2019/8/6 第101回全国高校野球選手権大会「第1日」 | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

第101回全国高校野球選手権大会、「夏の甲子園」の熱戦が、連日、繰り広げられている。

ここ数日、ブログを更新出来ていなかったが、ここまでの「夏の甲子園」の試合の模様を、まとめてお伝えする事としたい。

まずは、大会初日、8/6に行われた「第1日」から、順を追ってお伝えする。

 

 

2019年8月6日(火)、第101回全国高校野球選手権大会が開幕し、

甲子園球場で、全49代表校による開会式が行われた。

毎年、甲子園の開会式を見ると、「今年も、夏の甲子園の季節が来たなー」と、ワクワクしてしまうが、

高校球児による熱戦は、毎年見続けていても、思わず引き込まれてしまう魅力に溢れている。

なお、今大会は「令和」という元号になって初めての甲子園大会である。

 

<第101回「夏の甲子園」の開会式…全49代表校が入場行進~毎年「北から南」「南から北」と、入場行進の順番が入れ替わる!!>

 

 

第101回全国高校野球選手権大会の開会式が行われ、全49代表校による入場行進が行われた。

ところで、実は夏の甲子園の入場行進は、毎年、「北から南」「南から北」と、入場行進の順番が入れ替わるというのは、ご存知だろうか?

西暦の末尾が奇数の年は「北から南」、末尾が偶数の年は「南から北」の順番で、入場行進が行われる。

従って、今年は末尾が奇数の年なので、北北海道代表の旭川大を先頭に、「北から南」の順番で、入場行進が行われた。

これは、意外と皆様もご存知無いかもしれないので、特に記しておく事としたい。

 

 

 

 

その後も、プロ注目のエース・奥川恭伸を擁する星稜や、

今年(2019年)の春のセンバツで、その星稜を倒し、決勝に進出してセンバツ準優勝になった習志野、

そして、久々に夏の甲子園に帰って来た広島商、米子東など、各校が次々に入場行進を行なった。

どの学校も、地方大会の激戦を勝ち抜いた精鋭揃いであり、甲子園出場を勝ち取った代表であるが、

皆、甲子園に出場する事が出来た喜びに満ち溢れているように思われた。

 

<入場行進のプラカードを持つのは、「甲子園に最も近い」公立高校・市立西宮高校の女子生徒…市立西宮高校と、甲子園の「プラカードガール」の歴史>

 

 

 

 

高校野球の甲子園大会で、毎年、出場校のプラカードや、出場校の旗などを持ち、選手達を先導するのは、

甲子園球場から最も近い位置に有る公立高校である、市立西宮高校の女子生徒である。

「甲子園の花」と言われる、所謂「プラカードガール」の役割は、伝統的に市立西宮高校の女子生徒が担っているが、

甲子園で「プラカードガール」をやってみたいがために、この学校に入る女子生徒も多いという。

 

 

 

 

しかし、甲子園の「プラカードガール」になりたがっている女子生徒は非常に多く、

毎年、同校で「プラカードガール」を選出するためのオーディションが開催されている。

そこで、歩く時の姿勢などを見られ、それを審査員が総合的に判断して、「プラカードガール」を選出している。

従って、彼女達は大変な倍率を勝ち抜いて、甲子園の晴れ舞台に立っているのである。

 

 

市立西宮高校は、1908(明治41)年に創立された、西宮女子技芸学校をルーツとしているが、

戦後、学制改革により、1949(昭和24)年に、男女共学の市立西宮高校となった。

そして、学制改革により、多くの高校が学校名を変更したが、甲子園大会では、新しい学校名を全国にアピールしようという事で、

開会式では、学校名が書かれたプラカードを先頭に、入場行進しようという案が出された。

そこで、甲子園から最も近い位置に有る公立高校である、市立西宮高校岸仁という教諭が、

「それならば、ウチの学校の女子生徒が、プラカードを持ちましょう」

と、立候補したのが、今日に至る、市立西宮高校の女子生徒による「プラカードガール」の始まりであった。

 

 

それ以来、甲子園大会では、市立西宮高校の女子生徒が「プラカードガール」を務めるのが慣例となり、今年(2019年)まで、71年連続で、その役割を果たしているという事となるが、

その間、市立西宮高校の野球部は、1963(昭和38)年の春夏連続と、翌1964(昭和39)年春、春2回、夏1回の甲子園出場経験が有る。

市立西宮高校の「プラカードガール」が、自校の野球部を先導したのは、その時だけであるが、今後、市立西宮高校の野球部が、再び甲子園に帰って来る事を、密かに願っている高校野球ファンも少なくない。

