阪急グループ(阪急電鉄、阪急百貨店、阪急ブレーブスなど)、宝塚歌劇団、そして東宝グループ(TOHOシネマズ等)の生みの親にして、
現代の大衆の生活、大衆娯楽の基礎を築き、現代にも受け継がれる斬新なビジネスモデルを創始した男、
それらの巨大な功績で、日本経済史にその名を残す、伝説の経営者こそ、小林一三である。
その小林一三の生涯を描いたドラマが、
2015年に、NHKで放送された『経世済民の男』であるが、
『経世済民の男』は、全5回で放送され、
最初の2回(前後編)が高橋是清編(主演:オダギリジョー)、次の2回(前後編)が小林一三編(主演:阿部サダヲ)、最後の1回が松永安佐ェ門編(主演:吉田鋼太郎)であった。
今回は、その『経世済民の男』の小林一三編をベースとして、夢追う起業家・小林一三の生涯に、スポットを当ててみたい。
<文学青年の銀行員、小林一三>
小林一三は、1873(明治6)年1月3日、山梨県巨摩郡河原部村(現・韮崎市本町1丁目)に、
裕福な商家の長男として生まれた。
一三という名前は、彼が生まれた日に因んでいる。
しかし、一三の母親は、彼が生まれた年の8月に他界。
婿養子だった彼の実父も、養子を解消して実家に帰ってしまったため、
一三は幼くして、両親を相次いで失ってしまった。
しかし、一三と姉は、本家の大叔父(祖父の弟)の元に引き取られ、
一三と姉は、育ての親である大叔父に可愛がられ、何不自由なく育てられた。
一三は、経済的にも恵まれた境遇であり、幼い頃から学業も優秀だった。
幼い頃から、文学に親しんだ一三は、文学者になる事を夢見る文学少年だったが、
福澤諭吉が塾長を務める慶應義塾に進学してからも、一三の文学熱は高まる一方であった。
1890(明治23)年には、一三は山梨日日新聞に、靄溪学人というペンネームで、小説を連載するまでになっている。
その後、1891(明治24)年に、上毛新聞に『お花団子』という時代小説を連載するなど、
一三は、慶應義塾の在学中に、学生作家として活躍していた。
己の文才に自信を持っていた一三は、新聞社か出版社への就職を希望していたが、
それは叶わず、1893(明治26)年、二十歳の時に、三井銀行の大阪支店に就職した。
NHKドラマ『経世済民の男』は、一三が三井銀行の大阪支店に就職したばかりの頃、
1894(明治27)年に、一三(阿部サダヲ)が列車で銀行の現金を輸送する任務の最中、小説を読み耽り、
危うく現金を盗まれそうになる、という場面から始まる。
一三は、銀行員として勤めながらも、小説家になるという夢を諦めきれず、
勤務中にも、コソコソと小説を書いているような男であった。
なお、ドラマ『経世済民の男』では、ナレーションを、一三の長男・冨佐雄(井上芳雄)が務め、
この冒頭の場面で、冨佐雄は父・一三の事を、
「現金輸送中に小説を読み耽り、危うく現金を盗まれそうになる、デタラメな銀行員」
であると紹介している。
<小林一三、後に妻となる芸者・コウと出会う>
その頃、一三は、近松門左衛門の『曽根崎心中』にドップリとハマっていた。
そして、『曽根崎心中』のヒロイン、お初のような、理想の女性との出会いを夢見ていたが、
ある日、街中を歩いていると、物語からお初が出て来たような、美しい女性とすれ違った。
「何て、美しい娘(こ)なんだ…」
一三は、その女性に一目惚れしてしまったが、その時は、名前も聞けずに、すれ違っただけであった。
名前も知らぬ女性に恋い焦がれ、恋煩いをしてしまった一三は、
ある日、三井銀行・大阪支店の支配人・高橋義雄(草刈正雄)に連れられ、
お座敷遊びに繰り出していた。
その席で、芸者として現れた女性を見て、一三は、腰を抜かさんばかりに驚いた。
その芸者こそ、一三が恋焦がれていた、名も知らぬ、あの美しい女性だったからである。
芸者の名は、丹羽コウ(瀧本美織)といった。
「運命だ!君と僕とは、運命なんだよ!!」
一三は、劇的な再会(?)を果たしたコウに対し、勢い込んで、そう言った。
初対面の客に、いきなりそんな事を言われたコウは、目を白黒させて、驚くのであった。
それから、一三はコウに夢中になり、コウ目当てにお座敷に通いつめた。
何しろ、一三は金に困った経験が全く無い、ボンボン育ちである。
三井銀行に就職してからも、未だに仕送りを受けてさえいた。
そして、一三とコウは一緒に『曽根崎心中』の芝居を見に行くが、
芝居の帰り、コウは一三に「小林さんは、わての何処が気に入ったんどすか?」と聞いてみた。
すると、一三は「顔」と即答した。
「顔ですか?」と、呆れ顔で聞き返すコウに、
一三は「性格は、心がけ次第で、どうにでも良くなるけど、顔は取り換えるわけにはいかないだろ?だったら、最初から顔の良い娘(こ)を選ぶ方が、効率的ってもんだよ」と言ってのけた。
コウは「わては、目元のもっと涼しい人が好きですさかい。小林さんは、そうじゃありませんね」と、ピシャリと言い返したが、
一三は「バカだね、君は!男は顔じゃないんだよ」と、目を細めて、「涼しい目元」を作ってみせた。
そんな一三の剽軽(ひょうきん)な姿に、思わず笑ってしまうコウであった。
その日の出来事が有ってから、コウもまた一三の事を好ましく思うようになった。
