今振り返る…1997(平成9)年の横浜ベイスターズ(後編) ~横浜VSヤクルト「真夏の死闘」編~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

昨日(8/3)の横浜DeNAベイスターズと巨人の首位決戦第2ラウンドは、DeNAが巨人を6-5で破り、

遂にDeNAが首位・巨人とのゲーム差を「1.5ゲーム差」に縮めた。

俄かに、ベイスターズの「優勝ムード」が高まって来た観も有るが、そんな今だからこそ、振り返っておきたいシーズンが有る。

それが、1997(平成9)年、横浜ベイスターズが、首位・ヤクルトとの最大14ゲーム差を、2.5ゲーム差にまで猛追し、ファンを熱狂させたシーズンである。

 

 

1997(平成9)年8月、横浜ベイスターズは首位のヤクルトを猛追したが、

一方、逃げるヤクルトも、簡単には首位を明け渡さず、横浜とヤクルトの両球団は、激しい優勝争いを繰り広げた。

という事で、横浜とヤクルトの死闘に日本中が沸いた、1997(平成9)年の「熱狂の夏」について、描いてみる事としたい。

 

<1997(平成9)年8月の横浜ベイスターズ…月間20勝6敗の快進撃で、首位・ヤクルトを猛追!!>

 

1997(平成9)年8月の横浜ベイスターズは、神がかり的な勢いで、勝ちに勝ちまくったが、

まずは、その戦いぶりについて、スコアの一覧表をご覧頂きたい(※スコアの右横の人名は、責任投手)。

 

【1997(平成9)年8月の横浜ベイスターズの戦績:20勝6敗】

 

8/1 横浜〇7-2●広島(広島) 島田(5-4) 

8/2 横浜〇5-4●広島(広島) 関口(4-3) ※9回表にローズが勝ち越し2ランホームラン

8/3 横浜〇7-0●広島(広島) 川村(7-4) ※川村がプロ初完封勝利

8/5 横浜〇11-1●阪神(横浜) 三浦(4-3) ※谷繁が6打点、5回降雨コールド

8/6 横浜〇3-1●阪神(横浜) 福盛(4-1) ※福盛が6回1失点の好投

8/7 横浜〇5-2●阪神(横浜) 野村(7-6) ※10年振りの8連勝、佐々木が通算150セーブ達成

8/8 横浜●1-4〇ヤクルト(横浜) マホームズ(0-3) ※田畑に完投負け

8/9 横浜〇2-1●ヤクルト(横浜) 戸叶(7-4) ※戸叶が石井一久に投げ勝つ

8/10 横浜●4-7〇ヤクルト(横浜) 五十嵐(2-1) ※4点リードを守れず、16残塁の拙攻で逆転負け

8/12 横浜〇5-4●中日(横浜) 三浦(5-3)

8/13 横浜〇4-2●中日(横浜) マホームズ ※マホームズ中4日で志願先発し、初勝利

8/14 横浜〇6-5●中日(静岡) 戸叶(8-4) ※6回裏、進藤・谷繁・代打佐伯が3者連続ホームラン

8/16 横浜〇2-1●巨人(東京ドーム) 五十嵐(3-1) ※10回表に波留が決勝打

8/17 横浜●0-4〇巨人(東京ドーム) 川村(7-5)

8/19 横浜〇3-2●ヤクルト(神宮) 戸叶(9-3) ※6回表に谷繁が逆転2ランホームラン

8/20 横浜〇5-1●ヤクルト(神宮) 三浦(6-3) ※三浦が12奪三振で無四球完投勝利

8/21 横浜〇4-1●ヤクルト(神宮) マホームズ(2-3) ※2回表に波留が3点タイムリー、ヤクルトを3タテで3.5ゲーム差

8/22 横浜〇5-4●巨人(横浜) 野村(8-6) ※1点差で逃げ切り、首位・ヤクルトは敗れ2.5ゲーム差に最接近

8/23 横浜●3-7〇巨人(横浜) 福盛(4-2)

8/24 横浜〇2-1●巨人(横浜) 西(2-1) ※西が9回表1死満塁を切り抜け、9回裏に駒田がサヨナラ犠飛

8/26 横浜〇1-0●中日(ナゴヤドーム) 五十嵐(4-1) ※戸叶が7回無失点の好投、10回表に谷繁が決勝ホームラン

8/27 横浜〇8-0●中日(ナゴヤドーム) 三浦(7-3) ※三浦が完封勝利、7回2死から6連打

8/28 横浜〇8-5●中日(ナゴヤドーム) マホームズ(3-3)

8/29 横浜●0-4〇阪神(甲子園) 野村(8-7)

8/30 横浜●0-1〇阪神(甲子園) 五十嵐(4-2)

8/31 横浜〇2-1●阪神(甲子園) 五十嵐(5-2) ※10回表にローズが決勝ホームラン、佐々木が16試合連続セーブ

 

ご覧頂いた通り、1997(平成9)年8月のベイスターズは、ことごとく接戦を制しているのがわかる。

日替わりヒーローが出て、連日、お祭り騒ぎで野球をやっていたような印象が有るが、ベイスターズが勝ち進み、ヤクルトを猛追するにつれて、マスコミもヒートアップして行った。