 

<愛知代表・誉の林山侑樹主将による選手宣誓>

 

 

 

 

開会式では、甲子園初出場の、愛知代表・林山侑樹主将が、選手宣誓を行なった。

林山侑樹は「この101回目の大会を、記憶に残る大会にする事を誓います」と、堂々と選手宣誓を行なったが、

最近の高校野球の選手宣誓は、毎回、個性が有って、通り一遍の内容ではなく、工夫が見られるのが、とても良い。

 

 

 

甲子園大会における選手宣誓は、夏の選手権では1929(昭和4)年の第15回大会から、

春のセンバツでは1930(昭和5)年の第7回大会から、それぞれ行われている。

そして、戦時中には、選手宣誓が国威発揚のために使われた事も有った。

 

 

 

戦後、平和な時代が帰って来て、中断していた甲子園大会も再開されたが、

選手宣誓は、「宣誓!我々、選手一同は、スポーツマン精神に則り、正々堂々と戦う事を誓います!!」というような、お決まりの文句で行われる事が多かった。

というより、選手宣誓とは、そのようなものであると、見ている側も決めてかかっていたようなフシが有る。

 

 

しかし、ご覧の画像のように、選手宣誓の内容も、時代と共に、徐々に変わって行った。

一言で言えば、選手宣誓を行なう選手が、自分の言葉で語り、個性を入れるようになって来たというのが、昨今の選手宣誓の傾向であると言えるのではないだろうか。

そして、今後の選手宣誓も、その傾向が続いて行くというのは、間違い無いと思われる。

 

<「夏の甲子園」のテーマ曲…永遠の名曲『栄冠は君に輝く』誕生秘話>

 

 

 

「夏の甲子園」のテーマ曲といえば、名曲中の名曲『栄冠は君に輝く』である。

「雲はわき 光あふれて…」から始まる、『栄冠は君に輝く』を聞くと、

「今年も、夏の甲子園の季節がやって来た!!」

と、条件反射的に、高校野球を連想してしまう人は、日本中にゴマンと居る。

それだけ、「栄冠は君に輝く=夏の甲子園」という図式が定着しているという事が言えるであろう。

 

 

『栄冠は君に輝く』は、作詞:加賀大介、作曲:古関裕而により作られた曲であるが、

古関裕而は、1931(昭和6)年に早稲田大学の応援歌『紺碧の空』の作曲で有名になり、

その後、『船頭可愛や』という大ヒット曲を飛ばした。

戦時中、『愛国の花』『暁に祈る』などの戦時歌謡の名曲を残したが、

戦後は『東京オリンピックマーチ』を作曲して、世界中に、その名を轟かせた。

なお、古関裕而は、巨人の『闘魂込めて』、阪神の『六甲おろし』という、巨人・阪神の両球団の応援歌も作曲している。

 

 

 

さて、戦後の1948(昭和23)年、「夏の甲子園」の主催者である朝日新聞は、

第30回目という節目の記念大会を迎えた事もあり、新しい大会歌を制定する事として、全国から詞を公募した。

その結果、応募総数5,252編の中から、最優秀作品に選ばれたのが、石川県在住の作詞家・加賀大介が作詞した『栄冠は君に輝く』であった。

 

 

当初、加賀大介は、懸賞金目当てで応募したと思われるのを嫌がり、婚約者の中村道子の名義で応募したところ、

その作品が当選してしまい、以後、長らく、作詞者は「中村道子」の名義でクレジットされていた。

しかし、1968(昭和43)年、第50回記念大会を迎えたのを機に、『栄冠は君に輝く』の歌碑が建立される事となり、

その際に、加賀大介が真相を公表、改めて、作詞者が加賀大介として発表されたという経緯が有る。

 

 

 

 

そのような経緯で生まれた『栄冠は君に輝く』であるが、

高校野球を象徴する名曲として、多くの人達に愛唱され、日本の夏の風物詩として定着しているというのは、皆さんもご存知の通りである。

という事で、今後も甲子園大会と共に、『栄冠は君に輝く』が、長く愛されて行く事を、私も願っている。

 

<2019/8/6 第101回全国高校野球選手権大会「第1日」の結果>

 

 

第101回全国高校野球選手権大会「第1日」の結果は、ご覧の通りである。

 

第1試合 八戸学院光星(青森)9-0誉(愛知)

第2試合 神村学園(鹿児島)7-2佐賀北(佐賀)

第3試合 高岡商(富山)6-4石見智翠館(島根)(※延長10回)

 

<第1試合 八戸学院光星(青森)9-0誉(愛知)…「令和」初の一発(満塁ホームラン)などで、八戸学院光星が大勝!!>

 

