私がかつて通っていた、法政大学の市ヶ谷キャンパスには、
「55年館」と「58年館」という名称の校舎が有る。
(法政大学の「55年館」と「58年館」。今年(2019年)3月に取り壊される予定。右端に見えているのが、ボアソナードタワー)
その名の通り「55年館」は1955(昭和30)年に、
「58年館」は1958(昭和33)年に、それぞれ建てられた建物であり、
まさに、法政大学を象徴する建物だったと言って良い。
その、歴史有る「55年館」と「58年館」が、
今年(2019年)の3月で、取り壊されてしまうという。
私が学生時代を過ごした、思い出の校舎が無くなってしまうというのは、大変寂しい限りだが、
その「55年館」と「58年館」が取り壊されてしまうにあたり、この土日(2/23~2/24)の2日間に、
法政大学の市ヶ谷キャンパスで、「55年館」と「58年館」の、お別れイベントが開催されている。
(法政大学の「55年館」と「58年館」を作った、建築家・大江宏)
私は、残念ながら本日(2/23)は行く事が出来なかったが、明日(2/24)は、行って来るつもりである。
そして、「55年館」と「58年館」に別れを告げて来ようと思っているが、
かつての学食のメニューが再現されたり、「55年館」や「58年館」の歴史を振り返る映画が上映されたり、
「55年館」と「58年館」を作った建築家・大江宏の業績についての講義が行われたりと、
様々なイベントが企画されているという。
ちなみに、私は高校生の頃、どうしても東京六大学に入りたいと思っていたが、
高校3年生の時に、東京六大学の各校の学校見学に行った事が有る(一応、東大も見に行った)。
(かつての法政大学の市ヶ谷キャンパス。2000年頃に、法政の再開発が始まる前までは、タテカンやビラが沢山有った)
その時に、私は初めて法政大学を訪れたのだが、
JR飯田橋駅から歩いて、法政大学に着いた時に、最初に目に飛び込んで来たのが、
「55年館」と「58年館」のモダンな建物だった(当時は、まだボアソナードタワーは無かった)。
「これが、あの法政大学か…」
と思ったものであるが、正直、当時の私は、そこまで法政に行きたいとは思っていなかった。
しかし、実際に法政を見に行き、「55年館」と「58年館」の建物を見た時に、とても素晴らしい建物だという強い印象を受け、
何となく、この大学とは縁が有るかもしれないという、予感めいたものを抱いたのを覚えている。
そして、本当にその通りに、縁有って、私は法政大学に入学する事になったが、
その時は、まさかこうやって、卒業してからも、法政についてのブログを書く事になるとは、思ってもいなかった。
そんな風に、私と法政大学との縁を繋いだともいうべき、「55年館」と「58年館」を、
この目に焼き付けて来たいと思っているが、明日(2/24)のお別れイベントの様子は、後日、当ブログでも、ご報告させて頂く予定である。