新型コロナウイルスの感染拡大を受けて発令された「緊急事態宣言」であるが、
安倍晋三首相は、当初、5/6までの予定だった「緊急事態宣言」の期限を延長する事を決断した。
安倍首相は、コロナの「専門家会議」の提言を受け、その決断を下したという。
このニュースを聞いた私の感想は、
「まあ、やっぱりそうだろうな」というものであった。
コロナ感染拡大が止まらず、多くの国民が、命の危険に晒されているとなっては、
この決定も止むを得ないと、私は思う。
<安倍晋三首相へ問う!!…「緊急事態宣言解除の基準を、しっかり決めていますか?」「今後について、のような見通しを立てていますか?」「対コロナ戦争の作戦計画を、しっかりと立てていますか?」「それらを、国民にわかりやすく説明するつもりは有りますか?」>
だが、私は安倍首相に、こう聞いてみたいのである。
「緊急事態宣言解除の基準を、しっかり決めていますか?」
「今後について、どのような見通しを立てていますか?」
「対コロナ戦争の作戦計画を、しっかりと立てていますか?」
「それらを、国民にわかりやすく説明するつもりは有りますか?」
安倍首相は、日本という国の舵取りを任されているリーダーである。
という事は、日本が一丸となって、コロナという「強敵」に立ち向かうためには、
リーダーとして、当然、しっかりと作戦計画を立てて、国民を引っ張って行く責任が有る。
安倍首相は、果たして、そのような見通しを立てているのだろうか?
率直に申し上げて、私は、今の安倍首相を見ていると、甚だ心許ないと思ってしまう。
<コロナ危機で、日本経済は大ピンチ!!~「補償なき自粛」が、いつまでも続けられるわけが無い!!~「出口の見えないトンネル」に、不安に思う日本国民>
何故、私がそんな事を書くのかといえば、今後の日本経済が、いや、日本という国が、
この先、どうなってしまうのかが、本当に心配だからである。
コロナ危機という、未曽有の国難に遭い、感染拡大を防ぐために、日本国民は今、一致結束しており、
多くの企業や店が、営業を「自粛」し、「休業」している。
しかし、こんな状態が、いつまでも続けられるわけが無い。
収入が一銭も無ければ、企業や店は、早晩、行き詰まり、みんな潰れてしまうであろう。
今は、みんなギリギリで耐えていても、これがいつまでも続けば、バタバタと潰れてしまうのは、火を見るより明らかである。
実際、もう既に多くの店が潰れているようであるが、「自粛」がずっと続けば、日本経済は、更に悲惨な事となろう。
そうなれば、多くの人が失業し、路頭に迷い、世にも恐ろしい倒産連鎖が始まるのではないか。
いや、この状態が続けば、遅かれ早かれ、そうなるのは、目に見えている。
この事について、安倍政権と自民党は、一体どのように考えているのか、私は是非ともお聞きしたい。
私は勤め人であり、自営業者ではないが、今の仕事だって、果たして、ずっと安泰なのかどうか、わかったものではない。
ともかく、長引く「自粛」による経済危機は、全ての日本国民の生活を脅かすものであると、私は思う。
今、日本国民は、全く頼りない安倍政権の体たらくを見て、
「出口の見えないトンネル」に迷い込んだような不安な気持ちを抱えている。
僅かでも良いから、出口に通ずる道筋が見えれば良いのだが、それが見えないから、みんな不安なのである。
安倍政権は、この先、日本国民を、どのような方向に導くつもりなのであろうか?