 

<8/7 横浜ベイスターズ、10年振り8連勝!!「大魔神」佐々木が通算150セーブ達成!!~「佐々木コール」が浜スタ名物に…「ヤスアキジャンプ」の原点…そして、横浜はヤクルトに6.5ゲーム差に迫る>

 

 

7/29~8/7にかけて、横浜は10年振りの8連勝という快進撃を見せた。

その間、抑えの切り札・佐々木主浩は、セーブ機会では全て登板し、ことごとくセーブを挙げて行った。

そして、8/7の阪神戦で、佐々木は通算150セーブを達成したが、この頃から、横浜スタジアムでは、佐々木が登場すると、

横浜ファンが一斉にスタンドの前方に押し寄せ、そして「佐々木コール」で佐々木をマウンドに送り出すという光景が見られるようになった。

 

 

これは、今現在のベイスターズで、抑えの山崎康晃が登場する時に、ファンが熱狂する「ヤスアキジャンプ」の原点と言って良いのではないだろうか。

当時の佐々木も、今の「ヤスアキジャンプ」以上に、横浜ファンを熱狂させていた。

なお、横浜が8連勝している間、首位のヤクルトは3勝4敗と、少し足踏みしていた。

そのため、首位・ヤクルトと2位・横浜のゲーム差は、少し縮まって6.5ゲーム差となっていた。

 

<8/8~8/10…横浜VSヤクルトの「第1次首位決戦」は、ヤクルトの2勝1敗~8/10の試合を生観戦>

 

 

横浜が、6.5ゲーム差で首位ヤクルトを追い掛ける状況で、8/8から横浜スタジアムで、横浜-ヤクルトの直接対決の3連戦を迎えた。

その初戦で、横浜はマホームズを先発させたが、ヤクルト打線に捕まり、打線もヤクルト・田畑一也に抑え込まれ、初戦はヤクルトが4-1で勝利した。

横浜は、3タテすれば、一気に3.5ゲーム差に迫れる状況ではあったが、初戦は随分アッサリと敗れてしまった印象が有った。

そして、ヤクルトと横浜のゲーム差は7.5ゲーム差に開いた。

 

 

2戦目は、横浜が戸叶尚、ヤクルトが石井一久という両先発で始まったが、

戸叶が粘り強い投球で石井一久に投げ勝ち、横浜が接戦を制して、2-1でヤクルトを破った。

試合後、大矢監督は報道陣に対し、「昨日、1つ負けただけでマスコミに叩かれ、頭に来ていた」と、マスコミに対する不満をぶちまけたが、

ともあれ、横浜は1勝1敗のタイに持ち込み、ゲーム差を再び6.5ゲーム差に戻した。

 

 

8/10、1勝1敗で迎えた3戦目を、私は横浜スタジアムまで見に行った。この年(1997年)、3度目の生観戦であるが、

横浜は川村丈夫、ヤクルトは吉井理人という両先発で始まった試合は、横浜が石井琢朗の8号ホームランや、4番・ローズのタイムリーなどで、4回裏までに4-0とリードしたものの、5回表、ヤクルトに一挙5点を奪われ、横浜は4-5と逆転されてしまった。

 

 

8回表、島田直也がホージーに痛恨の26号2ランホームランを打たれ、横浜は4-7と3点差に広げられてしまった。

結局、試合はそのままヤクルトが7-4で勝利し、横浜VSヤクルトの「第1次首位決戦」は、ヤクルトの2勝1敗に終わり、ゲーム差は7.5ゲーム差となった。

「流石はヤクルト、やっぱり強いわ…」

私は、ガックリしながら家路に着いたが、それでも、横浜スタジアムは、横浜ファンの熱狂的な応援により、かつてない程の熱気に包まれており、私はそれが強く印象に残った。

そして、結果として、この試合が、私にとっては、この年(1997年)の最後の生観戦となった。

 

<8/14、進藤、谷繁、代打・佐伯の3者連続ホームラン!!横浜、再び勢いを取り戻し、ヤクルトに食らい付く>

 

 

さて、横浜はヤクルトとの首位決戦に1勝2敗と負け越してしまったものの、

それでも、ベイスターズは諦めずに前を向き、ヤクルトを追い掛けた。

8/14の中日戦では、進藤達哉、谷繁元信、代打・佐伯貴弘の3者連続ホームランが飛び出し、

横浜は6-5と劇的な逆転勝利を飾るなど、8/12~8/16にかけて、横浜は4連勝し、50勝に到達した(※50勝42敗。8/17は、横浜は巨人に敗れ、連勝ストップ)。

その間、ヤクルトは3勝2敗1分であり、少しもたついていた。

こうして、首位・ヤクルトと2位・横浜は、6.5ゲーム差で、8/19から神宮球場で、再び直接対決の3連戦を迎える事となった。

 