 

 

さて、2019(令和元)年夏の甲子園の開幕戦は、八戸学院光星(青森)-誉(愛知)という対戦で始まったが、

甲子園3季連続準優勝の実績を持つ八戸学院光星が、初出場のを投打共に圧倒し、八戸学院光星が、9-0で大勝した。

1回表、八戸学院光星は、2死満塁のチャンスを作ると、6番・下山昴大が、レフトスタンドへ先制の満塁ホームランを放ち、いきなり4点を先取した。

これが、甲子園大会における、「令和」初のホームランであるが、新元号初のホームランは、ド派手な満塁ホームランであった。

 

 

 

 

一方、誉は残念ながら敗れてしまったが、ブラスバンド部が無い誉高校のために、

小牧工業のブラスバンド部と、センバツ優勝校で、今大会では甲子園出場を逃した東邦高校のマーチングバンド部が「友情応援」に駆け付け、大きな話題となった。

東邦のマーチングバンド部は、春のセンバツでは、準々決勝までは海外遠征しており、甲子園には来られなかったが、

その東邦の応援のために、大阪桐蔭のブラスバンド部が「友情応援」を行なったという出来事が有った。

今度は、東邦が他校の「助っ人」に行ったわけだが、今後も、このような「友情応援」の輪が広がって行けば、素晴らしい事であると、私は思っている。

 

<第2試合 神村学園(鹿児島)7-2佐賀北(佐賀)…神村学園が「九州勢対決」を制し、快勝!!>

 

 

第2試合は、神村学園(鹿児島)-佐賀北(佐賀)という、「九州勢対決」となったが、

神村学園が、終始、試合を優位に進め、神村学園が7-2で佐賀北に快勝した。

1回表、佐賀北は1死2塁で3番・古川隼が、投手・田中瞬の足を直撃する打球を放ったが、

その打球を、神村学園の捕手・松尾将が一塁に送球してアウト、その間、二塁ランナーの中村一翔が一気にホームを狙ったが、

一塁からの返球を松尾が冷静に捕球し、ホームを狙った中村をタッチアウトにした。

このプレーで、試合の流れは一挙に神村学園へと傾いた。

 

 

 

1回裏、神村学園は1点を先取し、なおも無死満塁のチャンスを作ると、

5番・田中大陸がスクイズを決め、追加点を奪うなど、一挙に3点を先取し、優位に立った。

なお、神村学園には、田中瞬(投手)、田中大陸(右翼手)、田中天馬(三塁手)という3人の「田中」姓が居るが、

神村学園は、「田中」姓が2人居た2017(平成29)年にも甲子園出場を果たしており、

神村学園には「田中」姓が複数居るチームは躍進するというジンクスが有るという。

そのジンクスのお陰か、神村学園は快勝したが、一方、2007(平成19)年の「がばい旋風」の再現を狙った佐賀北は、残念ながら初戦で姿を消した。

 

<第3試合 高岡商6-4石見智翠館(※延長10回)…高岡商、9回裏に追い付かれるも、延長戦で石見智翠館を振り切る!!>

 

 

第3試合の高岡商(富山)-石見智翠館(島根)は、延長戦にもつれこむ大熱戦となった。

まず、高岡商が2回表までに3点を先取し、3-0とリードしたが、

6回裏、石見智翠館は、二遊間を組む「関山兄弟」の弟で、6番・遊撃手の関山和のタイムリーで1点を返し、1-3とした。

 

 

その後、両校とも1点ずつを取り合い、4-2と高岡商が2点リードして迎えた9回裏、岩見智翠館は1死満塁のチャンスを作ると、

「関山兄弟」の兄である、1番・二塁手の関山愛瑠斗が、レフト前に起死回生の同点2点タイムリーを放ち、岩見智翠館が4-4同点に追い付いた。

 

 

 

しかし、岩見智翠館は、4-4の同点に追い付いた後の、1死満塁の一打サヨナラのチャンスを活かせず、

試合は4-4の同点のまま、延長戦に突入すると、10回表、高岡商は2死2、3塁のチャンスを作り、

1番・森田朝陽が、ライトオーバーの2点タイムリー三塁打を放ち、高岡商が6-4とリードした。

なお、森田2回表にも2ランホームランを放っており、この試合4打点の大活躍であった。

結局、これが決勝点となり、高岡商が岩見智翠館との激戦を制して6-4で勝利したが、岩見智翠館は、9回裏1死満塁、10回裏2死1、2塁のチャンスを活かせず、惜しくも初戦敗退となった。