それを示すのが、政府としての責任であろう。
<「専門家会議」の意見のみを尊重し、国民の「自粛」頼りで、一切責任を取らない、「無責任」な安倍政権…安倍首相は、「今、このような方向を目指しています」「このような数値になったら、緊急事態宣言を解除します」という、「戦略」を示すべし!!>
安倍首相は、「専門家会議の意見を聞いて、緊急事態宣言の延長を決めました」と発言した。
それは、理解出来る。
しかし、「専門家会議」というのは、あくまでも感染症の専門家としての見解を述べているのであり、
そうだとすれば、「コロナを拡大させないためには、どうすれば良いか」という観点でのみ、提言している。
それは「専門家」としては、当たり前の事である。
しかし、先程から述べている通り、長引く「自粛」により、多くの日本国民が、経済的な苦境に陥り、
追い詰められている人が沢山居るというのも、また事実である。
政府というのは、コロナの感染拡大防止のために、どうすれば良いかという事を決めるのと同時に、国民の生活を守るという事も、全く同じ比重で、考えて然るべきではないか。
だが、今の安倍首相を見ていると、「専門家がそう言ってたから」という逃げ口上のみであり、自らの責任を果たそうとしているとは、とても思えない。
「専門家がそう言ったから」というのは、「私が決めたんじゃない。専門家が、そう言ったから、それに従ったんだ」と言っているようにしか、聞こえない。
それって、物凄く無責任ではないだろうか。
何度も言っているが、国民の生命と安全を守るために、広い視野を持って、決断を下すのが、政府の役割ではないのか。
今の安倍政権は「まるで、太平洋戦争末期と同じ惨状」とまで言われる始末である。
また、このブログで、私が再三書いてきた通り、
「補償なき自粛は、国民を追い詰めるだけ」と思っているが、安倍首相は本当にわかっているのだろうか。
「コロナの感染拡大を防止しましょう」というのは、良い。
しかし、「そのために、仕事を自粛して下さい。でも、その間の補償は、一切しません。お金は一切支援しません」というのでは、全く、お話にならない。
それは、国民に「死ね」と言っているのと同じである。
大事な事なので、何度も言うが、コロナで死のうが、経済的に追い詰められて死のうが、死ぬという事では全く同じである。
そこの所を、お坊ちゃん育ちで、経済的に何の苦労もした事が無い安倍晋三は、本当にはわかっていないではなかろうか。
そこで、安倍首相に、是非ともやって頂きたいのは、
「今、このような方向を目指しています」「このような数値になったら、緊急事態宣言を解除します」
という、明確な「戦略」を、国民に示して頂きたいという事である。
人間は、目標も無く、ゴールも見えずに、ずっと走り続けるのは、無理である。
人間というのは、誰しも、そんなに強くはない。
だからこそ、リーダーである安倍首相は、明確な「戦略」や「目標」を示す責任が有ると、私は思う。
このまま、ダラダラと、何の目標も無い「自粛」を続けさせるという事だけは、断じて、やるべきではない。
そんな無責任なリーダーなど、この非常時には不要である。
<何故、私は今、「昭和史」を書いているのか!?…「昭和史」そのものと、「日本とアメリカが、何故、戦争してしまったのか!?」に興味が有ったから>
さて、前置きが長くなったが(?)、ここからが、今回の本題である。
今、私は、「昭和史」について書いているが、何故、今この時期に、私が「昭和史」を書いているのかといえば、
ちょうど、昭和天皇の誕生日(4/29)を記念して書いたという事もあり、元々、「昭和史」に大変興味が有ったから、という事もあるが、
私は、「何故、日本とアメリカは、戦争をしてしまったのか?」という事に、非常に興味が有ったからである。
日本という国は、概ね、素晴らしい歴史を歩んで来た国であると私は思っているが、その日本が、何故、アメリカとの無謀な戦争に突入してしまったのか、という事は、物凄く疑問に思っていた。