<8/19~8/21…ヤクルトVS横浜の「第2次首位決戦」!!~横浜が「神宮決戦」でヤクルトを3タテし、3.5ゲーム差に急接近!!>

 

 

8/19から、ヤクルトVS横浜の直接対決3連戦、「第2次首位決戦」を迎えたが、

この「神宮決戦」は、この年(1997年)のベイスターズのハイライトとなった。

三塁側・レフト側のスタンドが、横浜ファンでギッシリと埋め尽くされる中、

ヤクルト・山本樹、横浜・戸叶尚の両先発で始まった初戦は、

6回表、横浜が1-2とリードされた場面で、谷繁元信がレフトスタンドへ起死回生の12号逆転2ランホームランを放った。

谷繁の劇的な逆転2ランに、横浜ファンは熱狂したが、その後、横浜は継投策で逃げ切り、最後は佐々木が締めて、

横浜が3-2でヤクルトを破り、大事な初戦を制した。そして、ヤクルトと横浜のゲーム差は5.5ゲーム差となった。

 

 

8/20の2戦目、横浜は三浦大輔が12奪三振、無四球完投勝利という、見事な投球を見せ、

三浦がヤクルト・川崎憲次郎に投げ勝ち、横浜が5-1でヤクルトに快勝、これで横浜はヤクルトに連勝し、両チームのゲーム差は4.5ゲーム差に縮まった。

この試合は、三浦大輔の長い現役生活の中でも、ベストピッチの一つと言えるのではないだろうか。

 

 

そして、8/21の3戦目は、ヤクルト・石井一久、横浜・マホームズの両先発で始まり、

2回表、満塁の場面で、波留敏夫石井一久から、走者一掃の3点タイムリー二塁打を放った。

これで優位に立った横浜は、4-1でヤクルトを破り、最後は佐々木がまたしても締めくくり、遂に横浜がヤクルトに3連勝した。

横浜は、ヤクルトを3タテし、ヤクルトと横浜のゲーム差は、とうとう「3.5ゲーム差」にまで縮まった。

「これで、横浜の37年振りの優勝も夢じゃない!!」

マスコミは一斉に大騒ぎし、横浜ファンも大熱狂していた。

「横浜、本当に優勝しちゃうのか!?」

私も、一気に優勝に向かって驀進して行くベイスターズを見て、ドキドキしていた。

 

<8/22…ヤクルトと横浜、遂に「2.5ゲーム差」!!8/24、横浜が劇的なサヨナラ勝ち!!~しかし、その後はヤクルト・横浜の両チームとの譲らず>

 

 

ヤクルトを3タテし、勢いに乗る横浜は、8/22に横浜スタジアムで巨人を5-4で破り、ヤクルトは広島に4-6で敗れた。

この結果、首位・ヤクルトと2位・横浜のゲーム差は、遂に「2.5ゲーム差」にまで縮まった。

連戦連投の佐々木は、疲労困憊だったが、それでも、優勝のために気力を振り絞って投げていた。

この試合も、佐々木は巨人を抑え込み、セーブを挙げた。

 

 

 

8/23は、横浜とヤクルトは共に敗れたが、

8/24、巨人との3戦目で、横浜は1-1で迎えた9回表、西清孝が1死満塁の大ピンチを切り抜けた後、

9回裏、駒田徳広がサヨナラ犠飛を放ち、横浜は劇的なサヨナラ勝ちを収めた。

試合後、大矢監督は感激の涙を流したが、もはや、横浜の優勝ムードは高まる一方となっていた。

 

8/26 横浜〇1-0●中日 ヤクルト〇4-3●巨人 2.5ゲーム差

8/27 横浜〇8-0●中日 ヤクルト〇3-2●巨人 2.5ゲーム差

8/28 横浜〇8-5●中日 ヤクルト〇12-5●巨人 2.5ゲーム差

8/29 横浜●0-4〇阪神 ヤクルト●1-3〇中日 2.5ゲーム差

8/30 横浜●0-1〇阪神 ヤクルト〇4-1●中日 3.5ゲーム差

8/31 横浜〇2-1●阪神 ヤクルト〇2-1●中日 3.5ゲーム差

 

しかし、その後は、横浜もヤクルトも、全く譲らなかった。

横浜が勝っても勝っても、ヤクルトは負けず、両チームの差は「2.5ゲーム差」からは縮まらなかったのである。

そして、ヤクルトがせっかく負けた時に、横浜もお付き合いして敗れてしまうといった状況が続いた。

ヤクルトも、そう簡単には首位の座は譲らなかったのである。

 

 

ベイスターズは、1997(平成9)年8月は20勝6敗という、凄まじい快進撃を見せたが、

「大魔神」佐々木主浩は、月間14セーブ(プロ野球新記録)という、獅子奮迅の大活躍で、月間MVPを受賞した。

こうして、首位・ヤクルトと2位・横浜は、「3.5ゲーム差」という状況で8月を終え、

そして、9月初め、両チームは3度目の直接対決を迎える事となった。

1997(平成9)年のセ・リーグ優勝の行方を大きく左右する、「天下分け目の決戦」の時が迫っていた。

 

(つづく)