そして一三とコウは急速に親しくなり、一三とコウは、恋人同士となった。
<破天荒な支配人・岩下清周の登場>
一三が、コウとの恋愛に夢中になっていた頃、
1895(明治28)年のある日、三井銀行の大阪支店に、新たな支配人として、岩下清周(奥田瑛二)という男が赴任して来た。
岩下清周は、それまでの、弛み切った大阪支店の社風を戒めるように、こう一喝した。
「これは岩下の個人的な見解だが、時間を守れぬ人間に、ロクな仕事は出来ない。これからは、出勤は始業(午前9時)の最低30分前。午前9時ピッタリに業務が始められるように!岩下からは以上だ!!」
岩下は、遅刻ギリギリに、アクビ混じりで現れた一三をジロリと睨みながら、着任して最初の訓示を終えた。
それから、大阪支店の社風は一変し、岩下の方針に従い、皆、猛烈に働いた。
そして、岩下は支配人として、とても破天荒な一面が有った。
それは、本社の裁量も仰がず、これはと思うベンチャー企業に、次々と巨額な融資をしてしまうという事である。
貸付係の一三も大忙しとなったが、
「本社の指示を仰がないで良いんですか?」と、慌てる一三に対し、
岩下は「これで良いんだ」と、平然としていた。
そんな岩下に、一三は懸命に付いて行ったが、あまりの忙しさに、いつしか小説を書く時間も無くなっていた。
一三は、「僕の右手は、ソロバンを弾くために有るんじゃない!小説を書くために有るんだ!」と叫び出すが、
一三は仕事漬けの毎日を送るようになっていた。
<「銀行家は小説家だ!」小林一三、経済人としての最初の開眼>
その頃、三井銀行の大阪支店に、珍妙な発明品を持って来ては、
融資を頼み込む、風変わりな栄田(星田英利)という男が居た。
前支配人の高橋義雄は、「素人の発明家に、融資なんて出来る筈が無いでしょう」と、鼻にも引っ掛けずに断っていたが、
ある日、栄田は、新発明であるというゴムを持って来て、大阪支店に現れた。
栄田は「これまでの倍の量のゴムを、半分の時間で作る事に成功した」というのである。
それを聞いた岩下は、即座に、巨額の融資を申し出た。
「何で、そんなゴムなんかに!?」驚く一三に対し、
岩下は「これからは、電気の時代が来る。工場も、普通の家も、みんな電気を使う。電気を使うには電線が必要だ。その電線には、絶縁体が必要だ。このゴムこそが、絶縁体になる!」と言った。
まだ、電気があまり普及していなかった、この時代に、岩下だけは、電気が普及した後の未来を見据えていたのだった。
「金の事は、この岩下が引き受けた。後は、思いっきりやれ!」岩下が栄田を励ますと、
栄田は、感激のあまり泣き出した。
その様子を、一三は、感に堪えないという様子で見ていた。
「岩下さん、金って面白いですね。金一つで、事業を生かす事も殺す事も出来る。つまり、銀行家は小説家なんですよ!」
と、一三は岩下に言った。
この時こそが、文学青年であり、後の大実業家・小林一三が、初めて、ビジネスという物の面白さに目覚めた瞬間であった。
<コウが小林一三に告げた、ある予言とは…>
そんなある日、コウが息せき切って、一三に会いに来た。
「コウちゃん、どうしたの?」驚く一三に対し、
「わて、前に、旅の行者(占い師)さんに言われたんどす。わての顔は、滅多に無い、良い相をしてるって。わてをお嫁にする人は、必ず出世するって!」と、コウは目を輝かせて言った。
「コウちゃん、わざわざ、それを言いに…?」
ビックリした一三に、コウは大きく頷いた。
つまり、コウは一三に、「自分をお嫁さんにして下さい」と言っているのである。
これは、まさに逆プロポーズと言って良い。
一三は、感激の表情を見せたが、この後、この二人は、思いもよらぬ荒波に襲われる事となる。
<岩下清周、辞職に追い込まれる>
1896(明治29)年のある日、岩下清周は、三井銀行を辞職に追い込まれる事になった。
どうやら、あの無茶な融資の数々が、本社の方で問題となったようである。
その事を追及された岩下は、大阪支店に赴任して1年余りで、辞表を提出する事を余儀なくされてしまった。
岩下の辞職を知り、驚いた一三は、大阪支店を去ろうとする岩下を追い掛けた。
その一三に対し、岩下はこう言った。
「どうやら、三井の看板を使って、岩下の夢を叶えようってのは、虫が良すぎたようだ」
「岩下さんの夢って何ですか?」と聞いた一三に対し、岩下は、
「岩下の夢は、日本を、世界に冠たる一等国にする事だ。その陰に岩下有りと、言わしむる事だ」
と言ってのけた。
だが、三井の金を使って、それを叶えるのは、いささか虫が良すぎる話だったというのである。
岩下は、「私は、自分で新しい銀行を作る。どうだ、お前も付いて来るか?」と、一三を誘うが、
一三は、「僕は…。ちょっと考えさえてもらって良いですか?僕は、博打(バクチ)は苦手なもので…」と、その誘いを断った。
この頃の一三は、極力、リスクを避ける生き方をする事を信条としており、
安定した三井銀行の職を辞める事など、一三には考えられない事であった。
岩下は、「ハハハハ!そうか!じゃあ小林、達者でな!」と言い残し、去って行った。
こうして、小林一三は、アッサリと、付いて行くべき背中を見失ってしまったのである。
(小林一三の生涯、その2につづく)