しかし、「昭和史」について学んでいると、その答えが、何となくわかって来るように思われた。
それは、「昭和」の戦前の日本は、今の日本と、とても良く似ているのだが、当時の政府と軍部が、あまりにも、先を見通す能力に欠けており、明確な戦略が無かった、という事である。
<日本は、先の見通しも、明確な戦略も無く、無謀な戦争に突入した!?~「戦いを始めるよりも、戦いを終わらせる方が難しい」>
「昭和」の戦前の日本は、中国との長い泥沼の戦争を続ける一方、
全く無謀とも思える、アメリカとの戦争に突入してしまったが、これは本当に無茶だった。
アメリカに追い詰められ、アメリカが日本をけしかけた面も、確かに有ったようであるが、
それはそれとして、もし戦争を始めるのであれば、絶対に「どのように戦争を終わらせるか」という出口戦略、「これを達成したら、戦争を終わらせる」という目標を決める事は、絶対に不可欠であろう。
しかし、「昭和」戦前の政府と軍部は、そのような見通しや、明確な戦略が全く無いまま、戦争に突っ走ってしまった。
あの「日露戦争」の時は、当時の政府は、戦争を始める前に、既にアメリカに仲介を頼んでおくなど、
全て用意周到にした上で、戦いに挑んでいたという。
一方、「太平洋戦争」では、残念ながら、そういう事はしていなかった。
お陰で、日本国民は酷い目に遭ったわけであるが、今の「コロナ戦争」でも、安倍政権は、全く同じ誤りを繰り返そうとしているとは、言えないだろうか。
ともかく、戦いを始める以上、「目標」を定め、「戦争の終わらせ方」を決めておくべきであるという事は、絶対に忘れてはなるまい。
という事で、「昭和史」の連載で、日本が戦争に突き進んで行った経緯は、追い追い描いて行くつもりであるが、
それを通して、今の安倍政権と「昭和史」を対比させて行きたいというのが、実は真の「狙い」である。
なお、私は半藤一利が書いた『昭和史』が愛読書であるが、その本も参考にしつつ、私なりの「昭和史」を描いて行きたいと思っている。
<歴史を面白く学ぶポイント①~とても面白い、「壮大なストーリー」として、歴史を学ぶ!!>
さて、私はこのブログでは、「歴史」にこだわり、「歴史」について、様々な事を書いているが、
何故、私がそんなに「歴史」が好きなのかについては、今まで散々書いてきた。
そこで、改めて「歴史」を面白く学んで行くためのポイントを、いくつか、ご紹介しておきたいのだが、
まず、「歴史」そのものを、1つの「壮大なストーリー」として捉えるという事である。
それこそが、「歴史」を学ぶ最大の醍醐味であると、私は思っており、一度ハマったら、なかなか抜け出せないほどの面白さが、「歴史」には有る。
おまけに、今に活かせるような教訓や題材などが山ほどある、「宝の山」でもある。
従って、「歴史」を学ばないという事は、その人は人生を半分ぐらい損していると、私は思う。
<歴史を面白く学ぶポイント②~「人物」にスポットを当て、「歴史」を知る!!~「歴史」とは「人間ドラマ」の積み重ねである!!>
次に、「歴史」を面白く学ぶためのポイントとして挙げておきたいのが、
歴史上の「人物」にスポットを当てて学んで行く方法である。
日本史でも世界史でも、今までの人類の歴史において、実に個性溢れる、多彩な人達が、歴史を彩って来たのであるが、
その「人物」たちが、どのような人生を歩んだのを知る事は、大変面白い。
「何て、濃い人たちなんだ!?」と、あまりの濃さと面白さに目眩がしてしまう(?)ほどである。
そう、つまり「歴史とは人間ドラマの積み重ね」なのである。
というわけで、歴史上の有名な「人物」について学んで行くと、かなり楽しみながら、「歴史」に詳しくなれるので、これもお勧めである。
<歴史を面白く学ぶポイント③~「歴史」は「タテヨコ」で学ぶと、更に理解が深まる!!~「通史」と「各国史」を組み合わせて学べば、鬼に金棒!?>
「歴史」を理解して行くポイントとして、更にお勧めさせて頂きたいのが、
歴史を「タテヨコ」として捉えて、学ぶ方法である。
