張って頂きたい。

 

<法政出身のアナウンサー・テレビ東京編①~上智大学⇒法政大学大学院という経歴で、「出没!アド街ック天国」で長年MCを務めた、八塩圭子>

 

 

 

 

八塩圭子(1969~)は、上智大学の出身であり、

1993(平成5)年に、テレビ東京に報道局経済部記者として入社したが、

翌1994(平成6)年、アナウンス部に「異動」し、以後、アナウンサーとして活躍した。

1995(平成7)年~2003(平成15)年には、「出没!アド街ック天国」で、愛川欽也と共に、長年MCを務めた。

 

 

 

2003(平成15)年6月、八塩圭子はテレビ東京を退社し、フリーになったが、それと同時に、法政大学大学院で、修士(経営学)を取得し、

その後は、関西学院大学、学習院大学、東洋学園大学などで、准教授や教授などを歴任した「才媛」である。

彼女は、学部は上智だが、法政の大学院で修士を取得し、活躍の幅を広げたという事で、特にご紹介させて頂いた次第である。

 

<法政出身のアナウンサー・テレビ東京編②~元プロ野球選手・関川浩一と結婚した家森幸子~テレ東ではスポーツキャスターとして活躍~横浜ベイスターズの波留敏夫と鈴木尚典と噂に!?>

 

 

 

 

家森幸子(1972~)は、1995(平成7)年、テレビ東京の営業局に入社したが、

翌1996(平成8)年にアナウンス部に異動になり、テレビ東京のアナウンサーとして活躍した。

家森幸子は、テレビ東京の「スポーツTODAY」など、スポーツ番組のキャスターとして活躍したが、

そのせいかどうか、プロ野球選手と、よく噂になったりしていた。

中でも、横浜ベイスターズの波留敏夫、鈴木尚典と噂になったりしていたのを覚えている。

 

 

2002(平成14)年、テレビ東京を退社し、その後、元プロ野球選手・関川浩一と結婚した。

やはり、家森幸子は、プロ野球選手と縁が有る人生だったという事であろうか。

なお、現在の彼女はフリーアナウンサーである。

 

<法政出身のアナウンサー・テレビ東京編③~青木宣親と結婚した大竹佐知~メジャーリーガー・青木宣親の妻として、手記を出版>

 

 

 

さて、法政出身のアナウンサー列伝、「フジテレビ・テレビ朝日・テレビ東京」編のトリを飾るのが、

青木宣親(ヤクルト)の妻として有名な、大竹佐知(1983~)である。

大竹佐知は、スポーツ万能であり、法政では体育会の水泳部で活躍していた。

2006(平成18)年、大竹佐知はテレビ東京にアナウンサーとして入社し、スポーツ番組を中心に活躍した。

 

 

 

2008(平成20)年、大竹佐知は、青木宣親(ヤクルト・早稲田OB)との「熱愛」が発覚し、盛んに報道された。

2人の仲は、公然のものとなったが、スポーツが取り持った縁といった所であろうか。

そして、青木は早稲田、大竹佐知は法政という事で、このカップルは「東京六大学繋がり」でもあった。

 

 

2009(平成21)年、大竹佐知と青木宣親は結婚し、

翌2010(平成22)年、大竹佐知(青木佐知)は、青木のサポートに徹するため、

テレビ東京を退社し、アナウンサーからは、ひとまず「卒業」した。

 

 

2010(平成22)年7月、彼女は本名の青木佐知名義で「アメブロ」でブログを開始した。

私が「アメブロ」でブログを書き始めたのは2013(平成25)年5月だったので、青木佐知は私より3年「先輩」である。

 

 

青木宣親は、2012(平成24)年~以降、メジャーリーグに挑戦したが、

以後、青木はミルウォーキー・ブリュワーズ(2012~2013)-カンザスシティ・ロイヤルズ(2014)-サンフランシスコ・ジャイアンツ(2015)-シアトル・マリナーズ(2016)-ヒューストン・アストロズ(2017)-トロント・ブルージェイズ(2017)-ニューヨーク・メッツ(2017)と、毎年のように各球団を渡り歩いた「ジャーニーマン」であったが、その都度、青木佐知も、青木の行く先々で、青木を良くサポートした。

 

 

 

青木佐知は、そんな経験を活かし、『うちの夫はメジャーリーガー』という著書を発表した。

青木佐知の目から見た、メジャーリーガー・青木と、メジャーリーグの裏側を描く、貴重な本であるが、

青木が、複数球団を渡り歩いても活躍出来たのは、奧さんの献身的なサポートのお陰であろう。

 

 

2018(平成30)年に、青木は7年振りにヤクルトに「復帰」したが、

青木佐知も、久し振りの日本で、更に青木を支えている。

というわけで、青木との二人三脚で、佐知夫人は充実した日々を送っている。

 

(つづく)