「歴史」を、1つの流れとして、1本の線として、過去から未来(あるいは、その逆から)学んで行くというのが、オーソドックスな方法であるが、
それと同時に、例えば世界史では、「この出来事が有ったのと同時代に、別の国では、どんな出来事が有ったのか」と、「同時代性」に注目する事と、各国や各地域というブロックごとに学んで行くという事を組み合わせて行けば、更に歴史に対する理解は深まって行くと思う。
例えば、こんな方法である。
まず、教科書(※別に、教科書でなくても良いが)で、大まかな歴史の流れ、
所謂「通史」を、ざっと学ぶ。
「通史」の読み物には、最大公約数的な歴史の流れが、わかりやすく書いてある物が望ましい。
そうやって、まずは「ストーリー」を掴めば良い。
そうやって、大まかな「通史」を頭に入れたら、その次は、自分が興味を持った国や地域について、
更にもっと詳しく書いてある「各国史」の本を読んだり、自分で調べて行けば良いのである。
そうすると、大まかなストーリーと、その詳しい中身が、どんどん頭に入って行くというわけである。
なお、先に「各国史」を読んでも、勿論、構わない。
要は、自分が興味を持った所から、楽しく学んで行くのが、「歴史」に強くなるコツである。
それを、野球ブログらしく、野球の歴史について、当てはめて考えてみたい。
例えば、まずはプロ野球の大まかな歴史の流れを「通史」で掴む。
野球の歴史が、どのような流れで進んで行くのか、まずは大きな川の流れを、俯瞰で眺めて行くわけである。
そうやって、野球の歴史の流れを掴んだら、
今度は、各球団別の「球団史」を学んで行くと、より一層、野球の歴史についての理解が深まる。
しかし、野球の場合、大抵は、まずは何処か特定の球団が好きになり、贔屓チームを通して、野球に興味を持つ事が多いので、
「球団史」⇒「他の球団の歴史」⇒「プロ野球の通史」という順番で、野球をより一層、深く学んで行くパターンが多いかと思われる(※私は、そのパターンだった)。
<歴史を面白く学ぶポイント④~歴史は、書く人の「視点」によって、描かれ方が全然異なる~誰がその「歴史」を書いたのに、注目すべし!!>
もう一つ、「歴史」を学ぶにおいて、絶対に忘れてはならない事が有る。
それは、「歴史」というのは、書く人の「視点」によって、描かれ方が全然異なるという事である。
例えば、誰かがプロ野球の「巨人-阪神戦」の歴史を描く時、
巨人ファンから見た視点と、阪神ファンから見た視点では、全然異なって来る。
当然、ファンとしては、自分が好きな球団に肩入れして描く筈である。
これは、早稲田と慶応による「早慶戦」でも、理屈は全く同じである。
また、当事者以外にとっては、全くどうでも良い話だが、
法政と明治の対決を、明治の関係者は「明法戦」と言い、法政の関係者は「法明戦」と言ったりする。
そして、法政出身の私が「法明戦」について書けば、当然、法政贔屓の視点で描くわけである。
従って、歴史についての読み物を読む時は、誰が、どのような立場の人が書いたのかに注目して、読む必要が有る。
要は、人間が「歴史」について書く以上、絶対中立という事は有り得ないという事である。
<そして、安倍政権へ…安倍政権は、歴史上、どのような評価を下されるのか!?~我々は、「歴史」というモデルケースに学び、コロナ危機を乗り切って行くべし!!>
そして、安倍政権である。
2020(令和2)年という「今」に生きている我々は、未曽有の国難である「コロナ危機」に直面し、
安倍晋三という首相に、日本という国の舵取りを委ねているが、後から振り返った時、
安倍政権は、どのような評価を下されるのか?
それは、歴史が決めるというか、いずれ、歴史という名の審判が下されるであろう。
また、「歴史」を学ぶ意味としては、このような危機の時代だからこそ、先人たちが、一体、どのようにして、様々な危機を乗り越えて来たのか、そのモデルケースとして、今こそ「歴史」を学ぶべき時ではないかと、私は思う。
というわけで、今回は、安倍政権と「歴史」について、私が思う所を書かせて頂いた次第である。